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2005年10月23日 (日)

NHK義経(42)義経帰京、再起

承前

 今夜の義経は、久しぶりに快感を得た。一々の画面に緊迫感が漂っていた。もちろん靜や奥さんや、うつぼを久しぶりに見たのも気持が和んだ。総じて、この義経、女性運はよいように描かれておる(笑)。

 さて、頼朝の命により、平家ゆかりの24カ国所領をすべて取り上げられたことにから、いわゆる鎌倉の政策、本領安堵→御家人の線が、義経に限って外されたわけである。よって、院の法皇より、法皇知行国から伊予守(いよのかみ)を任じられたのは、破格の名誉であり、実利であった。これがなくば、義経は郎党や奥さん、靜を養うことも出来なくなる。もちろん、まだ検非違使判官だったからそれなりの給金はあったろうが、規模が異なる。おそらく数百名であっても、兵を養っていたはずである。(と、そうでなかったなら、丸腰だから、もし丸腰ならば、義経は裸で厳冬の原野に野宿するようなものだ)

 Muは見ていてうきうきしていた。

 鎌倉幕府は、北条との関係、都からの上級官僚の採用によって、すべてがぎちぎちに固められつつある時代だった。そこで、野生というか、組織にあっては、はぐれ者の義経が生きる空間は消えてしまう。ここまできてはじめて「新しい国」という机上の空論が義経の肉体になじんできた思いがした。これで無事伊予、西国で再起したなら、どれほど物語としておもしろかったことか。
 いや。
 義経が数回後に都落ちして、奥州に逃れきり、そこで自刃するまであと数年ある。その数年間、義経は夢をみることができたはず。今夜は1185年の秋、そして奥州藤原壊滅は1189年。それは、後知恵をもちこめば夢でなくなるが、義経に身をそわせれば、逃げ切った奥州の地に足をおろし、そこで舘を得ただけでも、第一歩。

 というわけで、今夜は梶原や行家のしたり顔というか、にくにくしげなセリフまわしに辟易しながらも、それあってこそ判官贔屓、義経が映えわたった一夜であった。

 後白河法皇、夏木まりさん、草刈正雄さん。このトリオが今夜もよい雰囲気でした。
 法皇が権謀術策の底になお、義経を恃む心のあるところ、表情にうまくでていた。
 親衛隊、軍なき、珍しいわが国の王朝にとって、義経は珠玉だったのかもしれない。

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コメント

おはようございます。
この大河ドラマは、昨日が最終回だったら良かったんだと思いました。そしたら、視聴者も義経の将来をアレコレ想像して夢が見られたのに。久しぶりの、京都での義経の活躍、スカットしました。それにしても頼朝と政子が気にかかります。歴史ものは結論が決まっているので、やるせない気分です。この調子では、なんだかんだ言ったって最後まで観てしまいそうです。

投稿: hisaki | 2005年10月24日 (月) 08時26分

hisakiさん、2005年10月24日 午前 08時26分

 頼朝は、このドラマでは、政子の掌中にのってしまった雰囲気もあります。つまり、北条家の傀儡初代将軍というイメージですね。

 これはこれで、なかなか難しいことになってきました。そもそも頼朝が御家人達に担がれたのは源氏の統領であるということでしょうね。すでに、源氏か平氏でないと、武家の統領として束ねられないという風潮があったんでしょうか。

 なんだかんだで、師走総集編ですよね(笑)

投稿: Mu→hisaki | 2005年10月24日 (月) 15時36分

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