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2005年10月16日 (日)

三条大橋の高山彦九郎・正之(たかやま・ひこくろう・まさゆき)

高山彦九郎銅像(京都市東山区大橋町)マピオンBB地図
 京都の三条大橋たもとに「高山彦九郎銅像」がある。目立つ場所に昔から目立つ像だったのだが、日常の記憶には意外に薄い。交通量の多い交差点なので、徒歩にせよ、車にせよ、銅像を見つめる余裕がうまれないのだろう。
 東の、上野西郷さんにひけを取らない奇抜な姿なのだが、回りに広い場所がなく、ここで待ち合わせをする話はめったにない。もっとも、十年ほど以前に研究会で東京渋谷、忠犬ハチ公前で待ち合わせたとき、広くて人が多すぎて見当も付かなかった記憶もある。
 滅多に聞かない彦九郎像・待ち合わせ話だが、評論家の松本健一先生がどこかに記されていたのをぼんやりと覚えている。たしか先生は彦九郎と同郷、群馬県の出身だったはず。そういう縁があるのかもしれない。

 高山彦九郎正之。現代の人でこの名を聞いてイメージが出来る人は、もう少ないかも知れない。
 活躍年も18世紀後半なので、明治維新の1868年には一世紀早い。だから、普通の意味では幕末の物語に登場することもない。

高山彦九郎・正面像

高山彦九郎・正面像
 どのような経緯でこの銅像ができたのか、お姿をどのような方法で復元したのか、今のMuには一切わからない。ただ、少なくとも高校生時代からの記憶はあるので、この一徹な顔、土下座する姿は私の中で「現実」となってしまっている。相当な変人・畸人とされた方なので、そういう噂もからめて、この顔や姿は関東の田舎武士の質実さを、はっきりと典型化している。対するに、都の公家衆はさぞ、噂をしあったものだろう。江戸では田沼意次が執政していた時代だった。
 銅像基盤の「○に十字」が目に付く。単なる意匠か、それとも島津の紋章なのか、これも知らない。

高山彦九郎先生皇居望拝之址

高山彦九郎先生皇居望拝之址
 この石板柱に刻まれた書体も文字の配置も、簡潔な内容も、とても気に入っている。怠って、どなたの書なのか、それすら知らないが、知らないままに「ああ、良い銘を残されて、彦九郎先生、よかったなぁ」と感じ入っている。Muも残すものがあれば、こうでありたい。これを見ていると、漢字という外国の文字を、ここまで綺麗に使い込んだわが国の歴史にあらためて感激する。
 そしてここにも「○に十字」が目に入ってくる。なんとなく車輪のような意匠にも見えるが、先の写真にもあったのだから、これはシンボルなのだろう。「彦九郎コード」なのかも知れないと、思った。

案内

高山彦九郎、皇居望拝之像 (案内)

夜の高山彦九郎

高山彦九郎・側面図・夜間

銅像の全体

高山彦九郎・全体像

 高山彦九郎正之先生は享年四十七歳、九州は筑後久留米の森邸にて、書き物(旅日記か)を破棄し、突然切腹死されたよし。原因は不明とのこと。奇行の噂たかく、志を全うされたとも思えず、自殺されたことに、心中の闇と光とをかいま見、涙ひとしずく遠く未知の先生の為に、流した。

参考サイト
  高山彦九郎記念館(群馬県太田市)

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コメント

Muさん

子供の頃からこの銅像は何やろな?と、不思議でした。戦後は彦九郎さんもあまり、有名ではなかったんでしょうか?

群馬のホームページを眺めていると、この御仁の経歴と人を垣間見る事が出来ましたね。

膨大な旅日記があるそうですね、昔は、師を求めて、又、友を求めて旅をしたんですね。簡単には勉強できないのですね。

それに比べ、今はインターネットで直ぐに、連絡はとれるし、知識は得れる。けど、これは、本当はマヤカシかも知れませんね?

志を持ち、先生を訪ねる、弟子を願い出る。これが、インターネット時代でも同じではないでしょうかね?

いろいろと、考えさせられましたね。

投稿: jo | 2005年10月17日 (月) 11時57分

jo さん、2005年10月17日 午前 11時57分

 こちらこそご無沙汰。後刻観に参りマスで。

 高山翁は、諸国に檄をとばしてあるいていたのでしょうね。尊皇思想だったんでしょうか。儒教的大儀名文だと、幕府は簒奪、覇王ですから、ね。

 なんとなく、薩摩へ行ってからがおかしい。
 なにかあったんでしょうね。

 と。

 戦後は教科書でならわなかったから、イメージが湧きにくいのだと思いました。

投稿: Mu→Jo | 2005年10月17日 (月) 15時56分

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