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2005年9月17日 (土)

絵葉書:能登半島・機具岩(はたごいわ)能登二見

機具岩(石川県羽咋郡志賀町富来生神)マピオンBB地図

承前[MuBlog 厳門]

機具岩(はたごいわ)能登二見
 さて、この能登二見(機具岩)は、先回の厳門(笑)からみて、地図上で真北2キロのところにある。ちなみに先回間違った「ヤセの断崖」は、この機具岩から直線で、北北西11キロあたりに位置する。だから先回の「ヤセの断崖・看板」は、厳門とは切り離して再編成すべきかもしれないのだが、なに、そこは未知の領域故に、こういう間違いがあっても、ご愛敬(笑)。

風景写真の誤認話
 地元の人が観れば怒るかも知れないが、Muも、京都を訪れて写真をとった旅人が、後で嵐山と宇治とを間違えても、斑鳩の法隆寺と太秦の広隆寺とを撮し間違えても、なになに金閣、銀閣をまちがってさえ、まあ、そばにありますから、ようまちがえはりますなぁ、ですませておこう。
 程度の問題だが、そのうち、寺と神社を間違え出すと、多少はMuもムカッとするけど。だれかが三輪の大社を撮して、「寺~」なんてほざいたら、怒髪冠を刺す。(本当は難しい事ですが、神仏習合)

 だがまてよ、京都市民、奈良市民でも、大澤、広澤、猿澤の三澤・池の写真をみて判別できる人は、何パーセントだろうか。おそらく、ゼロコンマ以下だろうなぁ。
 (と考えると、ゼロの焦点、ヤセの断崖と、厳門とを見間違えても、……。うむ、ここまでMuも屁理屈男だったのか)

 この掲載写真を見て案の定、最初Muは、左下の丸っこい岩を、機具岩と誤認した。しかしこれは、どう考えても、単に標識代わりに使ったものなのだろう。機具岩(はたごいわ)は、右下の二見岩を指すと思っている。いや、もちろん後日に、DeepGから一行メル「すみません。あれは、伊勢鳥羽の二見でしたぁ~」となるかもしれないが、まあ、それもご愛敬。

機具岩伝説
 古代、お姫様が賊におそわれて、えいやっと機具(機織り機のどこでしょう?)を投げつけたら、それが夫婦岩になったとかいう伝説らしい。案内板には、そのお姫様がヌナキイリヒメノミコトと、だけ記してある。
 さて、ここからが大問題である。ヌナキイリヒメノミコト、これはどこかで目にした耳にした。
 神名は似ている柱もおはすから、簡単には言えないが、近所のナンデモ海部族史家にもお伺いをたてないと、あとで泣きを見るのだが、たしかに、北陸関係の御姫様に「ヌナ」の付く神は、おはしたはず。たしか、翡翠と関係が深いような(調べりゃ分かるだろうが、まず推論)。そして、ああ、思い出した。

 崇神天皇の御代。そうでした。
 荒ぶる神々が祟りに祟ったとき、天皇はどうされたか。宮居に併せ祀っていた天照大神と、大国魂神とのために、巫女をたてました。一人は、アマテラスさんを、娘のトヨスキイリ・ヒメノミコトに、一人は、オオクニタマさんを、娘のヌナキイリ・ヒメノミコトに預けて、宮から出ていただいたわけでした。
 ところが、うまくいかなかったのです。国中の疫病やまず、ことに渟名城入姫命は髪がおち、やせ細ってしまい、大国魂神(おおくにたまのかみ)を祀ることも出来なくなったのです。
 さて、その崇神天皇の皇女・渟名城入姫命は、この能登半島、日本海に面した二見岩に祀られ伝承を生んだという渟名木入比咩命(ぬなきいりひめのみこと)と同じ方、いや神様と思って良いのでしょうか。

ヌナとも謎に
 とここで、翡翠の話になると、「渟名(ぬな)」という名前が別の方と関連を持ってきます。万葉集に関連するのですが、浅学故に、他の人の記事をあげて、お終い。(歌語り風土記・奴奈川姫:新潟県

 またこれは、古事記(上巻)にも、ぬなとももゆらに~という言葉があって、国語辞典レベルでも意味がありました。つまり、「ぬ」は玉、「な」は「の」の意味で、玉の擦れ合う音、すなわち漢字表記で「玲瓏」になっていきます。
 要するに、ヌナとは、玉の意味を持っていて、さてそれから翡翠、北陸、機織りとどう続くのか、おそらく識者にはよおくおわかりなのだと思いますが、浅学Muは、今夕これにて失礼つかまつりまする。

 願わくば、写真が鳥羽の二見岩でないことをねがって、また次回。

参考までに
  保田與重郎『機織る少女』がありまする。Muの記紀の知識の多くはこういう図書から承けています。

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北国紀行DeepG2005」カテゴリの記事

コメント

Mu先生、たしかに写真は巌門でしたね。
巌門は、たしか東尋坊のように遊覧船も出ていました。
峠の上から眺める場所がありましたが、透明度が素晴らしく、いまも印象に残っています。
30年前のヤセの断崖の写真が京都にあるので、お見せしたかったのですが…。

その辺り一帯の海岸線を能登金剛と云うのですね。
ヤセの断崖も、義経の舟隠しも 巌門も、一括りで、能登金剛と云うそうです。メインの国道からは離れていますので、わりあい人は少ないです。

僕が桜貝を拾ったのは、富来町の増穂ヶ浦でした。桜貝の他にもいろんな貝殻が拾えて、歌仙貝と呼ばれています。

投稿: Ys | 2005年9月17日 (土) 21時35分

Ysさん、2005年9月17日 午後 09時35分

 想像するに、今の季節は心地よいでしょうが、冬は大変だろうな、と頭の中に松本清張世界が吹雪きました。
 日本海がわは、イメージとして、透明、冷たい、清浄、荒い、魚引き締まっておいしい、という感じです。
 
 ところで、あらかじめ想像してはいましたが、記事を作っていると本当に、行ったような気分にもなってきます。

 行った、観た、食べた、風呂に入った、寝た、ひたすら走った、……こういうのも、結局記憶として蓄えられていくのだから、こういう疑似記事も、年月がたてば、「経験・記憶」になるかもしれません。

投稿: Mu→Ys | 2005年9月18日 (日) 06時46分

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