嵯峨野トロッコ列車の鉄橋渡り
嵯峨清滝展望台(京都市右京区嵯峨清滝)マピオン地図
嵯峨野トロッコ列車遠望
カメラを廻りにむけていると、鉄橋があった。なにかが動いていたので、シャッターを押したはずだ。汽車(電車をみても旧国鉄を走るのは、汽車と、Muの脳には定着している)と、思ってそのまま忘れていた。昨日、大きな原版をトリミングする話を書いていたので、おなじくやってみた。
あった。
ぼんやりと、トロッコ列車だった。
これはめずらしい。
地図で見ると500m離れたところから、光学3倍ズームで撮したことになる。
保津峡といえば保津川下りと嵯峨野トロッコ列車が定番だ。以前、船下りを十数名の学生としたとき、別の者達はトロッコに乗ったはず、と思い出した。京都以外から来ている学生は、入学のおりに京都見物の家族と乗ったりすることが多いようだ。あとはグループやカップルで。
この日は、偶然にもそれを遠くから撮してしまっていた。
いつかトロッコ列車に乗ってみたい。その時は、望遠レンズで展望台を撮すだろう。となると、また、500m離れていても高精細に写る高級なカメラが欲しくなる。人間は、きりがないな。
ただ、5年間ほど使ってきたディジタルビデオがあるので、そのレンズだと、光学20倍ほどあったろうか、もっとちゃんと写るだろう。ほんと、きりがない。
参考サイト
嵯峨野トロッコ列車(公式HP)
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コメント
わあっ~!トンボといい、トロッコ列車といい、撮した気がなくても、家に帰って大きくしてみたら「写ってた!」なんて、すごく便利なカメラですね(笑)。いい構図の写真です。
(トロッコ嵯峨駅)
昨年、この駅のすぐそばにあるコンサートホールに加古隆のピアノを聴きに行きました。その時、嵯峨駅も初めて見たんですが、洋館風の建物で、とてもきれいになっていました。
駅は洋風なのに、近くを歩いてみると、昔のままの魚屋さんとか豆腐屋さんがあって、ホッとしました。Muさんが住んでおられたのは、この辺りですかぁ?
叔母が近くに住んでいて、この叔母のことは(嵯峨のおばちゃん)って呼んでいました。あと(太秦のおばちゃん)(鳴滝のおばちゃん)(下鴨のおばちゃん)(山科のおばちゃん)・・。(宇治のおばちゃん)っていうのは、なかったです(笑)。
投稿: wd | 2005年9月 2日 (金) 09時06分
wd さん、2005年9月 2日 午前 09時06分
@Muが幼稚園ころから大学卒業まですんでいたのは、車折神社という近辺です。小学校が嵯峨小学校ですから、自転車に乗るようになった4年生ころから、このあたり全域がわが庭になっておりました。愛宕山は何度も上っています。途中に清滝への分岐があるわけです。
@カメラは400万画素です。現行デジカメでは中クラスです。一眼レフデジカメだと800万を超えているようですね。以前は200万画素もあれば十分とおもっていましたが、wdさんのいうように、なにげに写して、あとで100%表示すると(パソコン画面だと、ほんの一部分になる)、けったいなものが一杯写っています。全体表示は30%縮小くらいですからね。100%にすると異世界です。
@というわけで、数年後、こんどこそ1ギガ画素の一眼レフを買って、flowerさんみたいなきれいな花を撮っておることでしょう。しかし、カメラ道楽は、まあ、けっこう資金がかかるようですが。
http://ooe.moe-nifty.com/flower/2005/08/post_8be8.html
投稿: Mu→Wd | 2005年9月 2日 (金) 10時41分
トロッコまだ経験なし
嵯峨野には今まで、何回も出掛けましたが、まだトロッコには乗車した経験が有りません。
嵯峨野を一人でボケーっと歩いていると、よく団体を引き連れたガイドさんに声をかけられ、
”トロッコの駅はどちらですか?”と質問されました。
ワタシャこの嵯峨野とは何の縁もゆかりも無い単なる暇人観光客なんやけど、地元の人間と間違われるんです。
しかし、遠くから眺める列車は風情がありますね。
投稿: jo | 2005年9月 2日 (金) 11時42分
joさん、 2005年9月 2日 午前 11時42分
ちょっと一息。
で、気になってトロッコHPをみたのですが、どうにもわからないことがあって。
つまり、往復乗るのだろうか。
定番では、亀岡までトロッコのって、帰りは保津川下りかもしれないが、……
それともJRではやばやと亀岡まで行って、そこでトロッコに乗って嵐山、嵯峨野到着だろうか。
いえね。
足腰立つまに、風雪梅安一家をご案内することになったら、どうプランしてよいかわからない。HPにも、ぱっとわかる案内がない。
関係者とか地元のもんは、えてして、外地もんの気持ちがわからんのやろうね。行ったまま、行って帰るだけ、……
旅行とか観光は、やはり、システムだからね。ぶらりぶらりと亀岡までいって、さあ、帰りはどうなる。そのまま、日本海までJRに乗れよ、という案配かいね。
うむうむ。
そういう定番を、いつかMuBlogで決めてあげましょう。
投稿: Mu→Jo | 2005年9月 2日 (金) 12時12分
(JR馬堀「うまほり」駅)
Muさんね、(行き)はトロッコ嵯峨駅から乗って、トロッコ亀岡駅で降ります。(帰り)は近くのJR馬堀駅から山陰線で帰ります。おわかりになりましたぁ?
ちゃんと道案内をしてあげてくださいね(笑)。
投稿: wd | 2005年9月 2日 (金) 14時05分
wdさん、2005年9月 2日 午後 02時05分
わかりました。つまり、従来の山陰線とトロッコ線の駅を混同していたきらいもあります。JR山陰線馬堀駅ですね。
……
(なあんだ、帰りは普通の汽車にのるわけか)と、まだ不満は残りますが、一番分かりやすくて、疲れない方法だと思いました。
有り難うございました。
投稿: Mu→wd | 2005年9月 2日 (金) 15時49分
Mu先生 いつも拝見しております。
今日 こちらの記事をみつけまして、はじめてコメントさせて戴きます。
私もこの辺りには 馴染みが深いです。
19〜22歳頃、毎日 山陰線を利用していました。当時は京都駅まで1時間15分ほども掛り、日に日に変わる保津峡の景色を眺め、顔なじみの人達と談笑したり、色んな思い出やドラマがありました。
愛宕山へも何度も登りましたので、保津峡駅から落合の辺りもよく知っております。
Mu先生は 嵯峨小学校のご出身ですか?
私の中学校の恩師の永井淳先生が、終戦直後から嵯峨小学校に居られて嵯峨野に詳しく、当時 私は写真部に所属しており、中学2年の夏休みに撮影を兼ねて、写真部の担当でもあったこの先生と共に、嵯峨野を二尊院から岩田山、大悲閣の辺りまで散策しました。
永井先生は昭和29年には 園部中学におられたので、多分ご存知無いでしょうね。
また、私の兄も釈迦堂の近くに一時 勤めていた事もあり、嵐山東公園では、よくラジコン機を飛ばしておりました。(高校の頃です)
そんな訳で、嵯峨は懐かしいですね。
投稿: Ys | 2005年9月 4日 (日) 13時34分
Ysさん、 2005年9月 4日 午後 01時34分
はじめまして、YSさん。というか、JoBlogで時折コメントを読んでおります。
当時、あの右京一帯には小学校が嵯峨小学校しかなく(松尾と、太秦の手前、蜂が岡あたにり一校)て、毎日30分以上かけて登校しておりました。
釈迦堂、という呼び方しか知らなかったですね、清涼寺じゃなくて。タイマツをもやす火祭りに毎年夜店がでて、騙されて変なものを買って、……。狂言もありましたな、嵯峨念仏ですかな。
二尊院には、小学校5年の折、寺の娘さんが同級生で、亡くなりました。友達が泣きながら悼辞読んでいたのを思い出します。ハニュウダさんという姓だった記憶ありますね。彼女には、それからのMuの今まで生きたような、そんな長い生が断ち切られていると、考えると、感無量です。
独特の、嵐山・東公園、というニュアンスが心に残っています。ある意味であそこらは、松尾に心理的に属していて、その異境に遊びにいくという、名状しがたい心の昂ぶりが蘇ります。つまり、渡月橋を渡った先は異境でした。あくまでMuの本家庭は天竜寺であり、嵐電でした。阪急桂線嵐山は、すでに他国(笑)
というわけで。
嵯峨幼稚園、嵯峨小学校、蜂岡中学校、嵯峨野高校、当時はお金のかからない公立コースが定番でしたが、今はしりません。
東映や大映、松竹などの大御所俳優の子弟が、ようけおりました。
と、ひとくさりの昔話。
映画村も、トロッコ列車もなかった、遙か昔の嵯峨でした。
追伸
今読んでいる漫画で、ふと「蜂岡の秦川勝のところへ使いにいけ」というセリフに目を奪われました。飛鳥から京都市右京区太秦とは、また長い旅だなぁ。
投稿: Mu→Ys | 2005年9月 4日 (日) 14時01分
Mu先生の少年時代を垣間見ましたね。
確かに嵐山東公園は もう松尾ですね。
清涼寺も釈迦堂の方がピンときます。たしかバス停は嵯峨釈迦堂前ですね。
中学の頃、園部から河原町まで、自転車で来た事がありました。片道2時間半です。河原町の "さくら食堂"でオムライスを食べて帰りました。昔はアホな事をやりましたわ。
この歳になると、先に逝った友達の事を時々思い出しますね。
投稿: Ys | 2005年9月 4日 (日) 15時59分
Ysさん、2005年9月 4日 午後 03時59分
「さくら食堂」がでましたかぁ(笑)
なんだか、同時代人ってよいですね。
辞書事典に載っていないような時代の空気を思い出します。
しかし。この食堂、数歳上の友達におごってもらったんですが、彼が25歳くらいだったかな。しばらくして自殺しました。そういうなんは、まことに、気持に残ってしまいます。
投稿: Mu→Ys | 2005年9月 4日 (日) 21時52分