NHK義経(35)壇ノ浦残照
今夜のNHK義経は、お徳が語ったように、悲しいとか可哀想悲惨とかという情感をこえて、「空」、強いて人間的に申せば、寂寥感を味わった。だから、ここでそれを縷々語り記すことは、今は、はしたないことと思った。いつか、総集編のころに、思い出しつつ、とつおいつ、記録しておこうと考えている。
ただ、イメージとして深く焼き付いた映像がいま、眼前をフラッシュバックしていく。
義経の、知盛を前にしての八艘飛びが金色に光っていた。砂金が空に舞っていたのだ。
知盛が、見るべきほどのものは見つ、いまや自害せんと思うにいたった流れが心に染みこんだ。
義経は、人ではなかった。彼もまた時代に橋を架けた鬼神だったのだ。
二位尼の義経に向けての微笑がえもいえぬものだった。人は死すとき、呆然となって入水する直前、あのように世界を人を眺めるのかも知れない。
明子(あきらけいこ)の、堰を切った涙が実に自然で、そして切実だった。涙流すよりすべはなかったのだろう。
いつにもまして息を止めて見ていた。
記録も採った。そして、そのような技術的記録をしていたことに、西海に陽が沈んだとき気がついた。そこに、現世に生きる、生の実感を味わった。おそらく、芸術とは、オブジェクト(対象)そのものの資質よりも、それをどのように味わい銘記するのかに要点があると、今夜知った。
平家物語を持ち、義経伝承をもち、毎日曜の夜にNHK義経を見て生を味わい、美の様式を心にはぐくむことの出来る現世は、この日本は、優れた時代を持っていると言えよう。なぜ、人はそれに気がつかぬのだろうか。乏しき時代なのではない、乏しき精神故なのだ。
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コメント
本当に、あっという間に45分が過ぎてしまいました。見終わって、あんまりにもさびしく、悲しかったです。
>芸術とは、それをどのように味わい銘記するのかに要点があると、
私にもなんとなく理解できました。
最後の場面に直面した場合にどう行動するか。その人の人間性が一番現れるところですが、平家は立派でした。
お蔭様で、ドラマも芸術であることが分かりました。有難うございました。
投稿: hisaki | 2005年9月 4日 (日) 22時00分
hisakiさん、2005年9月 4日 午後 10時00分
「ドラマも芸術」
きっといつのまにかMuの中で、おそらく昨年ころから、「NHK大河ドラマも芸術」、となってきたんでしょうね(笑)
ネットみていると、新選組!も義経も、ボロカスに書いている記事、散見します。みなけりゃいいのに、と思います。
今夜は、松阪慶子という女優さん、気に入りました。無意識にずっと気に入っていたのでしょう。NHKの「聖徳太子」で、推古天皇(になる前の)役をやっていたのですが、随分迫力ありました。
阿部寛さんも滝沢義経さんも、明子さんも、能子さんも、みんな、役に溶け込んでいましたね。(その他は役名も俳優名も無知)
ところで、あの安徳天皇さん役ですが、じつは、おそれおおきことながら、気に入っております。
さて。
いよいよですね。義経の没落です。本心から見たくないという叫びが喉からほとばしりでそうです。
しかし、新選組も最期まで看取ったのですから、今年も12月まで、見ますので、よろしく。
投稿: Mu→hisaki | 2005年9月 4日 (日) 22時30分
こんばんは、初めてトラックバックさせて頂きました。また、こちらへのトラックバックをありがとうございます。義経の周りを舞う金の粒は、砂金だったのですね。平家の栄枯盛衰をあらわしているのでしょうか。脳裏に残るシーンでした。Muさんの超古代に関する記事も楽しみにしています!
投稿: カレージア | 2005年9月 4日 (日) 22時55分
カレージアさん、2005年9月 4日 午後 10時55分
実は御記事にあった、
http://karezia.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_679d.html
安徳天皇さんと能子さんの、その後のことが気になってはいたのですが、だまって壇ノ浦にとどめておきました。けど、きになります(笑)
先週の予告で、金色に包まれた義経が写っていて、金粉ショー(未見ですが)とは違った趣をたのしみにしておりました。すると、スジとしては、義経の危機をみて郎党が知盛に、砂金袋を投げつけるわけですね。その少し前に、矢が袋にあたって、中から砂金がこぼれ落ちる伏線もありました。
さて。この義経金粉(笑)は、後生、Muの眼裏に焼き付いた名場面ではありますが。理屈を申せば、重い砂金があれだけ長時間、八艘跳びしているあいだ、空に滞留するわけはなくて、砂金←→金粉の、上手な騙しがあったわけですがぁ。
そんなことを言い立てるほど野暮天ではないMuは、ここのところは、鬼神義経ほどになると空から金粉が舞ってきて、かれの武勲を言祝ぐ、ということで納得しときました。
中世、著名な能役者が亡くなると、空から天花が舞い落ちるという伝承もあるのですから、義経さんほどの方なら、空から金粉が舞い落ちてきてもふしぎじゃないですよね。
なお、超古代史については、ものすご興味があるのですが、ネットにしろ図書にしろ、Muがわりこめないほど、マニア、研究者、ありていにもうせば妖しいオタクがようけおりますので、なかなか起筆できません。
これからもよろしく。
投稿: Mu→カレージア | 2005年9月 5日 (月) 07時44分
(鎮魂の文学)
昨夜の『義経』を見ていて、『平家物語』は、なぜ語られなければならなかったのかがわかったような気がしました。
『平家物語』巻十一「先帝身投(せんていみなげ)」を読むと、そこには美しく、切なく、先帝の最期が語られています。
(尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ)という、いとけなき君の言葉。
二位殿は、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にいとまを申し上げ、それから、西方浄土にあずかろうと、西に向かってお念仏を唱えられる。
(浪の下にも都のさぶろうぞ)・・・
ドラマでは、明子が知盛に向かって(浪の下の都で、再びお会いしましょう)と申し上げていましたね。
(無常の春の風、忽ちに花の御すがたを散らし、・・・玉体を沈めたてまつる)
幼い天皇の美しい姿を花や玉にたとえる原文の美しさは、これが読み物としてではなく、語り物として、語り継がれていったことの意味を感じさせました。
義経も知盛も明子も、そして時子も(よかったなぁ。)と思いました。これを機に、少し平家を読み直してみようかな、と思いました。
投稿: wd | 2005年9月 5日 (月) 08時39分
wd さん、2005年9月 5日 午前 08時39分
ときどき、平家琵琶というのでしょうか、CDなんかで聞くことがあります。平家物語の文体(和漢混淆文でしたか)そのものも好みなのですが、琵琶法師の語りというのも、CDや映画で独特のものがあり、捨てがたいものだと考えております。
平家物語は源氏物語に比較しても、校訂本がわかりやすくて、おりおり眺めます。
大体、Muがもし今後文章を学んだり、練習する機会があるとするならば、まず平家物語を範とすることでしょう。それほどに好きなのです。なにも、文体とか、その内容は、歴史が変化しようが、時間が経過しようが、変える必要は毛頭無いので、……、まあ現代の殺風景な文章を読んでいると、わが文章をふくめ、うんざりします。
どこかで引用した「木曾殿最期」なんか、あれを現代軟弱文に変えると、もう、泣きたくなりますね。
というわけで、Muも、wdさんがそうおっしゃるなら、来年あたり、平家物語を読み直したいです。
と、言い切ると、来年は「巧妙が辻」、さてはて、どうなることやら。もう一カ年、あの時代をやってくれたら、ともおもいますですが。
昨夜の義経は、佳かったです、
Muは佳いところだけを摂取しました。
注:強いて申せば、朝から落日までの合戦の合理性、戦史分析に多少弱いところもありましたが、これはこれ、他の補助戦史でおぎなうのが妥当と納得しました。
投稿: Mu→Wd | 2005年9月 5日 (月) 09時20分