« 絵葉書:能登半島・機具岩(はたごいわ)能登二見 | トップページ | 金魚鉢というよりも水槽 »

2005年9月18日 (日)

NHK義経(37)帰京

承前

帰京
 今夜は久しぶりに鎌倉の、頼朝がでてまいった。
 京都官僚の大江広元の言上による、先に後白河院より、鎌倉に無断で任官した三浦一党、合計二十数名の処分である。頼朝は、義経をリストからはずし、その者らへの沙汰を義経に、言わしめよ、とした。実は、無断任官の筆頭は義経だった。
 沙汰は、美濃のスノマタ川より東へわたってはならぬ。もし破れば領地没収、斬罪に処すとのことだった。

 義経は、リストから外されたことを、兄の弟への温情と思い、弁慶と喜色をかわす。
 梶原の軍目付報告には、政子も頼朝も、九郎は戦の作法を知らぬままに大将になったと、とがめ少なし。
 しかし、義経が無断で神器鏡と勾玉を院へ返却せしこと、頼朝激怒。
 「九郎は、何も分かってはおらぬ」と。
 以後、都に急使「義経に従ってはならぬ」と。

 義経主従、都にて孤立。

建礼門院徳子
 祇園八坂神社の東にある、長楽寺にて落髪。
 義経、徳子らが親王と住まう吉田山(?)へ訪れる。
 義経、親王が実は安徳天皇であることを知ったが、胸に納める。
 徳子は、義経に秘やかに頭を下げる。
 「こののち、親王も仏門にはいり俗世を離れ、恨みもなにもない世界へ行く」という風に伝える。
 義経を見送る徳子、能子、明子(あきらけいこ)、……

感想
 義経は兄・頼朝の勘気の理由がわからない。とうぜん郎党の誰一人として、分からない。
 わずか一日で、平家を全滅させた軍功を持つ義経が、何故。

 人は言う。
 政治を知らない、愚かな義経。
 それを支える政治顧問、参謀を一人も持たなかった、哀れな義経。
 戦、それも奇襲、機略、戦いのエチケットを知らない義経。
 ……
 義経までが自問自答する「戦(いくさ)の終わった今、私はもう兄の役に立てないのだろうか。マツリゴトには、参画できないのだろうか」と。
 鞍馬の師匠は言う「重荷をすてなされ。修羅に疲れたなら、逃げなされ」と。
 義経答う「郎党を捨て去ることはできない」と。

 いろいろ、司馬遼太郎先生も、そして宮尾さまも、言うておられるが、Muは今夜あっさり気持が収まった。
 義経が、もし鎌倉殿ならば、義経の思うままにすればよい。それが法理。

 だから、勝った義経は、院につくか、奥州藤原につくか、西国、九州で独立国を打ち立てるか、その三つ。
 兄頼朝は、関東御家人に取り込まれているのだから、もう義経の役には立たない。
 Muならば、平家ゆかりの武士団を統合し、西国、九州に国を建てる。
 ……
 そう思った。
 そういうイリュージョンの中で、これから師走まで、義経の最期をみてとろう。なにしろ、大モンゴル帝国の創始者かも知れない人のことだから。

推定地図
  六条堀川義経新邸(昔の五条は現在の松原橋あたりらしいから、ちょっとずらして)
  長楽寺(これは、今あるところ、多分正確)
  吉田山(と、耳にしたが、どうしてか)
  大原関係は、また後日に、もっと物語がはっきりしてから。

|

« 絵葉書:能登半島・機具岩(はたごいわ)能登二見 | トップページ | 金魚鉢というよりも水槽 »

NHK義経」カテゴリの記事

コメント

ジックリ観ました。徳子と義経の対面が良かったです。腹芸というんでしょうか。義経は荒っぽい、大胆な戦を平気でやってのける面とこんな情の深い面があったんです。

それにしても、義経が無断で神器鏡と勾玉を院へ返却してしまったことは、まずかったと思います。

氏より育ちと言いますが、源氏に生まれ、平家に助けられ、鞍馬と奥州で育ったことが、いろんな面を持つ人間が出来上がった原因ではないかと思えてきました。

これから年末までが長いです。どういう展開になるんでしょうか。この際、今後の展開と結末について、視聴者アンケートをとったらどうでしょうか。「義経」Blog平成版ができたら面白いんですけど。

投稿: hisaki | 2005年9月19日 (月) 08時25分

hisaki さん、2005年9月19日 午前 08時25分

 お話をうかがって、義経の半生の流転ぶりに気がつきました。

 源氏→平氏→鞍馬寺→奥州藤原氏→源氏→朝廷(院の恩寵)→奥州藤原氏→死

 数奇な運命とはこういうことを言うのでしょうね。義経の性格が、非常に複雑に見えることがあるのは、こういう処だと思います。
 Muおもうに、こういう方々を知ると、「政治」すら、儚き人のタツキに見えてしまうのかも知れません。だから、軍事の芸術家だったのでしょう。

 今後の展開と結末については、別のチャングムなんかをみていて思うのですが、しらないのはMuひとり、回りは全部、チャングムがどうなるかまで、知っている。本当なんですが、数名の者らから、マニュアル本、あるよぉ~と言われました。

 つまり。
 義経も、知らないのはMu一人じゃなかろうかと思っています。
 Muの希望は、ここまで、義経がコケにされていくならば、せめて最期の衣川舘での討ち死にまで見たいですね。

投稿: Mu→hisaki | 2005年9月19日 (月) 10時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/6003395

この記事へのトラックバック一覧です: NHK義経(37)帰京:

» NHK義経(38)帰還将軍 [MuBlog]
承前  うむ。今夜も魅入った。  ずっとである。  この義経は、内心危ぶむところも多々あった。一度目は一ノ谷の数回前。二度目は今夏壇ノ浦が終わった即時。  先回 [続きを読む]

受信: 2005年9月25日 (日) 21時46分

« 絵葉書:能登半島・機具岩(はたごいわ)能登二見 | トップページ | 金魚鉢というよりも水槽 »