長州砲:義経・壇ノ浦戦・前哨
明日の日曜日は、NHK義経も、ようやくクライマックス、山場のひとつ、壇ノ浦の戦にたどりつく。今日はその前哨戦(笑)として、19世紀末の、日本と諸外国の海戦模様の残照を見ておきたかった。
以前、このあたりの知人から写真数葉をいただいてしばらく忘れていたが、今日と明日に使わせてもらう。
で、本日はくだんの馬関戦争(四国連合艦隊下関砲撃事件)に関係する、長州砲のことである。
天保製長州砲
長州砲の解説
壇ノ浦の戦いが1185、寿永4年3月24日、今を去る820年前。
馬関戦争と壇ノ浦戦は680年ほどの時代差がある。
地勢は、いつの時代にも、人間に影響をあたえるのかもしれない。
たとえば、壇ノ浦の戦いは、まず平氏が彦島からでて、門司北端の田野浦に船団をまとめた。そして幕末の四カ国船団も同浦に集まった。つまり、早鞆の瀬戸の潮の流れを避けるためである。
なお馬関とは、下関の旧称「赤間関」からきているらしい。これが「赤馬関」と書かれ、赤をとって馬関。ほんまかな?
そして最大のMuらしい疑問。神武天皇さん時代、この瀬戸の様子はどうだったんだろう、ということ。
参考サイト
下関・門司・長府めぐり
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コメント
長州砲の話
フランスに存在したんですか?知りませんでした。長州は何処から手に入れたんですか?
薩摩経由の外国ですか?
壇ノ浦から東の中国側の海岸は古代から、九州をヤマト王権ガ攻める拠点にしていた記憶がありますね。
九州は朝鮮半島ルートと中国ルートの二つが存在し、玄界灘に面した地域と有明湾に面した佐賀平野では相当に、文化文明の様相が異なるようですね。
そして、熊襲の国が南に控えるわけで、三つの大きな文化文明が異なる巨大勢力が存在していたんでしょうかね?
そして、ヤマト王権との衝突はこの壇ノ浦になりますな。
投稿: jo | 2005年9月 3日 (土) 13時24分
joさん、2005年9月 3日 午後 01時24分
ちょっとコメント遅れました。
さて。
長州砲は、写真の下に解説を翻刻しときましたが、国内産のようですね。
「ヤマト王権との衝突はこの壇ノ浦」
さもありなん。700mの狭隘な水道とものすごい潮の流れ(8ノットとか)。それと田野浦の静謐。戦場になるでしょうね。
関ヶ原が壬申の乱と、1600年の二回戦場になりました。
地勢はあるのでしょうね。
投稿: Mu→Jo | 2005年9月 3日 (土) 21時36分