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2005年9月 3日 (土)

長州砲:義経・壇ノ浦戦・前哨

壇ノ浦のあたり、詳細地図概略地図

 明日の日曜日は、NHK義経も、ようやくクライマックス、山場のひとつ、壇ノ浦の戦にたどりつく。今日はその前哨戦(笑)として、19世紀末の、日本と諸外国の海戦模様の残照を見ておきたかった。
 以前、このあたりの知人から写真数葉をいただいてしばらく忘れていたが、今日と明日に使わせてもらう。
 で、本日はくだんの馬関戦争(四国連合艦隊下関砲撃事件)に関係する、長州砲のことである。

天保製長州砲

天保製長州砲
 1864年、下関事件とか馬関戦争という名で、壇ノ浦あたりが戦場になったようだ。まだ未生の時代だから、どんなふうだったのかは未詳である。そもそもは長州藩が、早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)という、下関壇ノ浦と門司和布刈(めかり)とを挟む700mに満たない水道にむけて、大砲を撃った。相手は米仏蘭の船だったようだ。で翌年1864年、米英仏蘭の四カ国が艦隊を率いて下関を攻撃し、上陸し砲台なんかをぶち壊したらしい。その時、持ち去られた砲の一門がフランスで発見された。そのことは次の説明に記してある。

長州砲の解説

天保製長州砲解説
 長州藩は高杉晋作がでてきて四カ国と和議を結んだらしい。Mu思うに、このとき対岸の門司、つまり小笠原藩はどうしていたのだろうか。また長州はなんでそんな無謀なことを、と思うと同時に瀬戸内海という内海を、その四カ国は勝手にうろうろしていたのだろうか。もちろん幕府との関係、長州藩との関係、調べ出すと司馬遼太郎(笑)、Muもそこまで酔狂ではないと書けば司馬先生や幕末研究家や地元史家にもうしわけない。

 壇ノ浦の戦いが1185、寿永4年3月24日、今を去る820年前。
 馬関戦争と壇ノ浦戦は680年ほどの時代差がある。
 地勢は、いつの時代にも、人間に影響をあたえるのかもしれない。
 たとえば、壇ノ浦の戦いは、まず平氏が彦島からでて、門司北端の田野浦に船団をまとめた。そして幕末の四カ国船団も同浦に集まった。つまり、早鞆の瀬戸の潮の流れを避けるためである。

 なお馬関とは、下関の旧称「赤間関」からきているらしい。これが「赤馬関」と書かれ、赤をとって馬関。ほんまかな?
 そして最大のMuらしい疑問。神武天皇さん時代、この瀬戸の様子はどうだったんだろう、ということ。

参考サイト
  下関・門司・長府めぐり

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コメント

長州砲の話

フランスに存在したんですか?知りませんでした。長州は何処から手に入れたんですか?
薩摩経由の外国ですか?

壇ノ浦から東の中国側の海岸は古代から、九州をヤマト王権ガ攻める拠点にしていた記憶がありますね。

九州は朝鮮半島ルートと中国ルートの二つが存在し、玄界灘に面した地域と有明湾に面した佐賀平野では相当に、文化文明の様相が異なるようですね。

そして、熊襲の国が南に控えるわけで、三つの大きな文化文明が異なる巨大勢力が存在していたんでしょうかね?

そして、ヤマト王権との衝突はこの壇ノ浦になりますな。

投稿: jo | 2005年9月 3日 (土) 13時24分

joさん、2005年9月 3日 午後 01時24分
 ちょっとコメント遅れました。
 さて。
 長州砲は、写真の下に解説を翻刻しときましたが、国内産のようですね。

「ヤマト王権との衝突はこの壇ノ浦」
 さもありなん。700mの狭隘な水道とものすごい潮の流れ(8ノットとか)。それと田野浦の静謐。戦場になるでしょうね。
 関ヶ原が壬申の乱と、1600年の二回戦場になりました。
 地勢はあるのでしょうね。 

投稿: Mu→Jo | 2005年9月 3日 (土) 21時36分

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承前  昨日に続いて、NHK義経・壇ノ浦の合戦を見る前に、予習をしておく。  現在の壇ノ浦がどんなふうなのか、知っておきたかったからである。  (となると、来年 [続きを読む]

受信: 2005年9月 4日 (日) 07時18分

» みもすそ川 <大砲編> [日子のさらさら日記]
 壇ノ浦は、源平合戦だけでなく、幕末にはイギリスを中心としてアメリカ、フランス、オランダの4ヶ国17隻の連合艦隊が長州藩(現在の下関市)を攻撃したそうです{/hiyo_ang2/}  その時、長州藩が撃った大砲のレプリカです。                    100円入れると大砲が控えめに「ボォ〜〜ン」となって、霧状の水が出ます。              ... [続きを読む]

受信: 2005年9月23日 (金) 01時14分

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