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2005年9月23日 (金)

チャングムのこと:2005年初秋

承前[チャングムの誓いと丸薬]

 そういえば、blogの源流のひとつは日記を書く仕掛けだった。
 というわけで、今朝の日記。

チャングム
 昨夜、波瀾万丈というよりも、重いチャングムの顔を見た。優れた女優らしいが、女優という見方が消えてしまっているので、名優なのだろう。言ってみれば、聡明な娘とか姪のような、極めて優れた学生の、そんな味わいである。
 終わった内容だから、ある程度昨夜の詳しい絵解きをメモしておく。

 王様と皇后様がいる。
 王様には前妻の王子が居る。病弱である。後ろ盾は、皇太后、すなわち王様の実母となっている。
 後妻の皇后様には幼い息子がいる。

 当時の朝鮮宮廷王朝の常識として、王が変われば王宮の権力構造ががらりとかわる。
 病弱であっても前妻の王子(皇太子)が王につけば、今居る皇后(後妻)および幼い王子は粛正される。
 おそらく罪を着せられて命を失うか、宮廷から追放される。

 こういう雰囲気は、日本でも6世紀~平安時代初期には、いろいろあって悲劇が残っている。
 しかし日本では、世俗の権力が武家に移ってからは、朝廷では穏やかになった。
 その分、武家の世界では、血で血を洗うお家騒動となったが。
 現代日本でも、世界でも変わらない。

 チャングムは、皇后にも、王にも深い恩義がある。命を救われたことが幾度もある。それはチャングムが王や皇后の危機を救ったからでもある。
 王も皇后も、一介の医女、チャングムを高く評価している。

皇后の依頼
 ある夜、皇后から呼ばれ、皇太子の命を縮めよ、と言われる。命令というよりも、「チャングム、お前を助けたのだから、今度は私をたすけておくれ」「このままでは、私が病気になってしまう」と、こういう関係である。
 皇后は徐々に鬱に入ってきている。確実に、皇后親子が数年後、粛正されるのは、見ていてもよくわかる。実は、チャングムの母親も、そういう宮廷陰謀によって毒殺されたが、友の助けで宮廷を逃れ蘇生する。そしてチャングムが生まれた。

 チャングムは数日後、「出来ません、命をとってください」と皇后に答える。
 医術も料理も、人を殺めるために使ってはならない、そういう意思のもとに、亡き母や旧師・ハンサングンの復讐を成し遂げたのだから、もし皇后の意に従えば、憎きチェ一族と同じ人間になってしまう。

 そのやりとりを、王に聞かれてしまう。
 王に密かに呼ばれる。
 「王命である。皇后に何を頼まれたか、答えよ」
 チャングムの気性性格として、絶大な権力を持つ王と言えども、皇后との信義を売れるわけがない。

宮廷の闇
 これまで、皇后や王が、女官よりも立場身分の低いチャングムを、なにかと、その才能と人柄故に目をかけてきて、たびたびチャングムは九死に一生を得た経緯があるから、昨夜の設定は厳しいものだった。

 そう言う意味では、最大の敵役、チェ一族女官長や、その姪・クミョンですら、ファンが多数つくほどに、憎々しげな陰謀、卑怯、奸計の中に、ふと「しかたないなぁ」と思わせる状況設定があった。

 王すら、まして皇后すら、勝手気ままに振る舞うこともできない。
 王は以前チャングムの復讐心を知った際にも「チャングム、お前を助けることは、またこの宮廷に血をみることになる、それを余にせよというのか」といい、皇后は、「お前が私を助けてくれなければ、……。私はお前に、そばにいて欲しいのだ」といわしめる。

 陰謀・悪意の中に、常に追いつめられた者の状況が鮮明に描かれる。
 恋愛においては、チャングムの復讐の前に破れ、女官職を剥奪され追放されたクミョンの哀切な気持が胸にせまった。
 クミョンとチャングムは、同じ男をずっと、幼い頃から慕っていた。

 ということで、今朝一番の日記は、チャングム、来週木曜はどうなるのだろうね。人生は重いなぁという、感慨で終える。

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