日出処の天子(1)/山岸凉子
山岸凉子さんの「ひいづるところのてんし」。
かねがね気になっていた漫画を、全7冊購入した。昨夜、その1を、おもむろに読み楽しんだ。
聖徳太子は不思議な人で、様々な伝承の中から、現代の太子像が定着している。一般には、中学校や高校での日本史で得たイメージと思われるが、仏教系の世界ではもう少し濃く、仏教始祖としてイメージされている。Muの勤務大学でも美麗豪華な「太子堂」というものが安置されていて、政治における推古天皇の摂政というよりも、宗教的色彩が濃い。
さてしかし。やはり、漫画そのものとして見るのが良かろう。
なぜなら。
いやなぜ、このようなことで最初に筆が前後するかというと、上記三つの観点のうち、政治的正史、宗教的仏教史、この二つの観点では、この漫画が「話にならぬ」と一蹴される危険性があるからだ。と、それは逆に、正史や仏教史での、その太子イメージを根底的に覆す思想が含まれている。
そういうドラスティックな漫画が、1980~1984、少女まんが誌に掲載されていた。
そしてMuが手に取った白泉社文庫版は1994年初版、2002年第36刷りである。
多くの、若い女性が、この漫画を読んでいる可能性が高い。
いま、Muの現状の背景をあらかじめ記しておく。
ここ数年、聖徳太子と蘇我と物部と、そして大化改新(645)と言われる変、さらに壬申の乱、あのあたりをおりにふれて、ドラマや小説や学術啓蒙書、学術図書などで考えてきた。まだまだ結論めいたことはかけないが、滅びた物部や蘇我の役割は、Muがならった教科書とは正反対の意味をもっていたかもしれないという、感触である。だから必然的に太子像も変わってきた。
正史では、天智天皇と中臣鎌足が蘇我(入鹿)を打倒し、大化改新という偉業を成し遂げたとなっている。そして、聖徳太子は入鹿の父・蝦夷、祖父・馬子の時代、知識人であり、宗教人であり、蘇我の出でありながら、摂政としてひたすら民のことを考え、政治が正道にたつことを願った。と、なっている。
さて。山岸・太子像はどうなのか。
蘇我蝦夷が毛人(えみし)と呼ばれ、第一巻では主人公だった。そして、厩戸王子:うまやどのみこ(聖徳太子)は、とらえどころのない妖しい少年だった。王子が十歳~十三ほどの時期だが、当時の朝堂で、物部や蘇我、他の皇子たちを、もちろん年長の毛人を、幻惑する。
その様子は、鬼道をよくしたと記された「卑弥呼」を思い出させる。
ともかく妖しい。その妖しさが度はずれている。謎を呼ぶ。一体、厩戸王子は何物なのか。
読み出せば、止まらなくなる。
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コメント
表紙の絵を眺めていると、まるで、宝塚でんな?
ひょっとすると、宝塚で”ベルサイユの薔薇””スサノオ”に継いで、演目として登場するかも知れませんな?
若い女性から、年寄りの女性迄、幅広く客を集める事が出来そうかも?
私の厩戸王子のイメージは物部守屋と壮絶な戦いをした戦士であり、壮年は仏教に帰依されて、仏教という新しい哲学で日本を統治しようと考えられた人というイメージですね。
投稿: jo | 2005年8月26日 (金) 13時34分
joさん、2005年8月26日 午後 01時34分
うちの倶楽部に宝塚熱中症オタクがおるので、夏休みがあけたら聞いておく。多分、すでに上演されたのじゃなかろうか。
ここにでてくる太子さんはね、ないしょじゃが、ふむふむ、異形の太子やね。
昨夜、二巻を読んで、今夕方三巻をよむから、ぼちぼちネタバレしない工夫して、記事にしていきます。
投稿: Mu→Jo | 2005年8月26日 (金) 13時46分
joさん、2005年8月26日 午後 01時34分
作品が宝塚で上演されたかどうかについて、さきほど私信がありました。
たぶん、上演されていないとのこと。
ただし、タカラジェンヌのコスプレでは、あったようです。
詳細は後日に。
(なんか、コアなファンが多いので、不用意な発言はできないようですよ(笑))
投稿: Mu→Jo | 2005年8月28日 (日) 22時16分