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2005年7月 1日 (金)

雑記帳

1.四条南座の道をはさんで北にある「とんとん来」で叉焼麺を昼にとった。750円。なんとなく、中毒患者のような気分になって、気がついたら京阪電車に乗って、四条に降りていたという、珍しい日だった。食べ終わったら、ほっとして、動悸が収まった(笑)。

2.四条から三条まで歩いた。曇空だったので暑くはなかった。途中河原に降りて三条大橋を写そうとしたが、なにかしらブレーキがあって、止めておいた。今日は京の写真を撮りたくなかったようだ。

3.ブックファーストまで行って図書を購入した。いつも立ち寄る文芸部門には目もくれず、気分に従って自然に自然科学読み物のコーナに立っていた。

4.講談社の『恐竜のからだ』をまず買った。立体図書なのだが、恐竜の外皮から骨格、内臓まで、ページをくるたびに立体模型の断面が変わるという優れものだった。4千円ほどしたが、それだけの値打ちがあった。

5.ことのついでにランダムハウスの『考える脳 考えるコンピュータ』も買った。これはすでに7割読んでしまった。和図書は購入日に読むのが一番良い。

6.実は、この上記図書テーマ「真の知能」の読書感想を書くつもりだったのだ。だが、まだ7割しか読んでいないし、それに事が重大すぎるので、日時を少しおこうかと考え出した。ひょっとするとこの図書は21世紀初頭の、人類史に残るものかもしれない。コンピュータの図書ではない。脳の図書である。そして、それは人類に新たな「知能機械」をもたらす可能性がある。これまでの人工知能観に、もしかすると、大激変をもたらす図書かもしれない。
 キーワードを一つ選ぶと、「記憶による予測の枠組み」となろうか。

 人間の脳はコンピュータではなくて、記憶装置である。経験によって蓄積された記憶を、思考や行動の前に、次々と呼び出し、予測する。どの予測にも当てはまらないとき、異変を察知する。そして記憶内容には普遍性がある。つまり、黒い猫も白い猫も「猫」と見なす概念が形成されている。その概念、イデアと現実の眼前の猫とを比較し判断していく。それがまた記憶されていく。大脳新皮質に。
 人は考えたり行動したりする前に、すでに予測している。これまでのコンピュータによる人工知能にはこういう「枠組み」がない。
 ……。
 と、書けばたいしたことにも思えぬかも知れないが、どうにもこうにも、目から鱗が落ち続ける思いがする。残り三割をどのように読むか、思案している。Muは、余生の考え方過ごし方を一変させるほどの図書に今日邂逅したのかもしれぬ。いささか、読書中、冷や汗がでていた。
 ……。
 最近、科学読み物に接する機会が増えてきた。記していないが、遺伝子関係の読書も何冊か終わっている。もともと、科学少年だったのだから、先祖返りしているのかもしれない。

7.締めは、三条北ビル地下のコジャックで、ダッチ珈琲のアイス。これは馥郁としておいしい。いつもなら、貴船鞍馬ハイキングの老若男女団体さんであふれているのだが、今日は落ち着いて、あじわった。珈琲というのは、巨大なサイホンみたいなもので、長時間かけて水出しすると美味しいようだ。

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小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

チャーシューメンからダッチ珈琲まで

 叉焼麺から珈琲までの間の(頭脳)の動きのレポートですね。
どうも文面からすると、先生、理科系なのでしょうか。

 若い頃に、S.I.ハヤカワという当時ハワイ大学の先生していた人の(思考と行動における言語)という本を読みました。
この(雑記帳)の記事の中でMuさんが思いを馳せたテーマと似たような領域の話です。

 言語とは何か?ということについてハヤカワ先生は考察しています。
当方が一番この本から学んだのは(抽象化のレベル)という視点でした。

 同じ(馬)を呼ぶのに、いろんな抽象化のレベルがあった、と言うのですね。
昔は茶色の馬、黒い馬、などそれぞれ別の呼び方をしていて(馬)という言葉はなかった。
そのうち、どれも(馬)ではないかと抽象化が一段階進んだ。
やがて個々の馬に名前をつけて(ポニーちゃん)とか(ディープ・インパクト)とか呼ぶようになった。

 同じ(コンピュータ)という言葉一つとっても、CPUがプリント板に載っかっていて、というレベルから、何やしらん、中国語を日本語に翻訳したりする(考える機械)までのいろんな抽象化のレベルがあります。
MacとかFMVなんて呼んでいるのは、つまり、かなり抽象化が進んでいるのですね。

 (雑記帳)の記事を拝見して、そんなことを思い出しました。
人間には(抽象化)能力にいろんな違いがありまして、それが違ったもの同士が話したり議論したりすると・・・ままケンカになる訳ですね。

投稿: ふうてん | 2005年7月 2日 (土) 02時29分

ふうてんさん、2005年7月 2日 午前 02時29分

 抽象化した記憶で予測したを姿を、いまから脳に入ってくる外界の情報と照合して、瞬時に猫と犬を見分ける。

 コンピュータ人工知(AI概念)は、データベース化とか、辞書とかいう意味での記録はあっても、人間のように階層化した記憶の連合(連想記憶)という枠組みがない。
 AI概念は、溝を跳び越えるのも、ボールをつかむのも、外界を判断するのも、すべては超高速のマシンで、その場その場、計算していく。これでは絶対に「AI」は出来ない、と言い切っていますね。

 「真の知能」は人間の大脳新皮質の働きを理解しなければ生まれない。人間は一々計算するのではなくて、並行して、過去の経験学習記憶断片から完全な記憶を引っ張り出して、いま起こること、いまなすべきことのメニューを用意している。そして、どれかを選ぶ。

 AI概念には時間把握が弱い。「真の知能」は、パターンのシーケンス(集合的状況の時間的推移情報かな?)で外界を認知する。そのパターンのシーケンスの中から、上位記憶では、安定した普遍的抽象的記憶を保持している。それが思考。

 思考は、予測。
 いやはや、じつに凄い話です(まだ途中)。

 作者がジェフ・ホーキンスという、Palm の生みの親、40代の成功者です(となると、嘘っぽく思うでしょう)。

 そうですね、なぜホーキンスがこの本を書いたのか。じつはシェリーマンと同じですね。若き日に、本当の知能マシンを夢見たから、業界で金を稼いで、数年前に「レッドウッド神経科学研究所」を作ったとのこと。

 彼の強みは。おそらく5年から10年で、そういうマシンを作ることでしょうね。学会での評価とか、嘘も真もなくて、なんとなく生まれそうです(ただし、日本的ロボットではないですね。組込型脳でしょうね)。それを作る背景を用意したから、こういう若者向けの図書を出したようです。

 最初は、トンデモ学説か?、米流新興宗教教祖か? とか、株価操作か? とかとも思いましたが、一つ信用したのは、「史上初めての新発見」じゃなくて、これまでの人工知能の歴史を通観して痛感して、若いころのアイデアをいくつか交えて、新たに別の視点を導入したところでしょうか。奇跡でも魔法でもない。物の見方、枠組みを提示した点でしょうね。

 ふうてんさん、ぜひ読んで、判定を私にも聞かせてくださいな。

追記:人間とは、生まれたときからの経験を「世界モデル」として常時記憶編集する生命体。だから、幼少時の経験がゆがんでいると、世界観モデルが不安定になるという、そういう怖い内容も後ろに含んでいます。

投稿: Mu→ふうてん | 2005年7月 2日 (土) 10時23分

日曜日に全部読んだのだから、さらにランダムハウス社のサイトから、「仮説のまとめ」も読んだのだから、いい加減にまとめていかないと、また、忘れてしまう。

しかし。
多岐にわたり、一度にはまとめられない。
まとめるというよりも、彼の言ったことを、Mu流の概念図やアルゴリズムに変換しないと、読んだことの意義が薄れる。

工夫すれば、Mu自家薬籠中~、となれば良いのだが。

キーは。
彼のいう世界モデルは、オブジェクトオリエンテッドな物のとらえ方のうち、「継承」を強く表している。
ある層での「パターンのシーケンス」は名前付けることによって、上層に渡す。上層はその「名前」だけで操作する。これは継承を逆に表現している。

上流に向かうのが外界把握であり、ある層での結論はまた、下層に投げかけられて、再帰的に検証される。

継承
再帰
そして古くは、フィードバック+フィードフォワードの組み合わせともなる。

いや、実にわかりやすいモデルだ。
……
また考えよう。ある部分が、まとまってきたら、一記事に記録しよう。シリーズにできたらよい。

投稿: Mu→Mu | 2005年7月 5日 (火) 06時46分

将棋ソフトを思い出しました

Muさんの話を聴いてると、昔、将棋ソフトの開発をやった事を思い出しました。

将棋は9x9の升目で駒が9x2+2=20個で相手の駒も使えますので、40個位の駒で遊ぶ訳ですね。

プロの棋士が年間に2万局位指すでしょうか?
棋譜が出来ます。過去の棋譜が経験記憶ですね。この中盤の局面でこの手をさすと、どちらが有利になったのか?

プロの棋士はこの過去のプロの棋譜を勉強します。経験智の蓄積です。

将棋ソフトも最近の話では、随分と強くなったそうですね。cpuの速度と外部記憶容量とアクセス速度が向上したからでしょうね。

私は棋士は勿論論理は鋭い人が優位でしょうが、実は盤面を絵として判断出来る芸術家タイプの人の方がより強くなるように思います。

盤面の景色をみただけで、危険とか攻め時とか有利とか判断できる能力を開発できる人ですね。棋士はこのタイプが多いのでは?と思います。

考えるコンピュータは多分、Muさんの知らない軍事関連では日夜、開発されているんでしょうね。

投稿: jo | 2005年7月 5日 (火) 10時16分

joさん、2005年7月 5日 午前 10時16分

 実はね。この記事を書いている途中、そして読み終わった時に、将棋のことじゃなくて、最後にJoさんが書いたことをぼんやり思い浮かべました。
 戦争というのは、パターンのシーケンスですね。
 点と点というよりも、状況全体の推移ですね。
 そして膨大な戦史記録がある。
 だから。
 こういう本が翻訳される前に、すでに米国や日本の、学会関係というよりも、さまざまな研究所や軍関係でスタートしていたのだと、確信していました。
 なぜか、と問われると、素人だから明瞭には言い難いのですが。

 すべては過去事例を予測して行動の最適解を得る。計算するよりも、パターン(状況の集合)のシーケンス(遷移、流れ)の近似モデルを探し出す。
 現実の記録、モデルは、階層的に蓄積する。階層に応じて抽象度が異なる。……

 素人のMuでもわかりやすい面があるから、最先端の学会レベルの話じゃなくなってくる。なによりも現実に使えるかどうか、でしょうから、むしろ先端企業研究所や軍の方が開発に有利、だと思いましたで。

 で、その将棋ですが。
 将棋のモデルは本書になかったです。ただただ、チェスのディープブルーをやり玉にあげてました。あれは「知能」ではないと。思考しているのじゃなくて、無限に近い統計的可能性を一々計算しとると、なじっておりました。経験記憶なしで、やっていると(本当のところは、ディープブルーのチェスのアルゴリズムは知りませんが、Mu) 時間とか、空間とかいう概念なしで動かすのは、知能ではなくて、まさに「計算」にすぎないと、著者は言っているようでした。

 さて、Joさんの示唆にしたがって、将棋の方法論を著者がモデルに使ったら、もっと本書がすっきりすると思いました。

 将棋は、取った駒が双方でいつ使われるか分からないわけですよね。これは、計算し切れないイベントが、いつ発生するか分からない。だから、将来の可能性をいくら悉皆計算してもしかたない。
 答えは、常に過去の経験則にある。
 突然「金」が打たれたとき、打たれて、さていまからどうなるの未来を悉皆計算するよりも、打たれた過去のパターンを探した方が確実ですよね。

 ……
 と、記しながらも、著者の考えをもう少し、お勉強しないと、Muも明確には言えない。むしろ、どっかの研究所の中堅に「あんた、どこまで実装したんや」と、聞く方が早いだろうかね(笑)。

 そうそう、情動、旧脳いわゆる爬虫類脳に相当する「感情とか性欲、食欲など」を、一切保留して書いてあるのが、わかりやすさの一因でもありますね。

投稿: Mu→Jo | 2005年7月 5日 (火) 10時48分

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