NHK義経(27)一ノ谷の戦い
明日は日曜で、そろそろ28回に近づいた。
先回は所用で、日曜終日外出。録画したまま未見。
さて。
今夜あたり録画を観ることができようか。
暗転、幕間、翌日曜の昼下がり
世評(笑)に反してなかなかの見ものでありました。
いろいろな条件もあったわけですが、画面に張りがありました。
人は獣でもあるわけですから、白兵戦というものをたとえドラマであっても間近に観ると、息を止めてしまい、緊張し、画面の中に引きずり込まれる恐怖に襲われてしまいます。
義経が華美な鎧兜を身につけたまま、血刀を振り回し、平家の陣を走り回るシーンは圧巻でした。丁度いま、北方謙三『水滸伝』17巻を読んでいる最中なのですが、その戦闘シーンと重なってしまったわけです。水滸伝にあっても、大軍を縦横無尽に動かす醍醐味とは別に、英雄達が下馬して肉弾戦をするところが多々あって、そうなると、Muは行間に沈み込んでしまうのです。
義経を妖獣と以前もうしましたが、この27回はそれが良く表現できていたと思います。あらためて、義経は戦闘するために生まれた歴史上の天才妖獣だったとはっきり思いました。
兵をわけて70騎程度で一ノ谷を真っ逆さまに落ちる(この表現は、コメントにも異論はありましたけど)という作戦にとどめず、自ら騎馬で谷を逆落とししたならば、戦自体も水滸伝や三国志の英雄と同じく、ついには下馬して血刀を振り回すはずだと、思い切って表現した演出は見事でありました。
義経役は、うまく行きました。
(連載の流れを思い出すなら、このシーンは最初の頃に撮られたはず。こういう役柄を最初に経験したからこそ、これまでの義経の沈み込んだ演技が、しっとりと映えていたわけだと、思った次第。殺人鬼のように血刀を振り回したということは、おそらく本能からほとばしる獣性を一旦経験したわけです。となると、人として演じる際には、反動としての沈静が滲み出すことでしょう)
冒頭でもうしました、「いろいろな条件」について一言。つまり日頃みている消えかけの、色変わりするTVではなくて、45分間に4.7GBも使った高品質のmpegファイル[註:普通は2時間で4.7GB]を19インチのディスプレイで間近に見たわけですが、これが上等でして(笑)、夜陰が実にうまく色になっておったのです。三菱の液晶は、なかなかに動画を見るによろしいようです。
夜と火の恐怖
兵庫の奥の三草山にしても、早暁での一ノ谷で火を放ったことにしても、夜と火とは戦(いくさ)に欠かせない大道具のようです。夜に火があがると、浮き足立ってくる。これは人が「獣」であることの証なのだろう。そして大抵は火を見ると逃げる。脳で制御しようとしても止まらないほどの強烈な本能的な恐怖がわき上がるのかもしれない。そして、こういう雰囲気を上手にNHK義経は表していましたなぁ。
鵯越(ひよどりごえ)と一ノ谷
以前から気にはなっていたのだが、鵯越と一ノ谷を現在の地図で探すと、どうにもわけがわからなくなる。つまり、二つの地名は随分離れている(二里・八キロほど)。今日は思い切って探索してみると、二説あるようだ。義経の逆落としは、鵯越と一ノ谷の二つに分かれるらしい。詳しくは、参考記事を御覧下さい。
鵯越(地図)
一ノ谷(地図)
参考記事
一ノ谷の合戦/神戸市文書館
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コメント
今回は、パスされた方が良さそうに思います。と言いますのは、お目当ての合戦シーンですが、どんな険しい谷を駆け下りるんかと、ワクワクしていました。ところが、私の目がうつろだったんかも知れませんが、急なゴルフ場みたいでグリーンも鮮やかでした。ガッカリしました。そんな訳で、今後のMublogの展開を楽しみにしている読者としては、観て欲しくないんですが。余計なことでしたら、お許しください。
投稿: hisaki | 2005年7月16日 (土) 09時47分
hisaki さん、2005年7月16日 午前 09時47分
朝からどうも(笑)。
さて、そう申されると、なんの見ずばなるまい、となるのが天の邪鬼Mu。今夜は何が何でも、見てみましょう(大笑)
見ないとわからぬですが、カメラをちょっと傾ければ、それらしくなっただろうに。
故事では、先に鹿を追い落として、無事に落ちたのを確認し「鹿も四つ足、ならば、馬も四つ足。さあ、みんなで落ちよう」と、崖を落ち下ったとか。
それが「ない」わけでしょうねぇ。
投稿: Mu→hisaki | 2005年7月16日 (土) 10時48分
平家が三草山で義経の夜襲を受けて壊走し、屋島に逃げたのが敗因でしょうね。
トドメが一の谷でしょうか?説は今だ定まっていないようですが、NHKの今回のドラマでは須磨海岸の鉢伏山でしたね。
学生時代に、この山に登ったり、海岸で夜、裸で泳いでいました。
懐かしいですね。
投稿: jo | 2005年7月19日 (火) 16時23分
joさん、2005年7月19日 午後 04時23分
おはようございます。
ひさしぶりです。
平家十万の軍がどんな風になっていたのかとか、あれこれイメージしています。
海岸沿いは狭いでしょうからね。
投稿: Mu→Jo | 2005年7月20日 (水) 06時18分