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2005年7月22日 (金)

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)
  監督 実相寺昭雄
  原作 京極夏彦(講談社『姑獲鳥の夏』)
 
はじめに
 以前からこの映画を心待ちにしていた。切実だった。
 それはいろいろな事情があって、ここに記すべきことと、記さなくてもよいこととが、いまだ渾然となっている。
 つまりそれだけ原作が複雑で、Muも複雑だということだ。

 結論を先に記しておく。
 佳い映画だった。心に残った。こういう映画を日本で制作できることがとてもうれしかった。
 ミステリを映画化するのは難しいと考えてきた。言葉の微妙な言い回しを使って成り立つ伏線やトリックがある。それを巧妙に文章化してできあがった原作を、映像にするというのは、多くのハンディを持つ。
 しかし映像には文章以上の利点もある。千万言ついやそうとも、殺し文句の一言でも、表現し得ないことがある。Muは、この映画から主に後者の利点を味わった。

映像の力
 主人公の中禅寺秋彦が営む古書店・京極堂は眩暈坂(めまいざか)の上にある。この坂で、事件のきっかけを作った作家関口巽は必ず目眩を起こし、倒れてしまう。その関口の心象が坂に象徴される。こういう人間の心象を表すような「坂」がどんな風に撮されたかという点に、映画の醍醐味があった。
 Muは画面に入り込んでしまう特異体質(笑)なので、関口と一緒になって目眩を起こしていた。もちろんカメラの使い方や、音楽やいろいろな相乗効果の結果だろうが、リアルだった。
 ほんの一瞬だが、カメラが上空から俯瞰された。いつもは坂道の両側は築地塀だけで、でこぼこの坂としか見えていないものが、実は塀の後ろには墓石が累々とあることに驚いた。

りん、と風鈴が鳴る

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)
 京極堂古書店の結構が、建築好きのMuにはえも言えぬ構造物だったことに感動した。
 つまり、土蔵の中の吹き抜け構造を上手に使っているのである。吹き抜けの二階部分にも古書がずらりと並び、その上階部分に立った中禅寺が、関口の心象を延々と言葉にして説明していく長台詞が、一種のエクスタシーをもたらした。言葉というものは、場、条件、リズム、内容によっては麻薬のような作用をもたらす。

 そして、「りん」と風鈴がなる。
 ここが、文章と映像との融合点であり、それはよくできた映画の真骨頂となる。りんと、実際に音が聞こえる。はっとする。それまでの長台詞がすとんと胸に納まる。からまった蜘蛛の糸の想念に引きずり込まれていた関口の心象に、「りん」と音がし、ぱっと視界が開ける。
 映画は場を視覚で与え、心象を音で祓う。

 この映画の謎は、最終まで持ち越されるのではない。全体の3/4あたりで、行方不明者が、実に巧妙というか、微妙な形で見る者に見えてくる。このあたりの演出は、随分工夫したのだと感じた。
 自然だった。
 もちろん、伏線は公園で紙芝居をしている爺さんがもらしている。「人は見たいものしか見ない」と。余談だがこの紙芝居は、事件全体をポンチ絵で絵解きもしているし、かつ、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」まで出てくるという念の入れようである。これについては、もう一つ「あっと」驚くようなキャスティングもあるのだが、それは見てのお楽しみ。
 で。
 映画が終盤にはいって妙に活気づいてきたのは、なにがなにやら分からない『姑獲鳥の夏』を実にすっきりと、わかりやすく、謎解いたことにある。Muは、後記するが、この原作を最初は分からなかった。すべてにおいて。ところが映画は、台詞と象徴的な映像とで、おどろくほどクリアに決着をつけた。原作にある夾雑物(原作者様、お許しあれ。筆が滑りました)を洗い流して、論理を清明にし、かつ映像の妙味によって呪いの余韻を残し、解いた。
 筋を追ったのではない。
 京極夏彦世界を遺したまま、別の表現をとった。
 改作したのではない。
 「りん」と音がして、京極堂の御祓いがすべてを氷解させた。
 Muは、感心した。

主要人物相関図

主要人物相関図(映画・うぶめのなつ)
 映画といえば配役。これについてはいつものことながら、誰がなんの役をしているのか、ほとんど知らないままに映像に没入した。とはいうものの、実相寺監督作品は昔「帝都物語」で感動しているので、いろいろな俳優を個性豊かに割り振っていると予測はしていた。

原田知世
 気になる女優もいた。原田知世である。彼女のことは「時をかける少女」一作を見ただけであるが、永遠の少女になってしまっていた。だから、その後一作も見ていなかった。その一作で、永遠を得たのだから、他は余剰物。とはいうものの、京極原作の映画化を見ないですますわけにもまいらぬ。ほとんど、絶望的予感(おおげさすぎるな)を持って見入った。
 ところが。30代の魅力というのか、別の原田知世に再見した、この望外の喜び。ずいぶんと上等な女優になられたものである。
 原田は二役どころか、数役をこなしていた。名前だけでもあげると、久遠寺(くおんじ)涼子(りょうこ)、梗子(きょうこ)、京子、??と。Muはこの数役を原田がちゃんと分けているのを確認した。涼子と梗子とでは髪型やメークを違えているが、他は同じ装束のままに切り分けていた。京子役の際の艶麗な微笑は絶妙だった。その微笑が、謎の深まりを豊かにしたと感じた。

堤真一(京極堂)
 はまり役だった。なんとなく原作者の京極夏彦のイメージがある。というよりも、Muは映画の間中、京極夏彦が京極堂、中禅寺秋彦を演じていると錯覚するほどだった。最初の数秒だけ違和感のあった台詞が、数分後にはトランス状態になるほどの効果を現してきた。この堤という男優、今後京極堂シリーズにはぜひ出てもらいたいと思った。

長瀬正敏(関口巽)
 上記、堤と同じレベルで感動した。この関口のもやもやとした、しばきたおしたくなるような優柔不断、鬱々しい、いつ死んでもおかしくない雰囲気を、本当にどうしてこうまで演じきるのかと、わが國の俳優陣の層の厚さに驚いた。

いしだあゆみ(院長夫人:久遠寺菊乃)
 いしださんにも驚愕した。「ぎえっ」と叫ぶ声に震撼した。まさに憑きもののついた、憑依した老巫女。こういう役柄は白石加代子さんだけと思っていたが~、世間知らずのMuであった。実は、いしださんを先頭に挙げようとしたくらいなのだが、そうすると映画をこれから見る人も、MuBlogの読者も混乱すると思ったので、最後にあげた。

 かくして、映画のキャストのうち、中心となる4名までもが、心に深く長く残る名演技だった。これだけでも映画は成功したといえる。こういう複雑微妙な役柄を、リアルに演じきったのは、珍しい部類の映画ではなかろうか。

 付帯するに、たとえば関口の鬱に対する躁の榎木津はNHK義経では名演だが、今作では俳優阿部寛さんのせいではなくて、演出の方針なのだろうか、おとなしく演じていた。これはもちろん原作にひかれたMuの印象だが、原作の榎木津は壮絶な躁状態で叫び走り回るところがあって、Muが最も好きなキャラだったせいもある。刑事木場修太郎も同じだ。両者とも、別の原作では中心となっているので、今回は、影に隠れたと考えている。

原作のこと:編集者の異能
 原作の読書感想文は、後年記すつもりである。
 それにしても、
 この記事の冒頭で、最初に言いよどんだのは、Muは京極夏彦『姑獲鳥の夏』の初版を読んでいたことによる。
 そこから様々な経緯がある。
 Muは出版直後に読んで以来、一年以上、数年にわたって京極作品を買わなかった。京極夏彦が空前絶後の作家だと認識しだしたのは、ちょっとした機縁で、その後の京極堂シリーズを読み切ってからである。
 なぜ一旦放念した作家を読み出したかは、後日のこととして。

 つまり、Muが編集者ならば、どこの誰とも知らない京極夏彦の大部な原稿の束を読み切らなかっただろうという明白な記憶がある。そういう意味ではMuは京極を誤認していたと、今となっては言える。
 なにに引っかかったのかというと、いくつかあったのだが。もう、直木賞受賞の大家なのだから、多少けなしてもよかろうと思い、筆をとる。

 『姑獲鳥の夏』を初見のおり、Muはどう感じたか(1990年代中頃のこと)。少しメモしておく。
 1.饒舌である。そして饒舌の内容が、多くはMuが若年時に興味を持って、ある部分は入れ込んだことにある。だから、読んでいて疎ましくなった(笑)
 2.上記と表裏の関係だが、ファットに感じた。軽快感がなかった。
 3.Muが主人公と考える「関口巽」がどうにも苦手だった。うねうねと蛇行する関口の想念、邪念、回想の部分になると癇癪を起こし、滅多にせぬ事だが初読時にはとばし読みを始めた(Muは、購入図書は骨の髄までしゃぶる執拗さがあるので、これは異例だった)
 4.最後の、結末にどうしても納得が行かなかった。当時、怒った(笑)

 その後どうしたのか、20世紀末。
 結局、その後の京極堂シリーズを1998年~以降、すべて読んだ。また、巷説百物語シリーズには感嘆した。さらに、京極堂シリーズを読み返してもいる。その事情は、今はまだ明確には言えない。ともかく、おもしろい。

 2002年の晩夏だったと記憶するのだが、作家の森博嗣さんを葛野に招いて講演(2003年2月)をしていただく話がわいてきて、Muは名古屋と東京に単身で尋ねていった。後者の東京行きは、当時森博嗣さんが、親出版社「講談社」の第三文芸部を窓口にしていたので、挨拶に出向いたわけである。そこの編集長(部長)は、現在「群像」の編集長になられたよし。実は、その直前までMuはその唐木部長が京極夏彦の原稿を最初に預かった人とは知らなかった(大笑)。
 お話できたのは小一時間だったが、そこで、Muは冷や汗が出た。

 K木「Muさんは、森先生以外にもミステリーをお読みなんですか」
 Mu「ええ、森先生の他には、京極堂シリーズが好きです」
 K木「どういうところが?」
 Mu「なんというか、これまでにない作品ですよね」(邪笑)
 K木「僕は、あの中では、関口巽に惚れ込みましたね。あのなんともいえない、彼の鬱々しく長々しく迷路のような心象風景が、よいですよ」
 Mu「うっ」(と、卒倒しそうになったのであった)

 Muは今でも思っている。もしMuが講談社の編集長ならば、京極夏彦は、もしかしたらこの世にうまれなかっただろう(おおげさすぎるかな)。「重くて、長すぎる」と。しかし、そのくだんのK木編集長だったからこそ、たちまちに刊行企画が決定し、生原稿は、映画のパンフによれば綾辻行人に送られ、名惹句が生まれた。

 『姑獲鳥の夏』を読んだこの夏の日の目眩(めくるめ)くひとときを、僕は生涯忘れないだろう。(綾辻行人)

 原作は、今に至るまで三度読んだ。そして映画を見た。映画「姑獲鳥の夏」の祖父は、してみると『群像』の今の編集長かもしれない。(この筆法は、Delphiで用いましたっけ) 

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映画の余香」カテゴリの記事

コメント

京極堂シリーズ

私は、このシリーズでは二作しか読んでいません。狂骨の夢(きょうこつのゆめ)と鉄鼠の檻(てつそのおり)ですね。

珍しい古い言葉を存じている若者だという、印象と独特の彼の風貌と黒ずくめの姿でした。

その後、水木しげるさんの世界妖怪学会のメンバーである事も知り、私も一度、この学会のメンバーの面白い妖怪探索紀行文をご紹介しました。

不思議な、作家ですね。興味が尽きません。

投稿: jo | 2005年7月23日 (土) 09時00分

joさん、2005年7月23日 午前 09時00分
 今朝はまだ木幡なんですが、セミがないております。夏ですね。夏の朝は気持がよいです。夏休みの記憶ですね。

 映画鑑賞感想は、なんとなく夏休みの「悪夢」と「お祓い」でした。悪夢がお祓いですっきりするという、その気持ちよさです。
 わけのわからなさにどんどん引きずり込まれていって、どっかで「ぱちん」と音がする。それは「りん」でしたが。
 女優達の夏の着物もよかったです、日傘をさして。
 公園の夏休みの紙芝居もよかった。

 映像は、脳を刺激します。
 さて、Muはそろそろ出立し、採点地獄の熱暑部屋に参ります。Joさんは、きりっと冷えたビールを飲んで、飛行機三昧でしょうなぁ。

投稿: Mu→Jo | 2005年7月23日 (土) 09時16分

昨夜より早朝にフライトする為充電完了

しかし、昨夜危なかった。家を丸焼けにするところでしたね。実は数日前より、スターターの蓄電池に12ボルトで充電していたんです、が、忘れていました。

昨夜気がつくと、畳が燃えているではないか。過充電で高温の液が溶け出し、畳を焼き始めていたのだ。発見が早くて良かった。

しかし、朝起きると、腐った鰯の目のようなど~~んよりした天気なり。こんな模様では飛行機を飛ばす気力が出ない。

気分が乗らないときに操縦カンを握ると必ず墜落する。

ま。美味いコーヒーを煎れて、温かいビールを飲んで、タバコをたしなみ、”落日の王子”蘇我入鹿の続きを読んでいます。

投稿: jo | 2005年7月23日 (土) 11時31分

田中麗奈が出ているので興味はあるのですが、怖い映画は苦手なので、ビデオになるまで待ちの状態です(笑)。堤真一、永瀬正敏ともに私の愛するB級邦画には欠かせない俳優です。堤なら「39 刑法第三十九条」をぜひ御覧になってみて下さい。鈴木京香との応酬に圧倒されます。以下はご参考まで。

堤真一
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0289510.htm

永瀬正敏
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0041640.htm

#どうでもいいことですが、永瀬は小泉今日子の前夫です。

投稿: morio | 2005年7月23日 (土) 13時15分

joさん、2005年7月23日 午前 11時31分
 採点途中、きになってMuBlogみたら、入っておりました(笑)。地獄で仏にあったのか、……。
 充電というのは怖いものですね。気を付けてくださいな。

 しかし、夏期、ビールのんでクーラー付けて読書するなんて、極楽ですね。たしかに、曇天での飛行よりも、上等です。
 最近複合映画館は気楽ですよってに、Joさんも近所で姑獲鳥の夏を見たらどうですか。1800円しましたが、後で気がついたところでは、ネットでどっかを印刷して持っていくと、200円安くなるようです。

 それにしても、高齢者が多かったです。
 Muは平日だったので、高齢者と、オタクっぽい単独者がほとんどでした。カップルは目立たなかったです。けっこう多かったです。
 タイトルが難しい漢字だから、若い人は読めないのでしょうか(笑)(学生は全国的に、今頃期末試験でした!)

 まあ、馬には乗ってみいや、人には添うてみいや、映画はみてみいや。ですね。

投稿: Mu→Jo | 2005年7月23日 (土) 13時39分

morioさん、2005年7月23日 午後 01時15分
 「怖い」というのがようわからない。背中にナイフの刺さった男が寝ころんでるだけですがな、カメラが手前にあるんですよ。なーんも怖くない(と、書くと営業妨害かなぁ。いや、怖い、サダコ〜並みにこわいよぉ)
 田中麗奈。あれがそうなんですか。なんとなく、アンドロイドみたいなお顔の女優さんだね。人間には見えず、小綺麗なお人形さんに見えました。昭和、戦後すぐのコスチュームちゅうのでしょうか、ハンチングをかぶって、結構魅力ありますね。眉毛と目の関係が、アンドロイド(つまり人造美少女)じみておったのです。
 ふーん、そうですか。
 ほな、morioさん、葛野へぜひおいでなさい。ああいう若い人が数名おりますよってに(劇笑)。

 でな、堤さんや、きょんきょん前夫さんがB級邦画という一節がよくわからないなぁ。A級邦画がどんなんかわからないから、ABCDの区別がつかない。
 Muは、ぐっときたらA級。
 てへ、とおもったらB級。
 死ね、と思ったとき、やっとC級です。
 D級映画となると、想像を絶するなぁ。

『姑獲鳥の夏』は、全体構成と、映像結構と、登場人物の動きがよかったので、A級でしたよ。

投稿: Mu→morio | 2005年7月23日 (土) 13時52分

赤ペン振り回すのにも疲れてきました……。

田中麗奈はあの目と眉でのしあがったと思います。デビュー作からあれです。で、A級、B級ですが、享受した側の評価ではなく、全国一斉ロードショーものをA級、単館上映二週間くらいで打ち切りというのをB級と、仮に呼んでおります。

投稿: morio | 2005年7月23日 (土) 15時55分

もうそろそろ、シルバー料金1000円で映画が観れるんとちゃいますか?

と、言われました。

2007年には団塊の世代が多量に停年退職、さすれば、千円で映画館に駆けつける老人が多くなり、GNPが上昇する。

しかし、税金の収入が急激に減り財政が破綻する。

怖いですね。

投稿: jo | 2005年7月23日 (土) 18時45分

morioさん、005年7月23日 午後 03時55分
 当方も、やっと赤ペン、半分になりもうした。
 残りは来週(笑)
 つらいねぇ。

 そうそう、某霊奈ですが、ああ麗奈でしたなぁ、あの目と眉ですか。いやはや、絶句。もちろん、気に入りましたが、なんちゅうか、天然なんでしょうな(笑)

 ともかく。ひとまず地獄から暫時退出。

投稿: Mu→morio | 2005年7月23日 (土) 18時46分

joさん、2005年7月23日 午後 06時45分
 高齢者が多いのはそういうわけだったんですか。
 てっきり、難しげな漢字タイトルが郷愁をさそったのかと思いました。
 で、それなら、なんらかの証明するものがあれば(何かな)、夫婦善哉、半額とか書いてあったような。映画館も、携帯電話なみに、複雑なサービスをしとるわけですね。同居、別居、内縁、擬似婚と、……ややこしいサービスやね。

投稿: Mu→Jo | 2005年7月23日 (土) 18時50分

自己申告でえ~~らしいよ。

日本文化とは本人が60歳といえば、60歳なんやね。物理的に60歳になってる人もあれば、そうでもない人もいる。

要は、自己申告と言うことやね。

杖ついて60歳といえば、誰が証明書を出せと言うでせうか?老人を大事にする文化が東アジアの素晴らしい世界に誇る伝統文化である。

投稿: jo | 2005年7月23日 (土) 19時25分

joさん、2005年7月23日 午後 07時25分
 ほんまに、えー國でんなぁ。
 パスポート見せや、なんて言われたら、けたくそわるいもんな。

 ほたら、数年後といわず、来年からは映画三昧でんな。

 長生きはするもんやでぇ、なあ、Jo爺さんや。

と・こ・ろ・で
 この本文記事は畢生の映画批評、原作批評のこころつもりで、命削って3時間かけて、原稿10枚も掲載したのになぁ(大笑)。ほんま、おたがい、のんびりしたblogコメントでんなぁ。まあ、そこがMuJoBlog系統のええとこどす。

投稿: Mu→Jo | 2005年7月23日 (土) 20時45分

 『姑獲鳥の夏』って、映画広告でチラッとみただけなんですが、堤真一さんが金田一耕助風でしたね。みなさんのコメントを読んでいると、妖怪とかコワイ映画とか、ホラー映画に近いのでしょうか?

 今夏は『亡国のイージス』は見に行きたいですけど・・。もし見に行かれることありましたら、『イージス』評を楽しみにしております(笑)。

投稿: wd | 2005年7月24日 (日) 18時21分

wdさん、2005年7月24日 午後 06時21分
 この映画をまず観てから原作をじっくり読まれることを勧めます。そしたら、映画の良さが映えわたることでしょう。
 原作が下だなんて毛頭おもっておりません。原作の水準はトップレベルです。

 紙芝居の楽しさを知っている世代や、それをまったく知らない幼童にとてもウケル要素がいくつかあります。その部分は、ある種のズッコケなんですが、ネットの映画評を観ていると、コアな京極ファンは、それを消化しきれないようです。むしろ、高齢者(Muのこと)と、なんもしらない少年少女が「あれ、なに、けけけ」と笑うことでしょう。

 恐いと言えば、オナゴの怖さ。ほんまに、業の深い生命体どすなぁ(う、けけけ)。
 キャストで男性陣は、全部納得できました。男達はそれなりに、みんなカッコよいです。女性陣は、男性が見て望む形態を示しておるようです。

では

投稿: Mu→Wd | 2005年7月24日 (日) 18時43分

先生、
 私は京極夏彦さんの作品は「姑獲鳥の夏」を読んだきりです。
 京極さんの本は文庫でも、もの凄く分厚いので、なんとなく敬遠しています。
 映画のCMでは、いしだあゆみさんのキャラが印象的でした。
 私は、ミステリーを映画館で見ることはほとんどないんです。
 なぜなら、「あの人あやしくない?」とか、思ったことを言っちゃうんで、周りに迷惑がかかる気がして、、。
 DVDが出た頃、家でこっそり見ようかなぁ、って考えてます。
 

投稿: 羊 | 2005年8月 1日 (月) 08時51分

羊さん、2005年8月 1日 午前 08時51分

 猿ぐつわをはめて鑑賞するのがよいでしょう。
 DVDは私も購入予定です。
 
 そうですね。京極さんの作品はタイトルが難しい漢字だから、「そこの900gの」とか「ほら、あの2キロの文庫」とか、名指しています。

 巷説百物語がシリーズで数冊ありますから、ぜひご一読あれ。各冊せいぜい数百グラムですから、おなかにもたれませんよ。

投稿: Mu | 2005年8月 1日 (月) 09時12分

先生良くなられたのですね^^良かったです。心配しておりました どうぞご無理なされませんように・・
そしてハルキ君もお元気ですか?
映画観ました。ミステリー映画をしっかり見たのは初めてです。きっとこちらのブログを知らなければ一生見なかったかもしれません。
Mu先生は主人公に似ているんだと思いました。本に囲まれクールで、すてきでした。
鬼子母神の話は小さい頃、母からなぜかよく聞いていました・・
難しかったのでもう一度観てみます。

投稿: yuyu | 2009年6月 5日 (金) 13時20分

こんにちわ、YuYuさん
 そちらのblogを数分拝見して書いております。
 ゆで卵コロッケっていうのは、すごいな(笑)。
 美味しそうです。

さて、ミステリの泥沼に入りかけましたか。なかなかよい世界ですよ。謎というよりも、全体の雰囲気が楽しいです。

京極堂(堤さん)のようなかっこよい男は日本にあまりおりません。原作者の京極さんの書斎を写真で見ましたが、整理整頓、歪んだ本、倒れ掛けの本なんか一切ないですね。他方、Muときたら葛野も木幡も、まるで犬小屋です。えらい、大違いです。

同じ人間に生まれても、初めからか、途中からか、人生は大きく違っていきますね。

ふと、薔薇をみていて、薔薇は薔薇の種から美しい薔薇の花が咲くのだなぁ、と感慨にふけりました。
うちのハルキ猫君、やはり、ノルウェーの森猫らしく、日々大きくなってきています。

大昔、女神さんかな? 黄金のソリにのせて引っ張ったのがハルキ君の先祖らしいです?

投稿: Mu→YuYu | 2009年6月 5日 (金) 15時32分

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邪魅の雫(じゃみのしずく)/京極夏彦   講談社ノベルス、2006年9月26日 第一刷   重さ:580グラム   原稿枚数:(812頁x23文字x18行x2段/400字=1681枚  毎度のことだが今度は三日間かかった。そのうち丁度真ん中にいたったのは二日半後だった。つまり、残り半日で後半を読み切ったことになる。京極... [続きを読む]

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