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2005年7月31日 (日)

NHK義経(30)義経&頼朝

承前

 感嘆した。
 頼朝に、そして義経に、そして夏木マリさん、草刈正雄さんに。数え上げればきりがない、政子さん、大姫さん、……。後白河法皇。

 昨年のこと、実は新撰組も夏頃からようやくエンジンがかかった記憶がある。それまではうらうらとした江戸の町を、近藤さんや龍馬さん、桂さん、みんな友人だったような、なんとなくトンデモな毎週日曜の夜だった。口の悪い人達がもうしておった「そのうち、近藤勇は携帯電話をドラマ中に使っても、おかしくない」とか。夏に変わった。

 今夏、頼朝の苦渋が滲み出ていた。
 政子、舅の北条時政の不安があふれていた。にわか安普請の幕府の屋台骨を支えるのは御家人。それは北条だけではない。河越氏も梶原氏も、内心なんの安堵もなく(まだ平家と戦っている。思い起こせば、東北の雄・藤原秀衡が背後にどんと控えている)、幕府の先兵となって外地に出向いている。
 内政は大江広元らの京都官僚が公文所別当、問注所執事を勤めだしたが、御家人達がそれに賛成したかどうかは難しい。
 法皇の舌先三寸で、世の中が逆転する危険も十分にある。一ノ谷では、平氏に源平の和睦をほのめかし、源氏には何も言わなかった法皇なのである。その足下に弟義経が絡め取られている。

 義経は、検非違使別当の立場で都の治安を確立させ、法皇からは従五位下、昇殿を許された。その間の法皇、頼朝、義経三者のバランスのとりようは、頼朝が法皇にあることを願い出ることで、安全弁が作動した。
 義経を、平家追討の大将に任命してもらいたいと、願い出たわけである。

 頼朝を主にして考えるなら。
 煙たい後白河法皇に願い出ることによって、秩序維持の意思を見せ、法皇のメンツをたてた。
 法皇に絡め取られている弟を、水軍を擁した強力な平家にあてることで、どちらかの結果を得る。
   義経が負ければ法皇は手駒をなくし、義経も官位返上となり、鎌倉に呼び戻す瀬が生まれる。
   勝てば、平家という難物を消滅させることができる。
   その際、三種神器を得れば、法皇に対して、圧倒的に優位に立つ。
 斯様に、後知恵として見るならば、頼朝は平家が都を再度席巻せぬかぎり、失う物はない。

 しかし。
 政子がおもしろいことを申しておった。
 つまり、頼朝は情の人であり、何重もの鎧を身につけて理をとく、と。頼朝が私情に走っていたなら、義経との和解さえあったかもしれない。つまり、年若い最強の大将として、北条をはじめとした御家人衆の中で、頼朝は強い力を持つことができたかもしれないからである。また、義経に対抗させて、北条一門を引き上げる可能性もあった。
 史的には、北条が真に力を出し始めたのは、頼朝死後である。
 頼朝は、情をおさえ、京都官僚知識人を内政の中心に置き、殿腹たちの不満は、北条を優位に立たせず、近親をただの御家人と扱うことで、すかし、安定を得た。

 この間の中井貴一の名優振りは、なにかしら鬼気迫る雰囲気だった。たしかに、上手な人だ。これが、円熟というのかもしれない。
 なお、義経の雰囲気は、ますます好ましくなってきた。力が出てきている。何故なのか。単純に考えてみた。滝田は、義経になってきたのだろう。

 吉次が義経の前に置いた、奥州秀衡からの砂金の山がリアリティをみせた。領地も持たない義経が、頼朝からどれほどの自由になる軍資金や生活費(笑)をもらっていたのか、以前から不思議だった。法皇にまかり出る時の衣装など、最近、とみに上等になってきた。朝廷は貧乏だから、検非違使別当になっても、なんとなく、義経は無給だったように思える。

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2005年7月27日 (水)

十五万アクセス

承前:十四万アクセス

 先ほど見るともなくアクセスを確認したら、15万を超えていたので、とりあえず記録する。
 今期は、二ヶ月弱かかった。
 と。
 後で記しますが、近頃は見るべきヒットも「検索」結果になく、筆も滞り、15万アクセスは遠い道のりでしたが、さすがに先年の二倍の2ヶ月をかけてなんとかかんとか、着きました。
 ヒットは、これまでの事例では、意図したものではなく偶然に「ダ・ヴィンチ・コード」を読み記し、やむにやまれず都中の桜を撮りまくり、「半島を出よ」にいたっては無我夢中で読んで書いた、その結果なのでありました。
 ただ、日本古代史ものは、これは好きで書いていることですし、JoBlogという古代史同好会もそばにおりますので、なにかと話題がもりあがり、そういうあれこれによって、MuBlogも成り立って参りました。なぁ。

 てらいなくもうしますと、こうして節目の万アクセスになると、毎回「MuBlog」造ってよかったなぁ、と心底喜んでおります。

(1)本日記録
  対象日:2005年07月27日(水)晴
  時間 : 午後三時前(不明)
  累計アクセス数: 150011
  1日あたりの平均: 301.83

 記事数: 482 | コメント数: 2574 | トラックバック数: 297 | ライター数: 1
 [ただしコメント数の半分はMuの返事。TBの八割以上はMuの自己参照]
 119.586 メガバイト (39.86%)[ただし他の小さなblogを3つ含む]

 なお奇しくも同日に、わが畏友JoBlogも9万アクセスを達成した。同じマイナblogで、アクセスに差が出るのは、これはMuBlog が学生を抱え込んでいるのと、Jo氏はMuの4倍ほどMuBlog 投稿に励んでくださる、その賜である。感謝。

(2)先週:検索ワードランキング(5件以上のみ抽出)
  対象日: 2005年07月18日(月)~ 2005年07月24日(日)
  合計数:1243

順位 検索ワード 件数
1 地図 28
 → 地図と京都はセットで、観光旅行用に使っていただいているのでしょうね。
2 京都 24
3 チャングム 22

→ 今やMuの頭の中も、チェゴ・サングン(最高・尚宮)、ハン・サングン、チェ・サングン、ミン・サングン、スラッカン(宮廷料理局)、ヨンセン、ヨンノ、……と、木曜夜のNHK-BS2を見ない限りは意味の分からない世界にどっぷりです。Muの心を占領するくらいですから、さぞ世上の人気も高いのだと思います、なあチャングム(カンドックのノリ也)。

4 堤真一 18
 → これはもしかしたら検索語がまったくない「姑獲鳥の夏」でしょうか、京極堂・中禅寺秋彦。
5 奈良ホテル 17
6 書誌ユーティリティーとは 16
 → たまにはMuの裏稼業関係用語も姿をあらわします(笑)
7 三角縁神獣鏡 15
 → これがないとMuBlogじゃなくなりますね、Jo爺さん。
8 月の蔵人 14
 → 伏見関係はMuの心のハイマート、ただ、神聖なのか黄桜なのか、月桂冠なのかわからない。
9 常照皇寺 12
10 義経 12
 → あれだけ毎週熱心に書いているにしては、たったの12件。
11 石舞台古墳 9
 → これはね。謎。
12 写真 9
13 伏見 9
14 卑弥呼 8
15 王仁公園 8
16 新撰組 8
17 書誌ユーティリティー 7
18 monica 7
19 santa 7
20 神社 6
21 四拍 6
 → ご存じ出雲大社と宇佐神宮、めずらしや「二礼、四拍手、一礼」の世界。
22 弁慶うどん 6
23 黄桜かっぱカントリー 6
 → これは当然伏見「黄桜」、間違ってはいないはず。
24 歴史 6
25 美味しい店 6
26 神話 5
27 奈良 5
28 小説 5
29 一ノ谷の戦い 5
30 ビアガーデン 5
31 じぶり 5
32 祭祀 5
33 肉うどんレシピ 5
 → 泣けてきます、ほんまにもう、どなたさんなんやろか。
34 死者の書 5
35 NHK 5

 というわけで、先週の傾向は、傾向がわからない傾向です。どう判定してよいのか、いろんなテーマが少しずつ集まっていますね。

(3)先週:検索フレーズランキング(3件以上のみ)
  対象日: 2005年07月18日(月)~ 2005年07月24日(日)
  合計数:365
順位 検索ワード 件数
1 四拍  卑弥呼 6
2 月の蔵人  地図 6
3 santa  monica 3
4 平等院鳳凰堂  鳳翔館 3
5 site:asajihara.air-nifty.com  肉うどんレシピ 3
6 デューラー  アルカディア 3
7 santa  monica  pier 3
8 書誌ユーティリティ  構成要素 3

 四拍が卑弥呼とペアならば、これは明白に卑弥呼の墓は宇佐神宮説でしょうね。やはり、古代史に強いMuBlog でありました(笑)。
 意外なのは、「月の蔵人」と地図ですね。これはMuBlogにたよらなくても、グルナビなんかで御覧になればよかろうものを。
 アルカディア関係は、おそらくダ・ヴィンチ・コードでしょうね。

(4)先週:曜日別
  対象日: 2005年07月18日(月)~ 2005年07月24日(日)
  合計数:1597
曜日 アクセス数
MON 187
TUE 222
WED 200
THR 224
FRI 259
SAT 294
SUN 211

 激減しております。しかたないようです。ただ、これまでは月曜日が比較的多かったのですがね。

(5)先週:記事ごとランキング(1%以上抽出)
  対象日: 2005年07月18日(月)~ 2005年07月24日(日)
  合計数:1597
順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 13%
2 http://asajihara.air-nifty.com/ 10%
3 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/07/post_20b2.html 6%
4 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat573003/ 2%
5 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/07/post_1bd5.html 2%
6 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/06/kizakura_kappa__176b.html 1%
7 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat964087/ 1%
8 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/07/post_20b2.html#comments 1%
9 http://asajihara.air-nifty.com/mu/blog/ 1%
10 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat948152/ 1%

(6)分析
 今回は、頭が回らないことも事実だが、判定分析に苦慮するような結果に見えます。ヒットがなくて、なんとなく盛りだくさん多様なアクセスが少数ずつあります。ちょっと、わからないです。
 今後しばらくはこんな傾向だろうとは、思いますが。
 夏期には、それなりにMuBlog も記事を充実させますので、読者のみなさま、ご愛顧のほど願います。
再見

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2005年7月26日 (火)

目次:MuBlog-2005

目次:2005
  MuBlogの主な記事 時々読み直してみたいものをまとめました。2005年分をここに入れていきます。
  この目次は画面左の上部に設定してあります。

承前(2004年)
  
◎ 大晦日の鍵善と八坂神社

2005.01.01  毎年大晦日の夕方に祇園の鍵善によって黒蜜したての「くづ切り」を楽しみます。そして、ひとけのない八坂神社にお参りします。数時間後には人で埋まって歩けなくなる境内を、すたすたと歩いて神殿前に立ち、何事か祈念します。祭神は素戔嗚尊さまです。

@ 義経/司馬遼太郎
2005.01.02  司馬遼太郎さんの描く「義経」をじっくり味わいました。上下文庫本なのですが、前半は義経よりも頼朝のことに筆がさかれていた記憶があります。上巻の後半になって、ようやく義経が当時の世間に知られるようになる。合戦場面の筆致は司馬さんのお手の物ですね。義経が百年じゃなくて、千年に一人の軍事天才だったことが、よく分かります。

@ レディ・ジョーカー(映画)
2005.01.07 この映画、非常に気に入っています。

 以下続きます。

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2005年7月24日 (日)

NHK義経(29)常磐の死

承前

 頼朝は義経の武功(一ノ谷合戦)に報いず、後白河法皇への「国司推挙」のリストに義経の名が載らなかった。このあたりの史実はよくわからぬ。一体どういう理で、義経には恩賞がでなかったのか。兄弟の確執をこれほどあからさまに世間や朝廷に見せる必然性が見えない。ドラマでは、義経の人気を厭ってのこととして描かれていたが、武家にとって恩賞は公事なのだから、理屈がないと話が通らぬ。

 頼朝のやりようは、義経を弟どころか御家人とも認めていない。兄・源範頼の家臣、つまり陪臣扱いである。
 それとも、義経の軍功が鎌倉に伝わらなかったのか。それはないだろう。
 と、いろいろ考えるとこのあたりから、頼朝のことが分からなくなる。頼朝は優れた政治家と史上に名高いが、別の言い方ならば、優れた年若い弟・義経ひとり、制御できなかったとも言える。

 ただ、これはドラマだから脚色もある。むしろ、義経が食わせ者で、すでに義仲追討を成功した時点で、後白河法皇としっかりよしみを通じていたとも考えられないことはない。
 生き霊となって義経を訪れた母の常磐が、「鎌倉も、法皇も、上回るような表裏をわきまえた男になれ」という意味で、諭していた。もし、義経がそうであるならば、司馬義経も、宮尾義経も、平家物語も、義経記も要所を外していたかも知れない。
 などと、どんどん妄想が広がる。
 なにしろ、後世、ジンギスカンに身をやつしたかもしれない義経なんだから(哄笑)。

 義経が法皇から授けられた褒美は検非違使(けびいし)をまとめること、つまり都の警察長官である。官職は判官(ほうがん)と呼ばれ、「長官、次官、判官、主典(さかん)」、の四等官の三番目となる。京都は中央官庁なのだから高級官僚である。実質の検非違使長官、20代後半だったはず。
 これが頼朝の機嫌を損じたのは、よくわかる。鎌倉を通さずに、直接法皇から任官されたのだから、頼朝にとっては越権と思えたに違いない。もちろん、法皇からすれば、朝廷の下僕である頼朝などの申し条は聞きとうないという、意思表示だったのだろう。
 源氏の内紛を意図した除目(じもく)・任命は、官打ちの代表例なのかも知れない。無闇に高位高官にしたてあげて、自滅するのを待つ高度な策略である。現代では、ものすごく田舎っぽい手法で「褒め殺し」とも誤認されているようだが。

 こういった政争謀略世間の表裏を、女ひとり生き抜いてきた常磐が、息子の出処進退をはらはら眺めるというドラマ仕立ては、とても自然だ。
 義経の母は、やがて病み、みまかった。常磐御前を演じた稲森某は、たしかに名演技だった。慈しみ、暗さ、気迫、艶姿、すべてを数秒単位で表情にだせる女優だった。
 今夜は、千人の中の第一の美女、常磐御前をしのび、眠ろうぞ。

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2005年7月22日 (金)

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)
  監督 実相寺昭雄
  原作 京極夏彦(講談社『姑獲鳥の夏』)
 
はじめに
 以前からこの映画を心待ちにしていた。切実だった。
 それはいろいろな事情があって、ここに記すべきことと、記さなくてもよいこととが、いまだ渾然となっている。
 つまりそれだけ原作が複雑で、Muも複雑だということだ。

 結論を先に記しておく。
 佳い映画だった。心に残った。こういう映画を日本で制作できることがとてもうれしかった。
 ミステリを映画化するのは難しいと考えてきた。言葉の微妙な言い回しを使って成り立つ伏線やトリックがある。それを巧妙に文章化してできあがった原作を、映像にするというのは、多くのハンディを持つ。
 しかし映像には文章以上の利点もある。千万言ついやそうとも、殺し文句の一言でも、表現し得ないことがある。Muは、この映画から主に後者の利点を味わった。

映像の力
 主人公の中禅寺秋彦が営む古書店・京極堂は眩暈坂(めまいざか)の上にある。この坂で、事件のきっかけを作った作家関口巽は必ず目眩を起こし、倒れてしまう。その関口の心象が坂に象徴される。こういう人間の心象を表すような「坂」がどんな風に撮されたかという点に、映画の醍醐味があった。
 Muは画面に入り込んでしまう特異体質(笑)なので、関口と一緒になって目眩を起こしていた。もちろんカメラの使い方や、音楽やいろいろな相乗効果の結果だろうが、リアルだった。
 ほんの一瞬だが、カメラが上空から俯瞰された。いつもは坂道の両側は築地塀だけで、でこぼこの坂としか見えていないものが、実は塀の後ろには墓石が累々とあることに驚いた。

りん、と風鈴が鳴る

姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)
 京極堂古書店の結構が、建築好きのMuにはえも言えぬ構造物だったことに感動した。
 つまり、土蔵の中の吹き抜け構造を上手に使っているのである。吹き抜けの二階部分にも古書がずらりと並び、その上階部分に立った中禅寺が、関口の心象を延々と言葉にして説明していく長台詞が、一種のエクスタシーをもたらした。言葉というものは、場、条件、リズム、内容によっては麻薬のような作用をもたらす。

 そして、「りん」と風鈴がなる。
 ここが、文章と映像との融合点であり、それはよくできた映画の真骨頂となる。りんと、実際に音が聞こえる。はっとする。それまでの長台詞がすとんと胸に納まる。からまった蜘蛛の糸の想念に引きずり込まれていた関口の心象に、「りん」と音がし、ぱっと視界が開ける。
 映画は場を視覚で与え、心象を音で祓う。

 この映画の謎は、最終まで持ち越されるのではない。全体の3/4あたりで、行方不明者が、実に巧妙というか、微妙な形で見る者に見えてくる。このあたりの演出は、随分工夫したのだと感じた。
 自然だった。
 もちろん、伏線は公園で紙芝居をしている爺さんがもらしている。「人は見たいものしか見ない」と。余談だがこの紙芝居は、事件全体をポンチ絵で絵解きもしているし、かつ、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」まで出てくるという念の入れようである。これについては、もう一つ「あっと」驚くようなキャスティングもあるのだが、それは見てのお楽しみ。
 で。
 映画が終盤にはいって妙に活気づいてきたのは、なにがなにやら分からない『姑獲鳥の夏』を実にすっきりと、わかりやすく、謎解いたことにある。Muは、後記するが、この原作を最初は分からなかった。すべてにおいて。ところが映画は、台詞と象徴的な映像とで、おどろくほどクリアに決着をつけた。原作にある夾雑物(原作者様、お許しあれ。筆が滑りました)を洗い流して、論理を清明にし、かつ映像の妙味によって呪いの余韻を残し、解いた。
 筋を追ったのではない。
 京極夏彦世界を遺したまま、別の表現をとった。
 改作したのではない。
 「りん」と音がして、京極堂の御祓いがすべてを氷解させた。
 Muは、感心した。

主要人物相関図

主要人物相関図(映画・うぶめのなつ)
 映画といえば配役。これについてはいつものことながら、誰がなんの役をしているのか、ほとんど知らないままに映像に没入した。とはいうものの、実相寺監督作品は昔「帝都物語」で感動しているので、いろいろな俳優を個性豊かに割り振っていると予測はしていた。

原田知世
 気になる女優もいた。原田知世である。彼女のことは「時をかける少女」一作を見ただけであるが、永遠の少女になってしまっていた。だから、その後一作も見ていなかった。その一作で、永遠を得たのだから、他は余剰物。とはいうものの、京極原作の映画化を見ないですますわけにもまいらぬ。ほとんど、絶望的予感(おおげさすぎるな)を持って見入った。
 ところが。30代の魅力というのか、別の原田知世に再見した、この望外の喜び。ずいぶんと上等な女優になられたものである。
 原田は二役どころか、数役をこなしていた。名前だけでもあげると、久遠寺(くおんじ)涼子(りょうこ)、梗子(きょうこ)、京子、??と。Muはこの数役を原田がちゃんと分けているのを確認した。涼子と梗子とでは髪型やメークを違えているが、他は同じ装束のままに切り分けていた。京子役の際の艶麗な微笑は絶妙だった。その微笑が、謎の深まりを豊かにしたと感じた。

堤真一(京極堂)
 はまり役だった。なんとなく原作者の京極夏彦のイメージがある。というよりも、Muは映画の間中、京極夏彦が京極堂、中禅寺秋彦を演じていると錯覚するほどだった。最初の数秒だけ違和感のあった台詞が、数分後にはトランス状態になるほどの効果を現してきた。この堤という男優、今後京極堂シリーズにはぜひ出てもらいたいと思った。

長瀬正敏(関口巽)
 上記、堤と同じレベルで感動した。この関口のもやもやとした、しばきたおしたくなるような優柔不断、鬱々しい、いつ死んでもおかしくない雰囲気を、本当にどうしてこうまで演じきるのかと、わが國の俳優陣の層の厚さに驚いた。

いしだあゆみ(院長夫人:久遠寺菊乃)
 いしださんにも驚愕した。「ぎえっ」と叫ぶ声に震撼した。まさに憑きもののついた、憑依した老巫女。こういう役柄は白石加代子さんだけと思っていたが~、世間知らずのMuであった。実は、いしださんを先頭に挙げようとしたくらいなのだが、そうすると映画をこれから見る人も、MuBlogの読者も混乱すると思ったので、最後にあげた。

 かくして、映画のキャストのうち、中心となる4名までもが、心に深く長く残る名演技だった。これだけでも映画は成功したといえる。こういう複雑微妙な役柄を、リアルに演じきったのは、珍しい部類の映画ではなかろうか。

 付帯するに、たとえば関口の鬱に対する躁の榎木津はNHK義経では名演だが、今作では俳優阿部寛さんのせいではなくて、演出の方針なのだろうか、おとなしく演じていた。これはもちろん原作にひかれたMuの印象だが、原作の榎木津は壮絶な躁状態で叫び走り回るところがあって、Muが最も好きなキャラだったせいもある。刑事木場修太郎も同じだ。両者とも、別の原作では中心となっているので、今回は、影に隠れたと考えている。

原作のこと:編集者の異能
 原作の読書感想文は、後年記すつもりである。
 それにしても、
 この記事の冒頭で、最初に言いよどんだのは、Muは京極夏彦『姑獲鳥の夏』の初版を読んでいたことによる。
 そこから様々な経緯がある。
 Muは出版直後に読んで以来、一年以上、数年にわたって京極作品を買わなかった。京極夏彦が空前絶後の作家だと認識しだしたのは、ちょっとした機縁で、その後の京極堂シリーズを読み切ってからである。
 なぜ一旦放念した作家を読み出したかは、後日のこととして。

 つまり、Muが編集者ならば、どこの誰とも知らない京極夏彦の大部な原稿の束を読み切らなかっただろうという明白な記憶がある。そういう意味ではMuは京極を誤認していたと、今となっては言える。
 なにに引っかかったのかというと、いくつかあったのだが。もう、直木賞受賞の大家なのだから、多少けなしてもよかろうと思い、筆をとる。

 『姑獲鳥の夏』を初見のおり、Muはどう感じたか(1990年代中頃のこと)。少しメモしておく。
 1.饒舌である。そして饒舌の内容が、多くはMuが若年時に興味を持って、ある部分は入れ込んだことにある。だから、読んでいて疎ましくなった(笑)
 2.上記と表裏の関係だが、ファットに感じた。軽快感がなかった。
 3.Muが主人公と考える「関口巽」がどうにも苦手だった。うねうねと蛇行する関口の想念、邪念、回想の部分になると癇癪を起こし、滅多にせぬ事だが初読時にはとばし読みを始めた(Muは、購入図書は骨の髄までしゃぶる執拗さがあるので、これは異例だった)
 4.最後の、結末にどうしても納得が行かなかった。当時、怒った(笑)

 その後どうしたのか、20世紀末。
 結局、その後の京極堂シリーズを1998年~以降、すべて読んだ。また、巷説百物語シリーズには感嘆した。さらに、京極堂シリーズを読み返してもいる。その事情は、今はまだ明確には言えない。ともかく、おもしろい。

 2002年の晩夏だったと記憶するのだが、作家の森博嗣さんを葛野に招いて講演(2003年2月)をしていただく話がわいてきて、Muは名古屋と東京に単身で尋ねていった。後者の東京行きは、当時森博嗣さんが、親出版社「講談社」の第三文芸部を窓口にしていたので、挨拶に出向いたわけである。そこの編集長(部長)は、現在「群像」の編集長になられたよし。実は、その直前までMuはその唐木部長が京極夏彦の原稿を最初に預かった人とは知らなかった(大笑)。
 お話できたのは小一時間だったが、そこで、Muは冷や汗が出た。

 K木「Muさんは、森先生以外にもミステリーをお読みなんですか」
 Mu「ええ、森先生の他には、京極堂シリーズが好きです」
 K木「どういうところが?」
 Mu「なんというか、これまでにない作品ですよね」(邪笑)
 K木「僕は、あの中では、関口巽に惚れ込みましたね。あのなんともいえない、彼の鬱々しく長々しく迷路のような心象風景が、よいですよ」
 Mu「うっ」(と、卒倒しそうになったのであった)

 Muは今でも思っている。もしMuが講談社の編集長ならば、京極夏彦は、もしかしたらこの世にうまれなかっただろう(おおげさすぎるかな)。「重くて、長すぎる」と。しかし、そのくだんのK木編集長だったからこそ、たちまちに刊行企画が決定し、生原稿は、映画のパンフによれば綾辻行人に送られ、名惹句が生まれた。

 『姑獲鳥の夏』を読んだこの夏の日の目眩(めくるめ)くひとときを、僕は生涯忘れないだろう。(綾辻行人)

 原作は、今に至るまで三度読んだ。そして映画を見た。映画「姑獲鳥の夏」の祖父は、してみると『群像』の今の編集長かもしれない。(この筆法は、Delphiで用いましたっけ) 

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2005年7月20日 (水)

北方謙三『水滸伝』十七「朱雀の章」

承前

 この十七巻もあっけなく読み終わった。これほどの長編になると、Muも心眼で読んでいるのかも知れない。あれよあれよという間に最終頁になってしまった。

 エピソードとしては、先年のNHK新撰組とおなじく、ともかく人が死んでいく。しかも懐かしい人たちが。戦死だけではなく、長い年月の無理による病死もある。余計に切ない。
 ここで、誰が死んでいくのかは、書かないで置こう。ただ、梁山泊の創設者グループの幾人かがこの巻では非命の最期をとげる。まだ、そう、まだ生きていてほしかった、生きているはずの者たちがだ。

 禁軍元帥童貫(どうかん)の恐るべき戦(いくさ)上手に梁山泊軍は苦戦する。
 梁山泊軍にあとはないという感がしてきた。今度正面対峙したならば、完全に梁山泊軍は敗走する予感さえする。それほどに、童貫の采配は優れている。地方軍を使わず、童貫親衛隊を動かすだけで、梁山泊軍は苦戦をなめる。

 梁山泊の致死軍と飛竜軍が、結局CIA青蓮寺の軍隊(高廉の闇軍)を壊滅させる。ここで、青蓮寺・聞煥章(ぶんかんしょう)の手先呂牛(ろぎゅう)が梁山泊・飛竜軍・劉唐(りゅうとう)らに殺害されるのは、すっきりした(笑)。実はこの呂牛という男がどうにも憎たらしかったのだ。
 致死軍総帥公孫勝(こうそんしょう)の過去が現れる。最初から陰影のつよい男だったが、この巻になって初めて過去が語られた。公孫勝にとって劉唐らの死がよほどにこたえたようである。
 それはさておき、この場合も、林冲(りんちゅう)騎馬隊が突然あらわれて、最後の最後に致死軍を救った。これは往年の西部劇における騎兵隊のようにおもえて、にんまりした。

 王進のもとの楊令が成長著しい。しかし、かつての青面獣・楊志(ようし)のように活躍するには、残巻があまりにわずかとなってしまった。あと、二巻ほどだろうか。楊志と目にしただけで、その最期をおもいだし号泣するファンが多いと聞く。楊志が命かけて守った子供が、楊令と名乗り父に勝るとも劣らぬ偉丈夫として現れた。ああ。

 歴史的には、北方、遼の国の少数民族「女真」が活躍しだした。族長の息子阿骨打(あくだ)という青年が、梁山泊関係者と親交を結んだわけである。はて、アクダ。東洋史を学んだ者なら、この名前をどっかで耳にしているはずだが(笑)。

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2005年7月17日 (日)

NHK義経(28)非情も情なりや

承前
 今夜は、あらかじめ新聞のTV覧を読んでいて、観たくない一夜だった。
 木曾義仲の息子で、鎌倉に人質となり、頼朝の長女大姫の入り婿となった義高が斬首されるという予告を知り、暗澹となった。
 清水冠者義高と呼ばれた少年の死は、頼朝の非情さを示す逸話として有名だが、これを楽しむ者は少なかろう。若き夫を実父に殺害された大姫は、その後も体調を壊し、重なる縁談もすべてはねのけて、二十代で世を去ったとのこと。

 そもそも義高が頼朝の人質になったのは、木曾義仲のもとへ逃げ込んだ行家を、頼朝の要請をはねつけて庇護した結果である。しかし、兵を起こした頼朝になすすべなく、義仲は和睦として義高を鎌倉に送った。
 義高の待遇は悪くはなく、長女大姫と結婚した。

 一説に、義高が出奔したのは政子の手引きとも聞いたことがある。娘の婿の立場を悪くしたいと思う親も少なかろうから、頼朝の性格を知り抜いた政子が緊急避難的に逃がした、とも考え得る。
 そういう細かなことは当事者以外はだれも知らぬことだろが、義高が殺害されたのは史実である。

 そういう頼朝の処断をどう思うかは様々だが、少なくともドラマの中では整合性を保っていた。すなわち、義高を亡き者にせよと言った御家人の首をはねた頼朝だからこそ、出奔を裏切りと断定した。その裏切りは、平家に助けられた頼朝や義経の今の立場と同じく、危険極まりない。だから、斬首とした。

 情に流されず、先を見越した判断とするかどうかはむつかしい。
 非情も情なり、とドラマの中で呟いた中井貴一の頼朝には、重みがあった。
 だが非情も情も、頼朝や義経が無き現代となっては、むなしい。鎌倉源氏があっけなく北条にすり替えられた事実を知る現代人にとっては、「もののふの政治を造るには、源氏でなくともよい」と言った頼朝のセリフさえむなしい。

 泣いて馬謖を斬った諸葛亮孔明ほどの説得力はなかった。

 さて一ノ谷で義経に生け捕られた平重衡(しげひら:重盛の五男)は、軍目付梶原景時の即刻斬首論を振り切って、鎌倉殿の呼び出しで護送された。頼朝は許し、待遇を与える。しかし実は後日、以前の南都焼き討ちがたたり、重衡の運命は変転するのだが。

 かくして義経、頼朝から「京都守護」を命ぜられ再び上京することとなった。

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2005年7月16日 (土)

NHK義経(27)一ノ谷の戦い

承前

 明日は日曜で、そろそろ28回に近づいた。
 先回は所用で、日曜終日外出。録画したまま未見。
 さて。
 今夜あたり録画を観ることができようか。

暗転、幕間、翌日曜の昼下がり
 世評(笑)に反してなかなかの見ものでありました。
 いろいろな条件もあったわけですが、画面に張りがありました。

 人は獣でもあるわけですから、白兵戦というものをたとえドラマであっても間近に観ると、息を止めてしまい、緊張し、画面の中に引きずり込まれる恐怖に襲われてしまいます。
 義経が華美な鎧兜を身につけたまま、血刀を振り回し、平家の陣を走り回るシーンは圧巻でした。丁度いま、北方謙三『水滸伝』17巻を読んでいる最中なのですが、その戦闘シーンと重なってしまったわけです。水滸伝にあっても、大軍を縦横無尽に動かす醍醐味とは別に、英雄達が下馬して肉弾戦をするところが多々あって、そうなると、Muは行間に沈み込んでしまうのです。

 義経を妖獣と以前もうしましたが、この27回はそれが良く表現できていたと思います。あらためて、義経は戦闘するために生まれた歴史上の天才妖獣だったとはっきり思いました。
 兵をわけて70騎程度で一ノ谷を真っ逆さまに落ちる(この表現は、コメントにも異論はありましたけど)という作戦にとどめず、自ら騎馬で谷を逆落とししたならば、戦自体も水滸伝や三国志の英雄と同じく、ついには下馬して血刀を振り回すはずだと、思い切って表現した演出は見事でありました。

 義経役は、うまく行きました。
 (連載の流れを思い出すなら、このシーンは最初の頃に撮られたはず。こういう役柄を最初に経験したからこそ、これまでの義経の沈み込んだ演技が、しっとりと映えていたわけだと、思った次第。殺人鬼のように血刀を振り回したということは、おそらく本能からほとばしる獣性を一旦経験したわけです。となると、人として演じる際には、反動としての沈静が滲み出すことでしょう)

 冒頭でもうしました、「いろいろな条件」について一言。つまり日頃みている消えかけの、色変わりするTVではなくて、45分間に4.7GBも使った高品質のmpegファイル[註:普通は2時間で4.7GB]を19インチのディスプレイで間近に見たわけですが、これが上等でして(笑)、夜陰が実にうまく色になっておったのです。三菱の液晶は、なかなかに動画を見るによろしいようです。

夜と火の恐怖
 兵庫の奥の三草山にしても、早暁での一ノ谷で火を放ったことにしても、夜と火とは戦(いくさ)に欠かせない大道具のようです。夜に火があがると、浮き足立ってくる。これは人が「獣」であることの証なのだろう。そして大抵は火を見ると逃げる。脳で制御しようとしても止まらないほどの強烈な本能的な恐怖がわき上がるのかもしれない。そして、こういう雰囲気を上手にNHK義経は表していましたなぁ。

鵯越(ひよどりごえ)と一ノ谷
 以前から気にはなっていたのだが、鵯越と一ノ谷を現在の地図で探すと、どうにもわけがわからなくなる。つまり、二つの地名は随分離れている(二里・八キロほど)。今日は思い切って探索してみると、二説あるようだ。義経の逆落としは、鵯越と一ノ谷の二つに分かれるらしい。詳しくは、参考記事を御覧下さい。
  鵯越地図
  一ノ谷地図

参考記事
  一ノ谷の合戦/神戸市文書館

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北方謙三『水滸伝』十六「馳驟の章」

承前

 ようやく十六にまで進んだ。一息に読めたので「もう、終わりか」と嘆いた。実質の終わりは19巻か?と思っているので、まだある(笑)。こういう長編小説は、終盤に入ると読むのが惜しくなる。

 さて、背景。
 先回は詳説しなかったが、梁山泊と宋とが総力戦をしたのが先の十五巻だった。宋は20万の兵でもって梁山泊を押しに押した。一方梁山泊は、5万?程度の寡兵だったか。しかし、梁山泊は味方になった関勝(かんしょう)将軍の友人宣賛(せんさん)が軍師となって、宋の副首都・北京大名府(ほっけいたいめいふ)を陥落した。このことで帝は停戦を麾下将軍に命じ、戦いは収まった。
 それから一年、この第十六巻となった。

1.致死軍・公孫勝(こうそんしょう)、遂に青蓮寺(せいれんじ)を討つ。
  燕青(えんせい)、青蓮寺総帥袁明(えんめい)を倒す。
 これは物語に大きな転機をもたらす事件だった。
 致死軍は梁山泊の秘密工作部隊であり、長年宋国のCIA青蓮寺と死闘を繰り返していたが、好機を逃さず総攻撃を行った。袁明が青蓮寺に居ることを確認し、彼の従者洪清(こうせい)が三日に一度外食する日を見計らってのことである。その前後、青蓮寺の軍組織(闇軍)も遠隔地に作戦で出払っていた。
 難敵は袁明(えんめい)のボディーガード洪清(こうせい)だった。無敵の老人だった。これを死闘のはてに燕青(えんせい)が倒した。これによって、袁明のガードは無くなり、覚悟の死にいたった。
 燕青とは、塩の道を維持する盧俊義を救い二日二晩死域の状態で主人を梁山泊に運んだ美青年である。燕青と洪清とは、ともにボディーガードであり、一方が若く、一方が老人だった。この対比はしかし単純ではない。

2.青蓮寺総帥、李富(りふ)が継ぐ。
 Muは梁山泊に肩入れをしているが、なんとなく謀略好き(笑)なのか、青蓮寺は別だ。というよりも、北方水滸伝は、致死軍と青蓮寺とを好敵手として扱っている。だから、簡単に青蓮寺が廃滅すると、図書を投げ出したくなる。そこはそれ、手練れの北方さんだから、読者を突き放さない(笑)。
 青蓮寺は袁明の遺言によって、志付きの人間コンピュータ(メンタート、と書けば、砂の惑星になってしまう)李富がつぐことになった。李富については、シリーズの前半で強烈な印象を残している。
 ここで。
 終盤にかけて活躍が期待できる妓街の遊妓・李師師(りしし)という女が注目を集める。彼女は故袁明の師匠の娘のようだ。ではその師匠とはだれか? これは宋の歴史、改革史を知れば分かる。
 その李師師は一番の売れっ子なのだが、実は帝の愛人であり、耳目であり、……。そして、李富は彼女に会う。これは袁明の遺言にしたがっての事である。さて、おもしろくなった。

3.三人の強い女。
 孫二娘(そんじじょう)、顧大嫂(こだいそう)、一丈青・扈三娘(いちじょうせい・こさんじょう)の三人がそれぞれに光っていた。前二者はともに夫を暗殺者史文恭(しぶんきょう:晁蓋を毒矢で暗殺した男)に殺害された。扈三娘は身重で、亭主の隠れ場所を襲い、女を自らの幕舎に連れ去る。亭主の愛人も身重。
 どう光っていたかはおくとして(笑)、なかなかに、歴史物で女ともうせば色事の対象とばかりなる中で、この三人、強烈すぎてめまいがするような「女」に描かれていた。
 とくに扈三娘(こさんじょう)と言えば、水滸伝屈指の美人でかつ屈指の武人である。日本風に申せば巴御前となろうか。亭主は様々な事情があって、足も短く、みかけもさえない王英。これも謀略軍の隊長である。相当な使い手である王英が「駄目だ、絶対に勝てない。殺される」と覚悟して、逃げに逃げる姿は、一種の爽快感さえあった。
 前二者は、愛しい亭主をむざむざ暗殺者の手にかかるのを、救えなかった運命に、どう耐えたのか。
 描写としては、最高のやけ酒があった。
 酒屋の肉という肉を食べ尽くし、酒という酒をのみほして、梁山泊の名うての将校連をはりたおし、梁山泊宋江や幕僚の悪口を言い合う、それもまた爽快だった。

4.童貫(どうかん)、史進(ししん)を破る。 
 ついに禁軍の総帥童貫が戦場にたった。宋国元帥である。
 梁山泊の暴れ者史進(ししん)でさえ、5千の兵とあなどり追撃をかけたが、まるで大人と赤ん坊の差がでてしまった。

*.まとめ
 ああ、久しぶりの北方水滸伝、よろしいですなぁ。なんだか、身内にエネルギーが充満してくる思いがしました。小説というもの、映画というもの、これらはMuにとっては人生のサプルメントどころか、主食でありました。どんな栄養サプルメントがあっても、米の威力には勝てません。
 そう、Muにとって、物語は命の水、です。 

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2005年7月11日 (月)

雑感の記

ある日曜のことだった
 2005年の七月十一(月)午前三時過ぎ。
 夜中に目覚めてしまったが心身楽になっていた。
 先週はなにかと昼の世界で気苦労のたえぬ日々だった。で週末に木幡でごろごろしていると気力が充実してくるのだが、昨日日曜日は朝から仕事があって、百万遍まで行ってきた。だから夜間に帰還して義経の録画があっても、観る気力が湧かなかった。

 しばらく横臥して、「チャングム」の特集番組を眠るともなく観るともなく、三十分ほど眺め、眠った。「ああ、やっぱりそうだったのか、あの主題歌はパンソリだったんだ」と曲が脳内を流れていた。

 ところが不思議なことに、数時間でも眠ると楽になる。
 人体とは不思議なものだ。
 百万遍での仕事は座仕事だったので、全身筋肉疲労ではなく、脳を使ったようだ。脳は眠りで楽になり、全身まで爽快になる。眠りがないと朦朧としてきて、ついには機能不全に陥ると、実感した。
 回りくどくしるしたが、要するに「眠るだけで楽になる」という点に、人体の不思議さを味わった、ということだ。

石垣撤去反対砦カフェ

石垣撤去反対砦カフェ
 日曜の朝、百万遍の交差点を渡るとき目に付いた。この石垣が撤去されるらしい。学生達の一部にはそれが不満らしい。よその大学のことだから、石垣があろうがなかろうが、無縁な話だが、砦みたいなカフェに「氷」旗があったのがおもしろかった。余程、あがって茶でも一服とおもったが、壊れて脳を打ったらたまらないと思って、写真だけにした。(地図
 なんだか。学生って永遠に馬鹿げたことを繰り返し、爺さん婆さんになるんだなぁ~と、長嘆息もした。しかし、いま水滸伝を読んでいるので、こういう砦って、ハンディだから、どこにでも拠点を作れるなと、別の作戦もむくむくとわき上がってきた。
 しかし、Muが葛野でこんなことをすると、即日解雇になるやろうな(笑)。
 とはいうものの、日頃屯所にたむろしておる学生達と汗をながして、砦を作って、お好み焼き食べるのも、悪くないなぁ。

御所の森遠望

御所の森遠望
 そうそう。百万遍には砦を観に行ったわけじゃなくて、ひさしぶりの「おしごと」だった。途中、ふと窓をみてみたら、京都の西が遠望できた。これは多分御所なんだろう。高山彦九郎さんのように、土下座して遙拝したわけじゃないが、「この会議室、見晴らしがよいな」と気がついた次第。(地図

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2005年7月 8日 (金)

「チャングムの誓い」と丸薬

 風呂からあがって、さて眠ろうかと思ったら、この一週間近くMuBlog をおやすみしていたことに気づいた。
 気づいては居たのだが、脳が見ないふりをしていたのは確実だ。
 で、気に入ったドラマのことを書きたくなった。

 この毎週木曜日は珍しく確実にNHKのBS2を見ている。タイトルにあるように、韓国の連続TVドラマである。
 もう10回以上は見ていることになろうか。途中からである。チャングムというヒロインが宮廷陰謀に巻き込まれ、ヌヒとして韓国南部の海に面した田舎に流されていて、そこで怖いお姉さんと突っ張りあいながら、医術を学び宮廷にもどり、今は皇后や皇太后の病気を治す立場(医女見習い)にまで、戻っている。
 もともとは宮廷の女官で、有力な尚宮(さんぐん?)に仕えていて、料理の才能をもっているヒロインだ。しかし、その最初の部分は見ていない。宮廷生活の総てが終わって流され、鬱屈した日々を送るところが初見だった。後日再放送もあるらしいので、楽しみだ。

 韓国の人は怒るだろうが、毎回みていて、つくずく韓国と日本とは顔立ちが似ていると思った。そりゃむこうからすれば「にっくき日本人と一緒にされてたまるかぁ」と、なるだろうが、それにしても、雰囲気まで似ている。
 まったく違和感がない。
 Muは先頃日本の女性達がいれこんだ韓国男優のようには、ヒロイン・チャングムも、関係女優もみていない。ただ、おどろくほど美しい女性が多くて、そして、ヒロインはちょっと田舎っぽい優等生風で、まさに日本映画を見ている感に深々と沈む。

 韓国料理は嫌いではないが、焼き肉以外は大抵お腹がいたくなる。おそらく、Muの蒲柳質(笑うな)にはきつすぎるのだろう。ところが、ドラマの中で、チャングムや敵役の女優が包丁を握り、鍋のふたをとり、様々な薬味をまぜていく様子をみていると、その手さばき、流れるような調理に、いつしかうっとりする。そう、うっとりする、これが正確な表現だ。

 料理人、医女、いずれも天才クラスの能力を持つチャングムの、聡明さには感に堪えない。
 また、この原作者はこれが処女作らしいが、どうしてこんなに毎回はらはらどきどき、かつ、謎を沢山おりこめるのだろうかと、ため息をつくばかり。

 皇太后が長い病気に伏している。わがままだが、気性はすっきりしている。好き嫌いは激しい。韓国ドラマで「ニンニクが大嫌い」というセリフを聞いたときは、呆然としたが、ともかく嫌いである。しかも医者の診断では、ニンニクなどを食さぬと、体力が戻らず、他の療法をつくしようがない。そこで宮廷医女見習い・チャングムは工夫する。ニンニクを茶の葉っぱと一緒に蒸して、他の果実や米の粉とまぜて団子にする、……。「おいしい」と、貫禄ある皇太后が呟く。

 と、そういうチャングムの機知、聡明さ、人なつこさが、毎回毎回あり、まったく飽きずに、新鮮である。
 難題は次から次へとくりかえし押し寄せてくる。それを、次から次へと跳ね返していく。
 爽快である。

 どうも、ドラマはこれから終盤のようだ。佳境といってよい。また来週も木曜の夜になるとBS2にスイッチを入れる。最近のセリフでよかったのは、師匠の医務官が聡明なチャングムを諭す「医女は聡明であるよりも、物事に深い人間であれ」という意味の言葉だった。
 うむうむ。「司書は聡明であるよりも、深い洞察をする者であれ」と、Mu言う(笑)

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2005年7月 3日 (日)

NHK義経(26)一ノ谷前夜

承前

 西海の平氏は三種の神器と安徳天皇をたてまつり、兵十万、摂津は一ノ谷に布陣する。援軍は阿波の水軍。一方都の源氏は範頼(のりより)、義経兄弟と六万の兵。この年1184年寿永三年、一月義仲征夷大将軍、朝日将軍、旬日を経ずして敗死、同二月一ノ谷の決戦となる、その前夜が今日の「義経」だった。

女が幾人もでてきた。
 巴、靜、うつぼ(あづみさん)。前二者は実在なれど、うつぼは義経の数ある恋人達のひとりのタイプであろうか。
 夏木マリ(丹後局)、政子、磯禅尼(靜の母)、時子。大姫(義高の幼妻)
 この中で、巴、靜、うつぼの三名がいずれも丸顔(うつぼはやや四角)、目が大きく、小柄に見えるところに今回の義経の面白さを味わった。総じて可愛らしい。なんとなく演技も丸みを欠き、ぎくしゃくしている、それが良い。芸達者が多い年輩女優に混じって、軽い違和感をもたらすこういう若い女優達こそ、「義経」の現代解釈として楽しんだ。
 今夜の巴の汚れ役はよかった。
 靜の静かな語り口が耳から離れない。なによりも烏帽子水干姿はいつみてもよい。
 うつぼの涙は上手だった。
 靜とうつぼとの対決は、義経が都育ちである故にこそ、稀代の舞姫靜に傾くのはいたしかたない。

男達。
 言及を出来る限りさけてきたが、梶原親子は今後も目を離せない。父景時(かげとき)は義経を失脚させて、頼朝死後は一族滅亡する。息子景季(かげすえ)は、父とは別に義経に好意的にえがかれている。宇治川の先陣争いは描写されなかったが、文武にすぐれた若武者だったようだ。
 しかし義経の近未来を思うに、あれだけ梶原景時の讒言にあい、頼朝の猜疑と憎悪をまねき、なお延々と奥州にまで生き延びた生命力には感心する。
 なぜ梶原父子への言及をさけ、今後も筆にしたくないかというならば、現世への「あきらめ」があるからである。どのようにしても、義経と梶原景時とは反目しただろうし、いかようにしても頼朝は景時を重んじたであろう、その摂理への絶望感からである。この世で出会ったのが地獄の一丁目。そんな、諦観がある。
 Muが景時ならば、なんとしても義経を排斥するだろう。組織の異分子だから。
 Muが義経ならば、景時を侮蔑し、無視するだろう。世界観の異なる男だから、故。

さて附録
 義経は丹波路を、篠山、社(やしろ)経由で南進し一ノ谷の背後に迫った。
 両地とも懐かしい山国である。
 篠山は城跡に大広間が再建され、よく整った美しい町だ。旧家老屋敷も整備され残っていた。蕎麦がまことに美味しい町だった。
 社は、事情で一年間住んでいた。よい町だった。
 この二つの村を義経が主従と走り抜けた。我が身に合わせ思い起こすなら、呆然とする歴史である。

参考サイト
 美しい町です:篠山
 懐しい町です:社町

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2005年7月 1日 (金)

雑記帳

1.四条南座の道をはさんで北にある「とんとん来」で叉焼麺を昼にとった。750円。なんとなく、中毒患者のような気分になって、気がついたら京阪電車に乗って、四条に降りていたという、珍しい日だった。食べ終わったら、ほっとして、動悸が収まった(笑)。

2.四条から三条まで歩いた。曇空だったので暑くはなかった。途中河原に降りて三条大橋を写そうとしたが、なにかしらブレーキがあって、止めておいた。今日は京の写真を撮りたくなかったようだ。

3.ブックファーストまで行って図書を購入した。いつも立ち寄る文芸部門には目もくれず、気分に従って自然に自然科学読み物のコーナに立っていた。

4.講談社の『恐竜のからだ』をまず買った。立体図書なのだが、恐竜の外皮から骨格、内臓まで、ページをくるたびに立体模型の断面が変わるという優れものだった。4千円ほどしたが、それだけの値打ちがあった。

5.ことのついでにランダムハウスの『考える脳 考えるコンピュータ』も買った。これはすでに7割読んでしまった。和図書は購入日に読むのが一番良い。

6.実は、この上記図書テーマ「真の知能」の読書感想を書くつもりだったのだ。だが、まだ7割しか読んでいないし、それに事が重大すぎるので、日時を少しおこうかと考え出した。ひょっとするとこの図書は21世紀初頭の、人類史に残るものかもしれない。コンピュータの図書ではない。脳の図書である。そして、それは人類に新たな「知能機械」をもたらす可能性がある。これまでの人工知能観に、もしかすると、大激変をもたらす図書かもしれない。
 キーワードを一つ選ぶと、「記憶による予測の枠組み」となろうか。

 人間の脳はコンピュータではなくて、記憶装置である。経験によって蓄積された記憶を、思考や行動の前に、次々と呼び出し、予測する。どの予測にも当てはまらないとき、異変を察知する。そして記憶内容には普遍性がある。つまり、黒い猫も白い猫も「猫」と見なす概念が形成されている。その概念、イデアと現実の眼前の猫とを比較し判断していく。それがまた記憶されていく。大脳新皮質に。
 人は考えたり行動したりする前に、すでに予測している。これまでのコンピュータによる人工知能にはこういう「枠組み」がない。
 ……。
 と、書けばたいしたことにも思えぬかも知れないが、どうにもこうにも、目から鱗が落ち続ける思いがする。残り三割をどのように読むか、思案している。Muは、余生の考え方過ごし方を一変させるほどの図書に今日邂逅したのかもしれぬ。いささか、読書中、冷や汗がでていた。
 ……。
 最近、科学読み物に接する機会が増えてきた。記していないが、遺伝子関係の読書も何冊か終わっている。もともと、科学少年だったのだから、先祖返りしているのかもしれない。

7.締めは、三条北ビル地下のコジャックで、ダッチ珈琲のアイス。これは馥郁としておいしい。いつもなら、貴船鞍馬ハイキングの老若男女団体さんであふれているのだが、今日は落ち着いて、あじわった。珈琲というのは、巨大なサイホンみたいなもので、長時間かけて水出しすると美味しいようだ。

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