てらだやのうち:寺田屋の内
寺田屋(京都市伏見区南浜町)極詳細地図
昨年(2004)、京の伏見が新撰組で真っ盛りの夏に、寺田屋を外から見ておりました。それから約10ヶ月、この6月、今度は「内」から眺めてみました。
内から観た看板
二階の客間
天井は結構高いのですが、鴨居が低いですね。170センチあるとぶつかります。刀を振り回すのはつらいところです。そんなことを考えて、部屋をながめていました。
風呂桶・湯浴み図・中庭・龍馬像
復元図
江戸時代の上方と江戸の船宿の違いは分かりませんが、Muの印象は池波正太郎さんの影響なのか(仕掛人梅安、鬼平犯科帳)、船宿といえば大抵こていな料理屋で、盗人宿(ぬすっとやど)が相場でした。しかし、この寺田屋は、諸藩脱藩浪人とか、薩摩過激派とか、ちょっと歴史の味わいが異なります。けれどパンフレットを読んでいると、二時間単位で数十名の客が一休みするところでもあったようです。もちろん何割かは泊まっていったのでしょう。
「寺田屋」
ここは、京都伏見の、そして、日本の名所だと思いました。
もちろん、そばには伏見港があったのです。
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コメント
船宿
淀川を下るときにここで、切符を買い、飯を食べて船を待つ、御酒を飲んだりして2時間程度過ごすんですね。
現代の東京駅ステーションホテルやね。
江戸時代には栄えた港町だったんですね。
投稿: jo | 2005年6月24日 (金) 13時42分
joさん、2005年6月24日 午後 01時42分
すると。船宿というのは、宿泊もできるが、むしろ船待ち、あるいは船から下りて休憩所、そういう機能が大きかったわけですかね。
ああ、ああ知らなんだ、知らなんだ。
Muは、てっきり盗人宿、逢い引き宿、と知らぬ間に思いこんでいましたで。池波正太郎先生も、ひどい誤解をMuに植え付けてしまったもんです(笑)
投稿: Mu→Jo | 2005年6月24日 (金) 14時00分
Muさん
江戸の鬼平の世界は屋形船の船宿ですね。
これは、今のファッションホテル?連れ込み旅館?の船版ですね。
二人で怪しい時間を過ごして、何処かの岸で下船する。優雅な世界ですね。
伏見にもこのような、怪しげな船宿も沢山、存在したんでしょうね。
江戸時代の岡場所として、深草、橋本、中書島、有名ですよね?その頃、生きてないので、知りませんけどね。
投稿: jo | 2005年6月24日 (金) 15時00分
jo さん、2005年6月24日 午後 03時00分
わかった、よめた、理解した。
江戸の隅田川の屋形船は遊覧遊興が主だったわけで、そこでの船宿は、遊覧のための基地局だったんでしょうね。料理や酒を手配して船に乗せたり、芸者さんを待たせたり呼んだり。うむ。
一方、伏見寺田屋は、船宿というても、淀川往復(京・大坂)の「駅」「港」そのものの機能を果たしていたわけですね。
他方、つい横に中書島。ありますね。
昔は、遊郭ですかいね、Joさん。
これはこれで、また屋形船タイプ船宿とも連携していたわけでしょうなぁ。
人間の工夫というか、想像以上にこまかく手はずが整えられていた。いや、まったく、感心感心。
まあ、Muがその時代に生きていても、ねぇ、ちょっと飲んで船に乗っただけで、大下戸のかなしさ、げろげろとカエルになってしまって、楽しむどころか、冷や汗、地獄の責め苦状態。
悪酔いと船酔いなんて、想像するだに、恐ろしい(笑)
投稿: Mu→Jo | 2005年6月24日 (金) 15時22分
先生、
私はここへ何度足を運んだことか、、。
なんだか懐かしいような気さえします。
来月16日より、京都国立博物館にて
坂本龍馬生誕170年記念の催しがあります。
知人よりチケットを頂いたので、友達と行ってみようと思っています。
投稿: 羊 | 2005年6月24日 (金) 18時39分
羊さん、2005年6月24日 午後 06時39分
この記事、お目につきましたかぁ。
はいはい。
Muも記事投稿時に、過去関連記事やコメントをみていたら、たしかに先年、羊さん御用達の寺田屋コメントがありましたね。
また行かれればよいのでは。MuBlog には寺田屋近辺の、小粋なお昼どころも掲載してありますので、参考になさってください。「黄桜」は近々掲載します。
龍馬展が7月に国立博物館であるのですか。出不精のMuだから、お約束は出来ませんが、もし行ったら記事を書きます、どうぞお楽しみに。
追伸
Muは、特別展もそれなりに好きですが、なによりも、博物館は「常設展」がよいです。そうして、京博のそれは、なかなかに好ましい一つです。
投稿: Mu→羊 | 2005年6月24日 (金) 18時52分
龍馬の手紙
京都国立博物館で坂本龍馬展を見たのはいつだったっけ?
と、ふうてん老人日記を見ますと(2000年7月30日 三都物語篇)に出ていました。
中で龍馬の手紙の字に感嘆していますね。
龍馬の手紙(といっても長い巻紙)、まだご覧になっていないようだったら是非一見をお勧めします。
投稿: ふうてん | 2005年6月24日 (金) 23時04分
ふうてん爺さんや、2005年6月24日 午後 11時04分
読みましたで、2000年7月30日。
なかなかに、昨日のことのようで感無量でした。
不思議なのは、Muはあのころと感性や経験がまったく変化していない。昨日のことやで、といわれても「そうですな」と、言ってしまいそう。
おお、ハモの季節、いわがきも。
で、龍馬と桂さんの文字を比較しているのがおもしろいね。今度の龍馬展でそういう見物があるかどうかはしらねども、そこまでふう爺さんに言われると行かざるを得ぬ。
行ってこの目で龍馬さんの文字を見てみましょう。
ふう爺さんも、どうかえ?(笑)
投稿: Mu→ふうてん | 2005年6月25日 (土) 00時15分