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2005年6月23日 (木)

てらだやのうち:寺田屋の内

承前

寺田屋(京都市伏見区南浜町)極詳細地図

 昨年(2004)、京の伏見が新撰組で真っ盛りの夏に、寺田屋を外から見ておりました。それから約10ヶ月、この6月、今度は「内」から眺めてみました。

内から観た看板

寺田屋の看板
 昨年は外からこの看板を写しました。今年は二階から観た外の風景、真っ先に同じ看板が目に入ったのです。写し終わって不思議な気持になりました。こういう風景は龍馬も西郷さんも見たことでしょう(当時の大看板は板だった)、そして多くの現代人、独り者、カップル、好事家も眺め、通り過ぎていったことでしょう。そういう幾万の人々の眼差しと、Muの眼差しとが交差、いや重なったような気持になりました。

二階の客間

寺田屋の二階客間
 写真のメモに旅籠(はたご)寺田屋の詳細をしるしておきました。龍馬さま起居の部屋は、ありがたくて、もうしわけなくて、写しておりません(禁欲的ですなぁ)。その部屋以外は、この写真の部屋も、他の小部屋も素泊まりができるのです。外から見ると小さな旅籠なんですが、二階に上がると大小いくつもの明るい部屋があります。畳がどれも綺麗です。泊まる人も、ちょっと緊張してるのでしょうか、掃除が行き届いているのでしょうか、清潔でした。
 天井は結構高いのですが、鴨居が低いですね。170センチあるとぶつかります。刀を振り回すのはつらいところです。そんなことを考えて、部屋をながめていました。

風呂桶・湯浴み図・中庭・龍馬像

寺田屋の内
 人のいないところばかり写してしまいました。カップルばかりが六組ほどいて、写真を写せない状態だったのです。もし写しても、申し訳なくてネットには掲載出来ませんからね。寺田屋は団体さんが押しかけるのはちょっと無理ですね。単独か、カップルか、せいぜい少人数のグループに似合っています。

復元図

寺田屋復元図
 パンフレットから興味深い図を引用しました。この復元図と大きな違いはなかったです。ただ、一階の東側(写真手前)の漬け物大樽なんかは、壁になっていて見あたりませんでしたが。
 江戸時代の上方と江戸の船宿の違いは分かりませんが、Muの印象は池波正太郎さんの影響なのか(仕掛人梅安、鬼平犯科帳)、船宿といえば大抵こていな料理屋で、盗人宿(ぬすっとやど)が相場でした。しかし、この寺田屋は、諸藩脱藩浪人とか、薩摩過激派とか、ちょっと歴史の味わいが異なります。けれどパンフレットを読んでいると、二時間単位で数十名の客が一休みするところでもあったようです。もちろん何割かは泊まっていったのでしょう。

 「寺田屋」
 ここは、京都伏見の、そして、日本の名所だと思いました。
 もちろん、そばには伏見港があったのです。

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コメント

船宿

淀川を下るときにここで、切符を買い、飯を食べて船を待つ、御酒を飲んだりして2時間程度過ごすんですね。

現代の東京駅ステーションホテルやね。

江戸時代には栄えた港町だったんですね。

投稿: jo | 2005年6月24日 (金) 13時42分

joさん、2005年6月24日 午後 01時42分

 すると。船宿というのは、宿泊もできるが、むしろ船待ち、あるいは船から下りて休憩所、そういう機能が大きかったわけですかね。
 ああ、ああ知らなんだ、知らなんだ。
 Muは、てっきり盗人宿、逢い引き宿、と知らぬ間に思いこんでいましたで。池波正太郎先生も、ひどい誤解をMuに植え付けてしまったもんです(笑)

投稿: Mu→Jo | 2005年6月24日 (金) 14時00分

Muさん

江戸の鬼平の世界は屋形船の船宿ですね。
これは、今のファッションホテル?連れ込み旅館?の船版ですね。

二人で怪しい時間を過ごして、何処かの岸で下船する。優雅な世界ですね。

伏見にもこのような、怪しげな船宿も沢山、存在したんでしょうね。

江戸時代の岡場所として、深草、橋本、中書島、有名ですよね?その頃、生きてないので、知りませんけどね。

投稿: jo | 2005年6月24日 (金) 15時00分

jo さん、2005年6月24日 午後 03時00分

 わかった、よめた、理解した。
 江戸の隅田川の屋形船は遊覧遊興が主だったわけで、そこでの船宿は、遊覧のための基地局だったんでしょうね。料理や酒を手配して船に乗せたり、芸者さんを待たせたり呼んだり。うむ。

 一方、伏見寺田屋は、船宿というても、淀川往復(京・大坂)の「駅」「港」そのものの機能を果たしていたわけですね。

 他方、つい横に中書島。ありますね。
 昔は、遊郭ですかいね、Joさん。
 これはこれで、また屋形船タイプ船宿とも連携していたわけでしょうなぁ。
 人間の工夫というか、想像以上にこまかく手はずが整えられていた。いや、まったく、感心感心。

 まあ、Muがその時代に生きていても、ねぇ、ちょっと飲んで船に乗っただけで、大下戸のかなしさ、げろげろとカエルになってしまって、楽しむどころか、冷や汗、地獄の責め苦状態。
 悪酔いと船酔いなんて、想像するだに、恐ろしい(笑)

投稿: Mu→Jo | 2005年6月24日 (金) 15時22分

先生、
 私はここへ何度足を運んだことか、、。
 なんだか懐かしいような気さえします。
 来月16日より、京都国立博物館にて
 坂本龍馬生誕170年記念の催しがあります。
 知人よりチケットを頂いたので、友達と行ってみようと思っています。

投稿: 羊 | 2005年6月24日 (金) 18時39分

羊さん、2005年6月24日 午後 06時39分
 この記事、お目につきましたかぁ。
 はいはい。
 Muも記事投稿時に、過去関連記事やコメントをみていたら、たしかに先年、羊さん御用達の寺田屋コメントがありましたね。
 また行かれればよいのでは。MuBlog には寺田屋近辺の、小粋なお昼どころも掲載してありますので、参考になさってください。「黄桜」は近々掲載します。

 龍馬展が7月に国立博物館であるのですか。出不精のMuだから、お約束は出来ませんが、もし行ったら記事を書きます、どうぞお楽しみに。

追伸
 Muは、特別展もそれなりに好きですが、なによりも、博物館は「常設展」がよいです。そうして、京博のそれは、なかなかに好ましい一つです。

投稿: Mu→羊 | 2005年6月24日 (金) 18時52分

龍馬の手紙

 京都国立博物館で坂本龍馬展を見たのはいつだったっけ?
と、ふうてん老人日記を見ますと(2000年7月30日 三都物語篇)に出ていました。

 中で龍馬の手紙の字に感嘆していますね。
龍馬の手紙(といっても長い巻紙)、まだご覧になっていないようだったら是非一見をお勧めします。

投稿: ふうてん | 2005年6月24日 (金) 23時04分

ふうてん爺さんや、2005年6月24日 午後 11時04分

 読みましたで、2000年7月30日。
 なかなかに、昨日のことのようで感無量でした。
 不思議なのは、Muはあのころと感性や経験がまったく変化していない。昨日のことやで、といわれても「そうですな」と、言ってしまいそう。
 おお、ハモの季節、いわがきも。

 で、龍馬と桂さんの文字を比較しているのがおもしろいね。今度の龍馬展でそういう見物があるかどうかはしらねども、そこまでふう爺さんに言われると行かざるを得ぬ。
 行ってこの目で龍馬さんの文字を見てみましょう。
 ふう爺さんも、どうかえ?(笑)

投稿: Mu→ふうてん | 2005年6月25日 (土) 00時15分

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