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2005年6月12日 (日)

足利義政/ドナルド・キーン

銀閣寺:慈照寺(京都市左京区銀閣寺町)マピオンBB地図、its-moGuide(詳細

足利義政/ドナルド・キーン

足利義政/ドナルド・キーン
 まだまとまらないのだが、一応記しておく必要がある。
 キーンによれば、現代日本のこころ、というイメージの総体は、すべからく足利義政の芸術家としての素養がもたらしたものと、なる。建築、造園、絵画、陶芸、茶、華、能。そして途絶えはしたが、連歌。
 政治、軍事、政(まつりごと)には無能そのものだった義政が、東山文化と称される芸術芸能の総体に対して、完全な影響力を発揮したと、結論している。
 そして、それらが日本のこころとして現代に定着していることを、この図書は示した。
 「史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。」
 ドナルド・キーンは、最後の一行で、完膚無きまでに言い切った。

 このことの結論に、同意する反面、不承知の念がふつふつとわき上がる。しかし、私がこのblogに掲載する対象は否定的なものを避けている。否定するものに時間をとる愚は犯したくないからである。ということは、キーンのこの図書に深い感銘と、そして影響を受けたことをここに記録することを、恥とはしない。
 なにが不承知か。
 それはつまり、現代に生きる私が、決して、日本のこころとされる、茶や華や能や美術や建築に、満腔の賛意を示してはいないという現実感からくるものである。
 一言でもうせば、「嘘っぽい」。
 規範のしがらみに、一体なにをやっているのか、と心底からどなりつけたくなることが、多々ある。しかし、キーンは言う。茶であれ、連歌であれ、禅風作庭であれ、締め付け、規範、ルールがあることによって道を究めた側面を忘れるな、と。たしかに、うべなう。
 規範あってこそ、文章も書けるし、言葉も話せる、社会にも気楽に生きることができる。

 なお、ふつふつとわく。
 規範の種類が私には気にくわない、そういうことだったのだ。
 これは、私が青年期初期から保田與重郎に親しんできた影響もあるが、影響というのは、受容する資質があってこそのもの。その資質とは、……。それはおくにしても、つまり保田は禅風を極端に嫌った。茶であれ華であれ、今にして思えば、能であれ、中世文化を極端に嫌った。好んだのは、万葉集と、新古今和歌集と、芭蕉だけだった。さらに保田が桃山文化を賛美したのは、今となっては、当時未生この図書への皮肉とさえ思える。

 と、いまここで私を分析・反省するに、保田を持ち出してもしかたない。
 保田は日本に対する原理主義だったんだろう。謡曲にいたっては、古典を切り貼りして綺麗にしたつづれ錦と言った。よくわかる。大本がつねにある。
 当時の枯山水、(あるいは書院造にしても)もってまわった禅風ぷんぷんのものであると、言い切る人があっても不思議ではない。
 作り物の、飾り物の芸術。保田はそう言っている。
 そういう話を20代前後に聞いてしまうと、人間、物の見方が変わってしまう。
 私も時に、現代の日本的諸芸術、諸芸能に接すると、名状しがたい違和感が身内に湧く。
 「うそ、でしょう?」と、呟いてしまう。

 ……

 そこまで記した上で、なおキーンを尊敬する。この図書は名著であると断じる。もちろんキーンは先人の力を肥やした面もきっちり記している。それは『東山文化』(芳賀幸四郎、河出書房、1945年)のようだ。私は、芳賀については未知だった。
 なぜ名著と思ったかは、読後も、この図書の内容が「今後も、考えていかねばならない」という、想念を身内に残したからである。もう幾度か、考えてみよう。私は、確かに書院造のような家に住んでみたい気もするから。キーン描くところの、晩年の義政の日常や遊興や、気持がよく理解できたから。
 それだけ、キーンのイメージ喚起は強力だった。

参考サイト
  銀閣寺 [室町幕府八代将軍 足利義政 東山文化]
  金閣寺 [室町幕府三代将軍 足利義満 北山文化]
  今熊野神社 [三代義満時代、観阿弥、世阿弥父子が演能。以後観世流隆盛]

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コメント

Muさん

なんとなく、ですが、日本という列島の住民は海の彼方から色んな、新しいものの漂着物を拾い上げ、それを、そのままではなく、又、新しいものを作り上げてきた歴史ではないでしょうか。

室町幕府も殆ど崩壊に近い状況で、父も暗殺され将軍になる。実権は富子と管領が行い、徳政令を十数回も出す。

もはや、既存の価値観と政治概念では立ち行かない状況で、応仁の乱。

こんな、激動を経験した将軍も珍しい、日本を一度、ゴワサンにして出直す、時期の始発に存在したと、理解しましょう。

東山殿としてなされたことは、結果論ですが、その後の戦国時代でのあらゆる価値観のゴワサンと新しい日本を作る躍動感を導いた訳ですね。

東山文化というものは、もっと知りたくなりました。

投稿: jo | 2005年6月12日 (日) 22時32分

joさん、2005年6月12日 午後 10時32分

 本文掲載とは別に、書かれていることの一々は目新しくないのですが、結局、義正が当時の文化人、文人墨客、多くの芸術家にとって、最大のパトロンだったという論に導く筆致は、キーン爺さん、やはりすごいなぁ、と思いました。

 義正が、庭一つ造るのにどれほどの執念を燃やしたか、金も権力もほとんど無くなった状態で、それでもひつこく、くどく、大名や寺社仏閣をおどしたり、すかしたりして、なしとげるのですね。

 キーンの描く義正は、最悪駄目男、凡愚であると同時に、鬼気迫る芸術(というかどうか、美的な世界構築でしょうか)志向に満ちた爺さんなんですよ、これが。

 義正が、庭を造るのに最下層にあった技術屋さんをどれほど大切にしたことか。絵であれ、なんであれ、ものすごく気弱なあほな義正が、こと美的なことになると、まるで信長になるんです。周りの意見なんか、完璧に無視して、成し遂げるのです。あっけにとられます。

 いやはや。たった7年間ほどの晩年に、その後の日本美学千数百年の基礎を築いた足利義政。キーンの説は、おおよそ、正解なんでしょう。

(ただ、別の世界も日本には、源流として、あるいは伏水として、あるということは、この図書になかったけどね)

投稿: Mu→Jo | 2005年6月13日 (月) 08時21分

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