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2005年6月 5日 (日)

NHK義経(22)平家都落ち

承前

 平家はなぜ滅亡していったのか。それも短時間に。あまりに急転直下のことなので、Muにもよくわからない。都から、木曾殿討伐に十万の軍を差し向けて、七万を失い、京にもどった。計算では三万残ったことになるが、精鋭が壊滅したことの意味は重かったのだろう。
 今夜の終盤、木曾殿が比叡山に五万の軍を敷いたとき、平家は浮き足だった。守りに弱い王城。都には七つの出入り口があると聞いたが、それはつまり塀も濠もない、フリーパスで出入りできるのが千年京都だったのだろう。
 思い返せば、不思議な都である。
 この後、屋島に行き着くまでの平家道行きに義経が同行することになる。もちろん戦しながらのことである。
 それはおくとして。

鹿蒜地区絵図と燧ヶ城(かひるちく・ひうちがしろ)

鹿蒜絵図と燧ヶ城
 先年福井県南条郡今庄町大桐へ法事に出かけた際に、地図で、ある地名を見た。それをいままで忘れつつ思い出しつつ、やっとここまできたのだが、意外にあっさりと義仲軍は琵琶湖に入ってしまった。じつは義仲はこの地に山城をつくったようだ。それが大桐の近くだったことが、ずっと頭に残っていた。参考サイトの写真では、今庄町が眼下に見られる要衝の地だったようだ。
 そんな逸話もすっとばして、義経主従が琵琶湖の東岸から西岸の比叡山をみる場面が荘厳だった。この比叡山と義仲は、短期間ながら手を結んだ。

 平家の敗走はなんだったのだろう。破竹の軍神義仲公に力がありすぎたのか。やはり亡き重盛の長男では格がちがっていたのだろうか。このあたりは、もしも木曾殿が中心ならばもっと緻密にえがかれたろうが、それはそれとして、平家はもはや戦のできない武家になっていたのか、あたかも幕末の武士達のように。

 今夜の見どころは、知将平知盛(とももり)と妻の明子との語りであろうか。この段階で、知盛は妻「明子:あきらけいこ」に総てを託す。このこと、後日いかなることにあいなりますことやら、ずっと先のお楽しみ。

 附録として、石清水八幡宮の解説があった。しかし今夜は地元のJoさんも不在のよし、参考サイトだけにしておく。

参考
  越前燧ヶ城
  石清水八幡宮

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