またりん翁、さようなら
昨夕(2005/06/27 夕方6時ころ)、あしかけ18年同居していた第三子「またりん」君が永眠した。
いつも一日中よく眠った猫君だったが、もう起きない。
昨年末から昨夕までの経緯、そもそも木幡研に育った経緯、やまなす記憶はあるが、今は記さないでおこうと思った。
なによりもかによりも、私自身の余生の中でまたりん翁はいつも若々しい「またちゃん」になって生き続けていくのだろう。
第四子は不要と心底思った昨夜だった。
<記憶に残るまたりん翁の残映>
2004/11/09(火)猫宝
なに思うのか、またりん君
またりん
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コメント
ご愁傷さまでございます。
またりん君にとっては、Muさんの温かなご家族の方々に見守られて天寿を全うできたことは、幸せだったと思います。
今度はまたりん君が、天国からMuさんたちご一家の幸せを祈っててくれることと思います。
投稿: wd | 2005年6月28日 (火) 09時41分
ご愁傷さまです。
18年とは長寿ではないでしょうか?大往生となりますかね?
何時も家族の一員として存在していたものが、突然にいなくなると寂しさに襲われますね。
先日、友人も愛犬を亡くしたそうです。お寺で葬式をしたそうです、(お寺の一角に犬猫の葬儀施設がある所があるそうです)。
動物は寿命があるので、辛いです。元気をだして下さい。
投稿: jo | 2005年6月28日 (火) 11時35分
Wdさん、
Joさん
ごていねいに有りがとうございます。
長く生きてくれました。
猫と同居も一代限り、の思いが深いです。
……
投稿: Mu | 2005年6月28日 (火) 15時07分
同じく猫を深く愛する者として、お気持ち察するに余りあります。かの君のことを思い続けることが、一番の供養になるでしょうか。お力落としのございませんように。
投稿: morio | 2005年6月28日 (火) 23時27分
コメントが書きにくいです
18年間も一緒にいた同居人が死んだ、という記事にはコメントするのが難しいですね。
両親の死を身近に見て、(死)こそが生き物の最大の出来事だと思うからです。
<記憶に残るまたりん翁の残映>
2004/11/09(火)猫宝
なに思うのか、またりん君
またりん
で、彦さんと(犬と猫と)との付き合いの歴史を改めて知りました。
犬が大好きだったのに(だまし)につながっている。
・・・・。
それからいきなり(またりん)との付き合いを語られていますね。
(またりん)と、どういう風に出会ったのか、は見受けられません。
どこかに語られているのでしょうか。
JOさんは犬派で当方は猫派であることは明らかなのですが、彦さんが、猫が好きなのか犬が好きなのかは、まだ十分には語られていないと思います。
それにしても、(またりん)は本当に美しい猫だったのですね。
夷の地から、
(合掌)
投稿: ふうてん | 2005年6月29日 (水) 02時07分
morioさん、2005年6月28日 午後 11時27分
またりん君のことでは以前morioさんの知恵を拝借しましたね。
結局、先年末に顎を痛めたまま食が細り、最近は時折の点滴で回復していたのですが、先週の点滴では改善が認められず、終日元のねぐらで眠る日が続き、日曜には諦め、月曜の夕方に事切れておりました。
急激な死ではなく、心の準備を十分にあづけてくれました。
「元のねぐら」とは、以前から一週間単位で居場所を変える性癖がありましたが、原点はソファ前だったのです。最近は、ずっと数週間、真っ暗な風呂場にうずくまる日だったのです。
投稿: Mu→Morio | 2005年6月29日 (水) 05時01分
ふうてんさん、 2005年6月29日 午前 02時07分
始まりがあって終わりが来ることを、Muの人生の18年間という長い重なりの中で味わいました。
犬族との関わりは、幼稚園と小学校低学年だけでした。
その後、Mu40歳後に、猫族またりん君を、知人夫婦からいただいたのです。Muの人生には珍しく、血統書付きで、父、祖父がコンテスト「チャンピオン」だった名門のチンチラ猫だったのです(笑)。Muが三流ならば、またりん君は一級、一流でありました。
というわけで。
Muは完全な「猫族人間」とお考え下さってよろしいです。
またりん君は無音の生命体でした。それがよかったですね。この十数年間の思い出として、気配を察知して居場所を特定するには、Mu自身が猫族にならないと無理な日々がありましたなぁ。
無音。無臭。これが印象深いです。
さまざまなエピソードを今記す気力はないのですが、実に高貴、上品な猫族でした。
またいつか、若き日のまたりん君のことを記録していきます。
投稿: Mu→ふうてん | 2005年6月29日 (水) 05時26分
先生、
心よりお悔やみ申し上げます。
家族が居なくなるのは本当に淋しいものですね。
私も妹のように可愛がっていたポメラニアン犬が亡くなったとき、ショックが大きかったです。
12年生きましたので、まあ長生きな方です。
心臓が悪いと分かって、もうあまり長くないという覚悟ができていても、
居なくなったことはなかなか受け入れられませんでした。
でも、家族みんなに愛されて彼女は幸せだったと思っています。
またりん翁さんも、きっと家族に愛されて幸せだったと思います。
投稿: 羊 | 2005年6月30日 (木) 09時56分
羊さん、 2005年6月30日 午前 09時56分
犬も猫も、人類の初期の段階から一緒にすんでいたようですね。
長くいると、相互の意思疎通がはっきりと分かってきますから、言葉はなくても、声や動き、目、いろいろなことで会話しているのがわかります。
Muの場合には純然たる家猫ですから、情報交換は大量にありました。たしかに声かけしても振り向きはしませんが、振り向かないのも会話みたいなものです。
今後は、不在状態で、霊能会話をしていくつもりです。
Muにとっては、此岸も彼岸もおなじ世界。
投稿: Mu→羊 | 2005年6月30日 (木) 14時08分