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2005年6月30日 (木)

PowerMacG5の内部

PowerMacG5

PowerMacG5
 先週の土曜日にPowerMacG5が到着した。昨日夕方起動し、あっさり動いたので今朝は内部を写しておいた。
 システム全体の能書きはアップル社のサイトに詳しい。引用リンクを張ろうと思ったが、来年の今頃は別の機種に変わっていると思うと、無駄な気もしたので、止めておく。
 そしてまた、能書きを読んで、このMacのあれこれ、仕様など記そうとしたが、それも知っている者は熟知、知らぬ人には猫に小判、無意味と思い筆を止めた。

 ここでは構造・間取り程度を記録しておく。

 まず右下にG5マークが二段重ねである。このなかにPowerPCG5が上下二つある。CPU 自体は小さな物だが、ものすごい発熱量なので、アルミ製冷却フィンとかが巨大なのだろう(まだ、見ていない)。G5二段構えの左側には、上下二つの内部ファンがあるが、今は外している。
 はて、ファンとは通例外郭に即してあるものだが、これは機体内部にセットしてある。つまり、上下CPUのケースから出る温熱をそのファンで引っ張り出して、上手に左側にあるファンへ空気の流れを作って、排出する仕組みがある。実は、外してあるのだが、この開口部全面に透明プラスティックで、空気の流れを作るような凸凹のある蓋がしてあって、それが機体内部の温熱の流れを制御している。
 このプラスティックの蓋が見ものなのだが、あいにく写真手技がへたくそで、透明な全容が写らない(笑)。拡大写真の下部にチラリと見えるのだが。

 左下、つまり外してあるファンの奥にメモリーユニットが並ぶ。全部で4つの差し込み口が2グループあるので、8本差し込めるようになっている。Muは昨夕に、すでにある256MBメモリー2本に対応させて、512MBを2本セットしておいた。8GBまで可能なのだが、約1.5GBで留めた(単に、資金問題です)。

 右上に隙間がある。この隙間に将来は500GBほどのSATAタイプハードディスクをセットする予定だが、今は空いたまま。すっぽり差し込んで、右に小さく見えるノブを回して留めるだけの簡単構造、というか、こういうところにときめきを味わう。これだけのマシンなのだから、256GB-SATA単機では可哀想である。

1.ばかでかい。
 おそらくATタイプの大きさだからなのだろう。それにしては、ハードディスを差し込むベイが一つしか空いていない。これは、ひたすら巨熱を冷ますために、機体全体に風の道を付けるため、よけいな機器やワイヤリングを避けたためなんだろう、なぁ。

2.ばか重い。
 おそらく、上記と同じに熱のため、ATタイプの大きさ(現在の日本製winマシンはほとんでマイクロATXとか、それ以下の大きさ)にしたのが原因なんだろう。分厚いアルミシャーシーである。頑丈で熱放散能力があって、空間をとった。20KG、重い。すべては、熱のため、静粛性のため。

3.ばか高い。
 同じ程度の性能を持つwinマシンを2台作れる。しかし性能とは、マンマシン一体の総合だから、ここに高額ということの大きな意味がある。ハードディスク一台を増設するに、自作winマシンなら15分程度かかる(ねじ止め、ワイヤー、調整)、おそらくこの機種なら、2分程度だろう。その差が大きい。
 保守の煩わしさまで想定して、どれだけマシンと一体化できるか、そのメンタルな面で、……。機体内部をイメージしながらマウスを動かす、その時の安定感、軽快感。だから、高くなる。もちろん、dual CPUというのも、高いことに貢献(笑)しているが。

 と、ついついご託をならべたが、Muはこの内部を一目見たとき、よい、とうなずいた。
 このような空間を現代パーソナルコンピュータに持たせるのは、ものすごい勇気が必要である。まず普通のメーカーなら許可されないだろう。だからアップル社なんだと、言ってもよい。

 と、実はこの半分の大きさで、今を去る10数年昔、初代FM-Towns は完成していた。横蓋の開け方もよう似ている。内部のすっきりさ加減も遜色ない。と、おおきなオチとなるのだが。
 ただ、当時のシングル80386CPU、メモリー2MBでは、これほどの熱は発生しなかっただろう。正確には、調べればわかるのだが、このPowerMacG5-CPUは二つ並べると、多分60W電球を二個ぶら下げたほどのものなんだろう。

結論
 PowerPCG5を制御するためにアップル社はこれだけの努力をした。それは、しかし「美」となったと確信できた。
 この内部を見てよだれを垂らさない人は、きっと、一般マシンの内部を見たことがないのだろうな。
 あるいは、また。
 大昔、珍しかったDOHCエンジンの研ぎ澄まされたヘッド部分、その加工と、そこからわき上がる高出力イメージを味わった時と、同じ感慨があった。
 で。
 最後のPowerPCG5マシンシステムの中に、Muは、なにを造り出すのでしょうか(笑)。

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2005年6月28日 (火)

またりん翁、さようなら

 昨夕(2005/06/27 夕方6時ころ)、あしかけ18年同居していた第三子「またりん」君が永眠した。
 いつも一日中よく眠った猫君だったが、もう起きない。
 昨年末から昨夕までの経緯、そもそも木幡研に育った経緯、やまなす記憶はあるが、今は記さないでおこうと思った。
 なによりもかによりも、私自身の余生の中でまたりん翁はいつも若々しい「またちゃん」になって生き続けていくのだろう。
 第四子は不要と心底思った昨夜だった。

<記憶に残るまたりん翁の残映>
  2004/11/09(火)猫宝
  なに思うのか、またりん君
  またりん

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2005年6月26日 (日)

NHK義経(25)木曾殿最期

承前

打出浜(滋賀県大津市打出浜)概略地図

 義仲と巴の最後の獅子奮迅がよく描かれていた。
 武士とは本来このように血なまぐさいものなのだろう。
 政権の固まった幕府にあっては、どのような意味でも武士であることはそぎ落とされる、そして、官僚にならざるをえない。だから、明治時代の建軍にあっては武士がいたが、昭和になっては薩長の残映としての軍人官僚、軍人政治家だけがいたのだろう。

 今夜は久しぶりに深い味わいを得た。
 旭将軍木曾義仲。

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2005年6月24日 (金)

黄桜かっぱカントリー:kizakura kappa country

承前(MuBlog 伏見港界隈の「月の蔵人」)
承前(MuBlog 寺田屋の内)

 キザクラカッパカントリー(京都市伏見区塩屋町)詳細地図

 この「黄桜」のカッパカントリーは何度か訪れています。研究会や倶楽部やその他、来るたびに広々として気持の良いところです。地図を御覧になるとわかりやすいのですが、「黄桜」は最低でも三つの町にまたがっています(他に本社とか、工場とかあるかもしれませんが)。北から、伏見区中油掛町、塩屋町、南浜町。縦に長いのですね。
 もう一つ気がつくことは、すぐそばに「月桂冠」の月の蔵人、「神聖」の鳥せい、とお食事どころが固まっています。もちろん他にもあります。
 そして黄桜を北から南に突き抜けて下がって西に60メートルほどのところに、「寺田屋」があるのです。なんともこのあたりは、伏見港の中心というか、毎週散歩しても飽きないところです。

 さて、キザクラカッパカントリー。幾多の記憶の重層に支えられ、現今の姿をお見せしましょう。時は平成17年、梅雨の合間の六月某日。Mu密やかに遊行せしか、その記録。

三色ビールのこだわり

三色のビール
 このカッパカントリー黄桜酒場を初めて訪れたのがいつだったかは記憶にないのですが、すでに10年は経っているはず。最初の衝撃はこの三色ビールでした。なぜ衝撃だったのか、……。と問われると答えようもないのですが、ビールが三色もあるなんて下戸のMuがこれを見るまで知るわけ無いです。それまでは、普通のビールと、黒ビールしか知らなかった。
 と、書きながらも、「Muさんは、けったいなことに驚くんですな」と耳にこだましそうです。まったく、三色だろうが四色だろうが、そんなに大して驚くほどのこともない。
 さりながら、いまだに人に黄桜酒場を紹介するときは「三色ビール」と言ってしまう。この、こだわり!?

黄桜かっぱカントリー

黄桜かっぱカントリー
 このお店で気に入っているのはアプローチというか、酒場にたどり着くまでの道のりですね。最近は近所の「梅の花・伏見」でもそうなのですが、なかなかたどり着けない。そういう建築設計上の「めくらまし」にMuはころりと参ってしまう。そうして何度それを経験しても、しょうこりもなく「おお、素晴らしい」と呟いてしまう。笑ってしまいますが、これは多分幼児期のお化け屋敷体験がすり込まれているのでしょう。なんとも、洞窟とか、忍者屋敷にでくわすと感動してしまう、いまだに。
 それにこのお店は、店員さんが誘導してくれるので、いつ行っても違う席に導かれ、また新たな感動が生まれる(笑)[世の中こんなに脳天気な客ばかりなら、さぞ商売もたやすいことでしょう]
 で、肝心の御馳走ですが。今回は昼に散歩がてらだったので、さすがに一品料理は夜よりも品数が少なくて、お手頃なお弁当にいたしました。まずまず、でした。ついでに入り口のお土産屋も見てみましたが、「かっぱ」さんのグッズが多かったです。

中庭と酒造展示室

展示室:黄桜かっぱカントリー
 よい気分で食事を済ませて広い境内(笑)というか敷地を眺めると、展示室があるのです。道をまたいで三カ所はあります。こういうところが開放感につながって、またまたMuが好ましく思うところなのです。なんというか、近辺全体が「黄桜」「酒蔵酒造」なんです。さすがに、毎度毎度は観覧しませんが、今度は見て参りました。お酒造りの歴史というのは、文明国にとっては必須のアイテムですね。酒なくして、なんの歴史ぞ人生ぞ、と大下戸の私でさえ思うほどに、この世界は周到に時を経てきたのでありました。

伏水

黄桜の伏水
 ここにも伏水がありました。展示室の中庭にちょろちょろと清水が流れているのです。水の文明でした。
 すでにMuBlog の伏見界隈記事で何度か言及していますが、お酒はお米も大切ですが、それ以上に「水」だと思った次第です。さらに界隈の伏水を常飲していた人の話では「肌がつやつや、ニキビが取れた」とか、その効能はまことに絶大なようです。

 思い起こせば。
 昨年の六月この季節に急逝なすった我が師は、ことのほか「冷酒」が好きでした。Muが「ひやざけ」と連発すると、必ず「れいしゅ」です、とおっしゃった。寿司屋に入っても「にぎり寿司」は絶対に求めず、ただ「冷酒」をお米代わりに飲んでおられた。(お造りと、酢の物が定番でしたなぁ)
 先生。
 ここのところは、黄桜で乾杯、といきましょうか。

参考サイト
  キザクラカッパカントリー(京都で初めての地ビールレストラン)

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2005年6月23日 (木)

てらだやのうち:寺田屋の内

承前

寺田屋(京都市伏見区南浜町)極詳細地図

 昨年(2004)、京の伏見が新撰組で真っ盛りの夏に、寺田屋を外から見ておりました。それから約10ヶ月、この6月、今度は「内」から眺めてみました。

内から観た看板

寺田屋の看板
 昨年は外からこの看板を写しました。今年は二階から観た外の風景、真っ先に同じ看板が目に入ったのです。写し終わって不思議な気持になりました。こういう風景は龍馬も西郷さんも見たことでしょう(当時の大看板は板だった)、そして多くの現代人、独り者、カップル、好事家も眺め、通り過ぎていったことでしょう。そういう幾万の人々の眼差しと、Muの眼差しとが交差、いや重なったような気持になりました。

二階の客間

寺田屋の二階客間
 写真のメモに旅籠(はたご)寺田屋の詳細をしるしておきました。龍馬さま起居の部屋は、ありがたくて、もうしわけなくて、写しておりません(禁欲的ですなぁ)。その部屋以外は、この写真の部屋も、他の小部屋も素泊まりができるのです。外から見ると小さな旅籠なんですが、二階に上がると大小いくつもの明るい部屋があります。畳がどれも綺麗です。泊まる人も、ちょっと緊張してるのでしょうか、掃除が行き届いているのでしょうか、清潔でした。
 天井は結構高いのですが、鴨居が低いですね。170センチあるとぶつかります。刀を振り回すのはつらいところです。そんなことを考えて、部屋をながめていました。

風呂桶・湯浴み図・中庭・龍馬像

寺田屋の内
 人のいないところばかり写してしまいました。カップルばかりが六組ほどいて、写真を写せない状態だったのです。もし写しても、申し訳なくてネットには掲載出来ませんからね。寺田屋は団体さんが押しかけるのはちょっと無理ですね。単独か、カップルか、せいぜい少人数のグループに似合っています。

復元図

寺田屋復元図
 パンフレットから興味深い図を引用しました。この復元図と大きな違いはなかったです。ただ、一階の東側(写真手前)の漬け物大樽なんかは、壁になっていて見あたりませんでしたが。
 江戸時代の上方と江戸の船宿の違いは分かりませんが、Muの印象は池波正太郎さんの影響なのか(仕掛人梅安、鬼平犯科帳)、船宿といえば大抵こていな料理屋で、盗人宿(ぬすっとやど)が相場でした。しかし、この寺田屋は、諸藩脱藩浪人とか、薩摩過激派とか、ちょっと歴史の味わいが異なります。けれどパンフレットを読んでいると、二時間単位で数十名の客が一休みするところでもあったようです。もちろん何割かは泊まっていったのでしょう。

 「寺田屋」
 ここは、京都伏見の、そして、日本の名所だと思いました。
 もちろん、そばには伏見港があったのです。

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2005年6月19日 (日)

NHK義経(24)旭将軍木曾義仲

承前

 法住寺(京都府京都市東山区三十三間堂廻り町)地図

 平家は一旦九州に落ちていたが、盛り返し、一ノ谷、屋島あたりまで東征(笑:最近神武さんのことをまたもや読んでいるので)していた。義仲を追い出すために後白河院は、義仲に平家追討を命じた。その留守中、行家は院の手玉にまんまとノリ、画策したが、平家との一戦にあっけなく破れ河内に遁走した。

 急ぎ帰京した義仲は院の策謀に業を煮やし、僧兵で固める法住寺を焼き討ちし、逮捕監禁した。
 命乞いする法皇への恫喝が「お命はとりませんが、おなじこと。やがて北国へお連れ申します」。
 法皇と夏木マリさんが、死より辛い顔をしたのが印象的だった。
 Muは北陸越前生まれだから、わが心の故郷を一天万乗の君がかくまで怖れ忌む様子にがっくり。

 ~となると。
 もろもろのことを含め、頼朝と手を組もうとした院を法住寺にあぶり出し、旭将軍となった義仲の心中が分かってきた。
 木曽軍の都での乱暴狼藉については、義仲、将として不手際だった。万死に値する。
 しかし実情は飢饉が数年続いており、都の住人も木曽軍も、餓死寸前だったという。また、もともと寄り合い所帯の木曽軍だから、軍規を保つのは無理で、かつまた兵達もつぎつぎと散逸していったようだ。そこから、去年信濃を出でしには五万余騎と聞こえしが、今日四宮河原をすぎるには主従七騎となりにけり、という名文句がうまれたのだろう。おそらく、都を席巻した五十余日間のうち、終盤は木曽軍、千騎にみたなかったはず。
 ……

 さて。
 てをかえしなかえ狼虎同士を競わせ弱体化させていく法皇の手練こそ、都振りの極み。兵なく金なく人無く、ただ弁舌と狡知と、威厳と、そして院宣だけがよりどころだった。よくぞ踏ん張ったものである。当時のお上、院はもとより、公卿たちも「いのちあってのものだね」状態が長く続いたのだろう。
 それにしても、朝廷は、したたかというよりも、粘り強いもんだと、今夜つくづく感服した。それが、京都の「姿」ともなった。

 宿題は。
 宿題と言うよりも、想いだが。かくまであしざまに描かれた木曾殿が、なぜ後世平家物語では指折りの名文に包まれ、また義仲寺があり、芭蕉が偲び、現代のMuが日々思い返しては、わが胸をうつことになったのだろう。
 今夜の描き方は、「愚かな」信長、という風情だった。

参考サイト
   『平家物語』を読むための六波羅・法住寺殿復元図
  後白河天皇法住寺陵
  木曾殿最期[MuBlog]

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2005年6月16日 (木)

フィッシング:魚釣り:niftyを騙る

さっきこんなメルが来た。
admin@nifty.com なんて差出人だから、てっきりニフティと思ったが、待てよ!

Dear user ▼▼▼@▲(Muのアドレス)

You have successfully updated the password of your Nifty account.
If you did not authorize this change or if you need assistance with your account, please contact Nifty customer service at: admin@nifty.com

Thank you for using Nifty!
 The Nifty Support Team

+++ Attachment: No Virus (Clean)
+++ Nifty Antivirus - www.nifty.com

添付ファイル名は:new-password.zip、如何にもそれらしい(笑)
調べたら、妖しいとでたので、削除した。

MU注記
 危ないなぁ。
 疲れていたら、「おおニフティからのメルだ。さっそくパスワードを入れて確認しなくっちゃ」、となる。
 なんというか。
 信じられない愚行、犯罪だと思う。
 人間が、アホな脳を使って、アホなことをするのは、何故なんだろう。
 ただ、Muも、酒に酔っていたり、疲れていたりすると、ついクリックしてしまうこともあろう。
 憎むべき犯罪だ。
 Muのパスワードを使って、買い物でもするのじゃろうか。汚い、ケチくさい奴らだ。

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2005年6月14日 (火)

北方謙三『水滸伝』十五「折戟の章」

承前

 つまり。2005年の2月ころ、二日間程度で、13~15巻の三冊を一気呵成に読んだのです。あれよあれよと、北方水滸伝の激流に巻き込まれ、読み浸ったので、内容を判別できない(つまり、どの巻のことだったか)状態になってしまい、ずっとMuBlog にも記さなかった、のですが。
 先週、手元にまた新しく二冊ほどはいってきましたので、今度そうであってはならぬ、と気を引き締めて、それはまあそれとして、読了したタイトルだけでも掲載した次第です。
 16巻は、きっちり後日、どこがどうおもしろかったのか、なぜなのか、書かせていただきます。

余談
 当初より感づいていたのですが、北方水滸伝は、ある意味で壮大なミステリでもありまして、上述の三巻分も、書けばネタバレという恐怖があったのも事実です。だれが、どんな風にして陥れられて死んでいくのかとか、どうやって梁山泊にもどったのか、助かったのか、死んだのか、結ばれたのか、勝ったのか負けたのか……。そこいらが、読んでいてもなかなかすぐには分からない、どうやって、どうして、とこういう面が多い作品ですね。
 つまり。北方水滸伝ミステリ説。

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北方謙三『水滸伝』十四「爪牙の章」

承前
 
 二月頃に、13巻といっしょに、読んだのです。当然、おもしろかった。

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北方謙三『水滸伝』十三「白虎の章」

承前

 二月頃に読んだのです。おもしろかった。

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2005年6月12日 (日)

NHK義経(23)義仲と義経

承前

 義経が義仲に会いに行った。
 不思議な光景だった。
 ここしばらく、NHK義経に言及する気力が失われる。
 義経の話す「新しき国」
 これが無理を生じている。
 義仲には、父を殺した頼朝一家へのぬぐいがたい怨念があろう。
 頼朝は、源氏の嫡流として、武門の統領として意地がある。
 義経には、大義が見あたらない。
 本能に近い軍事才能だけが、やがて無意識に、熱となってわき上がってくる。だが、今はその時期でもない。

 つまり、今夜の義仲と義経との対話でわかるように、義仲も義経も、法皇や頼朝の前では、政略家としては未熟、どうにもならない状態だったということだ。相談相手がいなかった。オジゴの行家が一番たよりにならない男だったせいもあるが。
 だがしかし、そういう意味では、頼朝も、舅と、政子を相手にあれこれを考えていたのだろうから、結局本人資質となろうか。

 かくして、三種の神器なくして後鳥羽天皇が即位した。これが大きな歴史の伏線となるのだが、まあ、義経とは関係がない話であろうか。

追伸
  なお、当然だが、今夜も楽しく見終わった。もりあがりとか、名演技とか、そういうレベルの話ではない。以前に話をもどすと、安心して、その様式美にどっぷりと45分間ひたれる。女優達も、いずれも華あり。これまであまり語らなかったが、時子(松阪慶子)がしぶく見えた。落ち着きや雰囲気が似合ってきた。よきこと、よきことなり。

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足利義政/ドナルド・キーン

銀閣寺:慈照寺(京都市左京区銀閣寺町)マピオンBB地図、its-moGuide(詳細

足利義政/ドナルド・キーン

足利義政/ドナルド・キーン
 まだまとまらないのだが、一応記しておく必要がある。
 キーンによれば、現代日本のこころ、というイメージの総体は、すべからく足利義政の芸術家としての素養がもたらしたものと、なる。建築、造園、絵画、陶芸、茶、華、能。そして途絶えはしたが、連歌。
 政治、軍事、政(まつりごと)には無能そのものだった義政が、東山文化と称される芸術芸能の総体に対して、完全な影響力を発揮したと、結論している。
 そして、それらが日本のこころとして現代に定着していることを、この図書は示した。
 「史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。」
 ドナルド・キーンは、最後の一行で、完膚無きまでに言い切った。

 このことの結論に、同意する反面、不承知の念がふつふつとわき上がる。しかし、私がこのblogに掲載する対象は否定的なものを避けている。否定するものに時間をとる愚は犯したくないからである。ということは、キーンのこの図書に深い感銘と、そして影響を受けたことをここに記録することを、恥とはしない。
 なにが不承知か。
 それはつまり、現代に生きる私が、決して、日本のこころとされる、茶や華や能や美術や建築に、満腔の賛意を示してはいないという現実感からくるものである。
 一言でもうせば、「嘘っぽい」。
 規範のしがらみに、一体なにをやっているのか、と心底からどなりつけたくなることが、多々ある。しかし、キーンは言う。茶であれ、連歌であれ、禅風作庭であれ、締め付け、規範、ルールがあることによって道を究めた側面を忘れるな、と。たしかに、うべなう。
 規範あってこそ、文章も書けるし、言葉も話せる、社会にも気楽に生きることができる。

 なお、ふつふつとわく。
 規範の種類が私には気にくわない、そういうことだったのだ。
 これは、私が青年期初期から保田與重郎に親しんできた影響もあるが、影響というのは、受容する資質があってこそのもの。その資質とは、……。それはおくにしても、つまり保田は禅風を極端に嫌った。茶であれ華であれ、今にして思えば、能であれ、中世文化を極端に嫌った。好んだのは、万葉集と、新古今和歌集と、芭蕉だけだった。さらに保田が桃山文化を賛美したのは、今となっては、当時未生この図書への皮肉とさえ思える。

 と、いまここで私を分析・反省するに、保田を持ち出してもしかたない。
 保田は日本に対する原理主義だったんだろう。謡曲にいたっては、古典を切り貼りして綺麗にしたつづれ錦と言った。よくわかる。大本がつねにある。
 当時の枯山水、(あるいは書院造にしても)もってまわった禅風ぷんぷんのものであると、言い切る人があっても不思議ではない。
 作り物の、飾り物の芸術。保田はそう言っている。
 そういう話を20代前後に聞いてしまうと、人間、物の見方が変わってしまう。
 私も時に、現代の日本的諸芸術、諸芸能に接すると、名状しがたい違和感が身内に湧く。
 「うそ、でしょう?」と、呟いてしまう。

 ……

 そこまで記した上で、なおキーンを尊敬する。この図書は名著であると断じる。もちろんキーンは先人の力を肥やした面もきっちり記している。それは『東山文化』(芳賀幸四郎、河出書房、1945年)のようだ。私は、芳賀については未知だった。
 なぜ名著と思ったかは、読後も、この図書の内容が「今後も、考えていかねばならない」という、想念を身内に残したからである。もう幾度か、考えてみよう。私は、確かに書院造のような家に住んでみたい気もするから。キーン描くところの、晩年の義政の日常や遊興や、気持がよく理解できたから。
 それだけ、キーンのイメージ喚起は強力だった。

参考サイト
  銀閣寺 [室町幕府八代将軍 足利義政 東山文化]
  金閣寺 [室町幕府三代将軍 足利義満 北山文化]
  今熊野神社 [三代義満時代、観阿弥、世阿弥父子が演能。以後観世流隆盛]

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2005年6月11日 (土)

十四万アクセス

承前:十三万アクセス

 そろそろ梅雨の季節です。世人は梅雨がじめじめ、夏が暑い、冬が寒いともうされますが、脳天気なほどにMuはこの季節おりおりの特徴がすきなんです。だから、梅雨は梅雨なりに、おお湿っておる、と喜ぶ毎日。
 さて。斯様ななかで、月遅れの14万アクセスとあいなりました。それなりに、ときどき(笑)記事を載せたり、コメント返しをしておりますと、かつかつ世間とつながりもたもたれて、よい塩梅になってきたようです。
 かえりみまするに、昨年の連続投稿や、今年春の桜狂奔は、あんまりしてはならない異常事態でありまして、なにごとも、ゆるゆると、こていな居酒屋で熱燗、九条ネギのぬたなど、箸にするのが一番。

(1)本日記録
  対象日: 2005年06月11日(土)小雨
  時間 : 午前九時三十分
  累計アクセス数: 140000
  1日あたりの平均: 310.42

  MuBlog記事数: 459 | コメント数: 2448
  使用容量 119.199 メガバイト (39.73%)[ただし他の小さなblogを3つ含む]

 記事総数は、15ヶ月で459件、結構ゆっくりですね。コメントは例によって、Muのコメント返しが半数ですから、まあ、1200件ほどいただいた。ありがとう。みなさま。

(2)先週:検索ワードランキング(5件以上のみ抽出)
  対象日: 2005年05月30日(月)~ 2005年06月05日(日)
  合計数:921

順位 検索ワード 件数
1 京都 26
2 地図 18
3 石舞台 14
4 新撰組 11
5 桜田 11
6 半島を出よ 10
7 石舞台古墳 10
8 平安神宮 9
9 巫女 8
10 森博嗣 8
11 長迫公園 7
12 佐野藤右衛門 6
13 四季 6
14 村上龍 6
15 模倣の能力 6
16 弁慶 5
17 月の蔵人 5
18 高麗遠征軍 5

 これをみていて考え込んでいたら、はやばやと畏友Joさんがコメントをくれました。要するに、{京都、地図、桜田(京料理)、平安神宮、佐野藤右衛門(桜守、造園業)、弁慶(うどん屋)、月の蔵人(伏見港の酒造、京料理)}と、のきなみ京都物ですなぁ。まあね、都はよいところどす。都ぶりをMuBlogが発揮しているなら、それもよろし。前々から、平安京軒並み探索プロジェクトがありますので、元気になったら毎日カメラかついで散歩しますよ。
 作家としては、森博嗣先生(四季)が長持ちしています。すごいことです。村上龍さんは「半島を出よ」(高麗遠征軍もそうですね)について、それなりに根性入れて書いたので、アクセスがあるとうれしいもんです。(内心、今回は5回以上ランクにないですが、肉うどんレシピが延々と増加したら、泣き笑い)
 長迫公園は、広島県呉市の、おそらく戦艦大和乗員の慰霊碑なんだと思います。海軍墓地ですね。映画も今年ありますから、楽しみです。
 謎は。
 石舞台古墳。これ、膨大なビデオがあるので、なんとか掲載したいですね。うむむ。Newマック待ち!(と、いいわけ。編集に手こずるんですよ)それにしても、なにか発掘されたんだろうか。うーん。

(3)先週:検索フレーズランキング(3件以上のみ)
  対象日: 2005年05月30日(月)~ 2005年06月05日(日)
  合計数:303

順位 検索ワード 件数
1 京都府  御幸橋  地図 3
2 四季  森博嗣 3
3 宇治川  先陣争い 3
4 嵯峨  広澤池 3
5 平安神宮  巫女 3
6 桜田  京都 3
7 模倣の能力  心理学 3

 そうですね。まず{7}の模倣の能力と心理学は、これはミームのことです。流行としてはミームを耳にしませんが、Muはそれなりに期するところがあるのです。この考え方は、文化概念の伝搬という点で、よいモデルだと思っております。
 {3}宇治川の先陣争いは、明日か、来週のNHK義経で話題になるのでしょうね。でも、義仲が可哀想だから、〜。

(4)先週:曜日別
  対象日: 2005年05月30日(月)~ 2005年06月05日(日)
  合計数:1487

曜日 アクセス数
MON 245
TUE 165
WED 234
THR 227
FRI 171
SAT 180
SUN 265

 165(火曜)〜265(日曜)、平均が310程度ですから、近頃のアクセス失墜は明白ですな。
 平均が300を超えているのは、昨年の利子となりましょう。
 なれど、ゆるゆると、たのしみながらblogすると、まあこの程度と、喜んでおります。

(5)先週:記事ごとランキング(1%以上抽出)
  対象日: 2005年05月30日(月)~ 2005年06月05日(日)
  合計数:1487

順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 16%
2 http://asajihara.air-nifty.com/ 6%
 6%
 3%
 2%
1%
1%
1%
1%
10 1%
11 1%
12 1%
13 1%

(6)分析
 MuBlog定番の古代史ものは、「石舞台古墳」だけになりましたね。日巫女とか、卑弥呼とか、宇佐神宮とか、三角縁神獣鏡とか、三輪山とか〜、懐かしいな(笑)。がんばるぞー。
 えとですね。
 このあたりのことは、近未来に大量に一挙に掲載します。今はちょっとね、あはは。ま、来年をお楽しみに。

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2005年6月10日 (金)

武家用心集/乙川優三郎

武家用心集/乙川優三郎 集英社
 集英社、2003年3月のものでハードカバー、1500円。
 さっき読了した。
 時代小説の短編集で、内容は以下の通り。
   田蔵田半右衛門
   しずれの音
   九月の瓜
   邯鄲(かんたん)
   うつしみ
   向椿山(むこうつばきやま)
   磯波
   梅雨のなごり
 作者乙川は、2001年『五年の梅』で、山本周五郎賞、2002年『生きる』で直木賞を受賞した。
 帯には「静謐な筆で描く時代小説集 己を見失うことなかれ」とあった。

 集中、どれもよかったが、向椿山を第一に推す。私は、この年になってはじめて「女」という生命体の心の襞をみた思いがした。まことに、こういうものであるならば、襟を正して、これまでと、今と、これからの世界を、同数存在する「女」を見るに、視点を変えねばならぬとぞ、思った。
 だが、知らぬが仏という言葉もある。なまじ、「女」の精神の動きを知らぬ故に、気楽に過ごせてこられたのかも知れぬ、とふと思いもした。
 さて、「男」はどうなんだろうと、思っても見たが、男は私なのだから、私が思うところがすなわち男なのだろう。あまり、他の男の精神の動きを考えても、しかたない。滅ぶべき者は滅び、生き残る者は完爾と笑う。古来、そういうものであった。(笑)

 ジェンダーとか、男と女とか、よくぞ申すではないか。
 笑止千万。
 男と女とは、世界を見る目が互いに宇宙人。その深淵を、この作品に読み取った。乙川なる作者、もし男ならば、なぜ男の作者がかくまで男がわかるように「女」の存在の苦渋を描ききれるのだろうか、不思議。それが才能というものなのだろう。
 たしかに男女ではない、それぞれの「人」なのだろう。しかし、土台がことなる、性ホルモン構成がことなる、脳の形成が異なる、遺伝子構成もことなる、よって違って当たり前。その違いがここまであるとは、ああ、天を仰ぐものなり。
 いつぞや、ミームによって男女の考え方の違いに愕然とした。今度は、時代小説によって、さらに核心に触れた思いがした。

 今にして思う、私は男であってよかった。さらに、近親、知古の女達は、まさに女であってよかった。いまさら、性を転換すると、二重の苦渋を背負い込む。このまま、手慣れた「男」であることがうれしい。また、江戸や木幡や葛野の女達、いまさら「じつは、男だったんです」なんぞと、冗談にも言うてくれるなよ、な。

 さて、物語。
 パターンをひとつ分析してみる。いくつかの短編がそれに類していた。

  妻に先立たれ、幼い息子をかかえた男に、これまた幼い娘をかかえた女が、後妻に入る。
  息子と娘とは、実の兄妹として育つ。
  男が、先に死ぬ。
  息子と娘と、後妻が家を保つ。
  やがて、息子が嫁をもらい、娘は他家に嫁ぐ。
  そして。
  娘の実母は病の床に沈む。
  看病するのは嫁(義理の息子の、嫁、となる)
  そのうち、嫁がおかしくなる。
  義理の息子は、義母を実娘に任せようとする。
  実娘は実母思いだが、亭主の意向も考える。
  その間、徐々に病の深くなる実母は、荷車に乗せられて両家を右往左往する。

 すなわち、血縁のない「家」を中心にして、「女」の一生が描かれる。
 本来、私がもっとも避けて通る、人間関係の深奥にせまるどろどろしさである。
 しかるに、今期、私はこの作品を、晴明な気持で、終始感動しながら、読み終わった。
 何故か。
 ある意味で単純、そして得難い理由からである。
 文体が晴明で薫る。これが第一。
 「女」が、いずれの場合にも、背筋を伸ばして、生きる。この姿勢のすがすがしさ。第二なり。
 第三に、結論がある。
 「男」は、やがてその「女」の姿勢の良さに気がつき、自らも背をすくと伸ばし、生きようとする。

 以上もって、この作品集は、実に優れた時代小説であったと、私は識るなり。

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コンビニでの衝動買い

 ずっと、週に何回も立ち寄るコンビニ(セブンイレブン)が、職場の近所にある。
 地図を出せば一目瞭然なのだが、ほぼ毎日顔を合わせるので、恥ずかしいから、どこの店かはふせておく。

 しかし、もう通い始めて8年前後になるなぁ。
 と、ここで長嘆息。
 大抵午前六時台に訪れるから、客はまだ数名、すいている(八時台だと、満員)。
 このお店では、いろいろおもしろいこともあるが、それは、まあ書かないでおこう。

 最近ここで衝動買いをしている。漫画である。
 気がつくと、漫画がレジに運ばれてしまう。
 ただし、原作小説をもった漫画化である。
 三国志、内田康夫さんの光彦シリーズ、横溝正史シリーズ、池波さんの鬼平シリーズ。
 わが研究室は、毎朝漫画に埋もれていく。
 市内北部の大学のように、漫画学科とか漫画学部を造りたくなる雰囲気。

 で、結論。
 どれもこれも、原作は穴のあくほど読んだ(このたとえは、おかしいかな)ものなのに、それが画像化されると、Muはまたぞろ、紙がすり切れるほど読み出してしまう。
 なんとなく、Muは漫画っぽい人間だったのかもしれない。
 しかしなあ、保田與重郎の漫画化とか、万葉集の漫画化とか、……いろいろ想像すると、また漫画チックな笑みがついもれてしまう。

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2005年6月 8日 (水)

MacIntelとWiNtel

 昨日の新聞で、アップル社がCPUをIBM社のPowerPCからインテル社のものに変更するというニュースがあって、おどろいた。慌ててアップル社のサイトをみたところ、「アップル、2006年よりインテル製マイクロプロセッサを採用」と、たしかにあった。
 IBM社のCPUというよりも、Muなどの年代にはアップル社の脳髄はモトローラ社という印象がつよい。つまり、6809という古いCPU以来、インテル社とは別系列のものだった。それが、Macであれなんであれ、アップルの「売り」の目玉でもあった。
 となると、21世紀初頭にインテル社は、これまで以上に強大な力と「文化」を持つことが確実となった。これがいまいましく、そして、ため息のでるような閉塞世界をもたらすことになると、Muは感じてこの記事記した。
 この件、友人知人と情報交換したわけでもないし、業界通の評論家の記事を読んだわけではないが、不確かなままであっても、記録せざるをえなかった。

 どんな場合でも、一色というか、文化概念が一つというのは、脆弱だし、脆弱さを隠すため、補うために、後世からみれば笑止千万お笑いぐさになるような、全体主義・教条主義がはびこる。
 スイッチいれればウィンテル(Windows+Intel/CPU)、仕事はOutLook、ワープロはワード、表計算はエクセル、そして罹患するときは世界一斉にウィルス感染! こういう世界がまともであるわけがない。世界はウィンテル・クローン一色。文化、雅、色気の余香もないではないか。

 効率がよい、能率がよい。
 あのぅ、もしそれなら、DNAの伝搬システムがあんなカオスみたいな、どうなるかだれも予測できない方法論をあみ出すわけがない。わけのわからなさ、多様性こそ、人類の基本、そして豊かさの証。世界が国家公務員だけになったような、そういう環境を想像すると、ぞっとする。

 というわけで、朝から気炎をあげても、ちとむなしいので、筆をおく。
 Muはいろいろな事情で今年度は、Macの最上級(笑)デスクトップを導入する予定であったが、昨夜よくよく考えた上で、今朝結論がでた。導入しはする。それは事情があるからだ(二台の老朽化が第一の問題、まともな一台に負担がかかりすぎ)。で、まあ、一番廉価なものにすることにした。廉価と言っても、老朽化したものに比較するなら、50倍程度は性能が上がっている。

 CPUを変えるということは、OS以上の変化がある。と、Muなどの場合は感じてしまう。
 CEO(最高経営責任者) スティーブ・ジョブズさんとか、関係者は、他社社長もふくめて「よい選択だ」と言っているが、そう言う観点からみればよい選択だろうが、「一つの文化が滅びる」と思った昨夜だった。
 ……。

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2005年6月 6日 (月)

くろづかこふん:黒塚古墳・展示館

黒塚古墳(奈良県天理市柳本町)マピオンBB地図(概略)、MSN地図(詳細)、its-moGuide(極詳細)

 気にはなっていたのだが、知らない間に黒塚古墳周辺が整備完了し、散策道が開放されて、墳丘には写真パネルが展示されているらしい。今朝の朝刊に数行あった。
 1997年に32面の三角縁神獣鏡が出土したということ以外の意味付けは、Muの力量で出来ないので、ここのところは、ひとつのまとめ記事として掲載しておく。

参考サイト
  今回のこの記事には直接関係しないが、1997年以降に沢山の記事がネットにあった。
  興味深そうなものを数点あげた。
  写真のあるものは、臨場感がある。

  黒塚1997年度:天理市黒塚古墳現地説明会資料(1998年1月)/橿原考古学研究所
  黒塚古墳
  黒塚古墳資料館

  三角縁神獣鏡[MuBlogのカテゴリー]

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2005年6月 5日 (日)

NHK義経(22)平家都落ち

承前

 平家はなぜ滅亡していったのか。それも短時間に。あまりに急転直下のことなので、Muにもよくわからない。都から、木曾殿討伐に十万の軍を差し向けて、七万を失い、京にもどった。計算では三万残ったことになるが、精鋭が壊滅したことの意味は重かったのだろう。
 今夜の終盤、木曾殿が比叡山に五万の軍を敷いたとき、平家は浮き足だった。守りに弱い王城。都には七つの出入り口があると聞いたが、それはつまり塀も濠もない、フリーパスで出入りできるのが千年京都だったのだろう。
 思い返せば、不思議な都である。
 この後、屋島に行き着くまでの平家道行きに義経が同行することになる。もちろん戦しながらのことである。
 それはおくとして。

鹿蒜地区絵図と燧ヶ城(かひるちく・ひうちがしろ)

鹿蒜絵図と燧ヶ城
 先年福井県南条郡今庄町大桐へ法事に出かけた際に、地図で、ある地名を見た。それをいままで忘れつつ思い出しつつ、やっとここまできたのだが、意外にあっさりと義仲軍は琵琶湖に入ってしまった。じつは義仲はこの地に山城をつくったようだ。それが大桐の近くだったことが、ずっと頭に残っていた。参考サイトの写真では、今庄町が眼下に見られる要衝の地だったようだ。
 そんな逸話もすっとばして、義経主従が琵琶湖の東岸から西岸の比叡山をみる場面が荘厳だった。この比叡山と義仲は、短期間ながら手を結んだ。

 平家の敗走はなんだったのだろう。破竹の軍神義仲公に力がありすぎたのか。やはり亡き重盛の長男では格がちがっていたのだろうか。このあたりは、もしも木曾殿が中心ならばもっと緻密にえがかれたろうが、それはそれとして、平家はもはや戦のできない武家になっていたのか、あたかも幕末の武士達のように。

 今夜の見どころは、知将平知盛(とももり)と妻の明子との語りであろうか。この段階で、知盛は妻「明子:あきらけいこ」に総てを託す。このこと、後日いかなることにあいなりますことやら、ずっと先のお楽しみ。

 附録として、石清水八幡宮の解説があった。しかし今夜は地元のJoさんも不在のよし、参考サイトだけにしておく。

参考
  越前燧ヶ城
  石清水八幡宮

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2005年6月 4日 (土)

都の春・桜花ベスト3:平成十七年自薦柳桜写心

 そろそろ梅雨に入る時期なのですが、MuBlog ではついに懸案の、今年の柳桜ベスト3を自薦することにいたしました。
 下手の横好きを絵に描いたような写真の数々を、まるで散る花に誘われるかのような勢いで撮りまくった狂乱の四月でありました。
 しかし古来、日本の芸術とは西欧流美学の枠組みとは縁遠く、日々の生活のなかで息づくものが良しとされてきた国柄ですから、へぼ俳句に、舌足らずの月並み歌、嫁入り前のお茶にお花、旦那衆の日曜能役者、と枚挙にいとまなく、……それみな、喜びを生み出し、限りある生に潤いをもたらし、花鳥風月「よろしいなぁ」と心ひそかに楽しんで参ったのでありました。
 
 さて、まあよきほどに、ご笑覧のほど、こいねがい、一筆呈上、口上これにて、候よし。
 なお、選びたる写真集は、目次:桜狩り(MuBlog記事)の範囲にて、写心とするもの自薦3点を格別に佳しとし、あとは折りにふれて来年まで、追加削除をおこなう予定。

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