θは遊んでくれたよ/森博嗣
承前(φ:Gシリーズ1)
日曜の午後に『θは遊んでくれたよ』を読んだ。このGシリーズの1は先年読んだが、Gシリーズ2の本書は、不可解な事件のパターンによって、ひと味違ったところがあった。
例によって、私は最後まで犯人が分からなかったが、急転直下、納得できた。
最近ミステリの内容を書きにくくなったので、筆が滞る。
犯人や、事件構造が分かってしまえば、読者が怒るという、ジャンル性格がもともとあるからだ。
だから、……。
今回は別のアプローチを試みた。
まず、反町愛(そりまち・あい)、通称ラヴちゃんが際だっていた。現地土着の那古野弁というのだろうか、萌絵と同年配の女性、反町研修医の話す言葉が、那古野市の日常、ないし病院や大学生活を再現している、その粘度が高い。これぞ、那古野! という味わいがあった。以前のVシリーズでは、関西弁が生き生きとしていたが、今回は中部地方、ネイティヴ那古野が森作品に突出し、気持が良かった。
海月及介(くらげ・きゅうすけ)という、萌絵の後輩にあたる院生の、風体と論旨には帽子をぬいだ。犀川先生の後継者となることは、すでに確実と思われるが、それにしても賢い。わずかな事実断片を組み合わせて、筋を通すという離れ業に、すっきりした。
西之園萌絵と犀川創平の掛け合いは、従来通りおもしろい。長期恋愛による、萌絵の心の質が変化してきた様子が実に巧く描かれている。少女と大人との差には、一途さと洞察力の違いがある。計算することではなく、他者を認める力がつくのだろう。
おなじことが、なかんずく、萌絵と反町との語りの中で、女性の成熟さをあらわし、この一編を豊かにしている。
さて。
本命、核心に入ろう。わずかな言葉でしか言いあらわせない。
このθは、悪書である。特に、若者や繊細な高齢者には。
私が図書館長ならば、禁書扱いに指定するかもしれない。ただし、最終四行を削除するならば、万人にむけての良書となろう。
もっとも、作者はこの最後の数行をあらかじめ想定し、本作品を書き上げたのかも知れない。
文学は、まことに毒物である。
食べれば、あたることもある。
なれど、それを怖れると、人はフグの珍味をすてなければならない。
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