o・mo・ya(母屋)とセカンドハウス
o・mo・ya(京都府京都市中京区御射山町)マピオンBB地図
セカンドハウス東洞院店
この通りは以前からよく歩いたので、この独特の二階建ては目についておりました。とくに夕方や夜に、二階のガラスを通してランプが綺麗に映える店だったのです。
表はセカンドハウスという、ケーキ、パスタ、珈琲店です。
そして、Mu達が当夜宴を持ったのは、その奥のフレンチ、o・mo・ya(母屋)だったのです。
o・mo・yaの入り口 右手はセカンドハウスです。
o・mo・yaの中庭 外からは全く見えないのが京都らしいです。
o・mo・yaの模型 手前がセカンドハウス、奥が母屋です。
オーディオルーム 二階に上がって、ちょっとした空間です。
o・mo・yaの二階広間
この広間のランプを御覧下さい。こういう技にMuなどはころりと参ってしまいます。しかし工夫ですね。和風の座敷にちょっとしたランプを点けて、大きなテーブルでフレンチとは。
このお店は呉服屋さんだったようです。二階から土蔵を見下ろす奥の庭もよかったです。庭に面した廊下の隅に、墨痕鮮やか「尽忠報国」と書いた屏風がありました。すわ、芹澤鴨先生の手になるものか、と驚いたのも束の間、うーん、お店のどなたかが学校時代に書かれたもののようでした(笑)。なんとなく、剽軽ですよね。
そうそう、お味でしたね。
そうですね、20代から30代の方向けでしょう。
近頃のMuは、菜っ葉のおひたしや、漬け物盛り合わせの日々ですから、……。
珈琲店もフレンチ店も、若い人ばかりにサービスする、とふと思ったのですが、このお店全体の佇まいからは、スクラップ&ビルド以外にも、世間や人生を築くことができるという、よいモデルケースを味わいました。かつて在ったものを丁寧に調整し、今に生かし、彩りを添える。よい気風です。
デザートの後の珈琲は、良かったです。だから、安心しました。
参考サイト
french o・mo・ya 東洞院(フレンチ)
SECOND HOUSE 東洞院店(ケーキ、珈琲)
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コメント
照明技術
写真を拝見していて、思うんですが、日本家屋というのは天井から蛍光灯の光をあてると駄目なんやね。
低い位置にフィラメントを真っ赤に燃やした、やわい光を置く。元々、行燈(あんどん)とか、ローソク、の光で暮らしてきたわけですね。
だから、元々の木造の日本の家屋は木の美しさと障子のほのかな透過させる光を大事にし、そして、座る目線に美しさを設計した建築だったんでしょうね。
だけど、これから老人は座るのが辛くなるので、椅子の家屋の方がいいかも知れませんね。
投稿: jo | 2005年5月29日 (日) 07時15分
joさん、2005年5月29日 午前 07時15分
日本建築のことは、書院造を夏までには復習しておきます。あれは中世のことだったようで。
灯りについては、たしかに、蛍光灯一杯は工場とかオフィスには似合っていますが、和室には違和感がありますね。昔の家屋は全体に暗かったから、蛍光灯の明るさと電熱費の安さが原因で、日本に普及したのだと思います。
座敷で正座やあぐらで過ごすのはしんどいですね。今時の和風レストランは大抵掘りごたつ式になっています。また、先年の春に行った「チャイナ梅の花」ではしっかりした座敷椅子がセットしてありました。
Muなどは、畳で座る習慣はなくなり、畳を見るとごろりと横になります。まあ、立っているのが極めてしんどい体質なので、ソファであれ、最終的には床であれ、横になりますね。読書も横臥読書です。
座るのは食事とマシン相手の時だけです。
と、なると和室洋室をとわず、もう、椅子無しでは過ごせなくなった、まさに、Joさんのおっしゃるとおりです。
投稿: Mu→Jo | 2005年5月29日 (日) 08時20分
先生、おひさしぶりです。
セカンドハウスには、友達に連れてきてもらって、ランチにパスタを食べました。
混むことが多いからって、友達が11時半の予約を入れてくれていたので、
窓際の席でゆっくり食べれたのですが、お店を出る頃には、
たくさんの人がお店の外で待っている状態でした。
o,mo,yaは奥にあるのは知ってましたが、入ったことはありません。
中庭があるんですね。
投稿: 羊 | 2005年6月 8日 (水) 10時15分
羊さん、2005年6月 8日 午前 10時15分
どうも、おひさしぶりです。
いま、一限目の授業がおわって一息ついたところです(笑)
セカンドハウスがそんなに評判とは存じませんでした。
たしかに、雰囲気は独特ですね。
一階の奥からも中庭は見えるから、すると、2階席でパスタだったわけですね。
ともあれ、Muも詳細をしらなかっただけで、随分以前からセカンドハウスは見知っておりました。ただ、オジサン一人じゃ、いかんともしがたいというのか、入りにくい店です。やはり、若者文化なんでしょうなぁ(苦笑)。
投稿: Mu→羊 | 2005年6月 8日 (水) 10時26分
joさん、2005年5月29日 午前 07時15分
いま、急に思い出したの、メモしときます。
「元々の木造の日本の家屋は木の美しさと障子のほのかな透過させる光を大事に」joさんコメント上記。
これね。
どうも、室町時代、足利義政の美学が継承されているようですね。いま、件のキーンさんの『足利義政』の9割まで読了しての感想です。
要するに、ほのかな障子明かりは、書院造りによって確立した形跡が濃いです。
つまり、平安時代は、貴族の館も窓という概念がなく、開けっぴろげか、真っ暗かの、明暗二つに一つに近いものだったようですね。
さすれば、男女のことどもも、ずっと不審だったわけですが、完璧な暗闇のなかでのこと、顔など絶対に判別できない、香りだけの世界です。相手を間違えるとか、騙すとかは、容易にできたとも(笑)。
谷崎潤一郎さんの『陰影礼賛』での、障子明かりは義政の世界でしょうな。そして、いろんな意味で、盲目の物語は、ある意味で平安時代を暗示しているような気がしました。
ところで。
大和の庭は、ちと平安時代とも、義政・東山文化とも異なるようです。このあたりは、Muも日本建築史、造園史をよく勉強しておきます。
もともと、庭とか建築に興味があるので、後日に語りましょうぞ。
投稿: Mu→Jo | 2005年6月12日 (日) 14時02分
明日香の苑池の話でんな
水の都、飛鳥では朝鮮半島渡来の噴水と、池の真ん中に蓬莱山が造られていたと、復元写真で見ました。
蓬莱山は中国の思想ですよね、飛鳥は既に大陸の文化が渡来していたと思います。
日本独自の庭のたんじょうの歴史は調べると面白いでしょうね。やはり、平安時代まで時代は下るのでしょうか?
しかし、原風景があるはずですよね。
投稿: jo | 2005年6月12日 (日) 15時30分
joさん、2005年6月12日 午後 03時30分
いまねキーン爺さんの『足利義政』読書感想を掲載したところです。
なにか、Muも日本という小さな國の原風景を求めて彷徨っておるようです(笑)
磐と水と森と山と海でしょうかね。
なかなかに、自分自身が分からないな。
ただ。
好きな車にのって、三輪山や御陵を眺めていると、ぐっと、落ち着く。寺社仏閣にしても、ちっこい廃寺、森の中の、ちっこい社と磐を見るだけで、安定感がわく。
そして。鳥せいで焼き鳥食べて、帰宅してマシンに向かうと、最高の境地になる。
結局、現代人なんだと思うよ。
Jo爺さんも、そうじゃろうね(笑)
投稿: Mu→Jo | 2005年6月12日 (日) 18時13分