へいあんじんぐう:平安神宮;平成十七年春
平安神宮の大鳥居(京都市左京区岡崎)マピオンBB地図
平安神宮の大鳥居
博物館や美術館や図書館や動物園や、そして古い古い寺社仏閣にぐるりと取り囲まれて、狭い京都にしては広大(微笑)な敷地にある明治時代創建の、この平安神宮こそ生粋の京都魂と思うようになった。始まりの桓武天皇と平安京最後の孝明天皇を合祀したこの神社こそ、栄光の千年平安京への鎮魂社と思ったのである。知友の某翁流にもうさば、京都人の句読点、節目だった。いや、京都人とは限らない、近代日本国のピリオドだったのだ。
応天門
と、ここで万葉集は大伴家持の子孫が壊滅的打撃を受けたのが、「応天門の変」であった。大納言伴善男(とものよしお)が866年、応天門放火の政治陰謀によって失脚し、以後栄えある大伴氏は消えた。このあたりは、伴大納言絵詞(絵巻)でよく知られたことである。
その応天門が、こんなだったと春の岡崎、眼前にあった。もちろん、朝堂院はこの岡崎ではなく、現在の千本丸太町あたりが遺跡として比定されている。
参考サイトとして「平安宮跡」に写真がある。
地図も記しておく。
「應天門」額 この額、気に入っております。
案内図 案内文は写真の下部に付しておきました。
白虎楼 右手(東)には蒼龍楼(そうりゅうろう)があります。虎と龍。
この写真を撮った後で、白虎の口をくぐり北の神苑に入ったわけです。多くの方が驚くのですが、この神苑はぜひ皆様御覧ください。高校生の頃に悪友達と初めて入ったとき、私自身が驚愕し、以後親戚の者らを案内すると大抵喜ばれました。
神苑の桜と景観とは、後日にMuBlog で紹介します。
参考サイト
平安神宮(公式HP)
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コメント
もうすぐ薪能ですね
(いや、京都人とは限らない、近代日本国のピリオドだったのだ)
精神的にそういう意味合いは大いにあると思われます。
1000年以上存在した(国の象徴)が引っ越して、京都人が根性見せたれ、と建造したと物の本に書かれていました。
建造中の写真も残っていますね。
平安神宮で思い出すのは(薪能)です。
記事に案内のあったサイトにも載っていて6月1、2日とありますね。
当方が行ったのは学生時代ですが季節の割りに肌寒い日でした。
夕刻、かがり火がパチパチと燃えて鋭い笛の音が響きわたります。
日本そのものの雰囲気が味わえます。
投稿: ふうてん | 2005年5月20日 (金) 11時30分
平安神宮 結婚式
京都の人にとり、平安神宮は特別な場所のようです。姉の息子の結婚式で参列しましたが、京都の人なら平安神宮で挙式するのが常識だそうです。
まさに、ふうてん翁が言われるように、おかみが江戸に移られ、危機感があったでしょうね。
単なる、地方都市にはならないという決意ですね。
桓武天皇と明治帝を祭り、歴史に区切りをつける。いずれ還都の日が来るまで平安神宮はおかみをお待ち申し上げているんでしょうね。
帰る場所があると、安心して仕事が出来ますね。すこし、江戸に長居をしすぎましたかね?
投稿: jo | 2005年5月20日 (金) 13時26分
ふうてんさん、2005年5月20日 午前 11時30分
その薪能ですが、数日前にMuも誘われたのですが良い返事をしておりません。いくつか理由があって。
まだ、岡崎の広い所をうろうろする気力がない。
蚊に刺されてぼとぼと(大昔、宇治でそうでしたんや)
眠くなる(笑)つまり、Muは暗いところに行ったり電気を消すと、急激な暗転がくるのです(便利だけど、時には怖いです奈ぁ)そのうえ、おぅ脳!でしょう?けけけ。
投稿: Mu→ふうてん | 2005年5月20日 (金) 16時02分
joさん、 2005年5月20日 午後 01時26分
ありとあらゆる観点からみて、1945年に京へお戻りになるべきでした。
天子さんのことは随分熟考してきたのですが、やはり世俗、巷、蛮地にお住まいはよくないと思います。
明治以降、戦前の政策「神」とは毛頭思いませんが、歴史を通観して、もっともわかりやすくいうと、大神主さんです。住まうべき土地、雰囲気が必要です。
あるいみで、「人」ではないのです。
だから、言葉を丁寧に考えた上でもうすのですが。
基本的人権などという概念すら、あってはならないのです。
そこにこそ、上御一人という言葉が重さをもつのです。
GHQは、そのあたりをなし崩しにしようとした。
米国婦人を今上陛下の家庭教師にしたことは、ものすごい知恵者が民政局におったんでしょうなぁ。
……
というわけで、東京に住まうことは、列強の思想文化覇権にもろに身をさらすことになる。
それは、間違いです。
投稿: Mu→Jo | 2005年5月20日 (金) 16時17分
還都論のこと
いやね、昔、新幹線で関が原越えた時、JOさんにそろそろ天皇さん京都に戻ってもろたらどないやろ?言いました。
JOさんは遷都宣言してないから還都やない、いいました。
田中角栄はんが昔、天皇はんには京都で住んでもらった方が、といわはったちゅう話、最近、民放のテレビで見ました。
1970年頃の(還都論)だったのですね。
鎌倉幕府、徳川幕府、その時代、京都とはずいぶん遠いところに(権力者)はいました。
京都にいてはったのは(権威者)でした。
明治になって、その権力と権威が両方とも(夷の地東京)におるようになりました。
権威者が(拉致)される形でね。
新参の、成り上がりが(権力)を錦の御旗で飾る為にね。
まあ明治維新ちゃうのんはそういう風にも捉えられます。
それで77年ほど突っ走ってつまらない戦争をして、敗れて、60年たって2005年を迎えています。
今日本はどうなっているのでしょう?
何だか朝から飲んだビールがさめてきましたなあ。
投稿: ふうてん | 2005年5月21日 (土) 11時52分
ふうてんさん、2005年5月21日 午前 11時52分
遷都論になると、ふうてん爺さん、話がつきませんな。
戦後の保守本流は、皇室を大事にしてきましたが、その精神が明治以降のものだったと、思います。
つまり、フィクションであれ実質であれ、皇室を現世、世俗で意味がある、意義がある、ということを示すための方策として、上ご一人を、国賓の席に出でまし願い、諸外国を歴訪願い、さまざまな行事にご参加ねがい、かつまたNHKを中心として、開かれた皇室、人間天皇と、知らしめてまいったわけで御座います。
しかし、Muは、そこに陥穽もみたのであります。
人である限り、人の定めの中に埋没する宿命を負うのであります。
土台、そういうフィクションは、必要かどうかという、現世利益のためにあるものでしてな、必要でなくなれば国民統合として皇室は、なくしてもよいという、考えもうまれてしまうのでおじゃります。
そういった世世人民の軽佻浮薄な思想、考えの、流行のなかから一歩も二歩も飛び抜けたものとして、わがすめらぎは日本に根付くものだと思料するところ、積年のおもいであります。
不易であること。
現世、日本の世世のながれ、価値観とは別の中にあるべきだと考えました。その事情は、1700年の長きにわたり、「そこに在る」この重みですね。これは、精神だと思います。ともかく在った。
その在りようを清明にするためには、まず、在るべき場所が間違っておる。だから、京か、古京か、あるいは伊勢にお移りになるのが、先決。
そのあとは、また、考えてみましょう。
投稿: Mu→ふ爺 | 2005年5月21日 (土) 14時45分
賛成です
ほんま何で東京にいてはるんやろ。
居心地悪いんちゃいますかねえ。
伊勢、というのは思い当たりませんでした。
まだお伊勢参りしたことないんで、一度トヨタのビッツに載っけてもらって行ってみたいです。
投稿: ふうてん | 2005年5月21日 (土) 22時35分
ふうてんさん、2005年5月21日 午後 10時35分
そういえば、お伊勢さんでんな。
あこへヴィッツで行くのもよろしが、近鉄特急がどえらい快適ですよ。
昔は内宮のことばかり気にしとりましたが、最近は外宮さんのほうが、気がかりです。
ああいう風景、情景は、東山文化とはひと味ちがったものがありますから、余命つきるまでには、美のシャワーをあびるのも、よろしな。お伊勢参り、しましょうぞ。Muが行ったのは数年前ですから、そろそろ行かないと、汚濁がこびりついてきよりました。
信仰と美的生活。
天子さまも、この二つが一番大切だと思います。
信仰とは、日本国民全員のために、ただ齋き、祈ることで良いわけでしょう。そのお姿をながめて、われらは娑婆でうごめき、弱肉強食、なんでもすればよろしいな。
明治政府が神格化したのは、現世利益の方法論としては、当時の時代背景のなかで、goodな手法でしたが、かれらは薩摩長州でしょう? (と、縁者がおおいので、ちと後が怖いね)どだい、信仰とか美的生活とは隔絶された(おお、槍が飛んでくる)世界観なんですよ。
上ご一人は、神さんじゃない。神に祈る大神主さんです。
神。それは、どこにもないし、日本国全体に神が宿ると考えてもよろし。不用意に世界宗教や、西欧思想、まして覇権思想なんか、とりこまなくても、自ずからなる歴史と風景に、身をおけばよろし。
この世には、ふう爺がいてJo爺がいて、そしてMuがおりまする。Muはみんなのために、日夜ひざまずき、お祈りしてあげます。だから、みんな安心して、娑婆に生きてくだされや。
ではまた
投稿: Mu→ふうてん | 2005年5月22日 (日) 10時34分
平安神宮は、花菖蒲が咲き薪能が6月1日・2日にあるんですねえ。ホームページを見ると今年の薪能のテーマは、「-漂泊の英雄 義経伝説の旅- 」で、義経を主題にした能が演じられるとのことです。
能の演目は、
第1日目 が、 屋島、吉野静、鞍馬天狗
第2日目が、 橋弁慶、二人静、船弁慶
と、まさに義経特集です。NHKの大河ドラマの影響と思われますが、これだけ義経ものが見られるって、これからも先ず無いように思われます。
投稿: hisaki | 2005年5月22日 (日) 11時32分
さて、名無し様、こうまで言われますと、Muも薪能、う~む、考慮しなくちゃ。
しかし。
義経派か能派なのか、名無し様、あなたさまは、どちらさんでしょうかなぁ。
投稿: Mu | 2005年5月22日 (日) 11時45分
すみません。名無しになっていました。flower/hisakiです。私のBlogではメールアドレスが欠けますとエラーになりますもんで(言い訳)失礼しました。
申し遅れました。私は両派掛け持ちです。
取り急ぎお詫び申し上げます。
投稿: hisaki | 2005年5月22日 (日) 11時54分
hisakiさん、2005年5月22日 午前 11時54分
お名をいれときました。
で、やっと決心がつき、どちらかの夜、平安神宮に行って参ります。
なんというか、猛烈激烈な出不精というか、日々の判で押したような生活を、ちょこっとでも変えることを躊躇する、Muの性格露呈ですなぁ。
東京タワーか、清水の舞台から、飛翔する覚悟でおじゃります。
写真、暗いので自信ないですが、まあなんとか写してきます。
投稿: Mu→Hisaki | 2005年5月22日 (日) 12時56分
どうもすみませんでした。
薪能見に行かれることチョット羨ましいですが、今年は見に行きません。写真のUPを楽しみにさせていただきます。
義経と能(謡曲)について最近、市の図書館で次の本を借りて読みました。ご参考までに。
○半藤一利編著「歴史探偵団がゆく日本史が楽しい(文芸春秋)」の「謡曲の義経」の項
○能と義経-シテが語るー 櫻間 金記著 光亡(草冠)社発行
投稿: hisaki | 2005年5月22日 (日) 13時36分
hisaki さん 2005年5月22日 午後 01時36分
歴史探偵団というのが、おもしろそうですね。能の発祥は、地下(じげ)のものたちですから、義経が鞍馬からみの異形世界に棲んでいた素地が、謡曲にとりいれらたことで証明されたのかも。
~とは、全くの想像でした。
投稿: Mu→hisaki | 2005年5月22日 (日) 15時07分