きょうとだいがく・とけいだい:京都大学の時計台
京都大学の時計台(京都市左京区吉田本町)マピオンBB地図
時計台と東山
京都大学は、吉田山、吉田神社の近くにあり、東には間近に大文字が見える。その麓には銀閣寺もあり、哲学の道も通っている。
写真の手前の建物にはレストランがある。一度入ったが、なかなかに豪華だった。この時計台全体が、以前大改装されて、博物館のようになり、レストランも含めて誰でも入れるようだ。
Muは、思い起こすに、大学が好きなんだと思った。葛野の小さな大学には、嬉々として毎日通っている。京都市内も含めて、大学のキャンパスに入ると落ち着いてくる。まだ整理していないが、カリフォルニア州のバークレーとかUCLAキャンパスも、よい記憶として残っている。
考えてみれば。
大学の図書館に長く勤め、そのうち教員になり毎日長時間研究室で居眠りをしている。つまり、学生時代以来ずっと「大学キャンパス」の中で生きてきたことになる。
日々生きているところを、これほど気に入っているのだから、よかった、と思うことが多い。
怒濤の連続会議も、週に何回もの連続長時間演説(講義のことです)も、地獄の採点も、様々な悶着も、薄給も、変人扱いも、……。この、大学キャンパス好きには雲散霧消。
ただ。
好きだからこそ、よしなしごとの数々も、忍の一字で過ごして来られた。これが事実だろう。
Muは関西の中でも、この写真のあたりから、東山を眺めるのが格別に気に入っている。
一方、葛野の地からは、愛宕山を遠望するのが「命の洗濯」となっている。
眺めるだけで上機嫌になるのだから、ものすごく効率的な人間なんだろう(笑)。
時計台と大文字
参考サイト
京都大学・百周年時計台記念館
京都大学附属図書館
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コメント
大学と時計台
80年の歴史を持つ京大の時計台。双璧は札幌農学校、今は北海道大学の時計台ですね。
これも歴史は古く明治11年だそうです。
大学のシンボル、否、地域の人々にとり智のシンボルというか、ランドマークタワーだったんでしょうね。
何故、時計なのか?これが、判りませんね。調べてみないといけませんね。
天智天皇が飛鳥に作られた水時計の塔が最初ですね。住民に時を告げる。暦を支配するのは天皇の特権でしたね。
それとも、欧州の大学に範を求めたのでしょうかね?
それに、大学で功績をあげると懐中時計を貰いますね。これも、時計ですね。
京都は長く智のシンボルとして、お寺が支配した。シンボルは鐘ですね、そう鐘楼です。これに対抗したんでしょうか、時代は近代化したよ!とね。
大学と時計台は調べてみると面白そうですね。
投稿: jo | 2005年5月28日 (土) 07時53分
joさん、2005年5月28日 午前 07時53分
時計台に懐中時計。
ふたつとも近代日本の学術のシンボルになってました。
いまよりも腕時計なんかが高価、貴重品だったころに、時計台があると便利だったでしょうな。小学校の体育館にも◎時計がありまして、運動場からよく見えました。
日本で有名なのは。
北海道大学、東大、さて京大のは有名なんでしょうか。
うちの葛野にもありますが、こういう明治の風格はありません。それでよいのでしょう。
投稿: Mu→JO | 2005年5月28日 (土) 13時08分
(京大にまつわるさまざまな思い出)
●入学試験
共通一次試験(現センター試験)の試験会場が、ここでした。今のようにオープンキャンパスなどというのはありませんから、大学校内に入るのも初めてで、教室の広いのと古いのに驚きました。
●体育館
学生時代、京都七大学卓球大会というのが、ここの体育館で開かれました。
京大の学生さんは、フォームがとても個性的で、よくあんな変わったフォームで球が入るなあ~と思っていましたが、強かったです。頭脳卓球なのだと思いました。
●置き引き事件
家の工務店のバイトで、京大の教室のそうじに行きました。当時で日給8000円というおいしいバイトでした。
教室掃除が終わったあと、廊下に置いていたカバンをさがしたら、”ない!”。カバンの中味はバス代ぐらいのものでしたが、一緒に置いていた赤いウインドブレーカーもなくなっていました(涙)。
●アメフト勧誘事件
弟の合格発表を主人と見に行きました。合格掲示板の前で”ヤッター!”と手をとり合って喜んでいたら、アメリカンフットボール部の学生さんたちに囲まれました。”おめでとうございます!ぜひ、我がアメフト部へ入部してください!”・・・。
●初面接
ここに勤めることになって、初めて担当部局の上司の方と面接しました。
一人は年配の女性係長で、もう一人は若い男性係長でした。女性係長はテキパキと仕事の説明をしてくださって(女の方でも、さすがここに勤めていらっしゃる人はちがうなあ~。)と憧れに似たようなものを感じました。
でも、もう一人の男性係長は、ほとんど下を向いたまま、ほとんど話をされませんでした。
てっきり私の上司は、女性係長だわ~と喜んでいたら、最後にその係長が(あなたはこちらの係りで働きます。)と男性係長の方を示されました。ガ~ン!ショックでした。
最後になってやっとその男性係長がおっしゃった言葉が(・・・。あなた○○○高校を卒業されたんですね。私もです。)でした。
それを聞いて、ほっとしたというかなんというか・・。
とまあ、10代終わりから~20代にかけて、この大学でいろいろな経験をさせていただきました。
投稿: wd | 2005年5月28日 (土) 14時37分
下を向いたまま、話をしなかったシャイな係長。
見てみたいもんですな。
10代の学生時代のアルバイトから、大学卒業されてからのお仕事が京大だったんですね。
弟さんも無事に卒業されたんでしょうね。たまに少し長く滞在する人もいるようですがね。
青春時代はどないな、按配だったんでせうか。
シャイな係長も元で、厳しくお育ちになったんでしょうね。
その方はパソコンが好きだったんとちゃいますか?
投稿: jo | 2005年5月28日 (土) 19時21分
wdさん、2005年5月28日 午後 02時37分
いろんな経験が、この界隈でおありのようですね。
みんな、それが血肉になるころには、心身、若い頃のようではなくなっています。
キャンパスは、なんとなく世間の荒波からは一歩さがって、凪なんでしょうね。
投稿: Mu→WD | 2005年5月28日 (土) 19時55分
joさん、2005年5月28日 午後 07時21分
パソコン好きの若いシャイな係長は、いまでもたくさんおります。だいたい、Wdさんがおられたと推測する職場は、つまり公務員世界は、女性が多いから、男性は萎縮する傾向があります。
私のように、女子大勤務ですと、萎縮を通り越して、もう、摩滅しておりますな(笑)
で。
長期滞在とくると、すぐにほら、国立のう~が思い出されますね。
この写真の時計台から、約100mほど北におられたんじゃなかろうか。
投稿: Mu→Jo | 2005年5月28日 (土) 20時00分