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2005年5月22日 (日)

NHK義経(20)義仲と同族人質

承前

鑑賞前の午後
 さて20回目。
 平家が兵を動かした。
 義仲が立った。しかし頼朝は義仲に息子の人質を要求した。
 容れた。
 巴が、おそらく激怒したのではなかろうか。
 このあたりの駆け引きは、分かるようで分からない。
 ともかく。
 義仲は京に攻め入った。行家が義仲に取り入った。
 だから、今夜は源氏一族の内紛絡みとも言えようか。義仲がわりをくったことになる、おそらくわずか二ヶ月も経たない間に、すべてが瓦解したはず。

 今夜は一方、義経の鬱屈が顕れようか。
 なぜ鎌倉は義経を最初起用しなかったのか。義経を怖れてという考えも成り立つが、それまで義経は誰に対しても武略の突出した才能を見せてはいなかった。本人すら、自覚は薄かったようにも思える。
 なぜか。
 歴史の裏側や実態をいろいろ推測するならば、末子の九男坊は「戦力」と見られていなかったのか。要するに、役立たず、穀潰しあつかい。動かせる兵が、郎党数名では頼む気にもならなかった。
 いや、だれも思い出さなかったのかもしれない。
 本当のところは、今のMuにもわからない。今夜、なんらかの答えがあるだろう。
 
 今夜の見どころは、義仲と巴と思っておく。

鑑賞後の夜
 義仲と巴、まずまずでした。
 それにつけても、行家は憎々しげなところ、ようでておりました。
 頼朝に対照的なのは義仲だった。

 「計略」はもつが、「卑怯」でない生き方をすると、義仲のごとくなるのかもしれない。だから、生一本旭将軍だった。行家に乗せられ、巴の剣幕に押され、頼朝に屈する。しかし、戦った。巴もともに戦った。
 歴史は教訓でもあるし、してまた生き方の典型も見せてくれる。
 権謀術策を弄しても、生一本に生きても、やがて死が訪れる。本人が「生きた!」「やった!」と思うのが、思える生が肝要でしょう。

 さても、清水冠者義高、そして鎌倉の大姫。悲劇の種が転がっている。そこで今夜の義経、子守相手として鞍馬天狗を見せたのには、膝をうった。大姫が、九郎のおじ上と呼びかけたのが印象深い。

 こうしてしずしずと義経の出番が迫ってくる。謡になり、芝居になった義経の悲劇は、英雄伝説の総てを備えていた。その経緯をこれから夏にかけ、心躍らせ上り坂、秋から冬にかけて、涙とともにじっくり観劇いたしましょうぞ、皆の衆。

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コメント

本日も、楽しくお芝居を観させてもらいました。

しかし、何も残らんですね。印象が。

これが、娯楽の芝居の素晴らしいところでしょうか?

変に、いじくりまわしていないので、気楽に観れます。

頼朝政権が何故、長く続かなかったのか?そんな事が時折、頭をかすめます。早く、北条氏を切るべきでしたね。

投稿: jo | 2005年5月22日 (日) 21時48分

joさん、 2005年5月22日 午後 09時48分
 後知恵ですが、鎌倉武家政権というのは、それまでの世界観を変えたわけですね。
 頼朝は、そういうことを分かっていたから、朝廷と距離を置いた。官位も拒絶した。
 それを造るためには、一族もなにもなかったのかなぁ。
 役にたつものだけを大切にした。
 それが政子であり、北条だった。
 なんの役に?
 源氏の役にではなく、武家政権、幕府という未曾有の、男子一生のシステム造りに役に立つものだけを、必要とした。
 「一代限り」という気持ちもあったのかもしれない。
 ものすごく信心深いひとでもあったようです、異様に。
 来世に自分を置いたから、現世の自分は、武家政権というシステムを作ることに専念した。政治家、政治技術者。

 金一家は子孫に残そうとした。
 毛沢東やスターリンはどうだったか。
 ヒットラーはどうだったか。
 徳川家康は、大成功した、両面で。

 政治システム作りと、一族子孫繁栄と、この問題が頼朝にはキーになりそうな気がしました。

投稿: Mu→Jo | 2005年5月23日 (月) 07時35分

私も楽しく観ました。
ヤッパリ義経の子守りのことが印象に残りました。Mu説のとおり末っ子とかになるとあんなもんかも知れません。私の子供の頃のことを考え合わせると、ああいう風潮は理解できんでもないです。

それと、NHKテレビで1966年に一年間「源義経」が放映されたと本で読みましたけどご存知でしたか。

投稿: hisaki | 2005年5月23日 (月) 17時43分

hisakiさん、2005年5月23日 午後 05時43分
 1966年頃のはうっすらと覚えております。鞍馬の火祭(笑)がやけに記憶に鮮明ですが、他はわすれています。義経役は、なんかの映画で狼男を演じていたような、これも思い出せません。
 
 そうですね。
 末っ子とかいうのは、兄弟の上の方から眺めると、いつまでたっても、役立たずの、穀潰し、庇護はするが、文句をいわずに兄達の言うとおりせよ、という待遇ですね。つまり、員数外というか、重要な話は聞かせないというか、つまり、らち外。
 義経も、頼朝からみるとそうだったのではないでしょうか。
 頼朝は、父と一緒に平家と戦ったわけですからね。
 どだい、戦歴が違います。
 どうかんがえても、一回りも以上の弟を、戦力とは思えませんでしょうね。関東の殿ばらたちにも、はずかしくって、遠慮するでしょう。子供扱いですわな。

 それが……。

 さて、義経が変貌していくにつれて、政子や頼朝やご家人衆はどう反応していくのでしょう。たのしみです。

投稿: Mu→hisaki | 2005年5月23日 (月) 18時24分

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承前  今夜も過ぎた。  義仲は倶利伽羅峠で平家七万の軍を蹴散らし、比叡山と手を握る算段を始めた。  巴がよく似合っていた。  義経が出陣となった。頼朝から後白 [続きを読む]

受信: 2005年5月30日 (月) 04時17分

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