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2005年5月 3日 (火)

多視点の統合<半島を出よ/村上龍>感想文

承前(MuBlog)

はじめに
 村上龍の「半島を出よ」は文学・小説の持つ「統合力」を明確に表現した作品として、後世に残って欲しいと思った。
 私はここに国際情勢も、北朝鮮問題、中国問題、日米問題、日本国統治政治経済問題も、そういう現実世界のもろもろを見たとは、全く思わなかった。
 かといって、人間の全容を古き良き時代の西欧大河小説のごとく味わったのでもない。
 ひたすら、村上龍という、作家、つまり現代に生きている人間の可能性の全容を知った。
 人間は、言葉を使って、こういうことを考え、そして文字によって作品にすることができるのだという、驚きである。

 この世は夢幻と美しく語るのはもったいない。狂乱じみたおとぎ話に満ちあふれている。たとえて言えば、数十年前の筒井康隆の作品のような世界である。当時はそれがトンデモなく思えたが、現代は日常茶飯事として生起している。筒井を尺度にするならば、現代はおとぎ話が小説にしょうもないくらい満ちあふれた世界なのだろう。
 
 言わないでおこうと思ったが、言ってしまう。長い前振りとなるのだが。

 ばかでかいツインのビルディングに、飛行機が二度も飛び込み、映画のようにビルが崩壊し、数千人が死亡した。これをTVニュースで見ている分には、おとぎ話にしか思えない。
 少年Aが少年の首を切り校門にさらし、サカキバラとかなんとか名乗った。残酷なおとぎ話だった。

 近国の命令を受けた工作員が日常事のように日本国領土に潜入し、人をさらい、「やっていない」と抗弁し、それを知ってか知らずか「そんなことがあるはずない」と当時の社会党は言い続け、歴代政府は「まあ、調べてみましょう」と何十年間も先のべし、ある時期の政府高官金某は近国をネタに稼いでいた。そしてそれが発覚しても近国は「日本の謀略宣伝だ」とまだ言いつのり、さて当時の左傾の大新聞や社会党は、今どうしているのだろう。私は、人さらいがよく起きた日本海沿岸の知人に昔聞いたことがある。「父と母が、夕暮れの海辺でデートしていて、不審の男達を見かけ、必死の思いで逃げた。あのとき、逃げ切れなかったなら、私は生まれていなかったかも知れないし、生まれていてもここにはいなかった」と。思い返せば、おとぎ話が現実にあるのが、現代。近隣諸国のいくつかは、古代の征服王朝そのままのようだ。王が生殺与奪権を持ち、言葉を発すれば、ただしく首と胴体とが別れる。宦官が見え隠れする国もある。
 これが、現代のおとぎ話。

 60数年前の日本もそうだったのでは、と声がかかりそうだが、そうではない。
 日本は歴史をよく調べるなら明確だが、少なくとも1500年間以上は、特例を除き一個人の手に生殺与奪の権が集中しない、まともな法治国家だった。現代の日本国憲法は、占領米国のおかげをもちまして、大日本帝國憲法の枠内で憲法変換がなされた。これは法治国家として見上げたものである。今度改憲されるときも、現行憲法の枠内で速やかに、改良日本国憲法となろう。識者多数のおかげをもちまして。

 さてその日本がどうなのかは、半島を出よを読むことで明確に浮き上がってくる。
 日本とは、現実を直視しない、すべては「おとぎ話」としてしまう巧妙なシステムで成り立っている国のようだ。
 特にこの60年間は、ラジオやTVやインターネットの影響もあって、すべてをTV画面大の視野に押し込め、「ほう、そうなの」とため息をつき、で、見て見ぬふりをするのが、庶民から政府高官、自衛官、警察官、識者にいたるまで、生きる基本態度になっているようだ。
 じゃまくさいのだろう。
 豊かさの結実かもしれない。
 だから、手をつないで輪を作る穏やかな平和主義や、軍も警察も不要という脳天気なユートピアンや、用もなく激戦地を観光する素っ頓狂な「行動」が派手に見えてしまう、強烈な皮肉。

 生活リテラシーの第一優先事項「あれは、おとぎ話。あれはよその国のはなし。あれと私は関係ない」
 そういう摩訶不思議な世界を、村上龍という往年の芥川賞作家が、きっちり読者に見せてくれた。

まとめ
 北朝鮮反乱軍となのる「高麗(こりょ)遠征軍」が、これはいつのまにか、米国も日本も難民軍あつかいにしてしまうのだが、綿密な計画の上で、九州福岡の福岡ドーム前の広場に宿営する。
 私はこの設定だけで、なにやら一気にタイムマシンに乗って、2千年ほどむかし北方騎馬民族朝鮮族、

(これは調査が必要:中国史をひもといても、覇権国家中国はむやみやたらに周辺国を蛮族とみなし、名前をいっぱい付けるので、そんな時代に高句麗があったのか、朝鮮族がおったのか、女真族だったのか、もう、専門家とか友人Jo以外は訳が分からない)
が、大挙して磐船
(実際はアントノフ2型輸送機という木製の複葉機なのでレーダーにも写らなかった。写っていても、航空自衛隊がスクランブルをかけて撃墜するほど、政府に根性は無かった設定)

に乗って九州にご降臨なさったようで、かぎりない懐かしさを覚えた。総数500名ほどの、全身殺人マシン兼高度の知性を持った将官と、殺しても死なないくらいに強靱な兵士、「軍」である。これらが、現代のありとあらゆる政治経済知識を動員して、数日間で巨額の資産を得、口座を開き、福岡市と交渉し住基IDを各員が獲得し、知らない間に九州全域を乗っ取ってしまった。背景として後続部隊、つまり船団数百隻に分散し、北朝鮮最強の第八軍団

(全員特殊兵、将官達は、将軍様が中国に亡命しようとするのを、嫌悪する生粋の首領様思想の持ち主達)

12万が渡海し生活をする準備をする先遣隊だったのである。中心になるのは、それより数日前に上陸した9名ほどの最強の将兵たち。
 この最強の将兵9人が、作品の中で高麗遠征隊を代表する。宣伝広報の責任者でNHK福岡の30分番組に出演するチョ・スリョンは、近頃の韓流も逃げていくほどのいい男で、命がけの日本人ファンが出てくる。その他、この9人のキャラ造りはうっとりするほど、うまくはまってくっきり眼裏に蘇る。女性もいる。往年の韓国パンソリ女優みたいなのも。

 見どころは。この、どうしようもない精強軍団に、日本国は匙をなげ、九州を封鎖し、知らぬ顔をしてしまうことにある。なにしろ、米国、中国、韓国も、「難民軍なんだから、攻撃もできないから、日本君、君の独力で解決せよ」となる。特に中国や韓国は「早く、その高麗軍と交渉して、博多港を再開してくれないと、経済的損失が辛抱できなくなる、ここ数日でコンテナが1万台以上野ざらしじゃないか!」と、完全に遠征軍を「九州国」と見なしてしまうしまつ。

 圧巻は北朝鮮の反応。「反乱軍がお国で悪さしておるようだが、なんなら軍を派遣して鎮圧してもよいが」。もちろん、わが祖国政府もこればっかりは、九州での内乱となるのを恐れ、辞退する。しかし、政権によっては分からないぞ、という背筋が寒くなる雰囲気も味わった。わが祖国政府は外地の大使館がおそわれようが、祖国民が外地で資産を破壊されようが、軍を出す気も無ければ、外交交渉で追いつめる気力も、なきがごとき雰囲気を醸し出す、実に穏やかな国柄だから、「はいな、どうぞ来ておくれやす。はよう、退治しておくれ」と言いかねない、将来。

 さて、どうなる。ここがこの小説の見どころ。そして、優れたところである。立ち上がるのは、全員心身失調にちかい、つまり幾多の猟奇的残忍な殺人を起こしたが、少年法で保護され、心神喪失で釈放されたようなどうにもならないクズ少年達が、なにか知らない間に、唯一立ち上がる訳である。
 すでにストックホルム症候群

(捕虜や人質が、長期間の緊張の中で、敵対するゲリラや犯罪者と心を通わせ、男女の場合恋愛になるほどの異常心理)
が蔓延した福岡市の有能でしっかり者の女性公務員ですら、彼等の義侠を理解出来ないだろう(と、ネタばれになるので詳細は避ける)。

 読み終わって思った。この、村上龍の真似はだれにもできない。ただの冒険小説、悪漢小説ではない。国際謀略小説でもない。もちろん政治小説でもない。SFでは絶対にない。当然、悲憤慷慨超右翼国粋主義大東亜共栄圏死守小説では、全くない。安心して読める(笑)。

 視点に多様性がある。非難ごうごうのSATや警察庁幹部の不手際、政府高官たちの弱腰やうろたえにさえ、「さもあらん」とジーンとするくらいに視点が多次元である。当然斬り捨てられた九州福岡住民から見た遠征軍、よくよくに理解できる。現代道徳倫理を最大限振りかざしても遠征軍司令官達の苦渋、生い立ち、国を守るために反乱軍とされて建国する意気込みがひしひしと伝わってくる。まして、唯一狂気の反抗を企て実行する猟奇少年達の、それぞれの精神状態を味わいながら、なぜその義侠に加わり死んでいくのかという、そのあたりの心象・情景描写には、村上龍が神仏に思えた、ぞ。

 多数の視点を導入した効果は、実は、先述記事のMu注記に記した、同一事象、同一対象への、二重三重の表現によって、一段と効果を増している。高麗遠征軍の隊内犯罪に関する公開処刑ですら、将官の目、医者の目、兵の目、住民の目、多数の目で描写されていく。
 この小説に、あらかじめの、勧善懲悪はない。だれが悪人で善人なのか、そんなものはどこにもない。だれが臆病者で卑怯者か、それすら無いと言って過言ではない。
 しかし、小説に終わりは来る。終わらせ方に作者の思想が現れる。それが、良いか悪いか、妥当かどうかは、私には分からないと言った方がよいだろう。
 私ですら、ストックホルム症候群とは異なるが、高麗遠征軍に幻の騎馬民族征服王朝の建国を懐かしく思ってしまった。本来は、中国や朝鮮は、わが国にとって、豊かな実りを長くもたらしてくれた大国・文明国だった。現住民のDNA分析などでも、実に近い、兄弟姉妹とは言えないまでも、イトコ、またイトコほどの血縁がある。
 あの日巫女でさえ、魏に援助を求め、百済は日本国に亡命した。
 遣唐使に選ばれるなんて、当時は命がけの誉れだったんだ。
 それが、この100年、なんという悲惨(嗚咽)。

 私が結末を付けるなら。
 ~
 ああ、と言葉をなくした。

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コメント

今日掃除をしながらつけていたテレビで、村上龍さんと筑紫哲也さんが対談していました。この本をめぐってです。掃除機の音のほうが勝っていたので、よく聞き取れませんでしたが、村上さんは、この本が描いている経済状況は決して最悪のシナリオとはいえないところが問題だ、というコメントをどなたかからもらった、冗談が冗談でなくなるかもしれない、というようなことを言っておられました。

この対談から、『あ・じゃぱん』とか『日本国債』とかの要素が全部つまったもののようで、興味を引かれ、買いにいかなければとちょうど思っていたところでした。

流石に早いですね、Muさんは。感服。

投稿: namiko | 2005年5月 3日 (火) 23時24分

村上龍という作家

 このエキセントリックな作家の小説は読んだことがない。
(限りなく透明に近いブルー)というのは彼の小説だったのだろうか。
という程度。

 今日テレビで(半島を出よ)について鳥越なにがしと話していた。
大抵の中年、あるいは初老は太るのだけど彼はシャープな骨相を保っている。

 ふうてんが村上龍のことを認めたのは15年くらい前のことだったろうか。
1990年ころ、ちょうど日本のバブルの最盛期だった。
ゴッホの(ひまわり)の絵を日本の薬問屋かなんかのお方が250億円で落札して話題になっていた。

 ある週刊誌(ふうてんが買うのだからおそらく週刊プレーボーイ)に、彼が、250億円でゴッホの絵を買ったと聴いてもチッとも羨ましくない、と書いていた。
オヤッ?と思ってその記事を読んだ。

 パトロンというのはまだ評価の定まらない若い芸術家に投資するから値打ちがある。
(評価の定まった作品)に250億円も投資するのはパトロンではなく単なるビジネスマンであって僕はそんなのはアホだと思う。
どうして、これからという名もない若者を援助しようとしないのか。
名もない時に助けてこそ名誉はあり得るのに・・・・・。
文言は忘れたけどそういう主旨のことを書いていた。
かなりな奴だなと思った。

 以来、彼の本を買って読もうとは思わないけど、彼の活動は、頑張ってや、と応援している。

投稿: ふうてん | 2005年5月 3日 (火) 23時56分

namikoさん、2005年5月 3日 午後 11時24分

 峻厳なnamiko先生から、「流石に早いですね、Muさんは。」と、早く読んだこと、お褒めにあずかり、恐縮(笑)。
 したが、『あ・じゃぱん』とか『日本国債』の教授をいただき、渇水に清水を味わう思い、深し。
 後者は記憶に定まらねども、『あ・じゃぱん』は含むところ多々これあり。
 関連書目として、後日掲載の思い沸々。

 『あ・じゃぱん』を評言に繰り込む存念あれども、村上龍世界の熱気に、外世界がことごとく吹っ飛びもうした。唯一、筒井康隆往年の異形世界がぐるぐるとイメージに絡まった次第。

 そう。拮抗するは、『あ・じゃぱん』と、さらに意外にも小松左京『日本沈没』。後者が村上龍にどのように絡まるのか、これはMuの中でも興味津々。

 こう、ご期待のほど。

投稿: Mu→namiko | 2005年5月 4日 (水) 07時46分

ふうてんさん、2005年5月 3日 午後 11時56分

 恥ずかしながら、Muは、万巻の読書をしているふりばっかりで、一冊一冊が重くのしかかり、そうですな、月に一冊大作を読むと、全身が瘧(おこり)にかかり知恵熱がでて、病臥するような、弱い読書人なんです。

 だから村上龍さんも、透明ブルーはたしか反発しながら大昔読んだ思いがあるけど(佐世保が舞台かなぁ)、記憶があるのは、そのけったいな名前の「ヒュウガウィルス」くらいでした。しかも感想は「ああ、冒険小説だね」と、軽いのり。

 今回一気呵成に読んだのは、木幡研のきつい評論家2名がTVをみていて「村上龍は、抜けた、飛んだ」という評言をきいたからなんです。龍さん、別荘にこもって自炊して書いたから、近所のコンビニいくと、目つき風体から、他の客から避けられるほど、はまりこんでいたみたいです。

 なんというか、ぼんやりと分かるのです。1600枚もの作品を、きんきんになって描き込むと、人やなくなるでしょうね。
 ……
 まあ、ふうてんさんは読まなくともよろしいが(Muが多数の知り合い達を代弁して読んだから)、やはりオーラが立っておりました。龍さん、突き抜けた、これが事実でしょうね。

(これ以下は、Muの独り言ですが、彼が時間をずらしながら同一対象を多重に表現したのは、すごいことやと思います。時のずらしが、単純に順序にそうだけじゃなくて、さかのぼったり、数時間先だったり。そういう、めくらめく効果は、すごかった。ああ、そういえば、彼の作品は昔から、「時」を扱ったものがあったんだ、そうだったのかぁ。)

投稿: Mu→ふうてん | 2005年5月 4日 (水) 08時09分

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