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2005年5月31日 (火)

平安神宮神苑の桜桜桜:平成17年春四月

承前(桜姫達:MuBlog)
承前(平安神宮:MuBlog)

平安神宮神苑(京都市左京区岡崎)MSN地図(詳細)

 平安神宮の神苑にはおびただしい桜がありました。あまりにたくさんあったので、撮影してからこの方、約45日、おいておいたのです。
 写真を多く載せたのと、神苑に関するサイトや図書情報が豊富なので、Muは解説を省略しました。横好き写真ではありますが、来年の春にそなえて桜狩、じっくり御覧になってください。

 なお末尾に記しましたが、白川書院から出ている「植治の庭」をあるいてみませんか。
 神苑と、伏見桃山御陵とが、同じ「植治」(つまり歴代小川治兵衛)によって作庭されていた事実に、愕然としました。知らなかったのは、Muだけかもしれないですが(笑)。

八重紅枝垂桜:やえべに・しだれざくら

八重紅枝垂桜:やえべに・しだれざくら

ぼりゅーむのある八重紅枝垂桜

ぼりゅーむのある八重紅枝垂桜

神苑案内図

神苑案内図

チンチン電車 Muが幼い頃、市電が走っていました。この電車は創設期の年代物のようですね。 

チンチン電車

豪華絢爛桜(1)

豪華絢爛桜(1)

豪華絢爛桜(2)
豪華絢爛桜(2)

豪華絢爛桜(3
豪華絢爛桜(3)

池の鯉桜

池の鯉桜

橋殿(泰平閣)

橋殿(泰平閣)

橋殿の鳳凰

橋殿の鳳凰

東神苑の栖鳳池

東神苑の栖鳳池

貴賓館(尚美館)の桜

貴賓館(尚美館)の桜

参考サイト
  平安神宮神苑(公式)
  平安神宮の庭/吉田一雄
参考文献
  「植治の庭」を歩いてみませんか/監修 十一代 小川治兵衛. 白河書院、2004.1

[Mu註:うえじ、と振り仮名がありました。おもしろい本です。七代目は平安神宮の作庭、八代目は桃山御陵の作庭、そして当代は、倉敷大原美術館を造った大原総一郎邸の復元・修景・維持、……。各代、京都の有名どころの庭は、小川治兵衛が関与している、~ようです。当代の言、借景やない、借庭なんや、というセリフにはどきりとしました。この違いは、さて、この図書に書いてありまする]

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2005年5月29日 (日)

NHK義経(21)兄弟と御家人

承前

 今夜も過ぎた。
 義仲は倶利伽羅峠で平家七万の軍を蹴散らし、比叡山と手を握る算段を始めた。
 巴がよく似合っていた。

 義経が出陣となった。頼朝から後白河法皇への贈り物を届ける先遣隊という名目で、頼朝から兵500を預かった。

 頼朝と義経は政子もいれて、鎌倉政権を維持するための考えをお互いに述べた。
 というよりも、頼朝から「情よりも理」と、義経に強い指導があった。

 45分間、きっちり見終わった。
 感想はそれほどない。
 ただ、じっくり、余すところ無く見た。

 義経の悲劇は避けられなかったと言う想いが、今夜も残った。
 来週も楽しみにしている。

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2005年5月28日 (土)

o・mo・ya(母屋)とセカンドハウス

o・mo・ya(京都府京都市中京区御射山町)マピオンBB地図

セカンドハウス東洞院店

セカンドハウス東洞院店
 職場の秘書さん達の歓送迎会がありました。お店を選んだ先生は、これまでずっと小粋な店を案内して下さった方です。だから、安心してみんなお任せしました。
 この通りは以前からよく歩いたので、この独特の二階建ては目についておりました。とくに夕方や夜に、二階のガラスを通してランプが綺麗に映える店だったのです。

 表はセカンドハウスという、ケーキ、パスタ、珈琲店です。
 そして、Mu達が当夜宴を持ったのは、その奥のフレンチ、o・mo・ya(母屋)だったのです。

o・mo・yaの入り口 右手はセカンドハウスです。

o・mo・yaの入り口

o・mo・yaの中庭 外からは全く見えないのが京都らしいです。

o・mo・yaの中庭

o・mo・yaの模型 手前がセカンドハウス、奥が母屋です。

o・mo・yaの模型

オーディオルーム 二階に上がって、ちょっとした空間です。

休憩室、オーディオルーム

o・mo・yaの二階広間 

o・mo・yaの二階広間
 当夜は12人だったのですが、広くてゆったりしています。右手のお二人は職場の現役秘書さんです。
 この広間のランプを御覧下さい。こういう技にMuなどはころりと参ってしまいます。しかし工夫ですね。和風の座敷にちょっとしたランプを点けて、大きなテーブルでフレンチとは。

 このお店は呉服屋さんだったようです。二階から土蔵を見下ろす奥の庭もよかったです。庭に面した廊下の隅に、墨痕鮮やか「尽忠報国」と書いた屏風がありました。すわ、芹澤鴨先生の手になるものか、と驚いたのも束の間、うーん、お店のどなたかが学校時代に書かれたもののようでした(笑)。なんとなく、剽軽ですよね。

 そうそう、お味でしたね。
 そうですね、20代から30代の方向けでしょう。
 近頃のMuは、菜っ葉のおひたしや、漬け物盛り合わせの日々ですから、……。
 珈琲店もフレンチ店も、若い人ばかりにサービスする、とふと思ったのですが、このお店全体の佇まいからは、スクラップ&ビルド以外にも、世間や人生を築くことができるという、よいモデルケースを味わいました。かつて在ったものを丁寧に調整し、今に生かし、彩りを添える。よい気風です。
 デザートの後の珈琲は、良かったです。だから、安心しました。

参考サイト
  french o・mo・ya 東洞院(フレンチ)
  SECOND HOUSE 東洞院店(ケーキ、珈琲)
  

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2005年5月27日 (金)

きょうとだいがく・とけいだい:京都大学の時計台

京都大学の時計台(京都市左京区吉田本町)マピオンBB地図

時計台と東山

時計台と東山
 所用で京都大学へ行った。時計台を写真に写したくなった。知人に頼んで、写しやすい場所に連れて行ってもらってシャッターを押した。
 京都大学は、吉田山、吉田神社の近くにあり、東には間近に大文字が見える。その麓には銀閣寺もあり、哲学の道も通っている。

 写真の手前の建物にはレストランがある。一度入ったが、なかなかに豪華だった。この時計台全体が、以前大改装されて、博物館のようになり、レストランも含めて誰でも入れるようだ。
 Muは、思い起こすに、大学が好きなんだと思った。葛野の小さな大学には、嬉々として毎日通っている。京都市内も含めて、大学のキャンパスに入ると落ち着いてくる。まだ整理していないが、カリフォルニア州のバークレーとかUCLAキャンパスも、よい記憶として残っている。

 考えてみれば。
 大学の図書館に長く勤め、そのうち教員になり毎日長時間研究室で居眠りをしている。つまり、学生時代以来ずっと「大学キャンパス」の中で生きてきたことになる。
 日々生きているところを、これほど気に入っているのだから、よかった、と思うことが多い。
 怒濤の連続会議も、週に何回もの連続長時間演説(講義のことです)も、地獄の採点も、様々な悶着も、薄給も、変人扱いも、……。この、大学キャンパス好きには雲散霧消。

 ただ。
 好きだからこそ、よしなしごとの数々も、忍の一字で過ごして来られた。これが事実だろう。
 Muは関西の中でも、この写真のあたりから、東山を眺めるのが格別に気に入っている。
 一方、葛野の地からは、愛宕山を遠望するのが「命の洗濯」となっている。
 眺めるだけで上機嫌になるのだから、ものすごく効率的な人間なんだろう(笑)。

時計台と大文字

時計台と大文字

参考サイト
  京都大学・百周年時計台記念館
  京都大学附属図書館

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2005年5月25日 (水)

「弁慶うどん」で中華麺

承前(辨慶うどん)

 きょうは会議時間前の昼食時、用意するのを忘れていた。まだ足を杖でカバーしている季節なので迷ったが、結局、弁慶うどんへ徒歩5分のところが、日頃の早足も無惨、10分かかった。
 やおら席につき、「べんけい」まではスグに言えたが、そのあとが、なんというか神も仏も恐れぬ言葉を吐いてしまった「中華麺で」(笑)。
 純正うどん屋で、いつもは「蕎麦で」というさえはばかってきたのに、Muもそろそろ狂ったのでしょうか「中華麺」。おお。

 よいお味でした。40年もむかし、嵯峨野高校の食堂でたべた中華麺てんぷらを思い出しました。
 諸子、いちど、中華麺でおためしあれ。
 なれど、まともなうどん、蕎麦屋さんで、中華麺をサービスしてくれるのは、もしかしたら、全国でもこの葛野五条の「弁慶うどん」だけではないでしょうか。

 なお、「べんけい」とは、おいしい絶品の鰹節その他秘伝のだし汁に、麺{うどん、そば、中華麺}のどれかをいれて、激辛のきんぴら、甘いおあげ座布団、そして「肉」、さらにきざみネギやまもりを載せたものです。
 ともかく、中華麺も美味い。
 今度は、はばかりも多いので、いつもの蕎麦にしますがね。今日は、中華麺がよかった(にっこり)。

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2005年5月22日 (日)

θは遊んでくれたよ/森博嗣

承前(φ:Gシリーズ1)

 日曜の午後に『θは遊んでくれたよ』を読んだ。このGシリーズの1は先年読んだが、Gシリーズ2の本書は、不可解な事件のパターンによって、ひと味違ったところがあった。
 例によって、私は最後まで犯人が分からなかったが、急転直下、納得できた。

 最近ミステリの内容を書きにくくなったので、筆が滞る。
 犯人や、事件構造が分かってしまえば、読者が怒るという、ジャンル性格がもともとあるからだ。
 だから、……。

 今回は別のアプローチを試みた。

 まず、反町愛(そりまち・あい)、通称ラヴちゃんが際だっていた。現地土着の那古野弁というのだろうか、萌絵と同年配の女性、反町研修医の話す言葉が、那古野市の日常、ないし病院や大学生活を再現している、その粘度が高い。これぞ、那古野! という味わいがあった。以前のVシリーズでは、関西弁が生き生きとしていたが、今回は中部地方、ネイティヴ那古野が森作品に突出し、気持が良かった。
 海月及介(くらげ・きゅうすけ)という、萌絵の後輩にあたる院生の、風体と論旨には帽子をぬいだ。犀川先生の後継者となることは、すでに確実と思われるが、それにしても賢い。わずかな事実断片を組み合わせて、筋を通すという離れ業に、すっきりした。
 西之園萌絵と犀川創平の掛け合いは、従来通りおもしろい。長期恋愛による、萌絵の心の質が変化してきた様子が実に巧く描かれている。少女と大人との差には、一途さと洞察力の違いがある。計算することではなく、他者を認める力がつくのだろう。
 おなじことが、なかんずく、萌絵と反町との語りの中で、女性の成熟さをあらわし、この一編を豊かにしている。

 さて。
 本命、核心に入ろう。わずかな言葉でしか言いあらわせない。
 このθは、悪書である。特に、若者や繊細な高齢者には。
 私が図書館長ならば、禁書扱いに指定するかもしれない。ただし、最終四行を削除するならば、万人にむけての良書となろう。
 もっとも、作者はこの最後の数行をあらかじめ想定し、本作品を書き上げたのかも知れない。
 文学は、まことに毒物である。
 食べれば、あたることもある。
 なれど、それを怖れると、人はフグの珍味をすてなければならない。 

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NHK義経(20)義仲と同族人質

承前

鑑賞前の午後
 さて20回目。
 平家が兵を動かした。
 義仲が立った。しかし頼朝は義仲に息子の人質を要求した。
 容れた。
 巴が、おそらく激怒したのではなかろうか。
 このあたりの駆け引きは、分かるようで分からない。
 ともかく。
 義仲は京に攻め入った。行家が義仲に取り入った。
 だから、今夜は源氏一族の内紛絡みとも言えようか。義仲がわりをくったことになる、おそらくわずか二ヶ月も経たない間に、すべてが瓦解したはず。

 今夜は一方、義経の鬱屈が顕れようか。
 なぜ鎌倉は義経を最初起用しなかったのか。義経を怖れてという考えも成り立つが、それまで義経は誰に対しても武略の突出した才能を見せてはいなかった。本人すら、自覚は薄かったようにも思える。
 なぜか。
 歴史の裏側や実態をいろいろ推測するならば、末子の九男坊は「戦力」と見られていなかったのか。要するに、役立たず、穀潰しあつかい。動かせる兵が、郎党数名では頼む気にもならなかった。
 いや、だれも思い出さなかったのかもしれない。
 本当のところは、今のMuにもわからない。今夜、なんらかの答えがあるだろう。
 
 今夜の見どころは、義仲と巴と思っておく。

鑑賞後の夜
 義仲と巴、まずまずでした。
 それにつけても、行家は憎々しげなところ、ようでておりました。
 頼朝に対照的なのは義仲だった。

 「計略」はもつが、「卑怯」でない生き方をすると、義仲のごとくなるのかもしれない。だから、生一本旭将軍だった。行家に乗せられ、巴の剣幕に押され、頼朝に屈する。しかし、戦った。巴もともに戦った。
 歴史は教訓でもあるし、してまた生き方の典型も見せてくれる。
 権謀術策を弄しても、生一本に生きても、やがて死が訪れる。本人が「生きた!」「やった!」と思うのが、思える生が肝要でしょう。

 さても、清水冠者義高、そして鎌倉の大姫。悲劇の種が転がっている。そこで今夜の義経、子守相手として鞍馬天狗を見せたのには、膝をうった。大姫が、九郎のおじ上と呼びかけたのが印象深い。

 こうしてしずしずと義経の出番が迫ってくる。謡になり、芝居になった義経の悲劇は、英雄伝説の総てを備えていた。その経緯をこれから夏にかけ、心躍らせ上り坂、秋から冬にかけて、涙とともにじっくり観劇いたしましょうぞ、皆の衆。

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2005年5月21日 (土)

読書のこと

 この3月から今日5月の後半まで、幾冊かの読書をしたのだが、なんとなくタイトルを挙げにくい図書が多くて、読書記が滞っていた。
 挙げにくいとは言っても、おおかたの紳士が想像するであろう類のものではなくて、評価がまだ困難な、あるいはそういう世界に私が足を入れていることをまだ知られたくないような、そういうものである。
 で。今夜は未読図書として近いうちに読むだろう数冊を展示して、大方にご安心願うということで、記しておく。

 ともあれ、若年時不良は服装と化粧とで分かるという。加齢不良はポケットのマッチと読書傾向とで分かる、と最近のMu説もある。前者はその点、Muなどは午後七時ころには半睡状態になるので、どこそこのオジキ達のように夜の巷を徘徊することもない。やれワインの焼酎の、やれママの白粉の香水の、付け馬のと騒ぐことは終生なかろうて。後者についても、至極まっとうな読書傾向に揺らぎはなく、たまに秘匿するにしても、それは故あってのこと。

 まずは、Muのこれからの読書傾向を一瞥なされれば、その精神の清純、安定振りがもれにじみだして余香となり、「おお、さすがわMu先生、自由闊達、道を外されてはおらぬ」と、喝采をあびることだろうて。

 夏期休暇までに読んで賢くなるつもりの本。

1.θは遊んでくれたよ/森博嗣.講談社、2005.5
 この図書から、知らぬ間に「Gシリーズ」と名付けてありました。これはMuも以前、「ギリシャ文字やからG」と勝手に思いこんでいたが、世間ですな、同じになってしもうた。しかし事実はきっと、グリコのおまけ、とか、ギロチンとか、Muの思いとはまったく別なんでしょう、命名規則。
 そうそう。ギリシャ文字は、大昔読めなくってね。数学と理論物理と情報学の本しか置いてなかった図書室で司書してて、困りました。で、当時岩波の数学事典かなんかの後ろの附録にギリシャ文字が載っていて、それで読めるようになったのです。
 トンデモ参考サイトを二つ。一つはMuBlogから。もう一つは、トンデモでもないのだけど、なんとなくそれとなく

2.武家用心集/乙川優三郎.集英社、2003.8
 帯に「静謐な筆で描く時代小説集。己を見失うことなかれ」とありましてぇ、すでに己のないMuなんかどうすりゃよいのじゃろう、と悩みながら読む小説のようです。初めての作家ですね。もしかして、Muの人格まで変わったら、ものすごい小説なのかもしれない。

3.足利義政/ドナルド・キーン.中央公論社、2003.1
 「日本美の発見」となっておりますね。
 義政が生涯に好んだ、そして作り上げた美が、現代日本の多くの人に愛される「日本美」らしいのです。東山文化、要するに銀閣寺ですよね。ふむふむ、そうかい、キーンさんや。なんとなくうなずける節もありますね。
 Muの好きな古式神社とか、〆柱は、日本美の本源と思ってはいますが、皆が皆うなずく日本美とはなっていない。隠された美でしょうね。それにくらべて、銀閣寺の佇まいや、キーンさん描くところの庭や絵画や焼き物や装束デザインの多くは、京都の美に直結しとります。
 翻訳は例によって角知さんという方で、読みやすく、格調の高い日本語です。
 楽しみです。

 とまあ、この三冊ほどを三ヶ月ほどかけて熟読し、見識洗練されて、ついでに賢くなりたいですね。 
 ふふふ、合計4400円でそうなれば、美容整形とか塾通いとか、夜の彷徨とか、……。もったいない。

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2005年5月20日 (金)

へいあんじんぐう:平安神宮;平成十七年春

平安神宮の大鳥居(京都市左京区岡崎)マピオンBB地図

平安神宮の大鳥居

平安神宮の大鳥居
 京都に五十年以上住んでいるが、長い間、平安神宮の良さがわかりにくかった。でっかい鳥居があって、目立つ色彩の新しい神社。そういう観光志向の雰囲気が煩わしかった。ところが。最近気持が大きく変わってきた。
 博物館や美術館や図書館や動物園や、そして古い古い寺社仏閣にぐるりと取り囲まれて、狭い京都にしては広大(微笑)な敷地にある明治時代創建の、この平安神宮こそ生粋の京都魂と思うようになった。始まりの桓武天皇と平安京最後の孝明天皇を合祀したこの神社こそ、栄光の千年平安京への鎮魂社と思ったのである。知友の某翁流にもうさば、京都人の句読点、節目だった。いや、京都人とは限らない、近代日本国のピリオドだったのだ。

応天門

平安神宮の応天門
 平安神宮は古く平安時代の政庁、朝堂院を2/3に縮小し、模した建物と記してあった。この応天門もその一部だった。
 と、ここで万葉集は大伴家持の子孫が壊滅的打撃を受けたのが、「応天門の変」であった。大納言伴善男(とものよしお)が866年、応天門放火の政治陰謀によって失脚し、以後栄えある大伴氏は消えた。このあたりは、伴大納言絵詞(絵巻)でよく知られたことである。
 その応天門が、こんなだったと春の岡崎、眼前にあった。もちろん、朝堂院はこの岡崎ではなく、現在の千本丸太町あたりが遺跡として比定されている。
 参考サイトとして「平安宮跡」に写真がある。
 地図も記しておく。

「應天門」額 この額、気に入っております。

「應天門」額

案内図 案内文は写真の下部に付しておきました。

国指定名勝 平安神宮神苑 案内図

白虎楼 右手(東)には蒼龍楼(そうりゅうろう)があります。虎と龍。

平安神宮の白虎楼

 この写真を撮った後で、白虎の口をくぐり北の神苑に入ったわけです。多くの方が驚くのですが、この神苑はぜひ皆様御覧ください。高校生の頃に悪友達と初めて入ったとき、私自身が驚愕し、以後親戚の者らを案内すると大抵喜ばれました。
 神苑の桜と景観とは、後日にMuBlog で紹介します。

参考サイト
  平安神宮(公式HP)

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2005年5月19日 (木)

近況

 今朝は、自然起床で四時でした。昨夜はNHKのその時歴史が云々「北条早雲」を見終わって暗転したので、睡眠時間は六時間と計算できる。週末は八時間ほど自然に延長するので、ほどほどです。
 56歳で一旗揚げて、87歳で国を開いた早雲の話でした。現代なら、Muが突然70歳くらいで起業し、100歳ころに上場し、国際的な格付けが一桁になるような話です。う~む、と思いました。

 最近の読書傾向は。
 一週間に一冊程度の割合で、いろいろ読んでいますが、タイトルも著者名も覚えておりません。こういう時期もあるのでしょう。漫画、専門書、コンピュータ、ミステリ、雑伎でしょうか。
 最近の撮影傾向は。
 桜田へ行ったとき外出したくらいで、木幡と葛野の往復につきます。だから写そうにもなにも、機会がありません。こういう時期もあるのでしょう。
 最近の傾向と対策は。
 記録することがありません。授業はおもしろくやっていますが、学生達はどうなんでしょう(笑)。対策とはもうしても、立てようがありません。日々、こうして睡眠だけは人に倍して急速暗転、ぱっちり起床ですから、文句のつけようもないし、食事はずっと日々美味しいですし、給料もぼちぼち受け取っております。

 得た結論。
 やはり、こう、MuBlog というか、Muはカメラ担いで歩き回るか、ドライブしないと、活気が生まれません。
 ただ、気持と季節がおりあわず、平等院の藤とか、上賀茂神社近くの、カキツバタでしたか、見過ごす傾向はおさまらないようです。
 読書ともうせば、森博嗣さんの「θ」がどうしたとかいうのを、読んでみたいですね。以前、「φ」がどうだったかは、奇妙な倦怠感と懐かしさをあじわったので、θもそうだと予測しています。
 そうでした漫画ですね。二十世紀少年の次号が待ち遠しいです。昨夜はからくりサーカスを半分読みました。そういえばジョジョがでませんねぇ。

 などと記している間に、五時前になってきました。
 そろそろ朝食をとって、また葛野へ行きます。今日は、午前中に二つの講義があって、午後は会議ですね。と、こう、昨日の会議の整理をして、また同僚たちに通信配布しないとなりません。

感想
 活気もノリも、ついでに不安も、お金も、なんにもないMuの日常の一端でした。しかし、なにはなくとも、コンピュータだけは葛野も木幡も、わんさかあります。つくづく、マシン好きなんだと、自覚しています。 
 

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2005年5月15日 (日)

NHK義経(19)血族と和議

承前

鑑賞前の朝
 新聞では、今夜は、義経、兄の範頼と対面するらしい。
 また、頼朝は後白河法皇を通して、平家と和議を結ぼうとするらしい。

 と、すると。
 まだまだ義経の出番ではなさそうだ。というよりも、義経というタイトルに重きを置くのではなく、ここのところは、頼朝の肉親に対する猜疑心(か、どうかは今夜を見ないとわからぬが)と、和議に象徴される政治力の発動、そしてそれをうける大天狗後白河法皇の振る舞いに注目するのがよかろうか。(と、ついでに夏木さんや、草刈さんの演技も)

 和議とは。
 もちろん、仲良くしましょうなんていう子供の付き合い方ではなくて、あれこれ考えた末に時間稼ぎ、あるいは戦争をせずして利を得るひとつの外交交渉である。戦争すらも外交交渉の一つであろう。そういうことは、古き大国の大昔、合従連衡の故事にも詳しい。あるいは、孫子の兵法の極みは、消耗なくして勝利することにつきよう。

 後知恵にすぎぬが、源平が並び立つわけがない。
 鎌倉に幕府を開いた限り、源家は全国統一に邁進するしかない。可能性としては、当時の日本を三国に分割することは考えられる。東国の雄、藤原秀衡。関東・東海の鎌倉殿。そして西国、九州の平家。
 結果として、西国に逃げた平家を義経が討ち、東国に逃げた義経ごと平泉の藤原を討った。おそるべし、頼朝の政略なりや。

 その間。
 朝廷はどうだったのか。このあたりのきりもりが、後白河法皇の真骨頂であり、また神器なき戴冠の、後世・後鳥羽院への物語(承久の変、1221年)と話は続く。が、これは義経とは関係がない。

 歴史とは、鑑であるなぁ。

鑑賞後の夜
 さて見どころらしい盛り上がりもなかったのだが、あっというまに45分がすぎてしまい、その間ずっとTVに見入っていた。つまり「義経」は、Muの心の流れに沿ったということであろうか。義経の陰り、上品さ、二枚目俳優の様式は、すっきり上手に型にはまった。あとはおのずからなる光、豊かさ、充実した物語が進行するだけだろう。
 この5月まで、離陸前の長い滑走だった。

 今夜は源家の親族がそれぞれ顔を出した。義経の兄の範頼、おじの行家、いとこの義仲。前二者は、歴史的に昔からよくいわれなかった。頼朝と義経という、歴史上に燦然と輝く兄弟にはさまって、兄も叔父も影が薄かったのだろうか。ただし、行家は今後とも、最後まで義経の足を引っ張ることになるのだが。
 義仲は、Muが第一等におもう武将だが、やんぬるかな今期NHK義経では狂言回しのような、ひたすらイノシシ武者に描かれていくようだ。ところが、巴さんだが、予告編にでてきた、例の額に付けた黄金色した防具兼飾り(この名称は、なんというのだろうか)姿は、たとえようもなく似合っていた。今日のすっぴんの巴は普通の女性なのだが、予告に現れた戦仕立ての装束は、はあ、これぞ「巴ここにあり」、であった。楽しみだ。

 義経と頼朝と、そして政子の関係はますます深みにはまっていく。いつも、政子が頼朝のそばにすわり、義経をうかがっていた。政子は優れた女だった。歴史的にも。だからこそ、義弟の能力、才能、そして人を惹きつける異能に愕き、恐怖をあじわったのだろう。

 さてこそ平家と後白河法皇。
 口をすぼめて、肩をすくめる法皇に、Muは知らず膝を打っていた、上手やねぇ。平さん、夏木さん、草刈さんの京御所言葉って、「~あらしゃいます」ほほほ。これがないと、「義経」がすっきりしない。これあってこそ、武家の鎌倉、義経の清風、そして滅び行く平家の公達達の焦りが、浮かびあがってくる。
 まことに、当時の院におかせられましては、その御懊悩察するに、しのびない。
 兵なし、武力なし、金もあんまりなかったろうに。ただ、700年間は続いた皇家の大旦那として、打つ手打つ手は、賽の目なれど、十重二十重の伏線と、気力とだけで、乗り切った。
 まあ、こういうお方も、歴代のなかには、いく柱もあらしゃいましたよし。稀代の大天狗、と申すもはばかり多いが、Muなどはこの法皇の知略には、ほとほと感心し、その僧衣の裾に手をからませて、おすがりしたくもなることよ。

 ではまた来週。
 そうそう、平知盛はなかなかに、渋くなってきましたなぁ。義経最後の好敵手だっただけある。
 よい俳優だ。

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2005年5月 8日 (日)

NHK義経(18)清盛死す

承前

 めずらしく鑑賞前に記すことをやめた。
 やはり、コンピュータは週に一日くらいは触らぬ方がよいだろう(と、いま、触っておる)。
 明日は一番きつい月曜日(日曜の翌日だからではなくて、バランスの上から、月曜を激務日にしている)ということと、この連休は全くといってよいほど外に出られなかったので、ついでに、今日も隠っていた(まこと、天の邪鬼なり)。要するに、だるい一日だったので、嬉々としてマシンに面前する気力がわかなかった、だけのこと。

 さて。
 清盛さんがみまかった。物語の上では、これで義経は平家との縁が切れたわけである。もちろん、予告編をみていると、来週は、今度は奥州との縁も切らざるをえなくなるようだ。
 この時代の物語となると、大抵は平家物語が中心にあって、そのままならば清盛が主人公になり、彼がなくなることで終わる。あと、義仲を中心にした映画も昔あったようだ。それに、頼朝を中心にしたものもある。そして義経が主人公だと、これからだ、となる。

 義経にとっての義父清盛は、64年の生涯で平家の繁栄を招いた。宮島の厳島神社、平家納経、福原、日宋貿易などが、今夜話題になっていた。義経の同腹の妹は、実父が清盛で、からみは深い。縁、浅からぬ。

 それにつけても。
 おそらく史実だと考えるが、繁栄の極みだった平家の清盛を義父とし、経済力戦力からみて日本の半分を支配していた藤原秀衡が後見人、そして兄が源氏の棟梁。義経の環境は平時なら最高のものであった。しかし実際には、それらがひとつづつ、義経を滅ぼしていく引き金となっていく。

 鎌倉の源氏は、一族を疎み軽んじることで、三代で北条に乗っ取られた。
 室町の足利は、尊氏晩年までは、兄弟和していた。最後は、兄が弟を毒殺したようだが。
 徳川は、一族郎党が、たとえば御三家になって、260年ほど進んだ。

 義経は。兄が頼朝でなかったなら、また別の生涯があったかもしれない。

追伸
 はやく義経君が戦で蘇るのをみてみたい。来週までは、まだしばらく、もてあまし者あつかいされるようで、なんとも、心が塞ぐ。昔の任侠路線だと、たえにたえた主人公が、ついに堪忍袋の緒がきれて、殴り込みになるのだが、……。

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2005年5月 6日 (金)

さくらだ:桜田

桜田(京都市下京区匂天神)its-moGuide地図
  京都市下京区烏丸仏光寺通り東入る一筋目下がる
  要するに、ホテル日航プリンセス京都の北

桜田の内のれんと、坪庭

内のれんと、坪庭
 過日のお昼に訪ねました。女将(おかみ)さんが気さくな人で、タクシーに乗るまでずっと、20mも離れた店先から見送ってくださいました。当日は、予約をしていたのですが、足に不都合がでて、杖をつき、往復ともタクシーだったのです。
 京都の店は、どこも良いところがあるなと感心しました。内のれんや坪庭に雰囲気を感じてしまうのです。わが木幡研にもそうしたいところですが、まあ、いつか将来にでも。

その壱は、ハモと鯛とマグロと、そしていろいろ八寸

その壱
 実は先付けを写真に撮るのを忘れたのです。最初、舟形ガラス器に湯葉豆腐があって、上等なウニ、そばに小ぶりの車エビが添えてありました。最後に若い人が「どうぞ、お飲みください」といったので、おだしを杯で飲み干しました。良いです。
 そこから携帯電話のカメラを使い出したのですが、どうにも色やピントが~と弁解。
 まあ、小さくしたので見られないこともないでしょう(笑)。
 最初はお椀に入ったお吸い物というか、ハモのつくねなんでしょうね、雪のような、ババロアみたいな味物でした。わかめもあって、健康満点。
 そうそう、鯛とマグロのお造り、なかなかに。冷酒の菊姫がぐっときました。
 盛りだくさんの酒肴、ちまきの中身は一口鯛寿司でした。

その弐は、鮎です、カブラ蒸しです

その弐
 鮎もこんな風に炭火網焼きででてくると、じわじわと、都振りを感じるものです。野趣の中に雅(みやび)を漂わせ、上手ですね演出が。それに、この小ぶりの鮎がめっぽう脂がのっていて、まるでこつまなんきんなんて書いても今東光を読まないと、河内に住まないとわからないでしょうが、いいお味。一口でした。
 カブラだけでなくて、タケノコもいっしょにとろりと吉野葛(かどうかは聞かなかった)。お腹がじんわりと温まります。

その参は、ご飯とデザート

その参
 ご飯の前に見てください、この糸のような錦糸卵。これをお好みでふりかけてご飯を食べるのですから、興趣きわまるところです。それに、この香の物がまた絶品です。右前のなすび、もう一度食べてみたい。
 デザートの可愛らしさ。おもしろいですね。卵ぷりん、道明寺粉の菓子、柑橘の甘いシロップ漬け、イチゴ、ワインゼリー、最後左上が黒胡麻プリン。至福ですねぇ。

感想
 カウンターに座りました。お姉さんが二人ほどで給仕してくれました。女将さんも時々顔をだしてくれました。
 もちろんMuは、京のお店の方で懇意にしている人はおりませんから、全部未知の方ですが。
 よい雰囲気でした。
 お値段は。
 まず、大きな出費は往復タクシー、5千円、贅沢ですね。しかし京阪のホームから杖ごと転げ落ちる危険性はまぬがれましたから、時にはよいでしょう。
 お料理がお昼で七千円のにしました。お酒とか、諸々で、八千五百円でしたな。
 しばらくは、昼抜きの、朝夕おかゆ三昧です。

 で、日本料理についてです。
 美味しかった。油であげたものがゼロでした。いろんな物を少しづつ味わえました。
 日本の文明の高さを心から味わいました。手間暇のかかった芸術作品ですね。
 こういう食文化は、世界でも珍しいとおもったです。
 素材も含めて、味がぞんざいじゃないのです。繊細な、ときにはあるかなきかの味わいなのです。錦糸卵なんか、口にするとふわっとして、かすかに卵焼きの味がのこり、あとはご飯を引き立てるわけです。そして、漬け物がどれほど和食にきりりとした切れ味を見せるか、存分知りましたよ。

 よそ様の国をあれこれ申すのも何ですが、日本で知る限りの各国料理が仏中含めてぜーんぶ、野蛮に思えてしまった昼下がり。アメリカでは生きていけない心地でしたよ。

 ただ、本当に日本料理は、手間暇がかかりそうです。だから、Muの日頃の昼食の十数倍もする価格だったとしても、これを自分で作ることを考えたなら、これでよろしと心からうなずけたのです。もっとも、日頃はお茶漬けさらさら、おにぎりもりもり、200円のアサリみそ汁で結構満足しているのですから、ハレ(腫れでもありましたが)の日くらいは、これでよいじゃないですかぁ。

参考
  桜田(家庭画報デリシャス)

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2005年5月 5日 (木)

うじがわのさくら:宇治川の桜、先陣争い、柿本人麻呂

宇治川先陣の碑(京都府宇治市宇治)マピオンBB地図

承前(MuBlog)

 久しぶりに宇治に戻ってきたという感がある。今春は京都府、京都市を桜さがしてめっぽう歩き回った歳だった。桜ばかり写して掲載していると、皮肉なもので、少ないコメントもメールも「伏見港のがよろしい、あれこそ一番」と言われるばかり、うれしいような、ちょっぴりむっとしたりで、人間とはおもしろき存在である。たしかに、伏見、そして柳を見直した、さすがに「伏見伏水」である。これはこれで年々歳々行ってみよう。鳥せい、月の蔵人、カッパ黄桜、魚三楼、そのほかMuも知らない美味しい料理やお酒があるはず、景観と味からして日本国内でも、伏見港界隈は一等優れた地だったのだろう。
 とはいうものの、宇治。これまたよろし。電車で10分、車で10分、朝夕行ける。
 その桜ですが、実は、当日は雨でした。承前の恵心院を朝の七時半過ぎにでて、宇治川沿いを歩き、対岸の平等院に移った、その経緯です。

うじかわ・うじはし

うじかわ・うじはし
 京阪電車の宇治線宇治駅を降りてすぐに宇治橋があります。写真本体に解説全文を引用しておきましたが、
「千三百年以上もむかし、大化二年(646)に初めて架けられたと伝えられる、わが国最古級の橋です。
 その長い歴史のなかで、洪水や地震などの被害はもちろん、戦乱に巻き込まれたことも数えきれません。しかし、橋はそのつど架けなおされてきました。ここ宇治が、交通上重要な場所であり続けたことのあらわれでしょう。~」

 ということは、この川を遙かに遠く下ったあたりに住み処をもつ鎌足さんあたりの発案なんでしょうか。ともかく、ものすごく古い歴史がありそうです。宇治が交通の要所である事情は、川を上れば琵琶湖に着きますし、途中進路を変えれば信楽を経て、三重県上野市まで行けますね。南に下れば奈良、飛鳥。川を下れば淀川に達します。陸路も水路もクロスするところだったのは、事実でしょう。
 また、宇治天皇の故地ですし、藤原家の別荘地帯ともなった由緒正しき土地柄なれば、橋もおりおりに立派なものが架けられたのでしょう。

宇治神社前、岸辺の孤桜

宇治神社前、岸辺の孤桜

朝霧橋と橘島の桜

朝霧橋と橘島の桜

柿本人麿歌碑:やそうじがわ

柿本人麿歌碑:やそうじがわ
 柿本人麿は、近江朝のシンパだったようです。壬申の乱で近江が滅びた後も、たっぷり歌を残し、そのなかに故京を懐かしむものも多いですね。さざ波の志賀の都は、人麿にとって何だったのでしょうか。ここでは、「もののふの八十氏河(やそうじがわ)の網代木(あじろき)に、いざよふ波の行く方(え)しらずも」と歌ったようです。意味は写真本体に引用しておきました。
 人麿さんの歌、よく知らないのですが、高市皇子が亡くなったときの挽歌、ものすごく壮大な長歌「虎かほゆると~」というのは時々思い出します。高市皇子は天武天皇の長男だった人で、母親の家柄から、天皇にはならなかった方でした。
 人麿がパトロンを持った歌人だったとしても、当時の政治、世相に強く反応して歌われたはず。近江を偲び、さらに勝った天武天皇・皇子高市を偲ぶ、両方とも心に感銘をもたらす歌でした。なにがあったのだろう。
 このあたりのことは、梅原猛先生を再読する必要にせまられるところです。

朝日焼窯芸資料館あたり

朝日焼窯芸資料館

宇治川桜姫

宇治川桜姫

宇治川先陣の碑

宇治川先陣の碑
 平家物語のこのあたりはどうにも性に合わないのです。これは義仲贔屓なのだから、仕方がないです。司馬さんの小説「義経」では、義仲軍が無惨に敗退する場面です。それを攻めるのが義経。それまでは将としては隠れていたと言うよりも、あえて鎌倉政権の意図のもと、光があてられなかった義経が、この宇治川の戦いで一挙に名を挙げることになります。
 先陣争いについては感興も湧きません(と、冷淡な)。ただ、この宇治川の京都よりに義仲軍、奈良よりに義経軍が対峙したことの、歴史的風景は、胸に迫ります。
 佐々木、梶原両名が馬乗り入れたのですから、それだけの瀬がないと無理です。だから、場所がどこだったのか興味は湧きます。この石碑のあたりとは、誰も言っていないはず。渡河作戦は昔から難しいことですから、両軍どこで相まみえるか、どこから渡るか、渡ってくるか、すでにスパイ斥候が多数おったのではないでしょうか。

 このたびは桜については触れもせず、ひたすら宇治橋と人麿と、そして不承不承先陣争いに言及しました。しかしそぼ降る雨の中(当日)、ぐるりと360度このあたりを見回して、「宇治は良き地なり」と呟いたのも事実です。川と橋と山と、寺社、そして伝承・歴史。これはMuのお好みのようです。
 高校生のころから宇治に出没していたのですが、当時の記憶では、住んでいた嵐山とこの宇治とに、妙に同質性を味わっておりました。両者共に、平家物語、源氏物語の主要舞台なのです。それに、{川、橋、山、寺社、伝承、歴史}。どこにでもありそうで、よく考えると、宇治と嵐山とは珍しい対なのかもしれません。
 このこと、また、今度考えてみます。

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2005年5月 4日 (水)

ヒミコのしょうご:日巫女の正午:平安神宮・笠井社中御神楽より

承前(MuBlog)

 昨年に引き続き、笠井社中の御神楽を観た。気になって「笠井社中」をgoogleで探してみたが、でてくるのは各地での神楽と、そしてMuBlogばかりだった(笑)。つまり、インターネットが盛んになっても、世の中が進んできても、こういった社中の存在は、その道に明るい人以外には、まだ秘されたままの幽冥界に隠ったままなのかも知れない。なんとなく、それでよい、そのままでよいのだと思って、この春四月に撮った写真を眺めてみた。

日巫女

日巫女
 最初この写真を得たときは、日光がまともにあたって白く飛んでしまった失敗作と数秒考え込んでしまった。しかしそのあとすぐに、千枚に一つの僥倖写真と感じた。太陽に全身をさらしたこの、目がつぶれほどの明るさこそ、心象風景のなかにあった、遠き古(いにしえ)のヒミコ、すなわち日巫女ではなかったのか。子細に観ると、この方の目がよい。口元がよい。宝冠と、鈴と扇がよい。日の本の媛とは、このように神の御前で神楽舞をし、神々の心をなぐさめていたのだろう。

神振

神振

大巫女

大巫女

剣(つるぎ)の鎮め

剣(つるぎ)の鎮め

 というわけで、この平安神宮例祭奉祝神振行事のうち、今年平成17年の春四月も、静と動と二つをありがたく観ることができた。静は笠井社中のこの御神楽、動は西村史郎社中茜流むらさき太鼓であった。神振行事はほかにも催し物がいくつもあるのだが、昨年平成16年にこの二つがMuの気持に溶け込んだので、また来年もこの二つを観に来ることだろう。その時も、今年のように神苑の桜が満開なれば、うれしい。

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2005年5月 3日 (火)

多視点の統合<半島を出よ/村上龍>感想文

承前(MuBlog)

はじめに
 村上龍の「半島を出よ」は文学・小説の持つ「統合力」を明確に表現した作品として、後世に残って欲しいと思った。
 私はここに国際情勢も、北朝鮮問題、中国問題、日米問題、日本国統治政治経済問題も、そういう現実世界のもろもろを見たとは、全く思わなかった。
 かといって、人間の全容を古き良き時代の西欧大河小説のごとく味わったのでもない。
 ひたすら、村上龍という、作家、つまり現代に生きている人間の可能性の全容を知った。
 人間は、言葉を使って、こういうことを考え、そして文字によって作品にすることができるのだという、驚きである。

 この世は夢幻と美しく語るのはもったいない。狂乱じみたおとぎ話に満ちあふれている。たとえて言えば、数十年前の筒井康隆の作品のような世界である。当時はそれがトンデモなく思えたが、現代は日常茶飯事として生起している。筒井を尺度にするならば、現代はおとぎ話が小説にしょうもないくらい満ちあふれた世界なのだろう。
 
 言わないでおこうと思ったが、言ってしまう。長い前振りとなるのだが。

 ばかでかいツインのビルディングに、飛行機が二度も飛び込み、映画のようにビルが崩壊し、数千人が死亡した。これをTVニュースで見ている分には、おとぎ話にしか思えない。
 少年Aが少年の首を切り校門にさらし、サカキバラとかなんとか名乗った。残酷なおとぎ話だった。

 近国の命令を受けた工作員が日常事のように日本国領土に潜入し、人をさらい、「やっていない」と抗弁し、それを知ってか知らずか「そんなことがあるはずない」と当時の社会党は言い続け、歴代政府は「まあ、調べてみましょう」と何十年間も先のべし、ある時期の政府高官金某は近国をネタに稼いでいた。そしてそれが発覚しても近国は「日本の謀略宣伝だ」とまだ言いつのり、さて当時の左傾の大新聞や社会党は、今どうしているのだろう。私は、人さらいがよく起きた日本海沿岸の知人に昔聞いたことがある。「父と母が、夕暮れの海辺でデートしていて、不審の男達を見かけ、必死の思いで逃げた。あのとき、逃げ切れなかったなら、私は生まれていなかったかも知れないし、生まれていてもここにはいなかった」と。思い返せば、おとぎ話が現実にあるのが、現代。近隣諸国のいくつかは、古代の征服王朝そのままのようだ。王が生殺与奪権を持ち、言葉を発すれば、ただしく首と胴体とが別れる。宦官が見え隠れする国もある。
 これが、現代のおとぎ話。

 60数年前の日本もそうだったのでは、と声がかかりそうだが、そうではない。
 日本は歴史をよく調べるなら明確だが、少なくとも1500年間以上は、特例を除き一個人の手に生殺与奪の権が集中しない、まともな法治国家だった。現代の日本国憲法は、占領米国のおかげをもちまして、大日本帝國憲法の枠内で憲法変換がなされた。これは法治国家として見上げたものである。今度改憲されるときも、現行憲法の枠内で速やかに、改良日本国憲法となろう。識者多数のおかげをもちまして。

 さてその日本がどうなのかは、半島を出よを読むことで明確に浮き上がってくる。
 日本とは、現実を直視しない、すべては「おとぎ話」としてしまう巧妙なシステムで成り立っている国のようだ。
 特にこの60年間は、ラジオやTVやインターネットの影響もあって、すべてをTV画面大の視野に押し込め、「ほう、そうなの」とため息をつき、で、見て見ぬふりをするのが、庶民から政府高官、自衛官、警察官、識者にいたるまで、生きる基本態度になっているようだ。
 じゃまくさいのだろう。
 豊かさの結実かもしれない。
 だから、手をつないで輪を作る穏やかな平和主義や、軍も警察も不要という脳天気なユートピアンや、用もなく激戦地を観光する素っ頓狂な「行動」が派手に見えてしまう、強烈な皮肉。

 生活リテラシーの第一優先事項「あれは、おとぎ話。あれはよその国のはなし。あれと私は関係ない」
 そういう摩訶不思議な世界を、村上龍という往年の芥川賞作家が、きっちり読者に見せてくれた。

まとめ
 北朝鮮反乱軍となのる「高麗(こりょ)遠征軍」が、これはいつのまにか、米国も日本も難民軍あつかいにしてしまうのだが、綿密な計画の上で、九州福岡の福岡ドーム前の広場に宿営する。
 私はこの設定だけで、なにやら一気にタイムマシンに乗って、2千年ほどむかし北方騎馬民族朝鮮族、

(これは調査が必要:中国史をひもといても、覇権国家中国はむやみやたらに周辺国を蛮族とみなし、名前をいっぱい付けるので、そんな時代に高句麗があったのか、朝鮮族がおったのか、女真族だったのか、もう、専門家とか友人Jo以外は訳が分からない)
が、大挙して磐船
(実際はアントノフ2型輸送機という木製の複葉機なのでレーダーにも写らなかった。写っていても、航空自衛隊がスクランブルをかけて撃墜するほど、政府に根性は無かった設定)

に乗って九州にご降臨なさったようで、かぎりない懐かしさを覚えた。総数500名ほどの、全身殺人マシン兼高度の知性を持った将官と、殺しても死なないくらいに強靱な兵士、「軍」である。これらが、現代のありとあらゆる政治経済知識を動員して、数日間で巨額の資産を得、口座を開き、福岡市と交渉し住基IDを各員が獲得し、知らない間に九州全域を乗っ取ってしまった。背景として後続部隊、つまり船団数百隻に分散し、北朝鮮最強の第八軍団

(全員特殊兵、将官達は、将軍様が中国に亡命しようとするのを、嫌悪する生粋の首領様思想の持ち主達)

12万が渡海し生活をする準備をする先遣隊だったのである。中心になるのは、それより数日前に上陸した9名ほどの最強の将兵たち。
 この最強の将兵9人が、作品の中で高麗遠征隊を代表する。宣伝広報の責任者でNHK福岡の30分番組に出演するチョ・スリョンは、近頃の韓流も逃げていくほどのいい男で、命がけの日本人ファンが出てくる。その他、この9人のキャラ造りはうっとりするほど、うまくはまってくっきり眼裏に蘇る。女性もいる。往年の韓国パンソリ女優みたいなのも。

 見どころは。この、どうしようもない精強軍団に、日本国は匙をなげ、九州を封鎖し、知らぬ顔をしてしまうことにある。なにしろ、米国、中国、韓国も、「難民軍なんだから、攻撃もできないから、日本君、君の独力で解決せよ」となる。特に中国や韓国は「早く、その高麗軍と交渉して、博多港を再開してくれないと、経済的損失が辛抱できなくなる、ここ数日でコンテナが1万台以上野ざらしじゃないか!」と、完全に遠征軍を「九州国」と見なしてしまうしまつ。

 圧巻は北朝鮮の反応。「反乱軍がお国で悪さしておるようだが、なんなら軍を派遣して鎮圧してもよいが」。もちろん、わが祖国政府もこればっかりは、九州での内乱となるのを恐れ、辞退する。しかし、政権によっては分からないぞ、という背筋が寒くなる雰囲気も味わった。わが祖国政府は外地の大使館がおそわれようが、祖国民が外地で資産を破壊されようが、軍を出す気も無ければ、外交交渉で追いつめる気力も、なきがごとき雰囲気を醸し出す、実に穏やかな国柄だから、「はいな、どうぞ来ておくれやす。はよう、退治しておくれ」と言いかねない、将来。

 さて、どうなる。ここがこの小説の見どころ。そして、優れたところである。立ち上がるのは、全員心身失調にちかい、つまり幾多の猟奇的残忍な殺人を起こしたが、少年法で保護され、心神喪失で釈放されたようなどうにもならないクズ少年達が、なにか知らない間に、唯一立ち上がる訳である。
 すでにストックホルム症候群

(捕虜や人質が、長期間の緊張の中で、敵対するゲリラや犯罪者と心を通わせ、男女の場合恋愛になるほどの異常心理)
が蔓延した福岡市の有能でしっかり者の女性公務員ですら、彼等の義侠を理解出来ないだろう(と、ネタばれになるので詳細は避ける)。

 読み終わって思った。この、村上龍の真似はだれにもできない。ただの冒険小説、悪漢小説ではない。国際謀略小説でもない。もちろん政治小説でもない。SFでは絶対にない。当然、悲憤慷慨超右翼国粋主義大東亜共栄圏死守小説では、全くない。安心して読める(笑)。

 視点に多様性がある。非難ごうごうのSATや警察庁幹部の不手際、政府高官たちの弱腰やうろたえにさえ、「さもあらん」とジーンとするくらいに視点が多次元である。当然斬り捨てられた九州福岡住民から見た遠征軍、よくよくに理解できる。現代道徳倫理を最大限振りかざしても遠征軍司令官達の苦渋、生い立ち、国を守るために反乱軍とされて建国する意気込みがひしひしと伝わってくる。まして、唯一狂気の反抗を企て実行する猟奇少年達の、それぞれの精神状態を味わいながら、なぜその義侠に加わり死んでいくのかという、そのあたりの心象・情景描写には、村上龍が神仏に思えた、ぞ。

 多数の視点を導入した効果は、実は、先述記事のMu注記に記した、同一事象、同一対象への、二重三重の表現によって、一段と効果を増している。高麗遠征軍の隊内犯罪に関する公開処刑ですら、将官の目、医者の目、兵の目、住民の目、多数の目で描写されていく。
 この小説に、あらかじめの、勧善懲悪はない。だれが悪人で善人なのか、そんなものはどこにもない。だれが臆病者で卑怯者か、それすら無いと言って過言ではない。
 しかし、小説に終わりは来る。終わらせ方に作者の思想が現れる。それが、良いか悪いか、妥当かどうかは、私には分からないと言った方がよいだろう。
 私ですら、ストックホルム症候群とは異なるが、高麗遠征軍に幻の騎馬民族征服王朝の建国を懐かしく思ってしまった。本来は、中国や朝鮮は、わが国にとって、豊かな実りを長くもたらしてくれた大国・文明国だった。現住民のDNA分析などでも、実に近い、兄弟姉妹とは言えないまでも、イトコ、またイトコほどの血縁がある。
 あの日巫女でさえ、魏に援助を求め、百済は日本国に亡命した。
 遣唐使に選ばれるなんて、当時は命がけの誉れだったんだ。
 それが、この100年、なんという悲惨(嗚咽)。

 私が結末を付けるなら。
 ~
 ああ、と言葉をなくした。

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2005年5月 2日 (月)

半島を出よ/村上龍

推定・福岡ドーム(福岡県福岡市中央区地行浜1丁目付近)マピオンBB地図
現実・JALリゾートシーホークホテル福岡、公式HP

半島を出よ/村上龍著<ハントウ オ デヨ>.

半島を出よ/村上龍
  (BA71524989)
  東京 : 幻冬舎、2005.3
  冊 ; 20cm -- 上;下
  ISBN: 434400759X(上) ; 4344007603(下)
  著者標目: 村上、龍(1952-)<ムラカミ、リュウ>
  分類: NDC8 : 913.6 ; NDLC : KH384

所蔵図書館 12 [by Webcat 20050501]

帯情報
 上巻

北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧した。彼らは北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。財政破綻し、国際的孤立を深める近未来の日本に起こった奇蹟。

「あの丸い屋根の大きな建物は何ですか?リ・キヒが聞いた。乗組員はチャン・ボンスたちの視線の先を確かめて、教えてくれた。「福岡ドーム」。今日は確かプロ野球の開幕戦が行われるはずだと乗組員は言って、野球を見に行くのかと聞いた。まあそうです、とリ・キヒが曖昧に返事をした。あの建物に用がある、チャン・ボンスは声を出さずに呟いた。だが野球を見に行くわけではない。」「種のないパパイヤ」より

 下巻
さらなるテロの危険に日本政府は福岡を封鎖する。逮捕、拷問、粛清、白昼の銃撃戦、被占領者の苦悩と危険な恋。北朝鮮の後続部隊12万人が博多港に接近するなか、ある若者たちが決死の抵抗を開始した。現実を凌駕する想像力と、精密な描写で迫る聖戦のすべて。

「カネシロはうなずいて、おれはここに残る、と言った。見ろ、カネシロは部屋と廊下の死体と血の海を示した。これがおれがずっと夢に見てきた世界なんだ。他にはもうどこに行ってもこんな世界はない。やっと見つけたんだ。だからおれはここに残る。自分でここを始末する。おれの世界だからおれが自分で壊すんだ。」「美しい時間」より

参考文献(Mu:項目のみ抽出)
■北朝鮮関係
■住基ネット・預金封鎖・対米関係・地政学
■国際法
■少年兵
■軍事&安全保障・特殊部隊・兵器・武器
■火薬・爆破・発破
■建築設備
■虫・爬虫類・ヤドクガエル・毒
■医学
■九州経済
■映像資料
■北朝鮮関連音楽CD
●WEB(2005年3月3日現在)


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2005年5月 1日 (日)

NHK義経(17)弁慶がなぎなたを~

承前

鑑賞前
 ながらく眠っていて、気がついたら日曜の朝、義経の日となっていた。一週間があっとおっという間に過ぎてしまう。このまま黄泉路へ一直線と思うまもなく連休もあけてしまう。
 今朝は常にましての長い前振り。

 数日間、休暇を半睡で過ごしてしまった。今春がいつもと違うわけでもないのに、なにやら式典や、授業や会議が、心身にこたえて、いつもの夕方はぐったりしていた。だから、黄金祝祭週にはいったとたん、夢かうつつか、はたまた彼岸かわからぬ浄土のような、ヨモツヒラサカをこえてしまった日々だった。
 なおまだ、中有の日曜日、連休はこれからでっせと言うなかれ。
 例によって宿題・課題の山積みを一挙にはたさんと気力を充実して前半にあてておったのに、ああ寝過ごした。
 しかたないなぁ、多くのことは今夏にまわそう。
 とまたしても、今秋晩夏、おなじ繰り言をつぶやき、来年も、再来年も、生ある限りつぶやき続けやがて、……。

 ところで。
 「べんけいがなぎたをもってな」
 これは中学生の折りに、国語の時間、先生が申された句読法の間違い事例であった。
 {弁慶がな、ぎなたを持って}
 で、無知なる者は「ぎなた」とは、何物ぞとくびをかしげる。初期の自然言語処理、形態素解析システムなら、「ぎなた」は辞書にない未知語として処理するだろう(いまもそうだったなら、泣こう、みんな!)。

 というわけで、弁慶とくると、「ぎなた」が想起される、つまりは連想記憶の引き金が「弁慶」で、ひぎだされるものが「ぎなた」というハード的なニューロン組織が、すでにMuの脳にこびりついている。
 と、なんのことはない、ここしばらく、脳構造や脳生理学や、記憶や、遺伝子や遺伝子の反乱など、硬軟トンデモとりまぜて、そんな読書ばかりしておった。それ以上にビデオ・DVDも見た。放送大学、NHKからプレデターまで。プレデターの使う記号体系は、あれは人間の染色体模様をそのまま、つかってますで。
 お勧めは、やはり、ワトソン『DNA』(講談社ブルーバックス、上下)だね。
 ワトソン君はね、二十代の折りに某図書館で司書をしておって、ひなが「二重らせん」に読みふけっておりました。司書の卵には、「カウンターで読書するなんて、反逆罪、切腹だよ」と言いつつも、その某図書館は、一日に見知りの若い助手が2名くらいしか訪れない極楽図書館だった。人気がないのではなくて、司書がいなくても夜中でも利用できるような優れた運用体制だった。
 ある日のカウンター。
 私「せんせ、この前の、永井豪、続きを見せてください」
 彼「あれ、もう読んだんですか、Muさんも好きですねぇ~」
 その助手さんは、いまや世界的教授、数学者になってはる。Muとはえらい違いや(豪笑)。
 ~
 という青年時代、ワトソンやガロア群論に親しんだのだから、遺伝子や数学にときどき取り込まれるのは、無理もないと、客観視。

 で、話を元に戻そう。
 村上龍『半島を出よ』上下、幻冬舎、これは出色だなぁ。巻措くアタはず世界である。これは後日にきっちり感想文を残しておこうぞ。
 で、スタックを繰り上げて、ようやく元の義経にまで戻ってきた。

 私は義経や靜に、それなりの、若さというか、それなりの演技の様式美をあじわっておるのに、もう、今の世の中、来年の功名が辻でもちきりのようだ。千代役と山之内一豊役の両名に流れが飛んだ雰囲気も見えた。この両名は有名な役者のようだが、知らなかったのでネットを探して写真をみたが、Muの記憶に合致するひとではなかった。これはこれで、未知の役者、未知語として来年も楽しめるなぁ、と思っては見たが。

 まてまて、義経は始まったばかり、まだ25%しか消化していない。もちろん、世の批評家は最初の数ページで小説を判定し、最初のタイトルで映画を判定する慌て者が多いが、人間の作品というのは、そういうなものもあるが、成長の過程を楽しむという極めて高度な知性体でもあるんです。終わってから、何年もして、心を締め付けるような感動小説や映画や芝居もある。
 それをどこで見分けるか。
 あはは、それこそ超高度な知性や洞察力や教養がないと、見極めはできませんのです。
 もちろん、現代の経済原則からすると、ぱっと売れないものは価値がないわけですから、最初で惹きつけないのはクズ扱いされます。
 しかし、享受者からみると、関係性の中で作品が、変化していく楽しみがあるわけです。文章であれ映像であれ、猿が見る場合と、人間が見るばあいとでは、違うでしょう(笑)けけけ。
 ああ。英語や独語が読めない者が原書を眺めるのと同じでしょうね。(Muの自己判定です)

 つまるところ、人間Muが良しとすれば、もうそれだけでこの世の小説や映画やTVドラマは良いわけです。あとは、それがどう良いのか、なぜよいのかを、評論家Muがわかりやすく解きほぐすだけなのですが、そこはそれ、「好み」もあるので、はっ、……。

 なれど、Muも孤立無援というか、えどるん帰京のにぎやかな木幡研では、義経←沖田一番隊組長、義仲←近藤局長、弁慶←あの、ほら、あのひと。頼朝←芹沢鴨、政子←芹沢の愛人(これ、ぴったりですな)、靜←優香、あはは、などと、異形のキャスティングが日々ささやかれております。それはそれで、また一風変わった「義経」解釈もでてきそうで、よいです。

 さて、ようやく弁慶、本題。
 しかし、疲れがでてまいりました。お後は今夜終了後ないし明朝に一席。

鑑賞後
 今夜の弁慶と千鳥なる女性とのハプニングは、視聴者、原作、脚本、演出、役者たちそれぞれの思いもあろうが、Muは元来別の世界に住む者なので、深くの言及はさけよう。

 ただ、純粋に技巧の上で申すならば、斯様に弁慶女性問題への関心が薄いので、今夜の回は焦点が見えなかった。靜との別れ、これは先回にも収められた。福原と清盛、これも先回に収められた。残るは件の弁慶と、政子による義経の結婚問題である。
 政子の侍女、手古奈に頼朝の手が付くとかどうとかも、政子の気性から考えて、侍女にとっては生死の分かれ目。それがなぜ義経に助けを求めてきたかは、ちと解せぬ。

 と、まあ合戦、謀略、魑魅魍魎の世界ならいざ知らず、斯様な男女の機微、おなご同士の確執は、私の世界にはなじまぬ。よって、今夜の論評は差し控えるなり(と、まあ、申すべき事は記してしまった、後の祭り)。
 来週は、平相国清盛公が亡くなる。
 時代は、急展開となろう。
 義経、靜、がんばるのじゃぁ~。

参考サイト
  武蔵坊弁慶生誕の地・たなべ
  弁慶の話と七つ道具

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