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2005年4月20日 (水)

よどがわ・せわりつつみ:淀川河川公園背割堤の桜爛漫

淀川河川公園背割堤(京都府八幡市・御幸橋あたり)マピオンBB地図

 このあたりのことを説明するのは、知人に詳しい方が居りますので、まことに心苦しいのです。
 (JoBlog のいくつかの記事を探してくださいませ)
 Muは、この日、すなわち「流れ橋」を観た日なのですが、車をともかく京阪電車の八幡市駅までよせて、おもむろに桜の猟場を確認しました。もちろん、御幸橋あたりの駐車場にまず入り、後は徒歩でした。
 そこは、背割堤と呼ばれているようでした。

 その前に、まず地図を御覧ください。
 写真と地図から見て、このあたりは歴史の宝庫です。なにも古代まで行かずとも、眼前に天下分け目の天王山があるじゃないですか。これだけで、胸がいっぱいになりました。遠望、はるか、ここに大軍勢が集結したわけです、16世紀後半。
 地図を一ランク拡大して南を観れば、「桜井」これは楠親子の話だから15世紀でしょうか。
 また水無瀬も見えます、後鳥羽院さまが遊んだところ、13世紀。
 で、石清水八幡宮となると、たくさんありすぎて、少なくとも弓取る武人には神様の中の神様です。
 あとは言わないつもりですが、~~、継体天皇関係事績が目白押し。

 もうやめようと思いますが、口がすべって、たしか藤原鎌足が隠棲していたのも、このあたりの葦のしげる水辺、でおもいだしました、谷崎潤一郎翁の芦刈もまたこのあたり。
 ……

 桜を御覧ください。

男山の春

男山の春

淀川・背割桜・大山崎天王山

淀川・背割桜・大山崎天王山

桜雪山

桜雪山

春の桜

春の桜

桜曲線

桜曲線

淀の姫桜

淀の姫桜

桃と桜をこき混ぜて

桃と桜をこき混ぜて

 ここで止めるつもりだったのですが。
 八幡市には、松花堂弁当の松花堂元祖というか、発祥の地が庭園・美術館としてあるようです。未見ですが、次回のおりには、そこの吉兆松花堂でお弁当でも(笑)。遊行とは、これ隠居仕事、お金がかかるもんですなぁ。

参考
  温かタウン八幡

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コメント

サントリー山崎蒸溜所

 新幹線で京都から大阪へ向かう時、いつも山崎の当たりではサントリーの、特徴のある建物を見たくて右の方ばかり見ています。

 左に淀川が流れていてさくらが咲いているとは、ち~とも知りませなんだ。

 大阪からの帰りは従っていつも左側ばかり見ておりまして、サントリー・オールドのポケット瓶を窓際に置いて、ということもままあるという次第。

 花よりサントリー??

投稿: ふうてん | 2005年4月21日 (木) 01時45分

ふうてんさん、2005年4月21日 午前 01時45分

 サントリーの会社のあれは、なんですなぁ、広告宣伝の原論ですな。
 幼少時からながめておりました、阪急電車だったか、国鉄だったか。

 で、新幹線だとどのくらい時間秒、識別できるかな。
 富士山だと、しばらく見ておれるのですが。

投稿: Mu→ふうてん | 2005年4月21日 (木) 05時10分

私の地元です。だから、コメントしずらい。

しかし、こんな綺麗な楽園というか極楽浄土のような場所やったかな?と、思います。

桜はホンマまわりを変えてしまうんですね。ほんの数日だけやけどね。

ご苦労でした。

投稿: jo | 2005年4月21日 (木) 14時59分

 京都の南にこんな桜の名所があったんですか?
 鴨川ではなく、淀川というところが、全然違う雰囲気にさせますね。

 「淀の姫桜」と「天神川姫桜」
やや淀君の方が年配でしょうか?
淀殿を見て、天神川の流れる水面がやっぱり素敵だな~と思いました。

 桜には水面がよく似合う・・・。

投稿: wd | 2005年4月21日 (木) 15時44分

jo さん、2005年4月21日 午後 02時59分

 なっ! 直近のことは言及しにくいやろう?
 このあたりのことな、最近、取っている新聞でやけに記事が連載されたり、個別記事がようあるんや。それは、……
 言わずと知れた、継体はんでんがな、あんさん、電話やおまへん、オホド王さんどすえ。

 この風景みてたら、継体はんが長岡宮もふくめて、飛鳥へいくのを20年もおくらせたん、ようわかるわ。単に、飛鳥の旧勢力がいややっただけやない。
 継体は、長岡、八幡、樟葉、高槻、淀川、木津川、桂川、筒木、すきやったんやで。
 絶対そうや。
 いま、それまでの論考がひっくり返る、継体天皇の治世。

 JOさん、本腰入れて、この北河内を踏査しとくれやすな。

投稿: Mu→Jo | 2005年4月21日 (木) 18時04分

wdさん、2005年4月21日 午後 03時44分

 たしかにね、淀の姫桜と命名したときは、天神川桜姫の面影がちらちらしました。
 どっちがというよりも、天神川は平安時代ですね。
 そして気持ちは、この淀川というより、桂川、木津川、ついでに宇治川もたして、もう気宇壮大というか、大空に突き抜けるような空間感覚ですね。
 だから、かげひなたもない、ちょっと異様にあけっぴろげな姫君がこの淀の方ですなぁ。

 どっちゃが好きか、と問われれば、Muもwdはんとおんなじで「都人」ですから(失笑)、まあ、天神川をとりますが。
 淀も捨てがたい。
 しかし、実はね、まだいくつか隠し球があって、そんなんをこれから掲載すると、いちいち、どっちの桜がよろしか、と考えそうで。

 最後にまとめて、一ダースほどの桜を上げますから、そのおりには、Wdさんも投票してください。まあ、連休明けでしょうな。

追伸:一応、行政区分では京都府八幡市ですが、Muの考えでは、継体天皇が宮居したところ、でまとめたいですな。

投稿: Mu→Wd | 2005年4月21日 (木) 18時13分

Muさん

頼む、早くこの地、日本の文明の曙の場所を小説に書いて、世界に知らしめてくだされ。

如何に、古代から近世にかけて歴史の天王山を演出して来たか!

日本いや、東アジアの文明の十字路でんがな。桜がそう言うております。

投稿: jo | 2005年4月21日 (木) 23時41分

joさん、2005年4月21日 午後 11時41分

 ソメイヨシノは継体天皇時代になかったろうから、この写真の雰囲気ではうまくいかないなぁ。
 植生豊かだったのは確かだから、桜並木があってもよろしな。福井の大野あたりから持ち込んだとかの設定で(笑)

 樟葉の地元には、継体天皇顕彰会のようなグループがあるそうです。

 いずれにしても、河川を利用した物流・情報流が、統一国家の中核にあったんでしょうな。

 Joさんのおっしゃるように、飛鳥や古京(奈良)、新京(京都)にいたるまでに、ショウテイムラ(劇笑)を中心にものすごい国際都市があったんやぁ~、なんて小説があったら、Muも即刻購入熟読書評blogです。

 して、天王山は何を見ていたのか。
 天王山に登らんとあかんなぁ。
 男山は昨年ほろほろと歩いたけどな。

投稿: Mu→JO | 2005年4月22日 (金) 04時05分

松花堂弁当

私の活動範囲である、自由が丘の近くに等々力渓谷の散策の道があります。

等々力の駅前に”ざいもくや”という和風レストランあり。

ここの、名物が松花堂弁当(ショウカドウ)なの
です。等々力渓谷はのんびり出来る、散策路でして、東京の穴場です。

投稿: jo | 2005年4月22日 (金) 07時18分

joさん、| 2005年4月22日 午前 07時18分

 渓谷とかいてあると、険阻なところにおもえますが、のんびり散歩できるところなんですね。
 ところで、つかぬことを伺いますが、Joさんとか古来の賢人、アインシュタインまで含めて、散歩好きが多いですが、散歩している間は、なにを考えておるのでしょう。

 一応Muも散歩することはあるのですが、なんかこう、退職金の計算や、もろもろ邪念にあふれてくるので、困ることもおおいなぁ(笑)。人格がよくないのでしょうか、人生Jo相談。

 さて、本題。
 松花堂弁当は、おお、関東にもあるんですかい。全国版なんですね。あははは、と苦笑い。

投稿: Mu→Jo | 2005年4月22日 (金) 09時40分

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