ひろさわのいけ:広澤池の桜と石仏
広澤池(京都市右京区嵯峨広沢町)マピオンBB地図
大覚寺大澤池の東に広澤池がある。と、大覚寺を起点に説明したが、私の幼少からの想いでは、広澤池の西に大覚寺があり、そのまた西にいわゆる「嵯峨野」があると銘記してきた。ことは単純で、小学校4年~6年ころに友人だった幾人かが、このあたりに住んでいた。そのころは、自宅(車折(くるまざき)神社近く)から徒歩や自転車で、学校の帰り、家から、日々うろついていた。それは、小学、中学、高校、大学浪人、学生時代とずっと続いていた。なんのことはない、近所の散歩、自転車気晴らしの所だった。
石仏
遍照寺山桜木点描
ところが何故に遍照寺山なのかは長く無知のまま過ごした。あるとき遍照寺(池の南すぐに現在もある)のことを見たおりに、平安時代に真言密教・東密・広澤流の隆盛をもたらしたこの寺が、実は「朝原(あさはら)山」の麓にあり、朝原山は遍照寺の境内みたいなもので、いつかそこが遍照寺山と呼ばれた、と知った。もちろん、こういう地名のことは伝承も前後するので、どちらが先かは門外漢には確定しにくい。ただ、平安時代の10世紀末には、この山の麓に真言密教の遍照寺があったことは事実なのだろう。
と、ここまできて思ったのだが、私の現在におよぶ多くのことは、物理、化学、生物、数学、英語、歴史(世界、日本)、国語、漢文、あらゆることが最初は、ほとんど高校での授業内容が発端になっていることに気づいた。青年期初期「教育内容」の影響は、深く長く重い。
広澤池東岸遠望
真綿桜
東岸の遠望図と、その拡大「真綿桜」とは、じつは往時少年期、青年期には間近に見られた。つまり、この東岸の奥まで自転車で入り込んでいたのである。東岸の池辺からみる残照は私の感性に決定的な影響を与えた。
しかし、そのことをここで記すほどには、まだ、それが何であったかを整理できていない。
自然と風景と歴史とを、保田與重郎に学ぶ以前に、その素地を知らぬ間に得ていたようだ。
少年期、青年期の環境というものは影響が大きい。
現在はこの東岸も、奥にある宗教施設の私有地として入ることができない。
それはそれでしかたがない。
しかし、その教団は素晴らしい立地をえたものであると、痛切に羨ましい。
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コメント
Muさんとか、ほかもさんらは、この広澤の池が共通の校区やったんやね。
時代が違っても、それぞれが少年期、青年期をこの池ですごされた思い出があるんにゃな。想いは幾ばくか・・・・・。
試験に受かる祈願を石仏に手を合わせ、池のさざなみを見ては初恋の心が騒ぎ、腹がへると美味しそうな遍照寺山を眺める。
すばらしい場所で豊かな感受性をはぐくまれたんですね。
投稿: jo | 2005年4月26日 (火) 13時00分
あのお~。joさんねぇ~。
上の表現、なんか誤解を招きそうで困りますねぇ~。(ワタシにだって、選ぶ権利はあるでしょ?笑)
ワタシが高校に通う頃は、広澤の池になんか遊びに行かなくても、映画村とかいっぱい現代的な遊び場がありましたよ。へへへ・・。
投稿: ほかも | 2005年4月26日 (火) 13時18分
えっと、ちょっと昼寝してる間に、Joさん、ものすごく下手な日本語コメントをくれはったんで、教授としては、その意を上手に万人に、過不足無く、かつ正確につたえるために、しぶしぶ筆をとり、加筆修正の労、つまり添削しときました。
ことは「ほかも」はんの名誉にかかわること、Joさん、きいつけておくれやす。
Muの名誉など、はいて捨てればよろしが、どこぞ奈良の名家のご令室「ほかも」はんの名誉を毀損すると、大変ですぜ。
ともあれ、推定では、Muが青少年期多感だった頃、この広沢池東岸の桜の下で残照に魅入っていたとき、あははは、ほかも様はおそらく、むつきもようやくとれた幼稚園前の幼女だったはず。
時代考証をしっかり、しとくれやすな、Joさんや。
ではまた、午睡(笑)
投稿: Mu→Joほかも | 2005年4月26日 (火) 13時50分
ほかも はん
ム はん
誤解を招く表現で皆さんの名誉を傷つけたようでしたね。申し訳ないどす。
ただ、ほかもはんのお母さんとお父さんの思い出が深い広澤の池が頭の中を占めていましたので、あないな誤解を受ける表現になりましたね。
私が全く予想もしない、誤解が生まれるのはやはり、この手の話は苦手な証拠です。(笑)
投稿: jo | 2005年4月26日 (火) 14時29分
joさん、2005年4月26日 午後 02時29分
さっき無事13万アクセスに到達しました。
よって、この「広沢池舌禍事変」は、
大赦によって、放免。
で、いきましょうや。
と、と、と、というよりも、「ほかも」ワールドで、よろしうに。MuBlogでは一件落着、桜吹雪。
投稿: Mu→Jo | 2005年4月26日 (火) 16時56分