NHK義経(16)福原のこと
鑑賞前
先回は、義経と兄嫁政子との気持ちの動きをあれこれ考えたが、先夜の新聞を読む限り、そういう話は注目されていなかったようだ。
都遷りをしたので、残された旧都が荒れに荒れて、野党盗賊が跋扈し住民達が困っているとの予告だった。これを以て、清盛公は還都を決断されたよし。
さて、福原だが、これは現在の神戸市中央区楠町あたりらしく、また大輪田泊は長田区と聞く。よく調べられなかったが、ともかく、著名な遺跡が発掘されたあたりを地図に示しておく。その辺りが、福原の都だったような。
横道だが、Muは時代を超えて、湊川神社がそばにあることに、別の感動を覚えた。楠木正成のことである。
福原のあたり(神戸市中央区楠町)マピオンBB地図
鑑賞後
田中美奈子(牧の方、頼朝の舅の後妻)の出番が少なかった、不満である。
さて、政子と義経のことは不明瞭なままにすぎた。政子と頼朝との夫婦仲不満足なはけ口が、仲むつまじい義経と靜との間柄への嫉妬のように、取れるようにもなっていた。
日頃なら、かくなる愛憎微妙な心理には立ち入らぬのだが、なにやらそれをあれこれ申さねば、今年のNHK義経の美味しいところまで漏れ落ちそうなので一言。
つまり、政子の態度が豹変していった。頼朝と義経とを切り崩しにかかった。事情は、義経の人たらしというか、またたびのように人を惹きつける魅力が、仇なすことになろうと進言するわけである。
兄嫁としては、義経は普通ならば可愛い義弟なのだが、ここには、家がある。親元の北条家安泰と繁栄を願う孝女政子としては、才能の片鱗を見せる義経は、早い内に芽を摘んでおかねばならぬ敵だったのだろうか。
ともあれ、以前ミーム関係の図書で気づいたのだが、女性は、頼朝が「亀の前」に縁側でツメを切ってもらっている姿だけで、政子が逆上した情景を、妥当と見なすらしい。ミーム図書によれば、女は男と異なり、想う男が他の女とどれだけ長く一緒にすごすかに憎悪、殺意を帯びた嫉妬を持つとのこと。男の場合は、ツメを切る切らせる仲睦まじさに嫉妬するレベルまでは女と同じだが、それから家に放火するとなると、これは沙汰の他、と男には思える。男は一般に恋人が他の男に抱かれた事実をもって、重ねて四つに叩き切る憎悪を持つが、女は別のようだ。
もちろんこのミーム図書は西欧の女性が記したものなので、大和の国に適用できるや否やは不知。
また昨今は、男女とも文化が截然と分けられない様相なので、男女の違いは個々人で大きく異なるかも知れない。
ただ、今夜の義経を見る限り、そういう点に気持をこめないと、全容がうまく把握できない番組なのだとおもった。
で。
義経と靜の愛情表現が、戦前の恋愛映画のように想えて、心地よかった。つまり、いつも申す様式美である。ちらちらと気になっていた灯火が、ふと消えるところなど、そういうお約束事をさらりとこなす演出に、今夜も瞠目した。
それにしても、靜は、水干姿で両手の扇を同時に挙げたところが、一番似合っているのではなかろうか。以前義経との、出逢いのときがそうだったように記憶する。
参考サイト
「第二部は、福原と大輪田泊」/神戸大学文学部「日本史特殊講義」高橋昌明
この先生は『高橋昌明「福原の夢 ─ 清盛と対外貿易 ─」(歴史資料ネットワーク編『歴史の中の神戸と平家』神戸新聞総合出版センター、1999年)』を出版されているようです。福原の夢、というタイトルに惹かれます。つまり、清盛はなぜあんな狭くて辺鄙なところ(と、現住民には失礼しましたぁ!)に都を遷したのだろうか、……。そこに、日宋貿易はそれとして、どんな夢があったのだろうか。
福原(平家物語歴史紀行)/山田邦和
この先生は福原を副都(第2首都)と見なし、平安京は第1首都であったと記事に書いておられます。だから遷都ではないとなるようです。なかなかに、福原遷都(?)も、まだまだ謎が残っておるようですね。
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コメント
>兄嫁としては、義経は普通ならば可愛い義弟なのだが、ここには、家がある。親元の北条家安泰と繁栄を願う孝女政子としては、才能の片鱗を見せる義経は、早い内に芽を摘んでおかねばならぬ敵だったのだろうか。
ありがとうございました。よく分かりました。
結論は家のためでしょうが、政子の心のゆれを描くのがドラマなんでしょうか。見ているものにとってはいろいろ考えて楽しさが倍増します。次回が楽しみです。
投稿: hisaki | 2005年4月25日 (月) 08時46分
福原遷都
さて、日本の正史では福原遷都は認められているんでしょうか?遷都宣言が天皇よりでたのでしょうか?
そういう意味では、現在の東京も疑問ですね。明治の混乱期に大久保利通が強引に、京都の公家を説得し、行宮として江戸に下った。
私の理解は遷都宣言が天皇よりでていないと理解しています。あくまで、東の京なのです。
福原は大学時代、神戸でしたので少しは、知っていましたね。しかし、イメージとしては東京の吉原という感じでした。ですから、山男としてはあまり縁の薄い娑婆の世界でしたね。
今夜の番組はあまり、好きでは有りませんでしたね。尼将軍の伏線でしょうが、何か興味がないです。
ただ、平安末期から鎌倉幕府成立までの混乱期において、特に院政時代の女系閨閥の力は絶大であったようですね。天皇が子供で上皇が支配する世界では、独特の”奥”の世界が権力を持っていたそうです。
頼朝という源氏の貴種を祭り上げ、実権と利を追求する北条氏、その代表が政子と理解しましょう。
投稿: jo | 2005年4月25日 (月) 08時46分
hisaki さん、2005年4月25日 午前 08時46分
北条って、源家を三代でほろぼしたようなもんだから、すごい家系だと思います。
ちょっと考えたんですが、勝った源家嫡流だけでなく、有名な傍流も全部消えるなんて、歴史の不思議、怖い話ですね。
源家の男性は女性好きが多いですから、ものすご沢山お子がいたはずなのに、少なくとも我らの知る歴史では、源家は鎌倉三代で消えます。
ちょっと、調べておきたいことです。
頼朝、義仲、義経、行家、……
投稿: Mu→hisaki | 2005年4月25日 (月) 18時26分
jo さん、2005年4月25日 午前 08時46分
そうなんだ。
福原の、現代とのつながりがまったくイメージできないので困っておりました。
京や奈良や滋賀は、なんとなく当時と今の違いや同質性がわかるのですが。
Joさんの縁のある大学の、医学部あたりに遺跡があるようなんだ。若い頃、吉原みたいって、なんとなく古風な歓楽街だったんでしょうかな。
歴史って、いま生きている人が往時をちょっとは気にしないと、ゼロになるでしょう。神戸市民は、福原をあんまり評価していないのかなぁ。
投稿: Mu→Jo | 2005年4月25日 (月) 18時31分