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2005年4月17日 (日)

NHK義経(15)源氏の棟梁

承前

鑑賞前
 現実の都はいま春に萌えている。
 そして、「義経」はいよいよ出師(すいし)の季節を迎えた。それが、春なのか、初夏なのか、まだMuは見定めてはいない。
 歴史としては、義経が今夜兄の頼朝に会うのは四季、いつになろうか。
 書をみても、旧暦や新暦のこともあり、どうにも明言しがたい。
 画面で、役者がどのような衣装をつけ、なにを食べているかで、物語としての「義経」の今の季節感を知りたいところだが、時間を圧縮し、パラレルに流れるドラマなれば、それは無理であろう。

 ただ、平家の軍が富士川で鳥の羽音に驚き、敗走した故事をもうすこし調べれば、わかるのだろう。
 なれど、それでは理屈にすぎる。
 Muはあの「義経」で学術を得ようとはしていない。
 生まれた、生きた、死んだ義経の全生涯を、平泉の高館で決着をつけたいのだから。
 桜が咲いておれば、春。しかし月は今とはことなるだろう。なにしろ、正月が新春なのだから。
 雪が舞っておれば、冬。
 ~
 そうそう。
 司馬遼太郎さんの『義経』では、上巻でこの兄弟のことを丁寧に記していた。
 当時武門では、家を継ぐ者(大抵は長男)が一括して財産、家を管理するので、たとえ兄弟であっても、家人(けにん)と同じであるという理屈を、よく味わった。そして生涯おそらくそのことを理解できなかったのが、義経の悲劇であったと、司馬さんは言うていたように思う。
 これはつい戦前まではそうだったのだろう。
 分割相続は、たわけたことだったに違いない。一つの田をわけていけば、最後はなくなる。
 それで。
 御曹司(おんぞうし)という言葉は、ずっと「家柄のよい、ええとこの坊ちゃん」と思うておったが、これは無一文の「部屋住み」の意味が大きかったらしい。言葉は最初と途中と現代で、変化するから、翻訳が難しい。

鑑賞後
 滝沢義経と、中井頼朝は、一つの典型を造るのかも知れない。

 「おまえは、すくすくと育ったようだ」
 …
 「兄上は?」
 ……間……
 「わたしは、流人だった」

 このときの頼朝の目がよかった。中井のことは、今夜はっきり見直した。(これはMuの固有の問題だが、これまでずっと中井を忌避していた。理由は、暗い、ただそれだけ)
 役者は、現代にいたっても、眼で勝負する。複雑きわまりない状況を、眼だけで、しかも常に上方にむいた目線でそれを表すのは、ああ、頼朝のタイプが定まった思いがした。

 一方。
 義経。これも、おもわず快哉を叫ぶくらいに、はまってきた。よくは知らぬが、彼は演技の経験は少ないはず。たしか、アイドルだったと耳にしたが。
 滝沢も今年、義経の典型をうみだした。

 不思議だ。
 こんなに、二年連続で役者がそろうとは。
 この義経と頼朝の確執は、決してわりきれるものではなく、その割り切れなさは多くの観客に、それと言わずして、頼朝の表情、義経の声の抑揚で伝わったはずだ。
 
 ところで。
 政子だが、これが今夜は、原作を読まないとわかりにくい。夏休み課題図書として、宮尾さんのを読もう。
 政子は義弟に恋したのか? うむ。予告では、静と義経の雰囲気をみて、顔が曇った。
 そして一方、来週は頼朝の愛妾を、おそらく殺害したはず。たしか、そうだった。赤子もろとも。
 そこに、政子の義経への感情が底流として流れたのか。
 なにやら、兄弟確執だけではすまされない雰囲気だった。

 このどろどろさかげんは、本来なら、Muはそれだけでチャンネルを回す(今は、ボタンを押すか)ところなのだが、なんとも、政子の権威を知るならば、兄弟の確執に、頼朝配下の殿輩(とのばら)だけが動いたわけでもなかろうと、政子のことでおもいあたるふしもある。来週は、どうでるのか、政子姉。

 で今夜の最後の、デザート。
 靜。
 どうなんでしょうね。ふむふむ。と、濁す。
 このMuBlog、卒業生達が数名読んで居る気配もある、不用意には申せぬわい。

 ではまた来週、再見。

参考サイト
  司馬遼太郎を歩く・取材レポート:『義経』奥州歴史編(下)/”がろっと”著
  『義経』(MuBlog)

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コメント

私も見ました。
Muさんがご指摘されたとおり、
>政子は義弟に恋したのか?
が気になりました。もし、そうなら頼朝が義経を遠避けた理由が、我々には分かりやすいんですが。
いずれにしろ次回が楽しみになってきました。

投稿: | 2005年4月18日 (月) 09時12分

武士の自立と情報戦

今回の番組でも館に落ち着くと、直ぐに家来が
畑を耕す。内庭を畑に耕作する。これが、武士の特徴ですね。

公家文化では有り得ません、又、儒教文化でも有り得ない話ですね。武士は農園主なんですね、自立、自活、が基本にある。

梁山泊の家来が川の情報や、敵の情報を収集してきますが、これが、情報戦のはしりでしょうね。義経は鞍馬で役小角系統の山岳情報収集連中と付き合いました。

義経の強さは多分、今後もこの情報収集能力におおきくデペンドしたのではないでしょうかね。

男前はいつの時代でも得でんな?ね、Muの旦那はん。(笑)

投稿: jo | 2005年4月18日 (月) 10時59分

?さん
 [頼朝が義経を遠避けた理由]
 そうですね。政子の存在を考えると、今回のNHK義経の解釈がおもしろくなりますね。
 義経22歳、頼朝34歳。政子がいくつか知りませんが、20代でしたでしょうね。え、まさか年上?
 ……わかりません。

 少なくとも、記憶では、司馬遼太郎さんは、その家族内恋愛確執は描いていなかったと思います。

 ともあれ、来週を見てのお楽しみ、ですね。


投稿: Mu→? | 2005年4月18日 (月) 18時09分

joさん、2005年4月18日 午前 10時59分
 あなたさんの、もうされる概略は、わかりましたぜ。

 義経の郎党達をみてみると、元山賊と佐藤兄弟以外は武門じゃないですね。たしかに。つまり、「正規軍」の要素がはじめからなかった。それに代わるものとして、情報収集機能が備わっていた。
 考えると、義経の存在がものすごく変異であることがわかってきます。

 絶対的に武士団とは異なりますね。
 土地を持っていない。軍を持っていない。
 うーむ、不思議な義経でした。

投稿: Mu→Jo | 2005年4月18日 (月) 18時19分

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