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2005年4月28日 (木)

プルートウ:Pluto(2)/浦沢直樹(漫画)

承前 プルートウ(1)

プルートウ:Pluto(2)/浦沢直樹、手塚治虫(漫画)、小学館、2005

プルートウ-02
 浦沢プルートウの今巻では、いくつかの特徴を色濃く味わえた。
 どうしても「鉄腕アトム『地上最大のロボット』より」という背景が、読者の「知」としてうごめくのだが、私はすでに結論をだした。このプルートウは、浦沢の新作である。手塚治虫の原作は凍結された原作であり、これは浦沢が作った別個の作品である。
 だから、この作品に没頭するときは、手塚治虫を忘れるつもりだ。

カフェーでのアトムとゲジヒト

カフェーでのアトムとゲジヒト
 読後感だが、特殊な哀感を覚えた。これは20世紀少年の影響かも知れない。先回の01では主人公のゲジヒト刑事にそれを味わったが、今回は明確に「アトム」だった。こういう造形は、浦沢の奥義ではなかろうか。20世紀少年にでてくる多数の少年少女を想起するなら、誰とはいわないが、壊れていない、賢そうな、影のある少年ということになる。
 引用ページは、未来の東京(トーキョーシティ)、あるカフェ。外は雨だ。ゲジヒト刑事に注文を聞いているウェイトレスは、明らかにロボットである。
 ゲジヒトは紅茶、そしてアトムはアイスクリームを注文する。二人とも、仕草もふくめて、なにからなにまでロボットではない。浦沢も世間も明言しないだろうが、私は、この二人は生まれ育つのに、もっとも手間と金のかかった人間以上の生命と思っている。

 と、記していけば現代評的な一言居士になりがちなので、もっと平明に言う。
 プルートウ2になって、謎はますます深まり、「一体どうしたことだろう」との思いが強くなり、次の巻が待ち遠しくなる。なによりも、アトムの少年らしさが惹きつける。そして、先回はアトムがレインコートを着て、でんでん虫を見ているところで終わったが、今回はアトムの妹、ウランが振り返ったところで巻末となった。

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2005年4月26日 (火)

十三万アクセス

承前:十二万アクセス
 早いもので、もう四月も終わりに近づきました。
 なんというか、桜や柳にあけくれた一ヶ月でしたが、おかげさまでMuBlog も桜精や桜姫の後押しで、13万アクセスに無事たどり着きました。
 ついては、その報告かたがた、一筆啓上。
 ご笑覧くださいませ。

(1)本日記録
  対象日: 2005年04月26日(火)
  時間 : 夕刻四時三十八分
  累計アクセス数: 130000
  1日あたりの平均: 320.99

(2)先週:検索ワードランキング(5件以上のみ抽出)
  対象日: 2005年04月18日(月)~ 2005年04月24日(日)
  合計数:1581

順位 検索ワード 件数
1 常照皇寺 134
2 京都 58
3 佐野藤右衛門 52
4 地図 48
5 桜 26
6 月の蔵人 24
7 石舞台 23
8 義経 21
9 石舞台古墳 20
10 伏見 18
11 じょうしょうこうじ 15
12 鞍馬寺 15
13 二条城 14
14 佐野 12
15 写真 12
16 鍵善 12
17 流れ橋 11
18 新撰組 9
19 いしぶたいこふん 8
20 お隣さんコンニチハ 8
21 伏見桃山御陵 8
22 MU 7
23 平等� 7
24 うどん 6
25 四季 6
26 四条河原町 6
27 奈良 6
28 森博嗣 6
29 肉うどんレシピ 6
30 20世紀少年 5
31 たたら製鉄 5
32 ホテル藤田 5
33 ミスター・スタンプス・ワインガーデン 5
34 上津屋橋 5
35 京北町 5
36 常照 5
37 明日香 5
38 桜守 5
39 藤 5

 三月末から四月中旬にかけて、MuBlog は爆発的な「桜」ヒットを得たようです。とりわけ、{常照皇寺、佐野藤右衛門}の二つが群を抜いています。つまり、これほど著名なお寺、そして有名人であっても、ネットにはそれほど記事数がないという状態かもしれません。だから、極北のマイナーブロッグMuBlog に沢山の人が漂ってきた、と評価しています。瞬間ですが、いくつかの検索エンジンで、この両者がそれぞれ先頭に載っておりました。束の間の鼻高々でした(笑)。
 おお、ダビンチコードはひとかけらも残ってはいない。
 あとは、伏見関係が安定して出ております。「月の蔵人」なんか、あのあたりは気持を込めて描いたので、アクセスは嬉しいもんです。
 義経は少しづつ散見しますが、思ったほどの上昇はまだないようです。Muは義経そっちのけで、義仲や女優の話に流されるから、エンジンがかからないのかもしれませんねぇ~。

 それにつけても、{29}肉うどんレシピは一体、どなたさんが、こうまで熱心にMuBlog へ肉うどん探訪にくるんでしょう(失笑)。

(3)先週:検索フレーズランキング(3件以上のみ)
  対象日: 2005年04月18日(月)~ 2005年04月24日(日)
  合計数:451

順位 検索ワード 件数
1 伏見  流れ橋 7
2 二条城  桜 5
3 佐野  桜守 5
4 明日香  石舞台 5
5 じょうしょうこうじ  京都 4
6 京都  常照皇寺 4
7 常照皇寺  桜 4
8 ホテル藤田  奈良市 3
9 佐野藤右衛門  塩竈 3
10 森博嗣  四季 3
11 鞍馬寺  UFO 3

 一週間に三回以上アクセスのあった複合検索のうち六件{2,3,5,6,7,9}が「桜」です。
 変わったところでは{1}の伏見と流れ橋、これは桜とは無関係に「ながれ橋」が特徴的だったのでしょう。
 {10}の森さんは、新作が出たのかも知れません。現在森先生は国内におられないようですが、毎月刊行の手はずで国外へ出られたはず。少し調べておきます。もしも、φのあと、θがでたならば、読むつもりですから。
 さて{11}ですが、鞍馬寺とUFOを結びつけるトンデモ人がMu以外にもおられるようですねぇ。世間は狭い。

(4)先週:曜日別
  対象日: 2005年04月18日(月)~ 2005年04月24日(日)
  合計数:2241

曜日  アクセス数     
MON 542
TUE 435
WED 321
THR 269
FRI 272
SAT 209
SUN 193

 週末から日曜にかけて急激な右肩下がりです。これはダビンチコード・ヒット衰退後、短期ヒット「桜」がピークを終えた現象を明瞭に見せております。

(5)先週:記事ごとランキング(1%以上抽出)
  対象日: 2005年03月21日(月)~ 2005年03月27日(日)
  合計数:2195

順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 14%
2 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_13.html 8%←常照皇寺
3 http://asajihara.air-nifty.com/ 8%
4 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat573003/ 3%
5 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/03/post_12.html 2%←石舞台古墳
6 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_2.html 2%←桜の森:佐野藤右衛門邸の桜
7 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/03/post.html 1%
8 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/12/post_4.html 1%←目次:新撰組(新選組!)
9 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/04/0504020.html 1%
10 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/04/post_f0b2.html#comments 1%
11 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/04/post_a11f.html 1%
12 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/12/post_1.html 1%←私の京都;四条・三条・河原町
13 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/04/post_74e7.html 1%
14 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/04/post_760e.html 1%

 一般にblogはとれとれ記事、つまりカレントアウェアネス世界のものですが、この統計ではいつになく2004年記事へのアクセスが多くなっています。2の「常照皇寺」、6の「桜の森」なんかが典型ですが、上述してきたように、原因はここでも「桜」なのだと思います。なお、5の「石舞台古墳」については、まったく思い当たる節がありません。Muも最近はこの世界にご無沙汰しておりましたので、意外です。

(6)分析
 ダビンチコードが影もなくし、「桜」が季節の強烈な輝きを見せた。
 が、短命。パット散る。
 実に、実にblogとは、現実、人の心をあらわすものです。

 Muとしては、第一の長期ヒット「ダビンチ」、第二の短期圧縮型ヒット「桜」というふたつの大ヒットに、にんまりとする一方、かけねなく自然な心の動きが、このヒットに導いたという教訓を忘れはいたしません。
 原点に戻るなら、Muは短命な「人の記憶」をblogというデータベースを使って樹状に定着化し、Muの知識の樹を自らの目で見たい、それが目的でした。
 アクセス数を操作する目的で記事を書くことは、長期的には、無意味さをもたらします。
 (ただし、ダビンチも桜も、深く愛惜している事実は残ります)
 よって、またふたたび古にもどり、古き太古の飛鳥・三輪、そして新しい平安の御代を探り求めることでしょう。
 読書再開。
 探検再開。
 で、まだまだ「桜」が残っておるのです。宵越しの桜ですわなぁ。いま、ちゃんと整理しておくと、来年平成18年に再び、花が開くかも知れません。来年は、はてさて、いかなる桜姫に出逢えるのでしょうや。

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ひろさわのいけ:広澤池の桜と石仏

広澤池(京都市右京区嵯峨広沢町)マピオンBB地図

 大覚寺大澤池の東に広澤池がある。と、大覚寺を起点に説明したが、私の幼少からの想いでは、広澤池の西に大覚寺があり、そのまた西にいわゆる「嵯峨野」があると銘記してきた。ことは単純で、小学校4年~6年ころに友人だった幾人かが、このあたりに住んでいた。そのころは、自宅(車折(くるまざき)神社近く)から徒歩や自転車で、学校の帰り、家から、日々うろついていた。それは、小学、中学、高校、大学浪人、学生時代とずっと続いていた。なんのことはない、近所の散歩、自転車気晴らしの所だった。

石仏

石仏
 この石仏の詳細位置はMSN地図で示しておく。写真を撮った当日は、二家族がこの狭い島で花見をしていた。島に花といえるほどのものはないので、広澤池全体が花だったのだろう。この石仏の写真は、昔からのアルバムに幾枚もあるから、いつも見ていても、カメラを持つと写したくなるようだ。縁も由来も知らないまま過ごしたが、えてして身近なものは、そうなのだろう。自分自身の歴史の中に組み込まれたものは、あまり「理由」なんか必要としない。

遍照寺山桜木点描

遍照寺山桜木点描
 この山を遍照寺山と知ったのは、高校の国語で谷崎潤一郎『細雪』の一節をならったときである。私がそれを含めて谷崎世界を堪能したのは、大学の二年生ころだったが、細雪と広澤池の桜とは高校生時代に、この山で結ばれた。
 ところが何故に遍照寺山なのかは長く無知のまま過ごした。あるとき遍照寺(池の南すぐに現在もある)のことを見たおりに、平安時代に真言密教・東密・広澤流の隆盛をもたらしたこの寺が、実は「朝原(あさはら)山」の麓にあり、朝原山は遍照寺の境内みたいなもので、いつかそこが遍照寺山と呼ばれた、と知った。もちろん、こういう地名のことは伝承も前後するので、どちらが先かは門外漢には確定しにくい。ただ、平安時代の10世紀末には、この山の麓に真言密教の遍照寺があったことは事実なのだろう。
 と、ここまできて思ったのだが、私の現在におよぶ多くのことは、物理、化学、生物、数学、英語、歴史(世界、日本)、国語、漢文、あらゆることが最初は、ほとんど高校での授業内容が発端になっていることに気づいた。青年期初期「教育内容」の影響は、深く長く重い。

広澤池東岸遠望

広澤池東岸遠望

真綿桜

真綿桜
 

 東岸の遠望図と、その拡大「真綿桜」とは、じつは往時少年期、青年期には間近に見られた。つまり、この東岸の奥まで自転車で入り込んでいたのである。東岸の池辺からみる残照は私の感性に決定的な影響を与えた。
 しかし、そのことをここで記すほどには、まだ、それが何であったかを整理できていない。
 自然と風景と歴史とを、保田與重郎に学ぶ以前に、その素地を知らぬ間に得ていたようだ。
 少年期、青年期の環境というものは影響が大きい。

 現在はこの東岸も、奥にある宗教施設の私有地として入ることができない。
 それはそれでしかたがない。
 しかし、その教団は素晴らしい立地をえたものであると、痛切に羨ましい。

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2005年4月25日 (月)

エイリアン VS. プレデター

エイリアン VS. プレデター

エイリアンVS.プレデター
 今年度四月に、江戸から上納されたMu好みのいわゆる「B級超大作」である。これをもって、また歴年をインクリメントした。(++生)
 エイリアンもプレデターも初期からのファンである。はじめてエイリアンを観たとき、映画館のそこここで悲鳴というかおめき声、特に女性の声で「観なければよかった」と騒ぐのが聞こえた。壷のような繭から幼生というか幼虫が生まれる場面だったことを覚えている。今度の作品には、このときロボットだったクルー、そして二作目で随分活躍した俳優がウェイランド社会長というか、探検隊の資金スポンサーというか、探検を指揮した者として出ていた。男優名はランス・ヘンリクセンという。

プレデター
 一方プレデターは、カリフォーニア州知事のシュワルツネッガーが主役だった。ベトナム戦争の後遺症のような状況場面だったが、透明なモンスターがジャングルを飛び回り、屈強の米国特殊部隊コマンダー達を次々と殺戮していく情景は異文明との接触の怖さを知った。プレデターのタイトル由来のとおり、緑の血をもったモンスターにとって、人類は狩の獲物にしか過ぎないという、SFならではの設定だった。インディアン出身の兵が天を仰ぎ未知の精霊を察知する姿が印象的だった。二作目には、シュワルツネッガーが出演しなかった。しかし二作目を観ないとプレデター全体がわからない。

超古代文明
 さて今回。内容はDVDの解説や、別サイトに任せるとしても。おびただしいマヤ文字や、太古の文明を併せ持った南極大陸地下のピラミッドは壮観だった。特に、三角形、四角形の巨大な岩が次々と移動し、迷路を形作る場面がよかった。ジグラットと言った方がよいのだろう。歴史回想場面で、プレデターがジグラッドの上に立ち神としてあがめられるシルエットが印象的だった。
 ハリウッドのこういうB級作品は、ツボを心得て居る。やはり、世界中にMuと同じく超古代文明、ジグラット、ピラミッド、巨石、古代文字にエイリアン、プレデターと聞くだけで、全身総毛立つ人類はマイナーながらもおるようだ。来たれ、同士よ、と見終わってつぶやいておった。

映画って、人生って、良いですねぇ
 それにしても、毎年こういうB級超大作を、ツボを押すように上納する者がおって、Muは生を深く味わうのであった。Muの生き方、育て方に間違いはなかったのだ(笑)。

感想
 なんと言ってもジグラットの結構が上出来だった。散乱する生け贄の人骨、奇っ怪な古代文字(マヤ文字だろう)、縦横に走る三角形の隧道。この巨石遺物をみるだけで、この映画の元はとれる。それと、俳優ランス・ヘンリクセンの老醜が懐かしく、また貫禄があった。彼も、初代エイリアンの頃は、中年の知性に満ちあふれていた。老いを無惨に、そしてその中にさりげない知性の余薫を漂わせておった。この世には若さ以上の老いの輝きがあるのだ。

DVD記事からの引用
ついに実現!全世界が待ち望んだ、映画史上”最凶・最悪”の対決!!

 西暦2004年、ウェイランド社の人工衛星が南極大陸で異常な熱の放射を観測した。解析した結果、南極大陸の地下600メートルに巨大な建造物が眠っていることが分かった。実業家ウェイランドは世界中から考古学者や科学者を集め、女性冒険家レックスのガイドのもと、謎の熱源へと向かう。そこで彼等が遭遇したものは、様々な古代文明の特徴が混在するピラミッドだった。
 だが、世紀の発見に喜ぶのも束の間、彼等は恐ろしい事態に直面することとなる。そこは、100年に一度プレデターがエイリアンと戦い、戦士としての試練を受ける”儀式”の場所だったのだ。探検チームは、エイリアンとプレデターによる想像を絶する殺戮の真っ直中に、”囮”として足を踏み入れてしまったのだ。果たしてレックスたち人類に助かる道はあるのか……。
 世界中で圧倒的知名度を誇る2大モンスターによる、究極のバトルがここに実現! 構想10年、「バイオハザード」のポール・W.S.アンダーソン監督が緻密な作品考証と驚異のVFX映像で果敢に挑んだ、大ヒットSFアクションの超大作!!

参考
  エイリアンVSプレデター 観ました/DVD・映画のススメ
  Muはこの記事の「あそこまで何も訴えるものがないと反対に非常に気持いいです。」という点に深く感動しました。

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2005年4月24日 (日)

神苑の桜姫たち:平安神宮

 平成十七年の四月十六日午後、平安神宮の神苑で、桜姫三姉妹を見かけました。
 とるものとりあえず、まずは姫君たちの姿をお見せいたしましょう。

神苑、一の君: 影のある長女

神苑一の君

神苑、二の君: 意思の強い次女

神苑二の君

神苑、三の君: けなげな三女

神苑三の君

 この神苑は、回遊式の庭ですが、高校生時代に初めて観たときの驚きは今でも覚えています。
 花と水と建物。もし石があれば古代へ旅立ったかもしれませんが、木の建物があったから、平安の御代に心が飛んだのです。
 私の心象風景として、古代は石、平安時代は花と池と建物、そんな気がしました。

 それにしても、神苑の姫君たちは、その日とりどりによく映えておりました。

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NHK義経(16)福原のこと

承前

鑑賞前
 先回は、義経と兄嫁政子との気持ちの動きをあれこれ考えたが、先夜の新聞を読む限り、そういう話は注目されていなかったようだ。
 都遷りをしたので、残された旧都が荒れに荒れて、野党盗賊が跋扈し住民達が困っているとの予告だった。これを以て、清盛公は還都を決断されたよし。

 さて、福原だが、これは現在の神戸市中央区楠町あたりらしく、また大輪田泊は長田区と聞く。よく調べられなかったが、ともかく、著名な遺跡が発掘されたあたりを地図に示しておく。その辺りが、福原の都だったような。
 横道だが、Muは時代を超えて、湊川神社がそばにあることに、別の感動を覚えた。楠木正成のことである。

 福原のあたり(神戸市中央区楠町)マピオンBB地図

鑑賞後
 田中美奈子(牧の方、頼朝の舅の後妻)の出番が少なかった、不満である。

 さて、政子と義経のことは不明瞭なままにすぎた。政子と頼朝との夫婦仲不満足なはけ口が、仲むつまじい義経と靜との間柄への嫉妬のように、取れるようにもなっていた。
 日頃なら、かくなる愛憎微妙な心理には立ち入らぬのだが、なにやらそれをあれこれ申さねば、今年のNHK義経の美味しいところまで漏れ落ちそうなので一言。

 つまり、政子の態度が豹変していった。頼朝と義経とを切り崩しにかかった。事情は、義経の人たらしというか、またたびのように人を惹きつける魅力が、仇なすことになろうと進言するわけである。
 兄嫁としては、義経は普通ならば可愛い義弟なのだが、ここには、家がある。親元の北条家安泰と繁栄を願う孝女政子としては、才能の片鱗を見せる義経は、早い内に芽を摘んでおかねばならぬ敵だったのだろうか。

 ともあれ、以前ミーム関係の図書で気づいたのだが、女性は、頼朝が「亀の前」に縁側でツメを切ってもらっている姿だけで、政子が逆上した情景を、妥当と見なすらしい。ミーム図書によれば、女は男と異なり、想う男が他の女とどれだけ長く一緒にすごすかに憎悪、殺意を帯びた嫉妬を持つとのこと。男の場合は、ツメを切る切らせる仲睦まじさに嫉妬するレベルまでは女と同じだが、それから家に放火するとなると、これは沙汰の他、と男には思える。男は一般に恋人が他の男に抱かれた事実をもって、重ねて四つに叩き切る憎悪を持つが、女は別のようだ。
 もちろんこのミーム図書は西欧の女性が記したものなので、大和の国に適用できるや否やは不知。
 また昨今は、男女とも文化が截然と分けられない様相なので、男女の違いは個々人で大きく異なるかも知れない。
 ただ、今夜の義経を見る限り、そういう点に気持をこめないと、全容がうまく把握できない番組なのだとおもった。

 で。
 義経と靜の愛情表現が、戦前の恋愛映画のように想えて、心地よかった。つまり、いつも申す様式美である。ちらちらと気になっていた灯火が、ふと消えるところなど、そういうお約束事をさらりとこなす演出に、今夜も瞠目した。
 それにしても、靜は、水干姿で両手の扇を同時に挙げたところが、一番似合っているのではなかろうか。以前義経との、出逢いのときがそうだったように記憶する。

参考サイト
  「第二部は、福原と大輪田泊」/神戸大学文学部「日本史特殊講義」高橋昌明
  この先生は『高橋昌明「福原の夢 ─ 清盛と対外貿易 ─」(歴史資料ネットワーク編『歴史の中の神戸と平家』神戸新聞総合出版センター、1999年)』を出版されているようです。福原の夢、というタイトルに惹かれます。つまり、清盛はなぜあんな狭くて辺鄙なところ(と、現住民には失礼しましたぁ!)に都を遷したのだろうか、……。そこに、日宋貿易はそれとして、どんな夢があったのだろうか。

  福原(平家物語歴史紀行)/山田邦和
  この先生は福原を副都(第2首都)と見なし、平安京は第1首都であったと記事に書いておられます。だから遷都ではないとなるようです。なかなかに、福原遷都(?)も、まだまだ謎が残っておるようですね。

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2005年4月23日 (土)

MuDB2004検索システムの後継システム試案

 MuDB 2004検索システムを解除してから月日がたった。
 最近、利用者から「便利だった」という声も二三聞いた。
 実は、Mu自身がここずっと、これがないので、一番不便だったのだ。
 解除した理由はいくつかある。

(1)サーバーマシンが足りなくなった(あれだけ、ごちゃごちゃ持っていて何故、と疑問は出て当然)
  つまり、あれこれやっているうちに、当該アドレスを他の用途に使い出した。
  事情があって、一つのマシンでは、一つのWeb サーバーしか作ることができない(固有の事情)

(2)ココログさんが最近、記事の固定リンク生成方式を昨年の12月以来、今回3月は本格的に変更した。みたところ、完全なハッシング、つまりランダム、つまり一定の式でもって不連続に発生させる方式。
 事情は、おそらくココログが隆盛になって、一般的な順番方式では、アクセスが極めて遅くなったのだろう。
 これには、ハッシング、つまり番号をばらまきながら作る式をMuが知らないと、対応できない。
 で、あっさり、あきらめた。

(3)年度末に、個人情報保護問題が大きくなって、コメントの容易きわまるアクセスが、まことにもって、驚異を与える事実を思い出した(作った自分が言うのだから、単に使うものは、Mu以上に困ることもあろう)。こんなこと言ったはずはない、という内容が露骨に簡単に検索できてしまう、しかも個人単位で。MuDB2004の威力絶大なりぃ~。

 以上のような事情で、ながらく停止してしまった。
 で、再開! ではない。
 今朝、ほどほどに解決する技術的アイデアが定着したから、メモとしてしるした。
 なんのことはない、ときどき、全MuBlog をwebで見られるようにして、そのソースを利用するだけ。
 簡単すぎて、あほみたい。
 前から気がついていたが、コメントを引っ張り出すことと、項目の切り出しに滅入っていたのだが、これは、ははは、以前から使っていたココログからのダウンロードファイルと、マッチングさせるだけのことなり。と、やっと目から鱗がおちた。どちらか一方式で完成させようと、KadonoMuBlog に全格納する方式を迷っていたのだ。(一種のミラーサイト:しかし、そこでは別の固定アドレスを造りよるから、照合は普通にはできない)

 で、いつできる。
 そうやね。
 最近は手が落ちたから。まあ、夏休みまでには。

A. ブラウザで引っ張り出したソースを、rdfの記述項目から、日付を抽出し、それを従来のMuが作ったプログラムで、別項目の固定リンクごと、一挙に引っ張り込む。
B. 従来プログラムからは、固定リンク自動生成部分を、コメントアウトしておく(このままだと、結構時間を取る)
C. コメント検索を、書いた者しかアクセス出来ぬように、ファイルメーカシステムをちっと、手直しする。できるかな(笑)
D. サーバーマシンを新規に作る(ははは、年一マシン!)

 この内、経費が必要なのは、D.これは、まあ、なんとか。

では、この件、完成のおりにはお披露目しましょう。

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2005年4月20日 (水)

よどがわ・せわりつつみ:淀川河川公園背割堤の桜爛漫

淀川河川公園背割堤(京都府八幡市・御幸橋あたり)マピオンBB地図

 このあたりのことを説明するのは、知人に詳しい方が居りますので、まことに心苦しいのです。
 (JoBlog のいくつかの記事を探してくださいませ)
 Muは、この日、すなわち「流れ橋」を観た日なのですが、車をともかく京阪電車の八幡市駅までよせて、おもむろに桜の猟場を確認しました。もちろん、御幸橋あたりの駐車場にまず入り、後は徒歩でした。
 そこは、背割堤と呼ばれているようでした。

 その前に、まず地図を御覧ください。
 写真と地図から見て、このあたりは歴史の宝庫です。なにも古代まで行かずとも、眼前に天下分け目の天王山があるじゃないですか。これだけで、胸がいっぱいになりました。遠望、はるか、ここに大軍勢が集結したわけです、16世紀後半。
 地図を一ランク拡大して南を観れば、「桜井」これは楠親子の話だから15世紀でしょうか。
 また水無瀬も見えます、後鳥羽院さまが遊んだところ、13世紀。
 で、石清水八幡宮となると、たくさんありすぎて、少なくとも弓取る武人には神様の中の神様です。
 あとは言わないつもりですが、~~、継体天皇関係事績が目白押し。

 もうやめようと思いますが、口がすべって、たしか藤原鎌足が隠棲していたのも、このあたりの葦のしげる水辺、でおもいだしました、谷崎潤一郎翁の芦刈もまたこのあたり。
 ……

 桜を御覧ください。

男山の春

男山の春

淀川・背割桜・大山崎天王山

淀川・背割桜・大山崎天王山

桜雪山

桜雪山

春の桜

春の桜

桜曲線

桜曲線

淀の姫桜

淀の姫桜

桃と桜をこき混ぜて

桃と桜をこき混ぜて

 ここで止めるつもりだったのですが。
 八幡市には、松花堂弁当の松花堂元祖というか、発祥の地が庭園・美術館としてあるようです。未見ですが、次回のおりには、そこの吉兆松花堂でお弁当でも(笑)。遊行とは、これ隠居仕事、お金がかかるもんですなぁ。

参考
  温かタウン八幡

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2005年4月19日 (火)

四月のある晴れた日でした

 四月のある晴れた日、授業がなくて、来客の合間をぬって準備や片付けをしていました。夕方も、久方ぶりに旧友に会いに京都駅へ出向きました。それぞれ、エアポケットのような時間がふわっとうかんできたので、ぼんやりするつもりが、携帯電話のカメラ練習になってしまいました。
 携帯電話のカメラはちっこいレンズなので、今春、お隣さん学生たちと祇園に出た際、使ったのですが、光量が問題だったのか、色のにじみがはげしくて、まるでシュールな写真ばかりになってしまったのです。そう言えば倶楽部の送別会の写真も、ぶれとにじみとで、どうにもならないものでした。

 ところが、今日のふと撮った写真は、それとなく写っておりました。100万画素で、640x480の大きさ、fineモードでした。光があって、適切な画素数で写すと、結構役に立つようです。

四月の葛野机上

四月の葛野机上
 昨年はiMacの前に大きなカレンダーを置いて、予定をメモしていたのですが、今年はカレンダーを入手する暇も気力もないまま四月になってしまいました。研究室を探すと、古い授業計画週カレンダーがありました。無印良品ものでした。中を見ると、10ヶ月程度の空白があったので、空いた部分を今年の分にしました。
 プルートとだけ読めます。これは昨日某卒業生が20世紀少年全18冊を引き取りに来たとき、「センセ、26日にプルートが出ますよ」「それはよかった」「……」てなわけだったのです。義理にも、買わざるをえませんなぁ。いや、いや義理だなんて、作者に悪い。プルート2巻目は楽しみです。

京都駅のガラス拭きマシン

京都駅のガラス拭きマシン
 で、夕方は6時前に京都駅を見上げていたら、このマシンが初めて目に入りました。精華町の国立国会図書館関西館は、これが地下大閲覧室の天井に走っていたように記憶しています。天井だから横置きです。
 で、京都駅は縦にありました。これが左右にスライドして、ガラスを拭いていくのでしょう。まさか、人が何人も乗って、タオルでせっせと乾拭きするわけはない、のはずです。想像では掃除ロボットでしょうね。

 というわけで、一日、数名の旧知にあって、無事を言祝いだり、愚痴を聞いたり相談したり、まったく、人生ですなぁ。その間、ほろほろとシャッターを押していた、そんな春の一日でした、とさ。

落ち穂拾い
  京都駅の写真(MuBlog)
  ある日の葛野研机上(MuBlog)

後知恵
  京都駅ロボット掃除機の写真をよく見たら、どうもこれは人力ガラス拭きに見えてしょうがない。どうなんだろう、ああ今夜は眠れなくなる。まあ。おそらく、モップを持ったロボット兵が何人か乗るのでしょう。そうしておきましょう、漫画の読み過ぎ。

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2005年4月18日 (月)

木幡残照2005年4月17(日)

木幡残照2005年4月17日

木幡残照2005年4月17日
 昨夕、西方浄土が気持ちよく見えた。ずっと、日曜日の夕方は風呂に入るしかすることはなかったが、写真をとってみた。
 日曜日の夕方に、しっとりと夕日を眺めている生活に安堵もした。
 これからも、こういうひとときを得るために、考えたり、身体を動かしたりするのだろう。
 いつも思うのだが。
 両の手の平にもてるものは限りがある。
 何かを得れば、なにかがすべり落ちる。
 だから、こういう夕刻の風景を眺める人生をえらんだら、他の何かは他の人達のものになる。
 と、昨夕に思った。
 今朝はいつになく早く起きたが、その気持が残っていた。

 さて。
 しっかり、今日も明日も生き抜こう。

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2005年4月17日 (日)

NHK義経(15)源氏の棟梁

承前

鑑賞前
 現実の都はいま春に萌えている。
 そして、「義経」はいよいよ出師(すいし)の季節を迎えた。それが、春なのか、初夏なのか、まだMuは見定めてはいない。
 歴史としては、義経が今夜兄の頼朝に会うのは四季、いつになろうか。
 書をみても、旧暦や新暦のこともあり、どうにも明言しがたい。
 画面で、役者がどのような衣装をつけ、なにを食べているかで、物語としての「義経」の今の季節感を知りたいところだが、時間を圧縮し、パラレルに流れるドラマなれば、それは無理であろう。

 ただ、平家の軍が富士川で鳥の羽音に驚き、敗走した故事をもうすこし調べれば、わかるのだろう。
 なれど、それでは理屈にすぎる。
 Muはあの「義経」で学術を得ようとはしていない。
 生まれた、生きた、死んだ義経の全生涯を、平泉の高館で決着をつけたいのだから。
 桜が咲いておれば、春。しかし月は今とはことなるだろう。なにしろ、正月が新春なのだから。
 雪が舞っておれば、冬。
 ~
 そうそう。
 司馬遼太郎さんの『義経』では、上巻でこの兄弟のことを丁寧に記していた。
 当時武門では、家を継ぐ者(大抵は長男)が一括して財産、家を管理するので、たとえ兄弟であっても、家人(けにん)と同じであるという理屈を、よく味わった。そして生涯おそらくそのことを理解できなかったのが、義経の悲劇であったと、司馬さんは言うていたように思う。
 これはつい戦前まではそうだったのだろう。
 分割相続は、たわけたことだったに違いない。一つの田をわけていけば、最後はなくなる。
 それで。
 御曹司(おんぞうし)という言葉は、ずっと「家柄のよい、ええとこの坊ちゃん」と思うておったが、これは無一文の「部屋住み」の意味が大きかったらしい。言葉は最初と途中と現代で、変化するから、翻訳が難しい。

鑑賞後
 滝沢義経と、中井頼朝は、一つの典型を造るのかも知れない。

 「おまえは、すくすくと育ったようだ」
 …
 「兄上は?」
 ……間……
 「わたしは、流人だった」

 このときの頼朝の目がよかった。中井のことは、今夜はっきり見直した。(これはMuの固有の問題だが、これまでずっと中井を忌避していた。理由は、暗い、ただそれだけ)
 役者は、現代にいたっても、眼で勝負する。複雑きわまりない状況を、眼だけで、しかも常に上方にむいた目線でそれを表すのは、ああ、頼朝のタイプが定まった思いがした。

 一方。
 義経。これも、おもわず快哉を叫ぶくらいに、はまってきた。よくは知らぬが、彼は演技の経験は少ないはず。たしか、アイドルだったと耳にしたが。
 滝沢も今年、義経の典型をうみだした。

 不思議だ。
 こんなに、二年連続で役者がそろうとは。
 この義経と頼朝の確執は、決してわりきれるものではなく、その割り切れなさは多くの観客に、それと言わずして、頼朝の表情、義経の声の抑揚で伝わったはずだ。
 
 ところで。
 政子だが、これが今夜は、原作を読まないとわかりにくい。夏休み課題図書として、宮尾さんのを読もう。
 政子は義弟に恋したのか? うむ。予告では、静と義経の雰囲気をみて、顔が曇った。
 そして一方、来週は頼朝の愛妾を、おそらく殺害したはず。たしか、そうだった。赤子もろとも。
 そこに、政子の義経への感情が底流として流れたのか。
 なにやら、兄弟確執だけではすまされない雰囲気だった。

 このどろどろさかげんは、本来なら、Muはそれだけでチャンネルを回す(今は、ボタンを押すか)ところなのだが、なんとも、政子の権威を知るならば、兄弟の確執に、頼朝配下の殿輩(とのばら)だけが動いたわけでもなかろうと、政子のことでおもいあたるふしもある。来週は、どうでるのか、政子姉。

 で今夜の最後の、デザート。
 靜。
 どうなんでしょうね。ふむふむ。と、濁す。
 このMuBlog、卒業生達が数名読んで居る気配もある、不用意には申せぬわい。

 ではまた来週、再見。

参考サイト
  司馬遼太郎を歩く・取材レポート:『義経』奥州歴史編(下)/”がろっと”著
  『義経』(MuBlog)

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茜流:2005年春

承前

 土曜日の朝、ラジオで京都の桜特集があった。
 都の桜〆は仁和寺の、地を這うような御室桜と言っていた。で、某所で美味い蕎麦を食べた後、葛野出勤を急遽変更して(土曜日だしな)、仁和寺へ奔った。が、車を止められない。あきらめるしかない。

 しかし、葛野へ行って仕事するのも、この土曜の春、むむ。
 しばし熟考。
 あ、あそこがあったんだ!
 あそのこの桜は、ゆっくりだったはず。

 それでこの日は、岡崎公園で長時間待ち行列し、ようやく地下駐車場があき、そのあと地上に立ったのが12:30だった。
  岡崎公園地下駐車場(京都市左京区岡崎)マピオンBB地図
 さっそく平安神宮に参り、鑑賞券600円を報謝して入ったのが、平安神宮神苑、我が知人なら喜ぶだろう「谷崎潤一郎先生、『細雪』より、八重紅枝垂桜」の世界がわっと迫ってきた、……。爛熟だった。

 と、しかし、それはさておき。(笑)
 神苑を十分に楽しんだ後、さて帰ろうと思ったとき、彼方より聞こゆる神妙な神振りの音。
 ああ、あれは昨年目を奪われた、「御神楽 笠井社中」では。
 ~
 今年もよかった。千に一つ、気に入りの写真も手にした。
 霊悦なり。

 しかし、なんですなぁ。
 その後の、件の茜流むらさき太鼓も、ここまできたからには、見捨てて帰るわけにもまいらぬ。
 撮りました。
 まるで、「カメラ爺さん」のノリでした。
 なんとなく、女優さん達の目線がチラリとMuのカメラに残っておりました。MuBlog での検索にも結構「茜流」が多く、それとは関係はないでしょうが、この日の観覧者は鈴なりでした。

 うわさ話も耳に入りました。
 老夫婦でしたが。
   「人に聞いてきたんやけどな、どんなんかな」
   「さっき幕のそでで衣装やら雰囲気みたけど、何となくインド舞踏みたいやね」
 笑うべきか、ただすべきか、Muはしばし沈思黙考したが。
 なに、観ればわかる。

独り太鼓

独り太鼓
 昨年とは少し顔ぶれも変わったようですが、この方は太鼓部門で、本年も花形のように見えました。舞台中央での乱舞乱打は、観衆を惹きつけます。実際は、大勢の人と一緒に打っているのですから、ソロではないのですが、雰囲気的にはそう見えました。
 ものすごい迫力です。お腹にずんずんと響いてきます。これが長時間つづくと、おそらくご本人にも、観客にも神様が降りてくるのじゃぁないでしょうか。

姫様繚乱

姫様繚乱
 沢山の、娘さん達が舞っているのをみていると、先年からふうてん梅翁さんをはじめ、皆さんにお約束の「Mu流平安朝絵巻」は、まずこの地、京都岡崎は平安神宮から始めたらよかろうと思いました。
 つまり。平安神宮で昨年も今年もこの茜流むらさき太鼓を観たというのは、それが神意だと思ったのです。現実の平安神宮は明治創建のものだし、茜流はおそらくOLや学生やその他市井の人達が演じていることです。
 しかし、それが織りなす雰囲気が、Muのイメージを刺激しだしたのも事実です。

恍惚の茜流

恍惚の茜流

 というわけで、ひとしきり太鼓のリズムと音と、あでやかな踊り、舞、乱舞乱打を堪能したあと、岡崎をでました。宇治に戻ったのはまだ四時ころでした。たくさんの平安神宮神苑写真を、さて、どう案内すべきかと思っている間に、夕食まで眠ってしまいました。
 まことに、穏やかな、そして明るい土曜の終日でありました、とさ。

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2005年4月16日 (土)

ふしみこうのやなぎ:伏見港の柳

伏見港の柳(京都市伏見区南浜町)MSN地図

承前

伏見港全景

伏見港全景
 この三月末に伏見港界隈を散歩したことは記しました。その時は桜はおろか柳でさえも目にすることができなかったのです。
 残念に思い四月になって再び訪れました。最初にたどり着いた長建寺の糸桜は満開ではなかったのですが、目を奪われる華やかさでした。その後で、この伏見港界隈の「柳」の良さを十二分に堪能したことを、本日の報告といたします。

長建寺前の柳桜

長建寺前の柳桜

酒蔵達の糸柳:糸のように見えたので糸柳(Mu)

酒蔵達の糸柳

伏見港の枝垂れ柳

伏見港の枝垂れ柳

柳と酒蔵と雪柳

柳と酒蔵と雪柳

寺田屋の柳桜

寺田屋の柳桜
 ずっと寺田屋のまわりを逍遙するにとどまり、もっと踏み込んだ写真を撮ろうとはしておりません。
 写真は写心。
 しかしこの日は、桜と柳の紗を通して、寺田屋提灯をかすかに写し撮りました。
 いまは、まだこれでよいのです。

 こうして伏見港界隈は、長建寺をのぞいて、柳の国だとわかります。
 もちろん、舟遊びをすればまた別の世界も開けることでしょう。それは後日のお楽しみ、とはいうものの、もう桜の季節は過ぎてしまいました。四月半ば以降では、山桜や、山中の常照皇寺のようなところでないと、桜花乱舞は目にできないでしょう。だから、来年まで狂おしく待つしかないのです。

 しばらくは、MuBlog の観桜記で無聊を慰めてくださいませ。

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2005年4月15日 (金)

たつみだいみょうじん:辰巳大明神の桜と柳

白川辰巳橋・辰巳大明神(京都市東山区元吉町)MSN地図

承前(白川辰巳橋)

辰巳橋枝垂れ柳桜

辰巳橋柳桜
  京都白川の辰巳橋といえば先年のいまごろ、春の陽気にのって訪れたところだ。あのときは午後の日盛りだったが、今春は少し遅らした。もっとも、四枚目の写真は一月の夜間に撮ったものだから、Muも言葉ほど静かにはしていなようだわな。
  この写真は、柳桜をこき混ぜた辰巳橋バージョンで、来年はもう少し上手にするつもりだ。木幡に帰ってから「しまった、もう数枚撮っておけば、……気に入りの写心だ」と思った。
  今となっては、来年のお楽しみ、というところだ。

辰巳柳
  桜よりも、柳に気を取られた。こうしてみると、春の柳はよいものだ。それこそ、桜は向こうに霞んでいる。

辰巳柳

辰巳桜
  辰巳大明神の周囲は人でいっぱいだった。その間隙をぬって写してみた。
  実はMuの右手後方に茶店があって、そこへ約百メートルほど行列があった。我が葛野の始業時とおなじく、若い女性が群れていた。もちろんその中に、カップルも三割ほど。なにか美味しいお店のようだ。花より団子。

辰巳桜

辰巳大明神夜景

辰巳大明神夜景
  この夜景は、一月末に撮ったものだ。大学生に見える五名ほどの女性がお参りをしていた。信心深い若者達のようだった。
  みんな、賢そうに見えた。

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2005年4月14日 (木)

ながればし:流れ橋(上津屋橋)

流れ橋(京都府八幡市)マピオンBB地図

 最初に橋の位置について。
 いままで気にしたことも無かったが、地図で橋の住所を調べていて、混乱してきた。撮影場所は、京都府八幡市上津屋宮前川端なのだが、対岸では京都府久世郡久御山町大字佐山となる。さらに、少し撮影場所を対岸の南によると、京都府城陽市上津屋である。つまり、橋は一体どこのものなのか、少なくとも八幡市と久御山町とでは、真ん中あたりで折半することになるのだろうか?
 まあ、常識しらずのMuのことだから、おおかたの失笑をかうだろうが、まったく無知だった。
 この場合、両方とも京都府警の管轄住所でよかった。
 もしも京都府と大阪府に分断された橋ならば。
 自動車の走る一般の橋だと、パトカーは追跡中でも、真ん中で止まるのだろうか?
 今後、いろいろな橋を訪れたときは、所在地名に注意深くなる必要がある。

流れ橋全景

流れ橋全景
 さて肝心の流れ橋。長い。とても長くて、橋の端はかすんでいる。ちと、大げさか。360mほどあって、一応日本で最長の木橋と書いてあった。だれが、いつごろから、こんな木橋を。
 時代劇に時々出てくるから、江戸のものかとも思ったが、……。少し調べてみた。

流れ橋のいわれ

流れ橋のいわれ
 で、実は昭和28年(1953)3月に架橋したもので、爾来49年間に15度流出(もちろんすぐに復元)したらしい。その仕組みは誰が考えたのか、ここ独自のものなのか、考えると頭がいたくなる。というまに、52年ほど経過しているようだ。

流れ橋近景

流れ橋近景
 そばから見てみると、確かに橋床の両側にあるガイドの丸太には、一杯鉄製のような輪っかがあって、その中をワイヤーが通してある。「いわれ」を読んでいるとなんとなく納得した気分になった。
 流れたあと、戻すのは人の手か、ウインチか、……。本当に難儀な橋である。
 そこを時代劇でよく使うのは、いまどき遠景のよくきく、古風な橋なんかどこにもないからだろうか。
 木津川は大きい。だから確かに、廻りに現代風のものが目に入らない。
 そういうことなのだろう。そういうことにしておこう。

参考サイト
  流れ橋説明/八幡市
  木津川の流れ橋/久御山町
  ながれ橋~嵐山間自転車専用道ガイド

[Mu註:木津川の堤に、延々と自伝車道があった。当地にあった案内板には、嵐山から流れ橋、そしてなんと木津町まで、延々45キロ、幅員3メートルの道があるようだ。自転車好きの知り合いがいるが、彼らにはこたえられぬだろう。天気の良い春とか秋には絶好の風が吹き、沿道には様々な風景がおりなすに違いない。]

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2005年4月13日 (水)

木幡花々平成十七年春(1)

承前

 今年の春も木幡研究所に花が咲きました。桜花に狂奔した数日間もようやく過ぎ、沈静化してきました。気がつくと身近に、また別の花々がありました。
 花は桜木とは申しますが、木幡花々も、春の花。

木幡花春17-048

木幡花春17-048

木幡花春17-057

木幡花春17-057

木幡花春17-059

木幡花春17-059

木幡花春17-066

木幡花春17-066

木幡花春17-067

木幡花春17-067

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2005年4月12日 (火)

金魚と住む、平成17年の春

承前(金魚と住む)

 金魚は強い魚です。朝夕ひとつまみ、粉をまぶして、数日おきに水槽を掃除するだけで、我が世の春をおう歌しています。その成長の力強さにはおどろきます。本当に、今秋には水槽を埋め尽くしてしまうかもしれません。

 銀金のグリさんは、大きくなってもグラさんと比べると、相変わらずおとなしい。
 赤金のグラさんは、正面から見ると腹びれが足に見えます。

 グリもグラも、日がな水槽の中からMuを観察しています。不穏な動きを見せると、藻の中に逃げ込む知恵があるようです。詳細は省きますが、金魚は、人や猫を弁別しています、確実に。生き物の不思議です。

春のグリさん

春のグリさん

春のグラさん

春のグラさん

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2005年4月10日 (日)

てんじんがわ:天神川の桜海・平成十七年

天神川の桜海平成十七年(京都市右京区・天神川四条~五条天神川)マピオンBB地図

承前

天神川桜姫

天神川桜姫
 今年の桜姫はこの方です。平安朝の姫君の風情であります。
 さて、平成十七年は春四月、今年もやって参りました。今回は、少し上に上がって、見下ろした風景が多くなりました。下界を観ていると、桜の海と見まごうばかりでした。昨年話題になった「塔」も、まさしく西欧風湖上に浮かぶ、城というよりも、灯台に見えてしまいました。
 このぶんだと、来年あたりは、長靴はいて天神川にはいり、桜の海底を見上げているかも知れません(笑)。

天神川桜十号

天神川桜十号

桜園道

桜園道

桜岬遠望

桜岬遠望

桜岬灯台

桜岬灯台

柳桜をこき混ぜて

柳桜をこき混ぜて
 みわたせば、柳桜(やなぎさくら)をこきまぜて、都ぞ春の錦なりける(古今集/素性法師(そせいほうし))と、古歌にありますが、この天神川には柳も多い。たしかに古今和歌集らしいなんとなくのびやかな明るさを感じてしまう和歌です。新古今なんかですと、もう少しひねりがあって、幽玄というか暗い情念がこもるようなのですが。{柳の色、桜の色、都、春、錦}この五つの言葉には、華やかな明るさがあります。
 そして、Muは古典の注釈をしているのじゃなくて、つまり、この天神川の桜は明るいのです。二条城の夕桜に比べると対極にある桜ですね。
 Muは明るさも、そして幽冥定かならぬ黄昏れも、好みです。贅沢ですなぁ。
 巻頭の天神川桜姫(つまり天神川十号)は、素性法師の歌に姫を点描したなら、きっと上手に溶け込むことでしょう。

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NHK義経(14)源三位頼政の宇治平等院

承前

鑑賞前
 今夜の義経は、タイトルが「さらば奥州」となっていた。しかし、Muがきがかりなのは、源三位頼政(げんざんみ・よりまさ)のことだ。頼政の墓所は、いくつか伝承があるようだが、Muの住む宇治市の平等院に「最勝院」があって、そこに墓がある。
 平等院近辺の地図をみてみると、鳳凰堂の隣になる。

外からみた平等院観音堂
 頼政が自刃したのは、「扇の芝」という箇所で、これは地図の「観音堂」と地図カーソルの間にある塀の内側に当たる。この写真は右手に観音堂の屋根が見えるが、その塀との間で頼政は辞世を残したのだろう。この詳細地図は平等院公式頁の「平等院マップ」を参照されたい。
 ちなみに写真の階段を上がると宇治川の堤で、全体が見渡せる。この川をはさんで、平家の知盛(とももり)らと、頼政親子が対峙したのだ。しかし、頼政は当時八十に近い高齢だったはず、思いやられてあはれなり。現代なら百歳前後と考えてもよかろう。
 なお、地勢として見てみると、多分おそらく、以仁王(もちひとおう)や頼政親子は大津の三井寺から、この宇治川上流にある天ヶ瀬ダム沿いの道を、この地宇治まで敗走してきたのだろう。以仁王はさらに奈良へ逃れたが、途中討たれたようだ。

盗撮鳳凰堂
 実は、この二葉の写真は、過日早朝の宇治川桜を観に行った時に写したものである。京阪宇治駅到着が午前七時だったから、対岸の恵心院は入れたが、その後八時過ぎの平等院は入れなかった。そのせいもあるのだが、堤に上がって垣根の間から鳳凰堂をともかく盗撮しておいた。もちろん、古来粋な計らいがあって、庶民はこの堤から、ありがたーい阿弥陀さまを拝むことが出来たようだから(ほんとかな?)、Muが盗撮しても、まあバチは当たらないだろう。正面からの鳳凰堂盗撮もあるのだが、なんとなく掲載は控えておく。

 さて。
 今夜は頼政公のことだけではなく、福原遷都や、義経一行の奥州からの旅立ちなどがエピソードになっている。福原のことは神戸なのでよくわからない。「義経」を観て把握するつもりだ。
 そうそう、ときおり「西八条の清盛館(やかた)」が解説にでてくるが、思い立ったので地図を示しておく。実は、この角を南から左折して八条通りを西行するのがMuの、車で葛野へ行くときの道筋なのである。付近にワコール(本社は京都なんです)なんかがあって、それが目印になる。

 入道清盛さんの「西八条の館のあった所」(MSN地図

鑑賞後

 また、今夜22時にお会いしましょう(笑)
 ……
 そろそろ21時、ふーっつ、さっき見終わりました。
 今週の附録は宇治でした。NHKというかプロの手にかかるとどうしてあんなに綺麗に写るのでしょう。実は、先週某日雨の中、宇治橋にたって中の島の桜を撮ったのですが、レンズに水滴がかかり、ぼやけ、風で傘に力がかかりブレ、ようやく撮れたのは傾いていて、まことに撮影というのは静止画も動画も、まるで生き物相手というか、難しいですね。
 しかし、宇治が平安朝以来別荘地であったのは事実だし、かの紫式部姉さまもこの地を題材にして源氏物語の残り十巻を書き上げたのですから、佳いところであるのは確信をもっています。ただ、NHKの映像とMuの映像の違いに、あらためて愕然とした、それだけのことです(笑)。

 まず。
 丹波哲郎さん扮する入道頼政さんの戦(いくさ)ぶりですが、なっとくしました。77歳の高齢、老将の最期として雰囲気がありました。長身、頬骨のうきあがった丹波さんならではの台詞まわし、廻りの喧噪とは浮き上がった、放心した目つきと声調、そういうズレが宇治平等院での戦をよくイメージしてくれました。
 もともと阿弥陀様の膝元での戦というのはそぐわないものですが、出家した老将にとっては、生と死とが画然とせぬままに終結を向かえる地として、平等院は本望だったのでしょう。
 なお、以前から院内「観音堂」で亡くなられたというイメージがあったのですが、NHKもそういう雰囲気でした。

 次に。
 女優さんが多い番組です。もちろん先年の新選組!が、男優陣でかためた残映もあって、強く感じるのでしょうが。ただ、政子にしても巴にしても、時子(清盛の奥さん)にしても、あの当時は、後世よりも夫婦ないし男女がペアになって活動し、相談し、陰謀し、働いた感が強いです。だから、政子も、巴も、時子も、予告にでた静も、もしいなかったら、歴史の動きがわからなくなる、それほどに力があったのだと思います。
 丹後局と後白河法皇と申せば、後世では、阿野廉子(あのれんし)と後醍醐天皇の関係を思い出しました。
 今夜の夏木マリさん、なんちゅうか、生き霊じみてよかったですね。もちろん、後白河さんにぴったりでした。

 次に、男優陣ですが。これはエピソードからみで、清盛さんにまとわりつく怨霊、頼朝さんを押し出す北条一門、頼朝を救う梶原景時の存在感。そして奥州に目をやれば、出立せねばならぬ義経の心情、押さえる父性・藤原秀衡。一方、信濃の義仲。短時間にマルチに表現するこういう形式は近代以降のものなのでしょうか。ただ、それほど違和感なく次々と場面転換を受容していたMuも、あっぱれ現代人なのでしょう。

 今夜の最後。
 実は、宇治で「宇治川戦陣争いの碑」を撮っているのです。これは、後日に義仲軍と義経軍が宇治川をはさんで、義仲軍が敗走したことの記念碑です。というよりも、宇治川は大津の瀬田川と同じく、西欧のノリでもうしますと「ルビコン川」みたいのものですね。そこを渡ると後戻りできない、川。そこにかかる宇治橋、瀬田の唐橋。
 歴史は時代や所をかえて、類似点があるようです。

参考サイト
  平等院公式サイト
  宇治平等院(MuBlog)
  宇治平等院と頼政のページ

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2005年4月 9日 (土)

ぎおん・まるやまこうえん:祇園円山公園の夕桜平成十七年

祇園円山公園の夕桜平成十七年(京都市東山区祇園町)マピオンBB地図

承前

八坂神社の正門
 八坂神社の南にある正門は、宵山や大晦日のように賑わっておりました。神社境内にも、隣の円山公園にも屋台が所狭しと並んでいて、人であふれかえっておりました。夕暮れ、夜桜花見が祭礼の一種と思えばよいのだと思いました。

薄暮桜

薄暮桜

枝垂桜の妖精

枝垂桜の妖精

夜光桜

夜光桜

 せっかく夕桜を写した割には、今年のMuはすこし静かになってしまいました。
 相変わらずの人の波に、Muは日頃に似合わず、喜んでおりました。大勢の人に溶け込んでしまうと、いつもある「自我」の緊張が解きほぐされていく思いがしたのです。大抵は、雑踏や行列を極端に忌避するのですが、夕桜には不思議な心象風景があるのです。
 ただ。
 桜木が痩せておりました。年々歳々、歳々年々、人だけではなく、実は花もうつろい行くのでしょう。
 桜花の妖精は、ちゃんとそこに居りました。
 妖精は不死ですが、相は変化するものなのでしょう。
 そういう感慨にふけってしまいました。

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さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年

佐野藤右衛門邸(京都市右京区山越)マピオンBB地図

承前(MuBlog)
 今年の春も無事に広澤池近く、佐野さんのお庭を拝見することができました。
 ほぼ毎年魅せていただいているのですが、それにしても、年々歳々眺めることができた、という安心感は貴重なものなのです。これを年次(としなみ)と言ってよいのでしょう。
 ただ、Muもだんだん加齢と共にいろいろひとさまのことを、おもんぱかる秋(とき)となってまいりました。沢山の自動車が道にとまり、沢山の人が三脚をたて、垣根のない庭を歩いているのです。なんだか、心底申し訳なくなってしまいました。
 ……、と申しながらも、Muもその中の衆生のひとり、毎年ひとしきりシャッターを押し終えたあとに、ふと「お家の方々、大変だろうな。お仕事に差し支えはないのだろうか」と、気がつくしまつ。

 どうしようもないな。
 と、我が身を振り返り、独り言。
 これを大人用語で、「忸怩」と申すのでございましょう。

 さりながら。
 さりながら、すばらしい。華麗。優婉。言葉がつきる。ただただ、今春眺め続ける櫻花。

 今年の感想。つまり、身近であることがMuには大きいです。ほんのお隣さんの庭という安心感。そして、廻りが歴史的な、風致地区というのでしょうか、ざわざわしていません。相対的に、訪れる観光客は少ない。花を花として眺めていられる。そして、花でもない、木でもない、咲いた桜木は別種の、ある存在なのだと思いました。

Mu平成十七年九七号

佐野櫻平成十七年九七号

Mu平成十七年百一号

佐野櫻平成十七年百一号

Mu平成十七年百二号

佐野櫻平成十七年百二号

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ちょうけんじ:長建寺の糸桜

長建寺:伏見港界隈(京都市伏見区中書島)MSN地図

承前(MuBlog 伏見港界隈、より)

 先回、伏見港界隈を歩いたのは三月末でした。それから二週間後に訪れると、柳、桜が綺麗になっておりました。長建寺は真言密教寺院で、島の辨天さん。中書島というのは、一大繁華街、遊郭だったわけですが、そこに辨天さんとはまことに艶っぽい。と、ふと山田風太郎さんの中世ダキニの世界を想像したわけですが、実際は庶民的というか、日の光のもとで、ふと立ち寄れるお寺さんです。もちろん、拝観料なんて不要です。
 しかし丁寧に帽子をとって、手や口を漱ぎ、お参りする礼は尽くした方がよいでしょう。

佐野桜博士の糸桜

糸桜
 この糸桜には、「京都の桜博士 佐野藤右衛門」と木札が付けてありました。佐野さんの令名は、多くの桜に関係して、名高いようです。糸桜というのは、しだれ桜の一種であるとか、樹齢によるとか、Muもよう知りません。ただ、時期からして柳のように見えもして、枝が細く長く垂れ下がり、しだれ桜の咲き誇る原型に思えました。
 もちろん単なる印象でして、桜大百科事典(?)でも読んだり、古老にうかがえば氷塊することでしょう。
 ただ。
 桜は、桜守でないMuにとって、口を開けて目をあけて、魅せられる花と今は思っておきます。

長建寺境内の桜

長建寺桜

辨天さんの竜宮門

竜宮門

参考サイト
  長建寺/芸術の村

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2005年4月 8日 (金)

だいちゅう・ラーメン:大中ラーメン

大中ラーメン(京都市伏見区観音寺町)MSN地図

 過日、伏見港の柳や、長建寺の桜が咲いたかどうかをもう一度確かめたくて、木幡から伏見桃山まで電車に乗った。ともあれ、昼ごしらえということで、大中ラーメンに入った。

大中ラーメン

大中ラーメン
 名前の由来はつまるところ「小がない」ということに落ち着くのだろう。このあたりは経由地、一旦休憩地なので良く通りかかるが、真っ昼間は行列があって入りにくい。開店直後(午前11:30)とか、午後が空いている。

 サービスはよい。しかし、原則は店の人の言うとおり入り口や席を決めるようになっている。これは常時こみあうから、最低のルールができたのだろう。
 女子高生が群れをなしてならぶ。
 焼き豚一杯、温泉卵、あれこれ好き放題で500円となると、混むはずです。

 慣れないとまごつくだろうが、すべて「無料」のオプション、つまりトッピングに「もやし、温泉卵、焼き豚増減、キムチ、……」を追加できる。もちろん、麺の柔らかさ、スープ種類、スープの濃さなどを台本通り伝えていく。店内に項目が貼ってある。
 沖縄からの買い入れとか記してあるジャスミンの茶は、これは口当たりがよい。3杯飲んだ。

 Muはこの日、和風スープにした、魚味というと味気ないが、多分鰹節とか干乾し小魚とか、上手にしているのだろう。もちろん伝来のスープもある。ラーメンスープはどれほど美味しくても三口を限度にしているが、この和風は自然すぎて、ついつい、……。
 注文次第、あっさりと、こってりと、濃く薄く、ネギにおろしニンニクたっぷりと、好きにできる。
 女性の客、それも独り客でラーメンライスを頻繁に目撃する。

近鉄・桃山御陵前駅

近鉄・桃山御陵前駅
 大中はこの駅の真南10メートルの高架下である。
 わざわざ駅頭写真をあげたのは、じつはこの駅前が、数々の伏見遊楽、鳥せい宴会の集結場所だったからである。伏見なんかみたこともない、と言う人達であっても、京都駅から急行が停車するこの駅まではわずかに10分ほど。わかりやすい。
 諸君、大中は、急行も止まる近鉄京都線・桃山御陵前駅下車10メートル南、二度は申しません。

参考サイト
   大中(kyoto.so-name.info)

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えしんいん:宇治・恵心院の朝桜

恵心院の朝桜(京都府宇治市宇治山田)マピオンBB地図

 宇治川沿いの恵心院の花と言えばflowerブロッグでつとに有名です(笑)。で、Muもそれにあやかって、過日、ある曇った極早朝七時頃におじゃましました。
 門構えは、とてもひなびた風情です。というよりも、近頃の神社仏閣は妙に塀高く、囲まれた様子なのですが、恵心院に限っては、開けっぴろげというか、七時にはすでに開門されていましたし、また、写真を御覧のように、門があってもなくてもフリーパスなのです。
 もちろん、拝観料なんて仰々しくはどこにも書いてありません。
 そのかわり、檀家さんというか、先祖を祀っておられる人達への案内は、しっかり記してありました。
 観光地宇治、ちょっと不思議な気がしました。

 Mu写真では表現しつくせないのですが、丁寧なお庭があって、広々としています。flowerブロッグさんがたびたび行かれる理由がすぐわかるのですが、いろいろな花々、木々がありました。

 ともあれ、822年に空海創建、そして源氏物語の完成時期前後、1004年に恵心僧都が再興した寺ですから、ものすごく歴史があります。

恵心院

恵心院

恵心院の庭と桜

庭と桜

三春瀧櫻

三春瀧櫻

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おおさわいけ:大澤池の桜平成十七年(1)

大澤池の桜(1)(京都市右京区嵯峨名古曽町)マピオンBB地図
承前

 大覚寺の目の前に広がる大澤池とその庭園を訪れた。
 桜の数が群を抜いてあるわけではないが、庭園池と塔頭、塔、そして桜の組み合わせは、ここにしくはない。
 その上に、歴史がある。いつも思うのだが、二次元上の地図の上を歩くだけでなく、過去にさかのぼって思いをはせる三次元空間の中に身をおけたとき、眼前の風景が、色をかえて迫ってくる。
 幼少時からの庭と思いながらも、まだまだ歴史の知らない顔に出会うものだ。
 今度の大澤池桜狩では、大覚寺の対岸からみた風景に感動した。広々として、空気が澄んでいたのだ。

大覚寺遠望

大覚寺遠望

大澤池桜

大澤池桜

桜構え

桜構え

三本桜

三本桜

桜塔

桜塔

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2005年4月 7日 (木)

にじょうじょう:二条城の夕桜(1)

二条城のライトアップ桜(京都市中京区二条城町)マピオンBB地図
 今日の夕刻、二条城のライトアップ(桜)をみた。曇ってはいたが、そぞろ歩きにはよい日和だった。肝心の桜はまだ七分咲きだったが、満開だけが桜でもなし、昼見るだけが桜でもない。人工の光にあやしく空を覆った桜の精達が二条城の夕暮れを彩っていた。

たそがれ桜

たそがれ桜

本丸櫓門と東橋

本丸櫓門東橋

桜トンネル

桜トンネル

鮮やか桜

鮮やか桜

桜が咲いて春でした

咲いた桜

参考サイト
  元離宮二条城(公式)

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2005年4月 6日 (水)

0504061・早朝の木幡桜

早朝の木幡桜

早朝の木幡さくら
 

 今朝早朝に、駐車場で空を見上げました。朝方は寒かったのです。
 帰りはラジオで、山梨県大月市で30度を超えた真夏日、東日本は全域で25度を超えた夏日というてました。
 しかし、帰り着いた頃は夜で、街頭の明かりはありましたが、小さなフラッシュは使いましたが、どれもこれも真っ黒くろすけでした。夜桜は、難しいですね。
 中で、早朝のこの写真だけがまともでした。これをもって、以後「木幡桜」と名付けました。

 京都も、どこも彼処も午後から満開近くになったようですが、明日は雨とのこと。まことに、桜狩はままならぬ、むつかしいことです。古人が桜を求めて狂奔したのが、真からわかるようになってきました。
 心にゆとりがないと、若く焦りがあると、眼前にある桜花ですら、ただの白っぽい花にしか見えません。Muはずっとそうだったのです。ようやく、老成してきたようであります、とにんまり。

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0504060・カメラのことで

 今朝、見知らぬいろいろなblogをのぞいてみたら、みんな、結構上等な写真を掲載されておられる。
 やはり、腕なのか、感性なのか、機材なのか。
 せっかく記録しているのだから、鮮明さ、対象の切り取り、対象への焦点、……。つらつら考えてみると、どうもそれなりのカメラが必要なようだ。(笑)

 ということで、朝風呂にはいり、じっくり考えてみる。

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2005年4月 3日 (日)

0504030・NHK義経(13)以仁王(もちひとおう)立つ

承前

鑑賞前
 ほんの少しまえ、夕方の5時すぎに、木幡は突然の音をなす雨に降られた。一天にわかにかき曇り、まるで雹のようにばちばちと地表を射つくした。
 さて四月は第一週、すでに13回目に達した。これまでのところ、最初の一ノ谷のプロローグをのぞいては、乱らしい乱も陰謀もなかったようだが、今夜あたりから雲行きが妖しくなった。先々回は、鹿ヶ谷(ししがたに)の謀議についても、あっけなく終わり、動きもわからぬままに西光は首切られ、残りはみんな、はるか九州鹿児島の南、鬼界ヶ島(地図:たしか、ここだと思うのですが)に流されてしまった。
 この陰謀というか変は、義経には関係づけにくかったのかもしれない。入道相国清盛が主人公なら、もっと展開がはげしかったろうが。それはそれで、これもまたひとつの様式、すべてをなめるように見せていては、数年かかってしまう。

 だが。今夜は、そうたやすく終わりはしない。
 以仁王(もちひとおう)という人は、後白河天皇(法皇)の第二子だったが、平家とのからみで親王(つまり、天皇から正式に認められた皇子の資格)とならなかった。親王称号は時代によって異なるが、この時代は格別な意味を持っていた。で、この親王になりえたかもしれない王が源三位頼政(げん・ざんみ・よりまさ)と計って、平氏追討の令旨(りょうじ)を出したわけだ。
 さて、どうなったかは、今夜以降のお楽しみ、とあいなるわけだが、ミステリじゃあるまいし、多少の経緯を事前に把握しておいても、よいでしょうと、おじゃまな老爺心。

 この平氏追討の令旨を出したことは、その後の政治情勢を急変化させるものだった。
 すなわち、平家はこの時点、1180年治承四年から滅亡への坂をころげ墜ちていくことになり、シーソーのように、源家の義仲や、頼朝や、義経が上っていく、いわゆる分岐年だったわけである、ぽんぽん。(と、講釈師、見てきたような嘘をつく)
 1180年の四月、以仁王は平氏追討の令旨をだし、翌五月には、以仁王と源頼政は挙兵するが、……どうなる。
 そして六月になると、清盛はあわただしく神戸へ、つまり福原へ遷都となり、すぐ八月には頼朝が伊豆で挙兵。それだけじゃない、九月には義仲、木曾で挙兵し、……~いよいよ義経か。

 このころこの年、義経は遠く奥州で藤原秀衡(ひでひら)の庇護のもと、どのようにしていたのだろう。そしてまた、平泉から直線で800キロも離れた京の都の、源平合戦、その前哨戦を知っていたのだろうか。

 では、後刻におあいしょう。

鑑賞後
 巴さんのご尊顔を初めてまじまじと見つめた。小池某という女優さんらしい。姪の息子を育てるおば役で、乳母と言うよりも、武芸師範という趣だった。勝ち気に見えた。しかし幾度も記すが、少なくとも平家物語、その他巷説では、巴は色白で鎧兜を身につけて騎馬し麗姿鮮やか、義仲の武将として働いた女性らしい。そばにたつ義仲との組み合わせが楽しみだ。
 と。
 今夜は幾人かの俳優の良さを味わった。
 一つは、これまで触れなかったが、丹波哲郎の源三位頼政は、あ~ぁよかった。よかった。実に佳かった。自邸の炎の中で、平知盛(とももり)に向けにたりと歯を見せた含みが、地獄の劫火を印象つけた。次回の予告編でも、知盛に宇治川で破れる姿を見せて、よけいに今夜の出家姿が不気味だった。宇治平等院には、源三位頼政の墓とか、扇の芝とか、ゆかりが多い。Muも写真が、探せばあるはず。
参考: 宇治平等院と頼政河原左大臣著)

 ところで、この知盛だが、この人が今後の平家を影で支える武将である。
 平宗盛が総大将になってからは、宗盛は失策し続け、負け、源氏の捕虜となる一方、年下の知盛は義経と互角に戦い討ち死にする。このあたりのことは司馬さんの『義経』にくわしい。

 後白河法皇の鳥羽離宮で、そばにいる丹波局は、夏木まりさんだったような。妖しい。ほんとに、もう、いいようがない。法王も局(つぼね)も、あののりで妖しさをふりまくと、ますます義経の清廉さが引き立つ。
 司馬さん描く義経は、もっと獣じみた獰猛さとフェロモンを放つ変異をみせていたが、このNHKの義経は、ひたすら清らかな少年期を、今終えようとしている。

 北条政子さんを正面からみたが、なかなか、ふむふむ。今夜はいなかった牧の方にしても、巴にしても、静、義経母、あずみじゃなかった「うつぼ」、どなたさんも、一種嘘嘘しいほどに美麗な女優さんをそろえている。平家方の奥方達もふくめて、やはり女性が作者のせいかと、性差別じゃなくて区別。
 とはいうものの、華麗の中にも、それぞれ強烈な個性がほの見えて、頼もしい。役柄上、最近は政子さんと巴さんが光っている。
 となると、白石さんや夏木さんのことは、Muよ、どう思う。ええ、あのお二方は、そうですね、人ではありませぬ。神々に近い方ですから、女の男のというレベルでは計れませぬ。

今夜の結論
 今夜もあっというまに時がすぎた。なかなか、最後の太鼓か、その連打が佳かった。
 飛び立つ武将達の心の綾をかいま見せるリズムだった。
 頼朝が、空を見上げて目を見開いた表情がよかった。
 いよいよ、頼朝も稀代の政治家に変わる予兆なり。
 そして、一筆加筆。
 源行家、あの憎々しさ、あの軽薄さ、よい役者さんだと心中思った。

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2005年4月 2日 (土)

0504020・目次:桜狩り

目次:桜狩り

 春になると、MuBlogの観桜記事へのアクセスが増えるようです。
 今後も、四月は桜狩りに行くことが多いので、過去の記事をまとめておきました。

■ 嵯峨野
 ・ 大覚寺(嵯峨御所)
    ここは庭として大澤池があって、その周囲は桜桜桜です。
 ・ 大澤池の桜平成十七年(1)
    平成17年は思い切り大澤池を写してみました。
    主に池堤の東側から、大覚寺や、
    名古曽の瀧方向を眺めたのです。
 ・ 桜の森:佐野藤右衛門邸の桜
    祇園の桜と関連が深く、嵯峨野の桜、見どころのひとつです。
 ・ 佐野藤右衛門邸の桜平成十七年
    佳いです(笑)。本当です。
 ・ 広澤池の桜と石仏
    むしろ広沢池の方が、大沢池よりも、
    足繁く通ったところだったのです。
    そして、今年(平成17年)は、久しぶりに、
    石仏を撮り、桜を遠望しました。

■ 葛野
 ・ 天神川の桜 (天神川四条~五条天神川)
    市内からみると鄙(ひな)ではありますが、
    この天神川沿いの長い桜並木遊歩道は隠れた名所です。
    古典にある、柳と桜とをこき混ぜた風景はこのあたりのようです。
 ・ 天神川の桜海・平成十七年
    今年も春四月佳く晴れた八日の昼に訪れました。
    天神川とは、天神さんに関係があるのだろうか、と
    考えながらカメラを向けておりました。

■ 平安神宮
 ・ 神苑の桜姫たち:平安神宮
    平安神宮は、何度も訪れるところです。
    府立図書館も、美術館もあります。
    ただ、神苑は滅多に入りません。
    なのに今年(平成17年)は、そこで、
    桜姫たちに、出逢ったのです。
 ・ 平安神宮神苑の桜桜桜:平成17年春四月
    豪華絢爛桜を観られます。
    そして、お庭がよろしいです。
    少なくとも一見されたし、さらに一見、次に一見。
    最後は自分の庭を持ちたくなります。

■ 二条城
 ・ 二条城の夕桜(1)
    ライトアップというので夕方6時前に駐車場に入りました。
    発券機の前には人が列を造っていました。
    広い庭に咲く桜を夜に見るというのは、
    なかなかに趣の深いものです。

■ 祇園
 ・ 京都祇園夕桜
    夜桜、夕桜、祇園円山公園はこの季節、
    本当に人出が多いです。
    夜店もでて、みんな楽しんでいます。
 ・ 祇園円山公園の夕桜平成十七年
    最近は屋台のお店も異国の人が商っているのが多くなりました。
    今宵は、大きな肉塊を鉄串で刺して、
    縦に回転させてじゅわじゅわと炙っておりました。
    ナイフで肉をそぎ落とし、パンにはさんで食すようでした。
 ・ 辰巳大明神の桜と柳
    一番目に載せた柳と桜、これはテーマのつもりだったのですが。
    写した場所で、右耳に美味しいお好み焼きの、
    換気扇がもろにあたって(笑)、で写真がぶれました。
    けど、テーマだから、載せました。
    お好み焼きの匂いに揺れる柳と桜。

■ 伏見港界隈
 ・ 長建寺の糸桜
    伏見の酒蔵や寺田屋でおなじみの伏見港界隈に、
    辨天さんの長建寺があります。そこの糸桜を写しました。
 ・ 伏見港の柳
    柳なのですが、桜もあって、
    柳と桜は桜狩に一体化しようと思いました。
    この記事、なぜか知らねど、桜よりも評判です(笑)

△ 木幡
・ 0504061・早朝の木幡桜
    木幡の桜は身びいきになってしまいます。
    しかし、この季節は、心待ちにし、
    朝になると、いそいそと眺めます。

◎ 京都府
 ・ 常照皇寺
    秘桜と言っても過言ではないでしょう。
    場所が市内からバスで一時間ですから。
    Muは20代に白州正子『かくれ里』の「桜の寺」で知りました。
    山の奥なので、時期は四月中旬以降です。
 ・ 宇治・恵心院の朝桜
    宇治川沿いの宇治神社の東に、
    今風にいうとガーデニング・テンプルがあるのです。
    ここの三春瀧櫻というのが、繊細で長身の、
    懐かしげな桜です。

 ・ 淀川河川公園背割堤の桜爛漫
    淀川のこのあたり(石清水八幡宮、男山の眼下)に来ることは、
    めったになかったことなのですが、この日、
    流れ橋を見学したあと、寄ってみました。
    天王山を背景に、淀川のほとり、延々と、
    桜が続くのでした。
    まさに、圧巻。

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2005年4月 1日 (金)

0504010・奥州藤原氏の栄光と挫折/今東光

奥州藤原氏の栄光と挫折 / 今東光著<オウシュウ フジワラシ ノ エイコウ ト
ザセツ>. -- (BN08843982)

奥州藤原氏の栄光と挫折/今東光

  東京 : 講談社、1993.3
  253p ; 18cm
  注記: 関係略年表:島津隆子作成:p248〜253
  ISBN: 4062063743
  著者標目: 今、東光(1898-1977)<コン、トウコウ>
  分類: NDC8 : 210.38
  件名: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ; 藤原氏(奥州)
所蔵図書館 11[by WebCAT 2005/04/01]

帯情報

初めて編纂された今東光の知られざる力作
みちのくを愛し、中尊寺貫主をつとめた直木賞作家が、栄華をきわめ、やがて滅んだ藤原一族の歴史と人間模様を雄渾・緻密に描く。

目次情報
プロローグ
第1章 黄金花咲くみちのく—奥州藤原氏を訪ねて
第2章 奥州合戦—源頼義・義家と安倍・清原家の激闘 前九年・後三年の役
  服(まつろ)わぬ民 ○源氏の野望と裏切り
  前九年の役 ○陸奥の豪族安倍氏滅び、経清(つねきよ)討たる
  清原家の内紛 ○清衡・家衡連合軍、真衡(さねひら)を破る
  後三年の役 ○清原家滅び、清衡支配権を確立する
第3章 奥州藤原四代—その栄光と悲惨
  藤原清衡(きよひら) ○平泉王国の創始者
  藤原基衡(もとひら) ○奥羽のモンロー主義者
  藤原秀衡(ひでひら) ○北方の王者
  藤原泰衡(やすひら) ○誤解に満ちた四代目
第4章 付録—関係史跡案内と関係略年表
  関係史跡案内
  関係略年表

著者紹介[カバー返しより]
  今 東光(こん とうこう)
  小説家。天台宗大僧正。
 明治31年(1898)横浜に生まれる。関西学院中等部を中退し上京。大正7年川端康成を知り「新思潮」同人となる。昭和5年比叡山にこもる。昭和26年河内郡八尾の天台院住職。昭和40年12月より岩手県平泉の中尊寺貫主。昭和52年9月死去。

Mu註
 写真や地図、系図がたくさんあって、読みやすい。今氏が生前にかかれたものを、編集者が編纂したもののようである。「コラム・年表作成 島津隆子」と記してあった。このコラムが分かりやすくおもしろい。
 Muは今年、NHK大河ドラマ「義経」について鑑賞記をつづけているので、その折なにかと本書を役立てている。
 今東光さんについては、いつか書いてみたい。保田與重郎『現代畸人傳』に、今さんと今さんのお母さんが登場している。今さんの作品は数点しか読んでいないが、映画ではいくつか観た。
 今さんの弟さんとか、縁者は、文化庁とか図書館とか、なんとなく気になる方がおられた。

 なお、今さんには谷崎潤一郎とか川端康成との交友録があって、随分おもしろい。たぶん、あの時代、みんな「不良」だったのだろうな(笑)。

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