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2005年4月 3日 (日)

0504030・NHK義経(13)以仁王(もちひとおう)立つ

承前

鑑賞前
 ほんの少しまえ、夕方の5時すぎに、木幡は突然の音をなす雨に降られた。一天にわかにかき曇り、まるで雹のようにばちばちと地表を射つくした。
 さて四月は第一週、すでに13回目に達した。これまでのところ、最初の一ノ谷のプロローグをのぞいては、乱らしい乱も陰謀もなかったようだが、今夜あたりから雲行きが妖しくなった。先々回は、鹿ヶ谷(ししがたに)の謀議についても、あっけなく終わり、動きもわからぬままに西光は首切られ、残りはみんな、はるか九州鹿児島の南、鬼界ヶ島(地図:たしか、ここだと思うのですが)に流されてしまった。
 この陰謀というか変は、義経には関係づけにくかったのかもしれない。入道相国清盛が主人公なら、もっと展開がはげしかったろうが。それはそれで、これもまたひとつの様式、すべてをなめるように見せていては、数年かかってしまう。

 だが。今夜は、そうたやすく終わりはしない。
 以仁王(もちひとおう)という人は、後白河天皇(法皇)の第二子だったが、平家とのからみで親王(つまり、天皇から正式に認められた皇子の資格)とならなかった。親王称号は時代によって異なるが、この時代は格別な意味を持っていた。で、この親王になりえたかもしれない王が源三位頼政(げん・ざんみ・よりまさ)と計って、平氏追討の令旨(りょうじ)を出したわけだ。
 さて、どうなったかは、今夜以降のお楽しみ、とあいなるわけだが、ミステリじゃあるまいし、多少の経緯を事前に把握しておいても、よいでしょうと、おじゃまな老爺心。

 この平氏追討の令旨を出したことは、その後の政治情勢を急変化させるものだった。
 すなわち、平家はこの時点、1180年治承四年から滅亡への坂をころげ墜ちていくことになり、シーソーのように、源家の義仲や、頼朝や、義経が上っていく、いわゆる分岐年だったわけである、ぽんぽん。(と、講釈師、見てきたような嘘をつく)
 1180年の四月、以仁王は平氏追討の令旨をだし、翌五月には、以仁王と源頼政は挙兵するが、……どうなる。
 そして六月になると、清盛はあわただしく神戸へ、つまり福原へ遷都となり、すぐ八月には頼朝が伊豆で挙兵。それだけじゃない、九月には義仲、木曾で挙兵し、……~いよいよ義経か。

 このころこの年、義経は遠く奥州で藤原秀衡(ひでひら)の庇護のもと、どのようにしていたのだろう。そしてまた、平泉から直線で800キロも離れた京の都の、源平合戦、その前哨戦を知っていたのだろうか。

 では、後刻におあいしょう。

鑑賞後
 巴さんのご尊顔を初めてまじまじと見つめた。小池某という女優さんらしい。姪の息子を育てるおば役で、乳母と言うよりも、武芸師範という趣だった。勝ち気に見えた。しかし幾度も記すが、少なくとも平家物語、その他巷説では、巴は色白で鎧兜を身につけて騎馬し麗姿鮮やか、義仲の武将として働いた女性らしい。そばにたつ義仲との組み合わせが楽しみだ。
 と。
 今夜は幾人かの俳優の良さを味わった。
 一つは、これまで触れなかったが、丹波哲郎の源三位頼政は、あ~ぁよかった。よかった。実に佳かった。自邸の炎の中で、平知盛(とももり)に向けにたりと歯を見せた含みが、地獄の劫火を印象つけた。次回の予告編でも、知盛に宇治川で破れる姿を見せて、よけいに今夜の出家姿が不気味だった。宇治平等院には、源三位頼政の墓とか、扇の芝とか、ゆかりが多い。Muも写真が、探せばあるはず。
参考: 宇治平等院と頼政河原左大臣著)

 ところで、この知盛だが、この人が今後の平家を影で支える武将である。
 平宗盛が総大将になってからは、宗盛は失策し続け、負け、源氏の捕虜となる一方、年下の知盛は義経と互角に戦い討ち死にする。このあたりのことは司馬さんの『義経』にくわしい。

 後白河法皇の鳥羽離宮で、そばにいる丹波局は、夏木まりさんだったような。妖しい。ほんとに、もう、いいようがない。法王も局(つぼね)も、あののりで妖しさをふりまくと、ますます義経の清廉さが引き立つ。
 司馬さん描く義経は、もっと獣じみた獰猛さとフェロモンを放つ変異をみせていたが、このNHKの義経は、ひたすら清らかな少年期を、今終えようとしている。

 北条政子さんを正面からみたが、なかなか、ふむふむ。今夜はいなかった牧の方にしても、巴にしても、静、義経母、あずみじゃなかった「うつぼ」、どなたさんも、一種嘘嘘しいほどに美麗な女優さんをそろえている。平家方の奥方達もふくめて、やはり女性が作者のせいかと、性差別じゃなくて区別。
 とはいうものの、華麗の中にも、それぞれ強烈な個性がほの見えて、頼もしい。役柄上、最近は政子さんと巴さんが光っている。
 となると、白石さんや夏木さんのことは、Muよ、どう思う。ええ、あのお二方は、そうですね、人ではありませぬ。神々に近い方ですから、女の男のというレベルでは計れませぬ。

今夜の結論
 今夜もあっというまに時がすぎた。なかなか、最後の太鼓か、その連打が佳かった。
 飛び立つ武将達の心の綾をかいま見せるリズムだった。
 頼朝が、空を見上げて目を見開いた表情がよかった。
 いよいよ、頼朝も稀代の政治家に変わる予兆なり。
 そして、一筆加筆。
 源行家、あの憎々しさ、あの軽薄さ、よい役者さんだと心中思った。

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コメント

>巴は色白で鎧兜を身につけて騎馬し麗姿鮮やか、義仲の武将として働いた女性らしい

平家物語の異本によれば、巴を「美女」ではなく、「便女」(びんじょ)と書いてるところもあります。
「便女」が転じて「美女」になったとか。

「便女」は下働きの女という意味らしいですから、巴の身分はそんなに高くはなかったのでしょうね。

「美女」であったとしても、平安人がいう美女と現代人のいう美女とが、必ずしも同じだったとも言えませんからね。

 ともかく、平家の戦いぶりの描写を読んでいると、小池栄子さんはビッタリのはまり役だと思いました。

投稿: wd | 2005年4月 5日 (火) 11時51分

私も観ました。さすが丹波哲郎良かったです。今回は、頼政の印象が鮮明でした。能の頼政では、「無念さとこの世への物凄い執着の表現が鮮烈に迫ってくる。」と解説されておりますが、どのようなシーンとなるか次回が楽しみです。
能では、宇治の名所のところで、花を写しに訪れています「恵心院」がでてきます。それに、亀岡市内の9号線バス停に「頼政塚」があります。頼政のお墓は亀岡市内にあるそうです。今まで気に留めませんでしたが、今度田舎に帰るとき注意して見てこようと思っています。
Blogの御かげで世界が広がりそうです。ありがとうございました。

投稿: hisaki | 2005年4月 5日 (火) 12時01分

wdさん (4月 5, 2005 11:51 午前)
 1000年も前の話ですから〜、なんともいいようがないです。

 巴を現代用語で「美女」と書いてあるかどうかはしりません。
 色が白い、髪がながい、鎧甲で馬に乗っていた、義仲末期近くまで傍にいた、くらいが平家での叙述でしょうか。
 便女→美女は、一つの、学者の説、異本の解釈でしょうが、姪の子を武芸からみで育てるなら下働きともいえるし、しかし、田舎に住み着いた武士というのは、畑仕事しながらですから、全員、便男、便女やったかも……。
 義仲の本妻のおばさんだから、身分は準じるでしょうね。

投稿: Mu→Wd | 2005年4月 5日 (火) 12時51分

hisakiさん (4月 5, 2005 12:01 午後)

源三位頼政公の墓所は、ネットでもずいぶんおもしろいですね。

hisakiさんのおっしゃる亀岡の頼政塚については、
http://www.ne.jp/asahi/bau/dog/yorimasa.htm
が分かりやすいですね。

平等院の最勝院は17世紀の建立らしいですが、そこに頼政墓があります。
諸説あるようですね。
http://homepage1.nifty.com/gyoudou/kikou1.htm

来週はきっと、NHKの解説が付録であるようなきがしますね。

投稿: Mu→hisaki | 2005年4月 5日 (火) 13時04分

今回は観ました。前回だけ、信州の山小屋でしたので、見逃しました。

今回の、大河ドラマは安心して観る事ができます。私は、偏見かもしれないが、これでいいと思います。

令旨が歴史的に意味を持ちました。頼朝の挙兵に続きます。と、言う事は親王というか皇太子様の最近のご発言は”歴史的に重要”なるご発言ですね。

日本は、やはり、天皇という存在が歴史を回天させる重要な存在なのです。

改めて、そう感じました。君臨すれど、統治せず。
されど、歴史を回天させる力が有る。

投稿: jo | 2005年4月 5日 (火) 20時38分

joさん (4月 5, 2005 08:38 午後)
 久しぶりのコメント嬉しいけど、難しいことを突きつけましたね。はい。Mu皇帝、直々にお答えいたします。

 詔書、そして院宣や、この令旨。国史を学ぶ人は大変だと思います。そのうち、「平成む院宣」とか、「む勅旨」とか、後世の方達もblogを発掘すると大いに悩むことでしょうね。

「偽帝Muとは、如何なる人なりや」

令旨(りょうじ)は、最初は皇太子、皇后、皇太后、太皇太后さんたちのお言葉(命令)を伝える文書だったらしいですが、後に親王さん、王さん、高級皇族も、令旨になったようですね。

 Muは、遠い将来の天皇さんは、天照大神さんか、大物主さんを祀る、つまり祭祀に専念されることを願っています。江戸や京都や奈良に居られるよりも、伊勢神宮や大神神社や出雲大社に移られるのがよいと思います。
 神さんを二柱に、宮居を三カ所もあげたのは、それはそれは深い深いわけがあるのです。どれを選ぶかも、日本国の見識です。

 政治経済は、東京か大阪で、洞察力のある政治家と、秀才官僚と、国際企業群が、がんばったらいいでしょう。

 大学の先生、つまり文書博士は、どないしても、死後従四位が最高位でしょうね。でないと道真(従二位右大臣)さんみたいに、官打ちされる。

投稿: Mu→JO | 2005年4月 5日 (火) 21時37分

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