0504010・奥州藤原氏の栄光と挫折/今東光
奥州藤原氏の栄光と挫折 / 今東光著<オウシュウ フジワラシ ノ エイコウ ト
ザセツ>. -- (BN08843982)
東京 : 講談社、1993.3
253p ; 18cm
注記: 関係略年表:島津隆子作成:p248〜253
ISBN: 4062063743
著者標目: 今、東光(1898-1977)<コン、トウコウ>
分類: NDC8 : 210.38
件名: 日本 -- 歴史 -- 平安時代 ; 藤原氏(奥州)
所蔵図書館 11[by WebCAT 2005/04/01]
帯情報
初めて編纂された今東光の知られざる力作
みちのくを愛し、中尊寺貫主をつとめた直木賞作家が、栄華をきわめ、やがて滅んだ藤原一族の歴史と人間模様を雄渾・緻密に描く。
目次情報
プロローグ
第1章 黄金花咲くみちのく—奥州藤原氏を訪ねて
第2章 奥州合戦—源頼義・義家と安倍・清原家の激闘 前九年・後三年の役
服(まつろ)わぬ民 ○源氏の野望と裏切り
前九年の役 ○陸奥の豪族安倍氏滅び、経清(つねきよ)討たる
清原家の内紛 ○清衡・家衡連合軍、真衡(さねひら)を破る
後三年の役 ○清原家滅び、清衡支配権を確立する
第3章 奥州藤原四代—その栄光と悲惨
藤原清衡(きよひら) ○平泉王国の創始者
藤原基衡(もとひら) ○奥羽のモンロー主義者
藤原秀衡(ひでひら) ○北方の王者
藤原泰衡(やすひら) ○誤解に満ちた四代目
第4章 付録—関係史跡案内と関係略年表
関係史跡案内
関係略年表
著者紹介[カバー返しより]
今 東光(こん とうこう)
小説家。天台宗大僧正。
明治31年(1898)横浜に生まれる。関西学院中等部を中退し上京。大正7年川端康成を知り「新思潮」同人となる。昭和5年比叡山にこもる。昭和26年河内郡八尾の天台院住職。昭和40年12月より岩手県平泉の中尊寺貫主。昭和52年9月死去。
Mu註
写真や地図、系図がたくさんあって、読みやすい。今氏が生前にかかれたものを、編集者が編纂したもののようである。「コラム・年表作成 島津隆子」と記してあった。このコラムが分かりやすくおもしろい。
Muは今年、NHK大河ドラマ「義経」について鑑賞記をつづけているので、その折なにかと本書を役立てている。
今東光さんについては、いつか書いてみたい。保田與重郎『現代畸人傳』に、今さんと今さんのお母さんが登場している。今さんの作品は数点しか読んでいないが、映画ではいくつか観た。
今さんの弟さんとか、縁者は、文化庁とか図書館とか、なんとなく気になる方がおられた。
なお、今さんには谷崎潤一郎とか川端康成との交友録があって、随分おもしろい。たぶん、あの時代、みんな「不良」だったのだろうな(笑)。
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コメント
今東光のファンでした
今から30年ほど前、今東光はテレビにもよく出ていました。
その影響なのでしょうか、小説もけっこう読みました。
一種の(偽悪家)ではないかと思っていました、そのスタイルがね。
今日出海という仁も良かったですねえ。
いつだか京都の病院に入院していたとき、暑くってたまらない8月に、それでも(地蔵盆どすえ)という声が聴こえてくると、フッと秋風を感じた、と書いていたのが印象に残っています。
投稿: ふうてん | 2005年4月 1日 (金) 20時36分
ふうてんさん (4月 1, 2005 08:36 午後)
一世風靡は映画「悪名」シリーズでしたね。
勝新太郎さんと田宮二郎さん。
しかしなんですなあ、いまどき、今東光のファンだったなんて、御仁にめぐりあえるのも、blogのよさです。
お吟さま、でしたかな。直木賞は。
今東光さんは、大昔、銭湯の中で、谷崎潤一郎と出会って以来、弟子入りというか、親交を深めたようです。
Lunaのビラ一枚とか、奈良公園の茶店でうどんとかワラビ餅とか、まあ、人と人との出会いは、けったいなもんです。
投稿: Mu→ふうてん | 2005年4月 1日 (金) 20時53分