0503031・いましろつかこふん:今城塚古墳
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» 謎の大王継体天皇/水谷千秋 [MuBlog]
謎の大王継体天皇/水谷千秋 水谷千秋著 (文春新書 ; 192) 東京 : 文芸春秋、2001.9 228p ; 18cm ISBN 416660192X 主要参考文献:p228 著者標目:水谷、千秋(1962-) [ミズタニ、チアキ] 分類: NDC8:210.32、NDC9:210.32 ... [続きを読む]
受信: 2006年3月30日 (木) 12時19分
コメント
以前、NHKの特別番組で日本最大の家形埴輪を含む120個以上の埴輪の再現を番組でやりましたね。
CGを駆使して、幾つかの説を紹介していました。庭が何個かに区分けされており、大王の葬送儀礼である説とか、即位の儀礼であるとか、朝廷の模様の再現であるとか、色々な説が紹介されていました。
CGを使い判り易く画像を使っており、楽しませて貰いました。
継体天皇の陵墓であると、ほぼ学会では認めていますよね。それにしても、埴輪ひとつをとっても、桁外れな巨大な権力を偲ばれます。
投稿: jo | 2005年3月 3日 (木) 10時50分
joさん (3月 3, 2005 10:50 午前)
遅延コメント返し、失礼。
いつ如何なる時、どんな理由で、陵墓が不明確になったのでしょうかね。
平安時代初期までは、おぼえていたでしょうに。書陵部の倉庫を探したら、書き付けがあるかも知れませんね。あそこは、だれそれさんの御陵や、とね。
投稿: Mu→Jo | 2005年3月10日 (木) 21時06分
それが難しいそうですよ。
記紀、続日本紀、延喜式、等の書物にて記録があるそうですが、なんせGPSの無い時代ですから、物理的場所が判らん。
考えてみると、何も無い丘陵に古墳を作るとする。すると、山辺の道のなんちゃらの岡とか人々は言う。そして、記紀に記述が残る。
しかし、時代は進み開発が進む、いろんなものが廻りに建造されたりするし、村が出来たりして、土地の呼び名も変わる。
書物からだけでは、判らないそうですよ。だから、考古学による発掘により遺物より時代を判定する。
墓誌銘が出れば完璧ですが、日本では殆ど出ない。だから、難しいそうです。
中世の混乱期、鎌倉時代、戦国時代、にはかなり古墳は壊されたり、被害をうけたそうですね。
残念です。
投稿: jo | 2005年3月11日 (金) 16時39分
joさん (3月 11, 2005 04:39 午後)
そうですか。
一番不思議は、仁徳天皇陵、世界最大でしょう。
あそこが、仁徳天皇さんではないという説が主流なんだから。けったいなことです。
応神さんは、なんとか時代があうようですがね。
日本人の秘められた歴史観というか、なんでも水にながす、あっさり忘れる、いいようなわるいような、おもしろい性格の発露かもしれません。
要するに。
なにかがそこにある。
「ああ」でとどまる。いや、とめる。
「一体、だれのお墓?」とまでは、ふみこまない。知らないことが恥ずかしいのか、そこにあるものはあるで、すませるのか。
実にけったいな国民性かもしれません。
つまり。一応日本の歴史は連綿と継続してきた。それなのに、記録がなくなる、記憶も喪失する。不思議です。
(たとえば、エジプトなんかは、長い歴史の中で王朝は断絶し、文明は崩壊した時期も多々あったわけです。異文明に、たとえばイスラムに席巻された時代もあった。だから、とぎれてもふしぎじゃない)
投稿: Mu→Jo | 2005年3月11日 (金) 19時35分
緊急アピール!今城塚古墳の現状がむちゃくちゃな行政手法の強行工事で経年価値が破壊されていっています。内堤なんか見るも無残です。「偏愛高槻市」で検索してみて下さい。今の現状の真実が市民目線で載っています。一人でも多くの人に知らせたい。
投稿: 今城塚古墳が大変 | 2009年8月10日 (月) 16時36分