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2005年1月31日 (月)

0501310・北方謙三『水滸伝』十二「炳乎の章」

承前

 この章のエピソードは二つあった。
 一つは、何十年も塩の道を維持してきた豪商盧俊義(ろしゅんぎ)の、青蓮寺による拉致拷問と、盧俊義の部下燕青(えんせい)の働き、すなわち二日間の死域。
 もう一つは、雄州の稚気あふれる関勝(かんしょう)将軍と彼の軍師宣賛(せんさん)の掛け合いである。

 実は先回の11巻で梁山泊の宋江(そうこう)と晁蓋(ちょうがい)の論争激しき中、晁蓋は青蓮寺のはなった刺客に毒矢で暗殺された。両輪のごとき、その片方が巻半ばで赤札になった。第一部の数冊を思い起こせば、この突然の死には呆然となった。刺客はすでに青蓮寺を引退していた老刺客だった。史文恭(しぶんきょう)という。北方水滸伝のよさは、梁山泊と青蓮寺(宋国)とを等距離に観るところだろうか。宋江(そうこう)と晁蓋(ちょうがい)、そして李富(りふ)と聞煥章(ぶんかんしょう)、この両陣営の敵対する頭脳が、しのぎをけずる姿が実に鮮やかに浮かびあがってくる。つまり、李富の命をうけた老刺客史文恭(しぶんきょう)の暗殺にいたるまでの経緯が、淡々と精密に偏り無く描かれている。

 盧俊義(ろしゅんぎ)は李富の内偵によりリストされた18人の容疑者の中にあった。
 青蓮寺の心理的拷問は、人をして死をこいねがう状態にまで至らしめるものだった。

 梁山泊は守備兵だけを残して全軍で北京大名府(ほっけいたいめいふ)を襲った。しかし盧俊義の救出は軍のなすところではなく、飛龍軍間諜十人の助けをえて、従者燕青ひとりが行った。実は、ここからが見せ場だった。燕青は巨漢の盧俊義をかつぎ野を越え沼をわたり、二日二晩梁山泊に向かった。燕青は「死域」の状態、すなわち気力だけが身体を動かしていた。普通の者なら、その死域は数秒、楊志でさえ数時間だった。この逃避行が胸を熱く打った。その間、52の都市名と52人の「塩の道」関係者の名を燕青は盧俊義から口づてに暗記していった。それは宋江にさえ全貌を明かさない秘事だった。すべて暗記しなければ、青蓮寺に破壊されつつある塩の道を再建することが出来なくなる。

 宋国地方軍の関勝将軍は名将だったが、有能な故に辺境に追いやられていた。
 彼はしかし梁山泊に投降する気持も持っていなかった。軍の命令を遵守する、その一点に宋国への忠誠を表していた。
 友人であり軍師の宣賛(せんさん)は、関勝将軍の現状を惜しみ、将軍の部下達と計らい梁山泊に入ることを画策した。途中、宋国から梁山泊の押さえる大都市北京大名府をわずかに三千の兵で攻略することを命じられ、成功不成功にかかわらず、将軍が反逆罪で処断されることを見通した。しかし、将軍はいまだ梁山泊に入ることを潔しとしなかった。宣賛は一計を案じ、それを関勝になっとくさせた。
 それは、留守になった梁山泊を、関勝将軍三千の兵が包囲することだった。それが何故取るべき道だったのか、……。

 Muがこの巻まできて、次巻以降に楽しむのは、青蓮寺の動きと、宋江の動きである。
 一番不安なのは、まだまだ刺客はいる、ということかもしれない。 

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2005年1月30日 (日)

0501301・NHK義経(4)鞍馬の修行

承前

 さて日曜の夜がやってきた。いつもは義経を見終わってから書き出すのだが、そうすると書き終わるのが夜も11時ころになるので、睡眠不足になりがちなので、フレーム(枠組み)だけは事前にしるしておこう。
 朝刊のTV欄をほんのちらっと眺めてみると、今夜は清盛が坊主になり心身すぐれず、義経は敵(かたき)でありながらその身を案じる。
 義経は少年から青年になるようだ。
 今回の主役は兜がよく似合うな。オタッキーとか、そうそうタッキーいう愛称らしいが、むかし、石原裕次郎さんの恋人か奥さんかは、なんとなく、タッキーとか呼ばれていたようだが、はて、ああ「ターキー」だった。

 また、いよいよ鞍馬での武術(幻術?)修行が始まる。以前から義経は忍者だった説を耳にしているが、どうなんだろう。
 それから弁慶がでてくるようだ。彼については、大昔、常陸坊海尊とかいう流れ者坊主の演劇をみたような記憶もあって、海尊と弁慶とが兄弟とかいう変な記憶も残っている。
 昔の記憶を確かめるのは、最近しげしげとやっているが、まあこれは一種の野暮かもしれない。
 記憶の変化はうけいれておこう。と、すると今夜のみどころは義経忍者説かもしれない。
 
 さっき目元の下まで温泉の素湯につかったので、そろそろ番組が始まる時間のようだ。マシンをおいて深呼吸しよう。(あと、30分もあるが、せかせかとするのがしんどい)

……
 見終わってほっとしています。
 しらぬまに時間がたってしまいました。まだ義経世界に慣れていないので、ひとつひとつを、配役も台詞も確認している状態です。
 来週は京の五条の橋の上、大の男の弁慶が、長い長刀ふりかざし、……だからわかりやすいのですが、今夜のエピソードは修行でありました。遮那王が天狗と立ち回りをするところはよかったですね。義経が船を八艘も飛び回ったという伝説は、そのころの天狗飛びが役に立ったのかも知れない。
 それに、けっこう難しげな兵法書を読んでいました。寺に修行に入ると読み書きは一応出来るようになるので、よかったです。

 延暦寺と園城寺との確執なんかはよく調べないとわかりません。それに南都興福寺もからんでくるのだから、当時の寺院はどういう性格の集団だったのか、すくなくとも現代のようではなかった。後白河法皇も、清盛も髪をおろしているのだから、逆にお寺の言い分を聞かざるをえなくなる。そして幼い牛若らの命をとる代わりに出家することで現世の掟から別の掟に変わる。お寺には相当な力があったのでしょう。
 法王の院宣すら効力が薄くなるくらいだから、鴨の流れと賽の目と、比叡山山法師の力は世俗権力者の力をもってしても、動かすのが難しいようでした。
 それにしても、僧兵。これは遠く古ヨーロッパの、ローマとの対立、カノッサの屈辱、聖職叙任権問題、などなど世界史的な問題だったのでしょうか。ええ、つまり十字軍は一種の僧兵、……じゃなかったか。うむ。
 僧兵。
 これは、仏法を守護する神兵みたいな、……またまたおかしくなった。
 むつかしい。

 で、今日の義経は目立つところはなかったけれど、おタッキーのお披露目というものでしょうか。
 五条橋該当の橋が少し小さかったのがイメージを狂わせましたが。
 まあ、よろしいのでしょう。当時は。

 番組終了後のゆかりの地案内はよいですね。鞍馬山、行ってみたくなりました。まだ寒いでしょうね。

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0501300・SDI:中国史

用語 長江文明
NDC分類記号 222.03

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2005年1月29日 (土)

0501290・いわふねじんじゃ:磐船神社

磐船神社(大阪府交野市私市9丁目19ー1)マピオンBB地図、MSN地図

承前
 2005年1月23日の日曜の午前7時に出発し磐船神社のそばに車を置いたのが8:50だったから、遠くへ来たという感慨は薄かった。
 だが、ついにたどり着いたという思いも一方であった。それは以前訪れたのが記憶にないほど昔のことだったからかもしれない。20代だったのか30代だったのか、思い出せない。
 ともかくこの日、たどり着いた地で、思いのたけをニギハヤヒに祈ろうととしたが、半ばは成り、残りはまた後日のこととなった。なったことは、この記事と写真とを我が手で得られたこと。ならざることは、記事なかば「岩窟巡り」で言及する。

磐船神社の由来
 この神社の由来は「磐船神社の御由緒」に詳しい。祭神はニギハヤヒの命(みこと)、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと) となり、御神名、これは『先代旧事本紀』からのものである。神武天皇が大和で建国する以前に、天磐船で河内国河上哮ヶ峯(いかるがのみね)に天降(あもり)なさったらしい。諸説があり、天照大御神の孫とも、素戔嗚尊の孫ともいう。この二柱は姉弟となっているが、夫婦だったという説も耳にした。

 さて、現代の磐船神社は、天磐船(あめのいわふね)がそのまま着陸したと言っても神話上では不審に感じない。12mほどの高さ、幅を持つ巨石なのだから、これが天降(あもり)した様子を想像すると、たしかに肝をつぶす情景だったことだろう。
 神社由来をみていると、現代にいたるまでのさまざまな経緯が伺える。磐船神社ではニギハヤヒを天神(あまつかみ)と記しているので天孫系ともいえるが、物部氏の祖であることから出雲系であることは最近とみに目にする。この件は将来の別記事として考えてみたい。つまり、一般にスメラギが天下るとき同行した物部は天津神系と思われてきたからである。それがなぜ、物部を土着の国津神系とするのか?
 そういう難しい問題は先のべにして、要するに磐船神社の古代は枚方・交野などを基盤とした河内物部氏の保護を受けていたが、物部本家が蘇我に破れてからは衰亡した。

近世以降の磐船神社
 その後、神仏習合時代を経て多様な変化を受け、近世には付近四村宮座として共同祭祀も行われたが、天野川の氾濫による社殿流失など苦難が続き、ついには各村が御神霊をわけて持ち帰り、当地の磐船神社の荒廃もきわまったようである。
 そして明治維新後、ようやく崇敬者の力によって復興され現在に至ったようである。
 後日別記事に掲載予定だが、天誅組乱において伴林光平がこの地で歌を詠んだとき、磐船山があっても、社の様子が少しも歌われていないことに不審だった。しかしこういう社伝を知ると、幕末には社の形態をなしていないほどに荒廃していたかも知れないと、推測が確信に変わってきた。

 かむさびていた。巨石の連なりは、太古のニギハヤヒ降臨を十分にイメージができた。

磐船神社の正面鳥居

磐船神社の正面鳥居
 ご神体が天磐船だから、社殿や鳥居は人々に「神さんがおられる」と気づいてくれるだけでよい。そういう意味で石の鳥居は他所のと変わりなく、道路直近に面して、結界を構成する要素になっていた。この鳥居の右にも左にも、そして私が写している場所の後ろにも、巨石があった。
 鳥居の向こうに見える建物は社務所で、社家の人の住まいのようだ。

天の川にかかる橋

天の川にかかる橋
 天の川の下流に立って境内を観てみると、可愛らしい橋と、その向こうに不気味な岩窟が目に入る。この岩窟の入り口は後述するご神体のそばかららしい。で、この岩窟で「思いの成らぬ」ことがあったのだ。
 要するに岩窟に入るのを断られた。まことに恥ずかしながら。明確な理由は二つ示された。三つ目は目で言われた。
  1.朝方は滑りやすく、危険。
  2.お一人での入山は断っている。(墜ちたときなど、連絡が遅れるよし)
  3.そして三つ目に、言外に、「お年をめした方には無理です」
 とても辛いことでした。はるばる何十年ぶりかに訪れて、最後の言外の眼差しが心に深くこたえた。そばに屈強の若者、ないし壮年の山男(Joさんをイメージ)がおれば、すいすいと白いはっぴをかけて、古代の深奥に旅立つことができたろうに。
 そして、こういうとき、精神的弱さというか、争いを嫌うというか(本心)、Muは「はい。そうですか」と言ったまま、気恥ずかしくて、その場をすっと去った。いまだ還暦にも間があるというのに、ああ。

あめのいわふね:天磐船(ご神体)

天磐船(ご神体)
 ご神体。巨大である。圧倒されると言って佳い。高さや幅が12mというから、そばで見ると、見上げるような大きさだ。ところどころ苔むしている。この大岩が空を飛んで、神や人を運んできたと想像すると、心が空になった。着陸にはものすごい衝撃があっただろう。天野川がもっと豊かな水量ならば、水煙、加熱されて水蒸気の湯柱が立ったかも知れない。イメージできる神話はつきることなくわき上がってきた。
 ここを聖地として、2千年ちかくあがめてきたのは、気持としてよくわかる。

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2005年1月27日 (木)

0501270・南山蹈雲録/保田與重郎

南山蹈雲録 / 保田與重郎著<ナンザン トウウンロク>
(BN0940228X)
  東京 : 小學館、1943.11
  12、433p、図版3枚 ; 22cm
  内容: 南山踏雲録 ; 花のなごり ; 橿の下私抄 ; 文久三年大和義擧記録抄 ; 郷士傳 ; 伴林光平傳
  注記: 原本: 「伴林光平全集」(小野利教編)所載のものにもとづき、諸完本を參照した
  別タイトル: 南山踏雲録 : 評註 ; 南山踏雲録
著者標目: 保田、與重郎(1910-1981)<ヤスダ、 ヨジュウロウ>
分類: NDC8 : 121.52
件名: 伴林、光平(1813ー1864)

所蔵図書館 26[2005/01/27 By Webcat]

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2005年1月25日 (火)

0501250・アクセス異変

 今朝起きて、MuBlogのアクセス統計をみてみたら、昨日24(火)の合計が568にもなっていた。普段は300件ほどのアクセスをうろうろしているのに、これは突出した件数である。平均の2倍近くのアクセスも異常だが、そもそも一日あたり500に達するのはMuBlog開設以来初めてのことでもあった。
 葛野に来ても、なんとなくきになったので、先程すこし分析しておいた。本来MuBlogの小説木幡記は木幡で執筆すると決めているので、これは下記の小説葛野記に記録した。
 >小説葛野記(2005/01/25

 しかし、記し終わって気が付いたのだが、これがココログシステムのたまたまのバグで、統計アクセス件数を全て2倍にしてしまった、などということになると、まことに面目がない。ま、よかろう。
 それにしても、分析した結果は、やはり不明だった。
 何故なんだろう。

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2005年1月24日 (月)

0501241・つつきのみや:筒城宮とラーネッド記念図書館

筒城宮跡とラーネッド記念図書館(京都府京田辺市 多々羅都谷(たたらみやこだに))マピオンBB地図、MSN地図(詳細

承前
 昨年、歴代天皇の宮居を調べていたとき、話の成り行きで継体天皇が樟葉、筒城(511-518年)、弟国と20年間も山背の国で足踏みし、やっと大和に入ったという故事をおもいだした。そして、筒城宮跡が現在の同志社大学京田辺校地(同志社田辺キャンパスとMuは通称す)にあると知ったときは意外な思いがした。
 日曜だからキャンパスも図書館も無人だろうから潜り込んで調べてみようと思い立ったのだが、初めて訪れた多々羅の都谷(みやこだに)はどの門もしっかり締まり、門扉前には車除けのポールまで刺さっていた。ガードが堅い。明確な用もないのに、同業のよしみで図書館に話を付けるわけにも行かず、かといって旧知の先生もいない。生来人見知りも激しいのだが、思い切って、ある門扉前に車を乗り付けじっとしていたら、案の定警備の人が走り寄ってきた。

「ここに車を止められると、こまるのですがね」
「あのう、継体天皇が、~、むにゃむにゃ」
「どちらの方ですか?」
「ええ、葛野の、~、もにょもにょ」
「それなら、別の△門の警備に、今おっしゃったように、☆と伝えて下さい」
(どう説明し、どの門かは守秘義務もないが、公開しない)

 ということで、キャンパス内に無事乗車したまま入り込んだ。
 葛野に比較してとても広いので、あっちふらふらこっちふらふら、行き止まり、芝生、煉瓦敷きの歩道と、要するにおろおろして、やっと某地に留めた。それからは、ひとしきり歩き回った。

キャンパスの中の筒城宮跡伝承地

キャンパスの中の筒城宮跡伝承地
 現地へ行けば分かることだが、そこは本当に、庭のようなものだった。正門を入ってすぐ右手にこんもりした小丘があって、庭師の人が数名手入れをしていたから、旧跡とか塚とかいう雰囲気とは違っていた。しかし階段を上って、また裏へおりて側面から見ると、古墳というか、塚にも見えた。
 同志社大学が、現在この地を手入れしていることがわかり、ほっとした。なんとなくこれが旧国立大学だと、車の残骸が丘の上に乗り上がっていたり(笑)、草むしているような、そんなイメージがふとわいた。丘だから派手な立て看板がならんでいるかもしれない。

筒城宮趾石碑

筒城宮趾
 写真の右手が継体天皇皇居、左手が筒城宮跡と記されている。この二つの違いは、後述する二番目の案内板によって事情がわかる。右手は1929年、つまり戦前に「三宅安兵衛の意志によって、浜田青陵博士の書」として建てられ、左手は1960年、戦後昭和に「地元の有志による筒城宮址顕揚会」によってたてられたものである。このうち参考書『けいはんな風土記』には、三宅氏に関してp.193、p268でその事績が記されていた。京都で木綿・博多織の店を手広く商い、遺産を公益に資すことを息子に伝えた。その浄財でおびただしい石碑が造られたようである。

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2005年1月23日 (日)

0501231・NHK義経(3)鞍馬の遮那王

承前

 牛若=遮那王役の神木隆之介という俳優(子役)が、なかなかに見所があった。表情のひとつひとつがよい。うまくすれば上等な役者になって行くのかも知れない。ふと、世阿弥を思い出した。時々刻々と芸は変化し、花も色を変えていく。今の常磐と牛若との対立は、ちょうど良き加減に演じきっていた。
 それにしても、本来斯様なねちこい芝居は身に沿わぬのだが、役者が救っていた。
 まず、常磐と牛若。この母ものが現代風に、するどく描かれていた。照明やメークなどが上手なのだろうか、凄惨な母の心情が常磐の面ににじみ出ていた。そして、悲惨な捨て子、放逐を受けてたつ牛若の表情は、それにもまして繊細な反応だった。
 あのNHK、役者をそろえるのは実に上手だ。

 次に鬼一法眼(きいちほうげん)。
 往年のシャンソン歌手、三島由紀夫の友人だった丸山明宏、名を変え美輪明宏。鬼一は陰陽師となっていたが、別に軍学師とも言われる。実在はしていないはずだが、妙に義経といえば鞍馬、鞍馬といえば天狗。それが鬼一となる。義経記の解説でも読めば分明となろうか。
 鞍馬の近辺は昼なお暗い。昔畏友梅翁と北の常照皇寺から鞍馬へ回ったときは、運転に恐怖するほどの暗さだった。天狗がでてもおかしくない。その中で鬼一法眼が白光のイメージで立ち現れた。これがよかった。美輪さんは、黒蜥蜴じゃないが暗い雰囲気の中でコントラストが鮮やかな人だが、今度はまばゆい光に包まれて登場した。鞍馬の天狗として、どうなるのか、そして遮那王は軍略をどのように学ぶのか。楽しみである。

 次に後白河上皇
 平幹二朗。まだ今夜は頭を丸めてはいないので、法王ではなく上皇のようだ。それにしても、ああいう衣装をつけて今様狂いを演じる様は、ほとほと「役者やね~」と感嘆する。妖しい堂上言葉というか京ことばで、ちくちくと清盛に皮肉をいうところなぞ、ねちこいという前に、哄笑するほど上手に思えた。あの不気味さ、あの腹の底の見えなさ。本当に、後白河上皇があったればこそ、「平家物語」「義経」もおもしろくなる。稀代のキャラクターである。天皇家百幾代の御代御代、後白河上皇、後鳥羽院、後醍醐天皇さんあたりは、いま、時の人になってもお似合いではなかろうか。すさまじい性格の痕跡を正史、秘史、稗史に残しておられる。その中でも頼朝をして「日本一の大天狗」といわしめた後白河法王。そして、平幹二郎、この妖しさは、この不気味さは、とうてい並の役者では出せないだろう。感嘆。

 次にお徳
 白石加世子。女。そう、女のすさまじさを味わった。あの目、くちもと、微笑と愛情と含み。まだ牛若が幼い故に、それ以上の表情、声の質は魅せなかったが。この女優は、存在しているだけで、凍らせるすごさがある。地の底からうごめきだすような、その台詞が未だ耳に達せぬ、未だ発せられてはいないというのに、姿をみただけで、なめらかな語りを聞いただけで、全身に悪寒と快感とが交互に押し寄せる。
 私は若い頃に、ほんの一年間ドイツ語に執心した。それは外国語の耳へのくすぐりがどうにもたまらなかったせいである。しかしそのころ、早稲田小劇場の白石加世子をなにかで観、耳にしたとき、「役者」とは「巫女」であり、この世のものではないと悟った。
 そういうかつての刻印が、彼女の姿を瞥見しただけで、蘇る。
 たしかに、牛若に初めて声をかけた今夜、もう始まっていた。なにかが。

 今夜は、よかった。また来週も観よう。

参考
    NHK大河ドラマ「義経
    鞍馬寺のこと[MuBlog:いつか最新の鞍馬の様子をみておきたい]

    鞍馬寺[地図
    くらま温泉[温泉旅館案内

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0501240・Mu氏その優雅な日曜:王仁博士、磐船神社、継体天皇・筒城宮

王仁(わに)公園と墓 → 王仁公園地図王仁塚詳細地図
磐船神社(いわふね) → 地図
   素戔嗚(すさのお)神社 → 詳細地図
筒城宮(つつきのみや) → 地図詳細地図

 日曜の早朝五時に起きてしまった。もうすこしねむっているつもりだったが。
 六時頃、いつものように、M1君が朝刊記事内容をコメントしてくれるそばでトースト、純珈琲、黒ごまペースト、トマトジュースを進めている途中、不意に思い立って聞いてみた。
「天気は?」
「曇りですが、……。つかぬことをうかがいますが、僕のユーミンCDはご存じないですか」
「知らぬ」
「はい、解りました。もう一度探してみます。ところで、お出かけですか?」
「うん。友人(Joさん)の故郷、天の川へな」
「お気をつけて」

 七時にハンドルを握ってキーを回した。それから王仁公園、磐船神社、素戔嗚尊神社、筒城宮と一周し、伏見大手筋で昼食をすませて、さっき午後一時に帰還した。丁度正確に六時間、距離にして八十六キロメートルだった。車中運転は二時間、徒歩参拝飲食に四時間程度の旅行だった。
 大量の写真を撮ってきた。
 実に心地よい。
 この記事を掲載したなら、承前のデータベース(WAMP)を楽しみ、夕方になれば風呂は白濁温泉に鼻先までつかり、夕食は祝事もあってか豪華になるらしい。そのあとNHK義経など鑑賞し、要望(笑)もあるので記事を新たにし、熟睡の予定なり。

1.王仁公園・王仁塚と論語千文字
 磐船(いわふね)神社へは北河内(枚方東IC)を通るというのに、旧知のJoさん故地を少しも訪れないのは気が悪くて、思い立って論語千文字王仁博士の旧跡をたずねてみた。大きい公園があって中は迷うくらいだったが、近所の人に聞いてみると「うーん」と首をかしげたので、歩き回った末にやっと地図を見つけたならば、なんと公園と塚とは離れていた。→ 詳細記事

2.磐船神社と天の川 そして素戔嗚尊神社
 今日の旅の目的である磐船神社は磐船街道を東南行した山間にあった。なぜ私がそこへ行かねばならぬのか、その因縁話は後日にしよう。以前尋ねた折りには、おそらくトンネルがなかったのか、河内と大和を行き交う自動車が一車線ほどの山間部でだんごになり難渋したが、今朝は、神社に用のない自動車はすべてトンネル経由となっていて、私は以前のままの、しかし今朝は空いた道に楽々と駐車できた。
 さて、名高い岩窟巡りをさせていただこうと、おとないをしたところ、なんと意外な事実が判明した。→ 詳細記事。→ 素戔嗚尊神社詳細

 そのあと、日本古代史の謎、ニギハヤヒの故地を探索しようと鞄をみたが、肝心のテキストを忘れていた。まだよく知らない土地なので、なにがどこにあるのか、神武天皇以前にニギハヤヒはどこに宮居を構えたのか、まったく思い出せなかった。しかたなく自動車ナビの地図を観てみると、ようやく素戔嗚尊(ニギハヤヒのご先祖)神社があった。その地は、驚くべし「奈良先端科学技術大学院大学」の裏ではないか。なぜ驚いたかは後にして、行ってみると、そこでも意外な事実が私を待ち受けていたのだった。→ 詳細記事

3.継体天皇・筒城宮と同志社大学田辺キャンパス
 今日の旅程に継体天皇は入れていなかったが、日曜だったことに気づき、いそぎ自動車ナビをセットした。相変わらず高槻の今城塚古墳にはまだ行っていないが、筒城宮跡が同志社大学の田辺キャンパスの中にあると知ったときは驚いた。あそこは著名な図書館で、日本離れした景観建築で有名な所だし、キャンパスの中に継体天皇関係史跡があることに、昨年まで無知だったのだ。平日は、なかなかによその大學へ「観光」にも行きにくく、日曜なので勇んで尋ねてみようと思った。しかし、そこは……。 → 詳細記事。 
 
4.伏見大手筋の焼きそばと本屋と美味い珈琲
 旅の終わりは見慣れた伏見大手筋で昼食にしようと、最初から思っていた。
 着いたのが正午前だったから、疲れは全くなかった。旅は早出の早着きに限る。
 花より団子。運転中、あたまの中には、じゅうじゅうと鳴る鉄板の上の焼きそばがうごめいていた。大手筋の某所の焼きそばはもう20年以上「美味しい」と焼き付けられている所だ。あまりに美味しいのでめったなことでは、人には言わぬ。
 たしかに、今日も「うん」の味でした。
 さて、次に小さな書店に寄って、まよわず司馬さんの図書一冊(出雲王朝の記事を以前載せたが、その後、どうしても図書が木幡研、葛野研両所で見つからず、今日は、書店で気合いを入れてさがしたら、あった。活字も大きくなったので、よかった。これで以前の記事を詳細にできる)。次に、レジでおつりをもらっている時、ふと横を見ると「継体天皇の謎/関祐二」が目に飛び込んできた。奇縁なり也。私は迷わず、追加購入した。
 さっき継体天皇の謎の結論を読んでみたら、「うわーっつ」と、思わず叫び声を出した。ミステリー小説じゃないのだから、私は迷わず結論を見ることにしているのだが、今回は、「あ、あ~」の状態となってしまった。楽しみ。
 で、そのあとは、これもまた雛にはまれな味わいを提供してくれる、某喫茶店に入った。
 やはり、専門のお兄さんの淹れる珈琲はよいなぁ。
 至福なり也。

5.行程
  07:00 木幡研究所出発
  07:30 王仁公園着
  08:00 王仁墓着
  08:20 王仁墓出
  08:50 磐船神社着
  09:20 磐船神社出
  09:40 素戔嗚神社着
  10:00 素戔嗚神社出
  10:30 同志社大学田辺キャンパス着
  11:10 同志社大学田辺キャンパス出
  11:40 伏見大手筋着
  13:00 木幡研帰還
  総距離  86.3km

6.決算
  高速道 550円+100円 → 650円
  駐車場代(大手筋) → 400円
  美味い焼きそば → 540円
  美味い珈琲 → 400円
  おやつ(おかき、茶、おにぎり) → 467円
  図書費 継体天皇の謎/関祐二 → 580円
  図書費 歴史の中の日本/司馬遼太郎 → 780円
  総合計 3817円
  [MetaMu:時間あたり、636円:なお、ガソリン代は省略]
  [Meta  Mu:ガソリン代は8リットルとして、900円程度か→総計は約4700円]

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2005年1月22日 (土)

0501221・痩身法

 TVは観ない生活なのだが、先年木幡の黒マシンにカノープス社のTVチューナーをつけて以来、一週間に一時間程度みることがある。MuBlog にコメントがないかと確かめたとき、なにもないとそのまま寝かせるのも気が引けて、つい小さな画面をディスプレイの右上に出してしまう。大抵チャンネルを6カ所ほど回してすぐに切るのだが。
 今日は、意外に、観てしまった、再放送。
 いつの時間か、どのチャンネルかも知らない(本当)。
 だけど、ありえないことだが、メモまでとった。録画しないところが、最後の抵抗。いやはや、気がついたのだが、すさまじいCMの合間合間に、本編がある、いまのTVはそうなんだ!

1.脂汗をながすこと。
 体内の有毒ミネラルが脂肪燃焼を邪魔している。食生活から免れないのだが、水銀やヒ素まで危険値レベルの人も、ファットさんには多い。
 解消法がある。
 まず、サウナなどの汗腺からの汗よりも、遠赤外線付きのサウナが皮脂細胞からの発汗で圧倒的に効果あり。
 半身浴で汗を流すのもよい。2分43度c、20分40度程度、臍上まで温浴。
 いずれも、不純ミネラルは皮脂細胞に貯まるから、これを出すこと。つまり、脂汗をだすこと也。

2.カロリーのバランスをとること。
 カロリー源、栄養素は過食にならない限り、必要なのは当然。間違うと餓死する。
 だが、一番の着眼点は。
 タンパク質、脂質、炭水化物の三代栄養がピラミッドのようにバランスをとっていると、太らない、脂肪が蓄積しないらしい。タンパク質はトップだから、料は少なくて良さそうな画面だった。
 しかし、いちいち計算するのは無理だから、どうする。
 アントシアニンという成分が、バランスを自動的にとるらしい。
 ものすごく激しく効果をだす(と、TVは魅せていた)。
 つまり、不要分を全部捨てる作用があるらしい。
 アントシアニンはどうやって摂取する。
 紅酢がよいとのこと、しかし飲めたもんじゃない。
 答え:なんと、黒豆の煮汁。これが飲みやすく、効果抜群。

3.油のとりすぎらしい。
 一日50グラム程度が適量なのに、数倍とっているらしい。
 牛乳と豚骨ラーメンとが、動物油で含有7グラム等量とは知らなかった。
 そば、うどん、ご飯もとりすぎると脂肪として蓄積。これは知っていた。
 現代人は、脂肪過多だから、どうする。
 まず、魚肉は最良らしい。ほんとうに、肉類とは異なるようだ。
 魚だけだと、体重はどんどん減る(と、TVでは魅せていた)。
 答えは、香酢(中国伝来)。
 脂肪を燃やすらしい。しかしそのままでは飲めない。
 500cc香酢にレモン3個ほど輪切りでいれて、3分煮立てて毎朝飲めばよい、らしい。

解説と教訓
 はやりの健康食品ブームのお先棒をかついだ気持は毛頭無い。ただ、Muもこのごろ体重が3キロ増加してベルトがキツイ、ズボンがキツイ。それに遺伝的に血液粘度がたかく、中性脂肪過多はしょっちゅう医者に言われる。たいして飲まない、食べないのにこうだから、生来体質とおもってはいるが、気はつけたい。
 このTV番組で教訓としたのは、単純な生活訓だ。

A:汗はながしたほうが良かろう。水銀とかヒ素も人には規定以上に蓄積するのだから、TVが言うように遠赤外線を買うなんてはしないが、脂汗をながすくらいの動きは必要なんだろう。

B:バランスは大切だ。黒豆は大好きだが、せいぜいご飯にいれてたべるか、正月黒豆の煮物を毎週食べるくらいだね。そば、うどんも、まあ時々だからよかろう。肉もときどき。魚はけっこう食べる。ようするに偏食はさける、好きだからといって毎日天そばたべたり、フォルクスのステーキを毎日昼食にするのはよくない、それくらいのことだな。

C:油。意外にパンとかクロワッサン、くせ者らしい。バターこってりだからな。しかし香酢をのんでまで、油抜きはしたくないな。せいぜい、ラーメンのスープは三口、鳥皮焼き鳥よりも、砂ずり塩焼きかな(笑)。同じことを記すが、魚は大好きだから、油は、まあ気をつけましょう。おお、卵がきつそうだね。だが、だし巻きすきだからなぁ。

総合結論
 よくねて、よく歩き、好き嫌い無く適量の食事。
 昨日の新聞では、一日に珈琲を数杯のむと、肝臓癌になりにくいとか。
 そうそう、世間がやっきになって、健康食品に熱をあげるのが解ってきた。
 つまり。
 みんなめちゃくちゃな生活を送っているな。
 男は。もう、めちゃくちゃでござりますな。
 OLは不規則生活と酒と外食。
 若い主婦は子供のあとしまつで過食。
 暇な主婦は手が空いて、ちょっと外で贅沢三昧。
 
 Muはひながあせもかかずに食って眠って、これは不健康だな。一方、寝もしないで仕事してるひともおる。学生も数日間徹夜レポートなんてさらりという。みんな普通の人生をおくるのが、健康に一番。

 で。
 さて、健康に長生きして、どうするのか。それが大問題。あはは、と哄笑。

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0501220・ぼんやりと{ミステリ、データベース:LAMP}

 今週初めの月曜日にMuBlogが、まずまず形を為したこともあり、木曜日には一番神経をつかった仕事のけり(特殊な成績発表)もつき、脳がぼんやりしてしまった。まだぼんやりしてはならないのだが、2月上旬までいっぱいあるのだが、どうにも心も体もいうことをきかなくなった。
 ぼんやりしながら、ソフトウェアとか、ミステリを眺めたり、読んだりしていた。
 つまり、ぼんやりしながら、データベースを設定したり、ミステリの醍醐味を味わう、えもいえぬ黄昏気分を味わっているのである。

 LAMPという流行があるらしい。ソフトウェア、インターネットの世界である。LはLinux、AはApache、MはMySQL、PはPHP。どれもこれも無料のソフトウェアである。
 こうして書いてみておもったが、つくづく、この世界も判じ物、なぞなぞ、無縁者には宇宙人じみてくるなぁと思った。だいたい、どこの業界も学会も(業界と学会とを並記する、するどさが、いま蘇った(笑))、その世界でだけ通じる言葉や雰囲気をもっていて、部外者、門外漢を強烈にはじき飛ばすものである。LAMPがはやりときいて、それぞれの意味を羅列しても、よけいにわからなくなる。(10年ほど前に、アテナウィジットという謎言葉を聞いて、目が点になった)
 私はこの週、木幡でWAMPというのをやっていた。ぼんやりと。WはWindowsである(笑)。これを窓?という人には、以下の話はそれこそタイタン言葉である(造語)。実は、数年前に葛野研でLAMPをやっていた。もうすこしというところで、あろうことかハードディスクをイニシャライズ(消去と同じ)してしまって、がっくりし、止めていた。正確にいうとLAMPじゃなくて、LAPP(ラップか?)。つまりMySQLじゃなくて、PostgreSQLをつかっていた(どうにもならない、宇宙人)。
 年末に近所の大學へ集中講義にいったとき、朝から晩までだったから昼食をそのまた近所の京ファミというところでとった。トンカツをたべて爪楊枝でスーハー(していない。そこまでオジキファッションではない)しながら気分で、同フロアの書店で一冊本を買った。
 はじめてのPHP5プログラミング:基本編(CD-ROM付き;PHP,Apache,MySQL)/豊崎直也.秀和システム、2004.11。2200円
 この図書はよい。おすすめは、むかしわかいころにちょっとパソコンさわったオジキとか、あるいはまだ若い身空だがコンピュータを自分でもちょっと動かしたいと思う学生、新旧卒業生。あるいはおしきせマシンにあきたりなくて、パソコンを造ってみようというひとなら、その気力だけで十分使いこなせる。ああ、例がわるかった。自作マシンの本ではない、自作WebDBの秀作である。秀和システムという出版社は、この業界では「よい本」をだす。
 その本を読んで、書いてあるとおりにすると、なにができる?という愚問には、いまぼんやりしているので答えられない。しかし、私が佳しというのだから、それがもう答えではないか。

 もうひとつ。これはミステリ業界の話。
 二冊、以前からもっている。
 カタコンベ/神山裕右 講談社、2004.6 昨年24歳3ヶ月という最年少で江戸川乱歩賞受賞したひとの作品。
 生首に聞いてみろ/法月綸太郎 角川書店、2004.12 ベテラン作家。2005年版の「このミステリーがすごい」で一位だったらしい。

 ぼんやりしながら、後者の法月さんのを読んでいる、5割今朝読み終わった。なかなかに、じっくり味わえる。
 というよりも、最近は図書を買ってもソフトを入手しても、以前のようにはすぐには食べない。用心深くなった面もあるが、落ち着きが出てきたのかも知れない。古典は40年来枕の下とか机上のどこかにあるのを、ちらちらと眺めながらも時間があるとひょいと読み出す、最後まで。しかし、LAMPとか新本は、一気呵成に飲み尽くすことがなくなった。
 そういえば、牛乳もビールもジュースも、一旦こっぷにいれてから30分後とか小一時間後に、かみしめるようにのむことが多い。おなかこわすのを恐れているふしもあるが、いろんなことで、慌てる気力さえないようなぼんやり度であろうか。ちょうど、車にのってもなかなかキーを回さず、エンジンをかけても、ひとしきり「さて、どこへ行くのだったか」と考え込むような風情である。もちろん行き先は葛野しかないのだが。
 そうそう、法月さんの作品。
 途中だが、よい。
 読み終わったら、数ヶ月後、数年後に書評を書くかも知れない。
 最近、ミステリの書評を書くのがおそろしい。ネタばれ加減がどうにも見当がつかなくなった。夏に京極さんのウブメノナツが映画上映されるようだが、のっけから「じつは、これは……」とかネタばれしそうで、恐ろしい。
 で、法月さんの生首はすでに半分以上読んでいるのに、なにが事件でなにが犯人でどうなっているのかがまだわからない。なのに読み止められない。ものすごく文章が引きつける。磁石。ほんとうに事件とか犯人がいるのかなあと思う前に、文章の論理とか深みだけで読み続けることができる。なのに、ミステリー。

 森博嗣さんのナ・バ・テア(中央公論社)は半年おいたままだが、これは読むのが恐ろしいからにすぎない。どう恐ろしいかは、それはそれで難しいことだから、ちょっとおいておく。いまこの瞬間、神山さんという新人のカタコンベをつい読みたくなったが、これもすでに半年おいたまま。全部三月までには読み終えましょう。ああ、そういえば綾辻さんの分厚い豪華な図書もおいてある。最近は、読む前にあれこれ想像して、それで時が過ぎていくようだ。

 この記事をぼんやりよみかえしてみたが、どうにもぼんやりしたままである。
 さて、再び眠りましょうか。いま、あさの7時。

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2005年1月19日 (水)

0501190・葛野(かどの)のいわれと日々のこと

 昨夜(18日)の日々のこと。
 所用があって、夕方5時に葛野をでた。車は混んでいたが、河原町御池の京都オークラホテルを通り過ぎた頃、ホテルや近辺がきらきらしく電飾してあった。みとれてハンドルをとられてはならないので、横目でみた。
 夜、といっても夕方6時前にあのあたりを歩くことなどなかったことに気づいた。
 葛野と木幡往復。

 百万遍の大學に着いた。町中の大學だから駐車場環境は劣悪だ。お昼だと手続きをして、構内を這うように走って、数度行きつ戻りつ、片隅にやっと場所を得る。しかし夕方だったせいか、フリーパスだった。
 ひとしきり打ち合わせをして、ほっとしたころ、「葛野はくずの」という話題になった。
 カドノとしか脳になかったので、クズノと聞いたときには冗談に聞こえたが、よく考えると「葛野をカドノ」と読むのが難しそうだ。葛湯はくずゆであって、かどゆ、と聞いてもわからない。

 昔は京都市一帯が葛野だったと、講釈師みてきたような嘘を言ったが、帰路不安になった。
 葛野郡。(かどのぐん、のはずで、くずのぐん、ではなかったはず)
 木幡に帰ってからMuBlog をみるとコメントがあったので、そこでも同じ事を書いてしまった。

 ところで。夕食だが。
 キャンパスの中に瀟洒なレストラン・パブがあって、名前は何度聞いてもわすれるのだが、カンフォーレとかいうらしい。そこで遅くにディナーをとった。と、こんな話を聞けばなにやら似合わない、たいそうなものをたべておるのだな、と思われそうだが、味よし雰囲気良しデザートよし環境よしにもかかわらず、私が学生一ダースに大盤振る舞いをしても「だいじょうぶだよ」といえる、そんなお店のディナーだった。あの旧帝國大學は、レストランで生き延びる、そんな気がした。

 そうだ。
 日々絶息状態というわりには、うろうろしているじゃないの、と言われそうだが、今日も終日絶息にはいる。昨日はちょっとしたエアポケット。
 それにしても、夜間3時間の相談打ち合わせだったが、疲れがなかったし熱もはいった。会議といっても、私は無い知恵を絞り出して論争するのは、好きなようだ。
 ただし、……。旧知の戦友達だったからかもしれない。

 そうだ、そうだ。
 一昨日月曜午後すぎには、同じ葛野の隣の大學へ行って、学生達の3ヶ月の労作9点の順位発表をしてきた。悲喜こもごも。みなみなが、苦労した成果を評価するのだから、発表したあとは虚脱感におそわれた。で、同じ事をわが葛野の女子大でも明日木曜に二件行う。それを終えたら終日横臥して、話しもできない状態になりそうだ。
 日々、息も絶え絶えなり。

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2005年1月17日 (月)

0501171・十万アクセス:記念プレゼント付

 2005年1月17日、先ほど夕刻(六時頃)にMuBlog は十万アクセスをえることが出来ました。
 読者の皆様、深くお礼をもうしあげます。

十万アクセス:記念プレゼント
 さて、今日のこの日を祝して、コメントをいただいた先着十名の皆様に左記のような記念品を贈呈いたしたく、用意をしました。どうぞ、ふるって御応募下さいませ。コメントをなされるに、なんらの資格や条件は必要といたしません。老若男女、既知未知とわず、どなたさまもご自由です。
 記念品の送付方法等詳細については、別途お知らせいたします。

 それでは通例のようにいくつか基本データを記録いたします。

(1)本日記録:2005/01/17 午後6時頃
 承前:九万アクセス

  累計アクセス数: 100000
  1日あたりの平均: 326.80

時間 アクセス数
00 AM 19
01 AM 13
02 AM 4
03 AM 5
04 AM 5
05 AM 18
06 AM 4
07 AM 6
08 AM 17
09 AM 14
10 AM 18
11 AM 25
12 PM 26
01 PM 25
02 PM 26
03 PM 25
04 PM 27
05 PM 30
06 PM 3
ここまでの合計数:310

追加情報
  記事総数  360件 (これはすべてMu)
  コメント 2045件 (半分がMuの計算)

 記事は、だいたい一日一件を考えています。
 10ヶ月で360件ですから、一月36件平均ですね。
 コメントは原則すべて、Muは返していますから、半数の1000件程度が、来客の方からです。そして、なんとその半数500ほどがJoさんのようです。Joさん、みなさんありがとうございます。

(2)先週:検索ワードランキング( 3件以上のみ)
  対象日: 2005年01月10日(月)~ 2005年01月16日(日)
  合計数:1509

順位 検索ワード 件数
1 ダヴィンチコード 248
2 じぶり 35
3 義経 15
4 寺田屋 14
5 京都 11
6 六条院 9
7 hotel 8
8 平安時代について 8
9 画像 8
10 義経 常磐 8
11 レスタト 7
12 公式 7
13 写真 7
14 司馬遼太郎 7
15 常磐 7
16 映画 7
17 未来の図書館 7
18 源氏物語 7
19 谷口敏夫 図書 7
20 Durant 6
21 アン・ライス 6
22 弁慶うどん 6
23 感想 6
24 水滸伝 6
25 考古学 6
26 論文 6
27 IVORY 5
28 Micro 5
29 URBAN 5
30 ウィトルウィウス的人体図 5
31 オプス・デイ 5
32 京都の城 5
33 北方水滸伝 5
34 地図 5
35 常磐 義経 5
36 最後の晩餐 5
37 鞍馬寺 5
38 mu 4
39 うどん 4
40 みしまゆきお 4
41 ナレーター 4
42 三角縁神獣鏡論争 4
43 北方謙三水滸伝 4
44 図書倶楽部 4
45 図書館 4
46 宇治源氏物語 4
47 平清盛 4
48 弁慶 4
49 歴史 4
50 清盛 4
51 石舞台古墳 4
52 肉うどんレシピ 4
53 葛野図書倶楽部 4
54 谷川健一 4
55 durant 3
56 mublog 3
57 アリンガローサ 3
58 アートスペース上三条 3
59 キリスト 3
60 キリスト教 3
61 ラジコン 3
62 レポート 3
63 北方謙三 3
64 古事記研究 3
65 天人五衰 3
66 宇治市 3
67 寺田屋事件 3
68 小川珈琲 3
69 平安時代 3
70 平清盛 常磐 3
71 情報図書館学 3
72 感想文 3
73 新撰組 3
74 日本文学 3
75 書き方 3
76 源氏物語ミュージアム 3
77 石舞台 3
78 絵 3
79 美味しい店 3
80 義経 NHK 3
81 葛野 3
82 西郷信綱 3
83 角川 3
84 角川書店 3
85 谷崎潤一郎 3
86 関ヶ原 3
87 陰陽師 3
88 隠岐 3
89 魚三郎 3
90 NHK 3

(3)先週:検索フレーズランキング( 3件以上のみ)
対象日: 2005年01月10日(月)~ 2005年01月16日(日)
合計数:352

順位 検索ワード 件数
1 ダヴィンチコード  映画 6
2 URBAN  Micro  IVORY 5
3 ダヴィンチコード  公式 5
4 ウィトルウィウス的人体図  画像 4
5 ダヴィンチコード  最後の晩餐 4
6 三角縁神獣鏡論争  考古学 4
7 Durant  hotel 3
8 durant  hotel 3
9 西郷信綱  古事記研究 3

(4)先週:曜日別
対象日: 2005年01月10日(月)~ 2005年01月16日(日)
合計数:2362

曜日 アクセス数
MON 395
TUE 315
WED 305
THR 319
FRI 303
SAT 287
SUN 438

(5)先週:記事ごとランキング( 3件以上のみ) and 1%以上記事
対象日: 2005年01月10日(月)~ 2005年01月16日(日)
合計数:2362

順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 12%
2 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/06/anch.html 11%
3 http://asajihara.air-nifty.com/ 10%
4 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/01/0501090.html 4%
5 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/05/post_6.html 2%
6 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/01/0501160.html 1%
7 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/08/_.html 1%
8 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/01/0501110.html 1%
9 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/01/0501130.html#more 1%

(6)分析
 先週の上位ワードランキングを再掲するとつぎのようになります。

順位 検索ワード 件数
1 ダヴィンチコード 248
2 じぶり 35
3 義経 15
4 寺田屋 14
5 京都 11
6 六条院 9
7 hotel 8
8 平安時代について 8
9 画像 8
10 義経 常磐 8

 繰り返しになりますが、圧倒的にダヴィンチが多いです。下位のなかに他にも、ウィットウィルスとかオプス・デイとかキリストがあるので、MuBlog はダン・ブラウンの作品を求めて検索エンジンで訪れる人が多いと分かりました(これまでから自明)。先週一週間の総アクセスが2362件ですから、そのうち検索によるものが1509件程度と考えてよいでしょう。すると1509/2362で、ほぼ64%が「一見さん」でしょうか。
 Muとしては新作が出ない限り、これ以上の言及はむりなので、やがてこの流れは細くなると思います。ただ、一点だけ「荒俣 宏: レックス・ムンディ」については、後日記事をだしたいとおもっています。ダン・ブラウン以前に、おもしろいミステリーがあったのですから、顕彰しておきたいです。

 「じぶり」については、その後なにかを考えたこともないので、これも気に入った新作がでれば、言及したいです。
 「義経」は、いわゆるカレント・アウェアネスというか、いまはやりの、というものでしょう。司馬遼太郎さんのを読んで感動しましたし、昔から平家物語の時代や物語は好みですので、今後もNHK義経とは並行してあれこれ記していきます。いま、気になっているのは義経とジンギスカンですね。
 「六条院」とか「平安時代」はあきらかに源氏物語です。このテーマは、それほど深くはないのですが、Muとしても、宇治に住んでいるのですから、可能な限り、京都や宇治の平安時代を考えていきたいです。また畏友の「梅翁」からも以前要請があったので、なんとか気を付けて行きます。

 日本浪曼派、保田與重郎については、テーマがある部分で非常に専門性をおびてくるので、アクセスは今後ものびないと思います。それは情報図書館学や、自然言語処理なども同じです。つまるところ、専門に近いところは、小難しいものになりがちなので、ただ自らのために記す、という気持ちを堅持したいです。

 あと、思いついたら、いくつか追伸します。

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0501170・北方謙三『水滸伝』十一「天地の章」

承前
 久しぶりだ。しらべてみると先の記録は2004/09/16になっていた。十巻を読み終えてから、丁度四ヶ月経過した。昨日は日曜で、ぼんやりした時間がとれ、思い立って北方水滸伝十一を手にした。半日で読み終えた。

楊令、子午山にて鶺鴒(せきれい)の剣を構え、晁天王、曾頭市(そうとうし)にて天空の枢(す)より墜つ。 君は永遠(とわ)に、馬右(ばゆう)にあり。 短き箭(や)、毒牙をもて奔る。 輝ける光をめざして。
 この巻から第三部ではないかと思った。  四ヶ月の間隔をおいて読んだせいかもしれないが、雰囲気が変わった。多くの登場人物がともかく一働きした。そして、次に備えるための休息に入った。

戦場の心的外傷
 その節目は、十巻の若き官軍将軍、呼延灼(こえんしゃく)との戦いに、梁山泊が初めて大敗を経験したことだろう。ムチ使い(双鞭)呼延灼の連環馬(れんかんば)作戦に、梁山泊の多数の将校、兵が死亡し、生き残った者達もいまだに心的外傷を癒しきってはいない。三十頭の装甲馬を鎖でつないだとき、その疾走する姿は、一匹の巨大な獣になっていた。獣の蹄に踏みにじられた者は死、かすった者さえも廃人のようになってしまった。
 戦場の癒しがたい恐怖。
 どうやって立ち直っていくのか。あるいは、立ち直れたのか。

宋江と晁蓋
 最近ずっと二人の間に論争がある。部下達はどちらとも一切その件については話をしない。聡明な二人は梁山泊に派閥ができることを避けた。ついに、間にたった文官・軍師の呉用(ごよう)が三つ目の論陣をはることになる。
 宋江(そうこう)の言い分は、兵十万に達するまでは宋帝国との全面戦争を避けるべし、だった。
 晁蓋(ちょうがい)の言い分は、兵三万で外に打って出る。いまがその秋(時)、全身がそう訴えている、だった。
 呉用は、その間にたって、どちらにくみしても梁山泊には敗北がおとずれる、と計算した。
 官軍は日に日に精強になっていく。梁山泊が年月をかけて兵十万を蓄えたころには、とても勝てない。
 しかるに今、官軍と寡兵で戦えば、官軍の総攻撃に耐えられるものではない。
 いずれにしても、負ける。
 さて、解はあるのか。
 呉用は作戦方針について、初めて宋江を前にして、二人の論争に割って入った。

 帯情報には、この巻の重要なことの全てが含まれている。これを解き明かせば、いわゆるネタばらしになってしまうので、よしておこう。巻末は、まさしく、次の巻に読み進まねばならない状況に立ち至った。
 作者、手練れ、読者それにのる。

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2005年1月16日 (日)

0501161・NHK義経(2)常磐夜叉

承前

 原作が宮尾さんという女性の故にか、あらかじめ身構えていた肉親男女愛憎模様が色濃くでてきた今夜の義経だった。こういう世界を、嫌いだと大人げなく語ることはよしておく。ただ、苦手である。だから、さけてきたし、これからも「好み」とはけっして申さぬだろう。

 義経の幼少役は上手だとおもった。なぜかわからぬが、うまくいった配役であろう。
 常磐を夜叉と難じた時子の顔形はおそろしかったが、たしかに常磐は夜叉かもしれない。
 それは仇なす、つまり夫を殺した男に身を任すというような話ではなく、常磐という女優の目の動き、顔の向け方、そして時子の味わう恐怖、そして平宗盛(時子の実子)と清盛との絡みの上からである。

 義経は麒麟児だったのだと思う。時子は恐怖を味わったことだろう。

 物語はまだまだこれから。
 語りがすこしづつなめらかになってきたようだ。つまり、抑揚が心地よい。いずれあの声が、平家滅亡のおりにはデルファイの神託のように地の底からわき上がる呪詛に変わる予感。それが緊張を強いる。

 次回から、鞍馬になるのだろうか。どんな経緯、どういう風に牛若は義経になったのか。また、観てみよう。

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0501160・奉祝行事予定:10万アクセス間近!

 数少ない読者の皆様、ついにMuBlogも十万アクセスに、あと700を切りました。ついてはそろそろ奉祝準備告知をいたしたく、一筆啓上。

1.十万アクセス達成時に、いつものように「十万アクセス」記事を掲載します。
2.その記事にコメントを下さった方、先着数名様に、自筆サイン入り、葛野ブランド「関西するっと」をプレゼントします。(葛野女子大グッズを利用します)
3.上記は、関西の私鉄、バスをすいすいと乗れるプリペイカードです。関東の方も、関西に来られたとき便利です。
4.Muの自筆は、レア中のレアです。まず、ここ数年来、Muの自筆記録を持つ者はいないはずです。(それがどうした!、うむ)
5.対象者は、既知、未知、性別年齢宗教信条いっさい問いません。世界中を対象にします。獄中からも可。
6.プレゼントの送付は私書箱なり職場なり別荘なり、ご来駕なり、なんとでも対応いたします。
 変名の方は、Muのメアドに別途送付先など、お知らせ下さい。
7.いつ、十万アクセスを達成するかは、下記データで推測願います。
 おそらく火曜日の早暁ではないでしょうか。確認後、一時間程度で記事を発行します。

今朝日曜16日、9時10分ころ
累計アクセス数: 99313
1日あたりの平均: 325.62

この週のアクセス推移
対象日: 2005年01月10日(月)~ 2005年01月16日(日)
合計数:1985
曜日 グラフ アクセス数
MON 395
TUE 315
WED 305
THR 319
FRI 303
SAT 287
SUN 61(今日16日9時過ぎです)

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2005年1月14日 (金)

ダルマ大師/浅茅原建

ダルマ大師

ダルマ大師/浅茅原建

 2005/01/12 浅茅原建、木幡にて制作。細密画、ペン描き。

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2005年1月13日 (木)

0501130・日本・文学・エッセイ:檀流クッキング/檀一雄

檀流クッキング / 檀一雄著<ダンリュウ クッキング>. -- (BN07687021)

檀流クッキング/檀一雄
  東京 : 中央公論社、1975.11
  236p ; 16cm.
  (中公文庫)
  ISBN: 4122002737
著者標目: 檀、一雄(1912-1976)<ダン、カズオ>
分類: NDC6 : 914.6

所蔵図書館 18[2005/01/13 Webcat]
Amazon.co.jp:檀流クッキング(改版書誌)

続きを読む "0501130・日本・文学・エッセイ:檀流クッキング/檀一雄"

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2005年1月12日 (水)

0501120・ごこうのみや;ごこうぐう:表から見た御香宮

御香宮(京都市伏見区御香宮門前町)マピオンBB地図

 裏から見た御香宮を以前記した。このお宮は私にとって、しょっちゅう横を歩いたり車で通りすぎるところだから、日常の風景といってよい。先に「裏」を記したのは、「表」が見なれたものだったからにすぎない。しかし、考えてみるとこのあたりに住んでいない人や、たまに散歩した程度の人にとっては、やはり「表」が大事であろう。そういうわけで、今回は気合いを入れて、正面から取り組んでみた(笑)。
 しかしなんですなあ。
 神社仏閣は意外にも若いカップルが多いです。御利益を求めているのか、なんとなく落ち着きをもとめているのか。カメラを向けにくかったです。世の中、不信心者で満ちているというのに、考察してみたいことです。

大鳥居

御香宮・大鳥居
 近鉄京都線の桃山御陵前(急行停車駅)とか京阪電車の伏見桃山で降りて、東に行くとすぐにこの大きな鳥居が目に入る。この東行は明治天皇陵へ参る道でもある。大きな鳥居と記したが、実際にこのあたりを始終行き来する私には、本当は目に入っていない。見慣れた大きな物が目に映らないと言う不思議な体験を、写真をとってから初めて味わった。平安神宮や大神(みわ)神社の大鳥居は瞼を閉じても浮かんでくるのだが、御香宮のそれは目にも入らない。それが「日常」なのだろう。

御香宮の正面

御香宮・正面
 道を挟んだお店の軒下を借りてうつした門である。人影のとぎれるころを見計らった。なぜ若い人が大勢散歩していたかは、いま書いていて気が付いた。おそらく、新撰組の故地として、あるいは官軍のゆかりの地として尋ねてきた人が多いのだろう。かくいう私も、そうだった(笑)。それにしても立派な門である。そして、注連縄が本当の蛇のように飾られている。かくしてJoさんの説に感得する写真となった。

祭神:神功皇后・仲哀天皇・応神天皇

御香宮の解説・駒札
 このお宮さんは伏見一帯の産土(うぶすな)神さんで、それは参考書によれば「徳川の産土神」とも書いてありました。事情は、御三家藩祖および千姫が伏見で生まれた縁かららしいです。さらに、一旦ことがあるときは伏見在郷の人達の集結場所としての歴史もあるようです。要するに、想像以上に地元の人達からの崇敬をあつめているお宮さんであることがわかります。すでに「裏から見た御幸宮」のコメントにいくつか情報がありましたが、現代も秋の祭礼のにぎやかさは相当なものです。
 由来の一つである、伏見の清泉水、御香水を近所の人も日常に使っています。
 もう一つの由来は、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇がお祭りしてあることと縁が深いのですが、九州の香椎宮(未踏地)との関係です。史実、神話、難しいところですが、香椎宮のあたりで仲哀天皇は、奥様の神功皇后が神懸かりし、その神託に言挙(ことあげ)し、その時刻その地で亡くなりました。そうして、応神天皇はどなたさんのお子さんかわからぬままに神功皇后を母として生まれ、後日母と一緒に河内に上陸するわけです。なんにしろ、このあたりは幽明さだかならず、日本歴史の大きな秘密なのかもしれません。
 で、私も「香椎宮」と「御香宮」との因縁話にはいたく惹かれるわけですが、御香宮が山城伏見の地にあることが非常に不思議なことであります。こうして、日本の歴史をぼんやり考えながら、御香宮を通り過ぎると、秀吉、徳川、新撰組や神功皇后が重層的にイメージされ、めまいがいたします。

伏見城の残石

伏見城残石
 伏見城といえば、滋賀県の安土城とならんで織豊時代の豪華絢爛なお城でしたが、徳川三代将軍家光公の時代に破城の憂き目にあいました。昭和三十年代に、現代の桃山城が再建されましたが、その城も今は閉鎖されております。太閤秀吉時代には、天守閣は現在の明治天皇陵のあたりだったので、新城はそこよりやや西北に位置しています。で、その昔の桃山城の石垣などが、どうして御香宮にあるのか? 由緒はあるのでしょうが、まだ未調査です。
 この、石の変遷は私が興味をもつところで、著名な事例として、飛鳥の酒船石断片がそこより少し南の高取城に使われているという話など、興が尽きません。

石の階段と石灯籠

石の階段付き石灯籠
 神社仏閣を若い頃から散歩して参りましたが、この階段付き石灯籠は、覚えがないのです。これだけ大きな石灯籠だと実際に点灯する時は、こういう階段がないと無理でしょうが、こんなに明確に石の階段があるのは珍しいのではないでしょうか。木製ではなくて、可動式でもなくて、石階段がセットで石灯籠とあるというのは、とても気になりました。

参考
   『京都・山城 寺院神社大事典/平凡社編 1997』
  裏から見た御香宮[MuBlog]

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2005年1月11日 (火)

0501110・まだ一月だから

小説木幡記
 年末から2月中旬にかけて、授業のまとめ、次年度の用意、採点、整理、入試、……。とこういう仕事で一番追い回される季節である。入試は、昨今三月までずっと続き、すべての教授会や委員会が年度末のけりをつけるのは三月下旬になる。終わったと思ったとたん、新年度の入学生や授業のごった返し。
 しかし、今は一月。
 少しだけ、例年と変わらず予定目標をたてておく。

今年こそは、
  1.万巻の書をひもとこう。{本業、仕事、教育、研究}
  2.万行のシステムを記そう。{研究}
  3.万字の書き物をしよう。{本業、仕事、教育}
  4.万地を踏査しよう。{本業、研究}
  5.万人には会わない(ここだけ、禁止条項)

 本業、仕事、教育、昼の世界、夜の世界(むしろ極早朝の世界)、いくつかを上手に渡り歩く予定だが、大抵はどっかで墜落して、墜落したままそこで野宿が多い。

 気がついたこと。
A:生活臭がまったくない。
B:各条項が明確に区分できない。
 ぼんやりと珈琲を飲んでいる時間が最大の研究だったり、教授会を水滸伝のノリでこなしたり、鞍馬貴船を踏査することがもっとも困難な教育だったり、ともかく、世間表層と実質深層とが合致していない。いま、そういう発見があった。

 今朝は、新年早々によい計画が立てられたので、よい年になりそうだ。
 ともあれ、健康に留意して、歩き回り、走り回る年になれば、また大晦日の鍵善くずきりも美味しく食べられる。ああ、お正月が待ち遠しい。もう~いくつ寝たら、お正月~。

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2005年1月10日 (月)

0501100・キーンの漱石

 漱石のことがMuBlogでは話題になることが多い。表に現れるだけで、梅翁、wd、J-Netter、このお三方が漱石読者のようだ。しかし、卒業生や在学生、友人知友あわせて、じつはもっと沢山ファンがいることをMuは知っている。
 しかし、どうにもMuBlog店主は、はかばかしいメッセージを出した覚えがない。
 漱石が嫌いなのか。いや、そうでもない。
 わからないのだろうか。いや、そうでもない。
 ただ、みんなと随分違った気持ちになることが多いので、話せなくなってしまうようだ。

 そんな風に思って、旗日の葛野研究所をそろそろ退散しようとおもって、ふと書架をみてみると、ドナルド・キーンさんの『日本文学の歴史』(中央公論社、1996年前後)というのが、ずらっと18冊も目に入った。知り合いの同僚英文学者は原典で読まれたようだが、Muはトツクニの言葉には不用意なので、和語翻訳を置いている。
 キーンさんを完全に信用しているわけではない(こりゃ、物騒な言い方で、識者の皆様すみません)、昔自分の記した論文で罵倒したこともある。しかし、妙にバランスがとれていて、キーンさんはこういう読み方をすれば、特定の文学以外に対しては、妥当性が高いなぁ、と安心しているところもある。

 さて、キーンさんは漱石をどう見ているか。
 結論だけ記しておこう。その巻11のpp234-238が今回の話題への一つの解である(山田風太郎に関する記事へのコメント)。
 キーンさんは道草を頂点とみなしている。これは小説技法として抜群であると記されている。「自己とその周囲を仮借なく描き出すことによって、『道草』は日本の近代小説を新しい藝術的完成の域にまで引き上げるのに成功した。」
 一方、未完の明暗は、わざわざ少数の谷崎潤一郎による批判異説をあげて、またキーンさんも「プロットは、救いがたいほど興味に乏しく、しかも表現が非常に冗長である。……」「なかでも最大の欠点は、津田のいわゆる我執が、なんの興味も持ち得ないものであること、……」と、記されていた。

 こういうキーンさんの説を読むと、定見のないMuはなにも言えなくなる。
 漱石を我が父、我が兄、近代小説の「母」と言える人には、なんとも、言いようがあろうが、Muは、漱石を避けてきた。人をさけてきた。だから、人の描かれた小説がしっくりこなかった。
 なのに、「こころ」が一番好きだった。

 なかなかに、文学とは、漱石とは、手強い。
 しばらく、横臥していよう。また元気が出てきたら、漱石全集を舐めるように読んでみたい、そんな気もするが。いまは「エリス、帰りぬ」の一言が、妙に気持ちになじむ。

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2005年1月 9日 (日)

0501090・NHK義経(1)常磐と清盛

 さっそく平成17(2005)年のNHK大河ドラマ、義経を一時間楽しんだ。
 最初に、気になるので、地図を二つあげておく。チェックするだけで、その場所がどうとかは、まだなにも言えない。
 そして、Muの独自タイトルがおもわせぶりに「常磐と義経」となっていても、なにか魂胆があるわけでもない。
 第一回目、まずまずあっというまに一時間が過ぎた。

  一ノ谷地図(兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町):この裏山から義経一党は逆落としをかけたようだ。
  六波羅蜜寺地図(京都市東山区) 参考:補陀洛山・六波羅蜜寺:このあたりに平家がすんでいたらしい。

 最初に一ノ谷があった。海に御座船が一艘浮かんでいた。岸壁の馬上、義経の兜が似合っていた。
 今夜はエピソード紹介という場面が多く、源平争乱時代の復習といえる。
 まだ、だれがどうのといえない初回だった。順調に画面が進んでいき、衣装や言葉使いや男優、女優に見とれていた。
 司馬さんの『義経』を先年末に読んだところなので、多少違和感もあるが、これは昔のことだから(笑)、どちらがどうのとはまだ言えない。

 清盛。渡哲也は好みの男優なので、まだ差し控えておく。京都一の美女常磐を前にして表情が変わっていくのがおもしろかった。
 常磐。よい女優さんを探してきたものだとおもった(単にMuが芸能界に無知なだけですよ)。
 お徳&ナレーター。白石加代子、まだ普通の人に見えて、オーラもでていない。もちろんオーラをださぬのも、この名女優の演技だと思う。確実に。気のよさそうなおばさんのまねしちゃってさぁ、と、後日大笑いするだろう。

 いずれにしても、この新しいドラマ世界どっぷり浸かるにはあと数回のんびりとみるよりしかたない。場所が先回の新撰組と同じく、関西、京都なのでおりおりにでかけることも多くなるなぁ、と見終わって思った。

参考
  大河ドラマ「義経」(NHK)
  六波羅蜜寺(HP)

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2005年1月 8日 (土)

0501080・変わりものの目次: コレデオシマイ/山田風太郎

 山田風太郎さんを2003年~2004年にかけて集中して楽しんだことがある。
 どうにも鬱屈して、憤怒にみちた日常から、ちょっと隠れ場所がほしかったのだろう。
 隠れ場所にひそんだところで、負のエネルギーが消えるわけでもないが、その後、山田風太郎さんがとても気になってしまった。生きている間、正負、陰陽、どちらのエネルギーも、いつもと違ったなにかを生み出すようだ。

 風太郎さんの小説はおもしろすぎて、後に残らない、すかっと読めて、ばっさり忘れてしまう。忘れたといってもイメージの断片だけは、いつも頭をうろうろするので、強烈な小説だとおもっている。けれど、何がどうした、と書くにはむいていない。それがMuの風太郎さんについての相性の良さだった。

 手元に角川春樹事務所の編集者が風太郎さんにインタビューした『コレデオシマイ。』1996年12月[Muのは97年1月の第二刷]、がある。写真も一杯あって、風太郎さんのファンにとっては大切な一本だ。
 それで。
 その図書の目次がとても変わっている。目次を読むだけで、慣れた人なら風太郎さんの考え方をパッと頭に浮かべて、ふむふむとうなずいたり、苦笑いできるような内容だ。なれていない人も、相性の良い人なら風太郎さんの人生の深奥を楽しめるかもしれない。
 長いものだが、じっくり直打ちし、記しておく。途中で止めてもまた後日に入れておく。

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2005年1月 7日 (金)

0501070・レディ・ジョーカー(映画)

 旧知のエドルン君に映画を誘われた。どこかに記したが、実は私はきわめて映画が好きである。20代のころは二本だて、三本だての映画館をハシゴして過ごした。今も好きだ。しかし映画館へ出向くことは滅多にない。多分日常からはずれることをしたくなくなったからだろう。
 だが、同じく映画好きのエドルン君に誘われて行ったことは多い。今年も正月お祭りの最後の締めに町へ出た。いくつか迷ったが、結局以前感動した高村薫さんのレディ・ジョーカーにした。他に候補は「エイリアン&プレデター」もあった(笑)。小説の映画化は従来期待していなかった。危惧も持っていた。あの作品、映画になるのだろうか? と。
 
映画・レディ・ジョーカーの表紙

レディ・ジョーカー(表紙)/平山秀幸 監督
 さて。結論を先に記すなら、よかった。
 二時間一分、私は息を詰めてスクリーンに埋没した。渡哲也(役:物井清三)の最初の台詞「あん(兄)ちゃー」に総毛立った。これは、いわゆる東北弁と言うのだろうか。薬局店主物井清三は暗い吹雪の寒村を回想し、ぽつりと兄に語りかけた。その独特のイントネーションが私を射すくめた。
 小説と同じく、映画もおそらく神は細部に宿る。たった一つの台詞、その呪文に私は虚実皮膜の川を渡った。そして最後まで渡哲也の演技を演技として感じず、ただそこに、眼前に物井清三が立っていた。
 背景の事件性。そういうことは気にならなくなった。

五十年前の物井清二の手紙

レディ・ジョーカー(1頁)/平山秀幸 監督
 50年前の日之出麦酒株式会社に送られてきた物井清二(清三の兄)の手紙。そこには突然馘首された清二の淡々とした気持があるだけだった。文面は恨み辛みという気持からは遠いものだった。現在も、養老院にいる清二は、弟清三が差し出す日之出ラガービールを「美味い」という表情で飲んでいる。清三がほんの少し気色ばみ、そっぽをむくのは、現・城山社長が薬局を訪れた時だけにすぎない。
 映画全体が、日常の中に時に「鬼が現れる」という表現を貫き通した。鬼とは、350万キロリットルのビールを人質にした20億円の身代金要求犯罪の形で現れた。

 さて、私の好みを記しておく。
 原作で一番印象が強かったのは、映画で長塚京三が扮した日之出ビール代表取締役社長「城山恭介」だった。実は物井清三のすごさは映画冒頭によって気がついた。高村薫さんの原作では、城山社長の苦渋と生き方、考え方に大きな感動を味わっていた。これは体制内幹部の重責と心情との軋轢表現に高村さんの強力を味わったのだと思う。
 高村さんは、一方で城山を描き切り(何年たっても城山の日常が思い出されるほどに)、一方で被差別部落、朝鮮人問題という体制外の世界を熱烈にあぶり出す。
 そして。
 映画は、おそらく平山秀幸監督、そしてチョン・ウイシン脚本の力によるものだが、この城山と物井の世界を、怒号の対立ではなく、この世には二つの世界があって、滅多にクロスしないが、時に淡々として鬼が立つ、とそういう風に造られていた。映像は、その通りのものだった。
 あり得ぬほどに、すべての出演者がところを得ていた。合田刑事役も半田刑事役も、会社の役員達も。その自然さは、言葉に尽くせぬものだった。

 私は肺腑を突かれた。

 京都新京極のMOVIXで朝一番に映画を楽しみ、大満足で尾張屋の「大エビ二本立て・天蕎麦」をたべた。飲み物はもちろん、日之出麦酒のラガーにした。食後のフランソワ珈琲はエドルン君のおごりだった。豊かな一日だった。
 渡哲也や長塚京三の深いイメージの合間に、ときどき、レディになった斉藤千晃のあどけない顔が蘇った。
 そうそう。
 お好み小説の映画化といえば、この夏七月に(気の長い話だが)、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」(うぶめ)が上映されるようだ。監督が帝都物語の実相寺さんで期待が大きい。邦画は佳いと思った。

参考
  MOVIX京都(映画館地図)京都市中京区桜之町(新京極)

[Amazonのライブリンク利用について、上記のように横長一行を記事に張り込む構成は、行雲流水/大滝三千夫を参考にしました。未知の大滝氏の方法を見て、ライブリンクを使おうと思った次第です]

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2005年1月 6日 (木)

0501060・SDI:ミステリー(日本)

用語 日本・文庫・SF&ミステリー
NDC分類記号

用語 横溝正史
NDC分類記号 913.6

用語 内田康夫
NDC分類記号 913.6

用語 森博嗣
NDC分類記号 913.6

用語 京極夏彦
NDC分類記号 913.6

用語 綾辻行人
NDC分類記号 913.6


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2005年1月 5日 (水)

0501050・新年のblogの動き

 いきつけのmorioさんを覗いてみたら、おもしろく、ためになる、Muにもわかる記事があった(笑)。
 MT奮戦記、というのがそれだ。

 「小錦か曙(@総合格闘技六連敗中)クラスの重さだった◎◇から脱出し」 これに大笑いした。
 ここで◎◇とは某blogサービスである。
 Muもながめたことがあったが、斬新で小器用なデザインを用いることができ、morioさんが選ぶサービスなら、blogを一本立ててみたいと、思っていた所だ。ところが、どっこい「重量級」らしい。おそらくサーバーの数がすくないか、どっかのFとかNとかHとかS社のちっこいノートマシンがサーバーだったのか、あるいは電線がとても細いか、なんらかの原因で一秒に二人以上アクセスすると動かなくなるのだろう。
 これは、どこもかしこもそうだ。世話になっている某サービスは、最近まで夜になるとコメントも記事投稿もできなくなっていたし、また別のサービスはブラウズしようにも数秒単位待たされる、ああ、安物買いの銭失い、いやいや無料なんだから、なぁ。

 ココログは、がんばっておるぞ。口うるさいMuですら、固定アドレスがどうの問題以外、腹をたてたことがない。これは希有のサービスだ。(想像すると、サーバー群が何百台もずらっとならんで終夜熱を出し、ハードディスクがキンキンと断末魔の悲鳴をあげているような気もする)

 さて。ついに、morioさんは、ロリポップ(この名称、なんか、妖しや)でレンタルサーバーをつかって、MovableType(以下MT)を駆動して、全部御一新、やってなさるようだ。おお、暇人め(失笑)。
 しかし気になる。

 そこで。
 morioさんが将来たとえ記事を削除しても、情報だけはばっちりコピーしておこう。
 参考書じゃ。

  『ブログ徹底カスタマイズ術 MovableTypeで自分好みに!』(技術評論社)
  『MovableTypeスタイル&コンテンツデザインガイド』(毎日コミュニケイションズ)

 参考書ひとつで、なるものもならず。うごかぬものもうごく。morioさんのお言葉よりも、参考書、というと若干どころかおおいに語弊ありなり。ともかく、ありがとうさん、貴重な情報。Muも隠居しごとに、年末(気の長い)にでもやってみましょうぞ、暇人になったらね。

Mu注記:これだから、知り合いとは怖いものだ。すぐに影響うける。このMuでさえちかごろ長江文明の、海部(あま)のとか、いいだしてきた。お酒はバーボン、スコッチ、なんでもこい、とかな。一体どなたさんの悪影響なんだろう。   

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2005年1月 4日 (火)

0501040・日本・文学・保田與重郎:現代畸人傳/保田與重郎

現代畸人傳 / 保田與重郎著<ゲンダイ キジンデン>. -- (BN11051370)

現代畸人傳/保田與重郎
  東京 : 新潮社、1964(昭和39年10月)
  308p ; 22cm

著者標目: 保田、與重郎(1910-1981)<ヤスダ、ヨジュウロウ>
分類: NDC6 : 914.6

所蔵図書館 21 [2005/01/04 By NACSIS Webcat]
Amazon.co.jp[新学社版(1999)、文庫、解説は松本健一]

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2005年1月 3日 (月)

0501030・DVD三昧の年末年始

 年末年始、DVDを3つも見て、今夜はNHK大化改新を録画して、その上、午後にはおそらく一つ見る。
 一体なにを見ているのだろう。
 と、だれも興味を持たないだろうが、後代のために少しメモっておく。

 ところで。
 映画とMuとは意外どころか結構めったやたらに縁が深い。高校生、浪人中は年に何回もスカウトされた(笑)。すぐに逃げたからようわからぬが、日活ロマンポルノじゃなくて、東映時代劇だったと思う。いやすでに鶴田・高倉の任侠路線時代だったか。
 居住地が京都市右京区だったのと、通学区、遊び場がいまある太秦映画村ちかくだった。だから、映画村も出来ぬ時代から、あのあたりで石を投げると、関係者にあたるくらいに、映画映画映画の町だった。当時の知り合いにも、何人も大スターの係累がいた。
 学生時代、出始めの菅原文太に眼科医のアルバイトで、あれこれ指導したこともあったぞ。「そのスリッパを使ってください」「健康保険証をすぐに出してください」とかね。
 もっとも、浪人中は誘いの三つに一つは自衛隊員にならぬかと、そんな誘いも交じっていたが。いまごろ、刻苦勉励し防衛大学校戦略戦史學教授になっていたかもしれない(失笑)。

 大体バスのベンチシートが危なかった。前にきざっぽい大人が座ると、たいてい近寄ってきて名刺をわたされた。「君、いまなにしてるの?」で始まる。おお、おもいだしたくもない青春の残滓というか、断端なりや。

 で、たしかに浪人中、大学生中の趣味と言えば、読書よりもバイクと芝居と映画の梯子だった。ようするに、古きコテコテのクサイほどの芸術至上主義者だったのだろう。だから、現在もそういう若者を見かけると、半分は苦々しく、苦笑しつつ、残り半分は何とも言えない親しみを感じてしまう。

 と、ずいぶんなマエフリだが、映画のタイトルをここで明かすのが気恥ずかしい。梅翁なら、黒沢に小津に、……、とカッコウつくし、Joさんならガメラがどうのと、半分お笑いになるだろうし、どうにも中途半端で恥ずかしい。
 いきつけのmorioさんなんかの見ている映画と比べると、もう、赤面。
 ……
 恥ずかしながらも公開するのは、結局この手の作品がめっぽう好きなんだろうと、自覚。

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2005年1月 2日 (日)

0501011・日本・文学・小説:義経/司馬遼太郎

義経 / 司馬遼太郎著<ヨシツネ>. -- (BA65833468)
  東京 : 文藝春秋、2004.2
  2冊 ; 16cm.
  (文春文庫 ; [し-1-110]、[し-1-111])
  上 : 新装版;下 : 新装版
   ISBN: 4167663112(上 : 新装版) ; 4167663120(下 : 新装版)
著者標目: 司馬、遼太郎(1923-1996)<シバ、リョウタロウ>
分類: NDC8 : 913.6 ; NDC9 : 913.6

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2005年1月 1日 (土)

0501010・大晦日の鍵善と八坂神社

大晦日の鍵善と八坂神社
  鍵善良房本店(地図
  祇園八坂神社(地図

1.鍵善のくずきり


 大晦日に祇園へ出かけて、くずきりをいただくのが習慣になっています。十年ほど前までは一家欠かさずでしたが、最近は31日の都合で顔ぶれも変わります。昨日平成16年12月31日は、木幡研究所兄妹とつれだって行きました。
 なぜくずきりかと問われると、考え込んでしまいます。美味しい、好きだからと答えていますが、それにしても執心の度合いが深いようです。
 おそらく、十代ころからMuは南朝方に肩入れしてきたのでしょう。北畠親房、楠木正成、後醍醐天皇の世界です。そして谷崎潤一郎『吉野葛』の語感にもひびくところがあるようです。Muが鍵善の「くずきり」を知ったのは20代のころですから、永い年一行事です。
 そう、忘れるところでした。黒蜜愛好も強いのでした。Mu木幡研究所の正月雑煮は透明な昆布だしに餅が数個入っているだけで、その上に黒砂糖の固まりを数片載せて食べる。実に単純明快、滋味あるおいしさです。これは幼児以来ですから、抜け出せないことでしょう。DNAは恐ろしいと、黒蜜に絡ませた吉野葛を味わいながら、昨夜も兄妹をみていて、ため息をつきました。

◎鍵善本店の大晦日

鍵善の軒燈
鍵善の正月飾り
鍵善正面のれん





◎くずきり(黒蜜)と粟ぜんざい
くずきり(黒蜜)と粟ぜんざい
 写真の上部が粟ぜんざいです。なぜかこの人だけは例年温かい粟ぜんざいのように記憶しております。もちろんくずきりも好きなのですが、この時期は都も冷え冷えとしているので、暖かくしたいようです。記憶では幼児のころから粟ぜんざいだったような気もします。
 Muは当然、手技で切ったくずきりです。氷水に漬かっています。ホームページを読んでいると、葛は鮮度の高いものをよしとするようなので、夏も冬も氷水というのは、味の保証なのかも知れません。
 ときどき黒蜜か酢かと問われますが、これは関東から来る方も多いせいかもと、想像します。NHK新撰組!で、なにかを食すとき(まさか、くずきりではなかったはず、ところてん?)蜜か酢かでもめていた。
 もめるもなにも、このくずきりを酢で食すなどとは、鯛のお造りにケチャップソースをかけるような、異風に思えます。
(さすがに新年早々、蛮風とまでは書かないようです(哄笑))
 あ、もちろん鍵善は親切なお店ですから、お国柄やお好みに応じて、酢もあるようです。他国の人達も安心ですよ。

参考
   鍵善良房

2.八坂神社の大晦日


 例年大晦日の夕方に鍵善でくずきりをたべて、一年の無事をことほぎます。それが終わると、次に八坂神社にお参りします。素戔嗚尊(すさのおのみこと)さんとは昔から仲がよいのです。木曾義仲を評して保田先生が「素戔嗚尊系」と記されていましたが、荒ぶる霊、そして磨かざる玉(あらたま)というイメージが実にわかりやすいです。

◎八坂神社と夜店

祇園八坂神社
 八坂神社の正門は南にありますが、いつもはこの祇園石段下から入ります。Muは町中での宴会幹事をするときは、大抵集合地をこの石段下にしています。そしてMuは確実に門の影に隠れています。人前にでるのはおっくうなのに、人混みを眺めるのは好きなんでしょう。
 大晦日の夜は、夜店がたちます。1日の朝や昼の、つまり初詣時刻の様子はまったく知りません。
 この写真右上では、店先におけら参りの火縄がありますね。

◎破魔矢と絵馬

破魔矢と絵馬
 こういうグッズに深い考えをもって何十年も接してきたわけではないのです。破魔矢の由来は、学生のころ調べた事もありますが忘れました。なによりも日常は見かけない羽を使った矢、そこに鈴がついて鳴る、そして的にするのかと思うような、彩色絵の板。御利益のありそうな「八坂神社」という朱印。買って持ってかえって部屋に飾るとうきうきします。お札(ふだ)までついています。これで初穂料というのでしょうか、二千円。そして何十年来大晦日に買ってきました。平成16年(2004)はこれで最後にすっきりしたのです。

◎八坂神社の裏参道

八坂神社裏参道
 この道は本殿の裏、つまり北に通っています。日中でも、円山公園へ行き来するのは本殿と舞台の間をすり抜けて東へ行きますから、Muも滅多に通らない参道です。31日の夜も遅くなると、この道に人があふれるのだろうと想像します。その想像と、目の前にある暗い参道がアンバランスだったので、撮っておきました。


参考
   八坂神社yasaka

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