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2005年1月31日 (月)

0501310・北方謙三『水滸伝』十二「炳乎の章」

承前

 この章のエピソードは二つあった。
 一つは、何十年も塩の道を維持してきた豪商盧俊義(ろしゅんぎ)の、青蓮寺による拉致拷問と、盧俊義の部下燕青(えんせい)の働き、すなわち二日間の死域。
 もう一つは、雄州の稚気あふれる関勝(かんしょう)将軍と彼の軍師宣賛(せんさん)の掛け合いである。

 実は先回の11巻で梁山泊の宋江(そうこう)と晁蓋(ちょうがい)の論争激しき中、晁蓋は青蓮寺のはなった刺客に毒矢で暗殺された。両輪のごとき、その片方が巻半ばで赤札になった。第一部の数冊を思い起こせば、この突然の死には呆然となった。刺客はすでに青蓮寺を引退していた老刺客だった。史文恭(しぶんきょう)という。北方水滸伝のよさは、梁山泊と青蓮寺(宋国)とを等距離に観るところだろうか。宋江(そうこう)と晁蓋(ちょうがい)、そして李富(りふ)と聞煥章(ぶんかんしょう)、この両陣営の敵対する頭脳が、しのぎをけずる姿が実に鮮やかに浮かびあがってくる。つまり、李富の命をうけた老刺客史文恭(しぶんきょう)の暗殺にいたるまでの経緯が、淡々と精密に偏り無く描かれている。

 盧俊義(ろしゅんぎ)は李富の内偵によりリストされた18人の容疑者の中にあった。
 青蓮寺の心理的拷問は、人をして死をこいねがう状態にまで至らしめるものだった。

 梁山泊は守備兵だけを残して全軍で北京大名府(ほっけいたいめいふ)を襲った。しかし盧俊義の救出は軍のなすところではなく、飛龍軍間諜十人の助けをえて、従者燕青ひとりが行った。実は、ここからが見せ場だった。燕青は巨漢の盧俊義をかつぎ野を越え沼をわたり、二日二晩梁山泊に向かった。燕青は「死域」の状態、すなわち気力だけが身体を動かしていた。普通の者なら、その死域は数秒、楊志でさえ数時間だった。この逃避行が胸を熱く打った。その間、52の都市名と52人の「塩の道」関係者の名を燕青は盧俊義から口づてに暗記していった。それは宋江にさえ全貌を明かさない秘事だった。すべて暗記しなければ、青蓮寺に破壊されつつある塩の道を再建することが出来なくなる。

 宋国地方軍の関勝将軍は名将だったが、有能な故に辺境に追いやられていた。
 彼はしかし梁山泊に投降する気持も持っていなかった。軍の命令を遵守する、その一点に宋国への忠誠を表していた。
 友人であり軍師の宣賛(せんさん)は、関勝将軍の現状を惜しみ、将軍の部下達と計らい梁山泊に入ることを画策した。途中、宋国から梁山泊の押さえる大都市北京大名府をわずかに三千の兵で攻略することを命じられ、成功不成功にかかわらず、将軍が反逆罪で処断されることを見通した。しかし、将軍はいまだ梁山泊に入ることを潔しとしなかった。宣賛は一計を案じ、それを関勝になっとくさせた。
 それは、留守になった梁山泊を、関勝将軍三千の兵が包囲することだった。それが何故取るべき道だったのか、……。

 Muがこの巻まできて、次巻以降に楽しむのは、青蓮寺の動きと、宋江の動きである。
 一番不安なのは、まだまだ刺客はいる、ということかもしれない。 

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