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2005年1月27日 (木)

0501270・南山蹈雲録/保田與重郎

南山蹈雲録 / 保田與重郎著<ナンザン トウウンロク>
(BN0940228X)
  東京 : 小學館、1943.11
  12、433p、図版3枚 ; 22cm
  内容: 南山踏雲録 ; 花のなごり ; 橿の下私抄 ; 文久三年大和義擧記録抄 ; 郷士傳 ; 伴林光平傳
  注記: 原本: 「伴林光平全集」(小野利教編)所載のものにもとづき、諸完本を參照した
  別タイトル: 南山踏雲録 : 評註 ; 南山踏雲録
著者標目: 保田、與重郎(1910-1981)<ヤスダ、 ヨジュウロウ>
分類: NDC8 : 121.52
件名: 伴林、光平(1813ー1864)

所蔵図書館 26[2005/01/27 By Webcat]

目次
  自序
  例言

  南山踏雲録 評注
  花のなごり
    殘花餘話
  橿の下私抄
  文久三年大和義擧記録抄
  郷士傳 並ニ註
    野崎主計傳
    深瀬繁理傳
    林 豹吉郎傳
    乾 十郎傳
    橋本若狭傳
    田中主馬藏傳
    三枝蓊傳
  伴林光平傳

Mu注記
 伴林光平になる南山踏雲録全文と、保田によるその評注が最初にある。註(五)に岩船山について記されている。
 些細なことだが、この(五)という数は、新学社文庫版13の『南山踏雲録』では(十三)となっている。文庫版底本の講談社全集版では(5)なので、文庫転載のおりに版面が変化し、通し番号になったものと勘案した。
 講談社全集版21巻頁20の註(五)をここに引用する。
 まず光平のこの地での歌は、

梶を無み乗りて遁れん世ならねば岩船山も甲斐なかりけり(五)

(五)岩船山には、饒速日命(Mu:ニギハヤヒのみこと)が乗られた天磐樟船だと云ふ巌があつて、命はこれに乗つて高天原から地上へこられた。ここで神代のことを思ひだして、この歌を作らる。しかし今は梶(Mu:かじ)がないので、岩船が間近にあると聞いても、それによつて逃れることも出来ないと嘆じられたが、落胆ぶりが大様で歌にもみやびがある。

 このとき、岩船山はあっても、磐船神社への言及がなかったことに、疑問がわいた。そのままにしておくつもりだが、いつかどこかでその解にであうかもしれない。もう一首あって、それは同全集の頁81に、
岩船山

乗りてこし神世やいつら明方の雲にうかべる岩ふねの山

とある。ここでも「山」となっている。推測は三つある。この幕末に磐船神社が形を明確にあらわしていなかった。もう一つは、光平翁には含むところがあった。三つ目は、神代のことはあらあらしく言葉にあらわさぬ風習があった。つまり、眼前の神社を神社とよぶことはなかった。どれかは、まだわからない。
 なお追補として、MuBlog記事、磐船神社を参照されたし。(後日に掲載)

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コメント

磐船について

歴史並びに考古学、民俗学に興味の無い人には磐船は御理解が難しい。

航海民にとり磐は山であり航海の目印であります。山の上の磐は光を受けて光る。ここから、鏡崇拝も起源が発生した。光を跳ね返す、目印ですね。

光は又、長江文明の大事な命の源であります。太陽ですね。

海岸線に創生された多くの巨大古墳は葺き石がされていた。これは、光です。

ニギハヤヒの先祖のニニギの命は鹿児島に上陸した。
私達の今の国歌は巌信仰であります。その経緯については司馬さんが面白く記述されている。しかし、詳細は省くが、サザレ石が巌になる信仰は鹿児島から大和まで受け継がれた訳ですね。

磐と船は切っても切れない関係であります。神話は馬鹿にしてはいけない、民族の記憶であります。

Muさん、コメント返し不要成り。回復されて、元気になられて、暇なときにね。

投稿: jo | 2005年1月29日 (土) 16時31分

jo さん(1月 29, 2005 04:31 午後)
 お久しぶりです。
 葛野の方で、肩首の激痛にうめきながら、最後は、手書きでのべ500人に達する成績をつけて、判子を押すという苦行をしておったんです。
 なんかこう、やっているとマゾぽくなるような幽明世界のできごとでした。
 昨年末から準備し出したので、今年はこれでも少し楽なほうでしたが。異なりでいうと130人くらいの学生の名前と顔を浮かべながら、最後「決め」をいれるのです。
 私は、成績決定行為を人事行為とみなしています。だから年間通して最後に、79(良)と80(優)の差は、ものすごい意味がありまして、それで過労極みにたっしますね。

 だから、100と99、80と79、60と59(否)、この三種類の点しか、心にはないようです。世間風潮では、80以上が優とかAです。70以上が良とかBです。60以上が可とかCです。
59以下が落第ですね。
 途中の数字は、本心では修飾みたいなもんで、80と88には内心では、差がないですね。……ちょっといいか、まずまずいいか、程度だな。

さて。

 磐船は、私の中でまだ結論がでていません。
 磐と鏡といえば、日本のピラミッド話しにつながっては行くのですが。
 
 「長江文明」のSDI記事を早朝に造りました。JOさんが参照していた図書も数冊はいっていました。

 MuBlog そろそろぼちぼちもとに戻していきます。

 MuBlog を記していると、何十年も前の記憶が蘇り、そのリンクを考え出すと、人間の体験と想念と、その時間の推移というものの、複雑さと、中に通る単純さに、一人笑いすることがあります。

 私は、文学よりも、時間芸術としての「歴史」が一番好きだし、身にあうようです。歴史とは、私の中で、人類が作り出した「芸術」ですね。

投稿: Mu→Jo | 2005年1月30日 (日) 09時50分

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