0501241・つつきのみや:筒城宮とラーネッド記念図書館
筒城宮跡とラーネッド記念図書館(京都府京田辺市 多々羅都谷(たたらみやこだに))マピオンBB地図、MSN地図(詳細)
承前
昨年、歴代天皇の宮居を調べていたとき、話の成り行きで継体天皇が樟葉、筒城(511-518年)、弟国と20年間も山背の国で足踏みし、やっと大和に入ったという故事をおもいだした。そして、筒城宮跡が現在の同志社大学京田辺校地(同志社田辺キャンパスとMuは通称す)にあると知ったときは意外な思いがした。
日曜だからキャンパスも図書館も無人だろうから潜り込んで調べてみようと思い立ったのだが、初めて訪れた多々羅の都谷(みやこだに)はどの門もしっかり締まり、門扉前には車除けのポールまで刺さっていた。ガードが堅い。明確な用もないのに、同業のよしみで図書館に話を付けるわけにも行かず、かといって旧知の先生もいない。生来人見知りも激しいのだが、思い切って、ある門扉前に車を乗り付けじっとしていたら、案の定警備の人が走り寄ってきた。
「ここに車を止められると、こまるのですがね」
「あのう、継体天皇が、~、むにゃむにゃ」
「どちらの方ですか?」
「ええ、葛野の、~、もにょもにょ」
「それなら、別の△門の警備に、今おっしゃったように、☆と伝えて下さい」
(どう説明し、どの門かは守秘義務もないが、公開しない)
ということで、キャンパス内に無事乗車したまま入り込んだ。
葛野に比較してとても広いので、あっちふらふらこっちふらふら、行き止まり、芝生、煉瓦敷きの歩道と、要するにおろおろして、やっと某地に留めた。それからは、ひとしきり歩き回った。
キャンパスの中の筒城宮跡伝承地
同志社大学が、現在この地を手入れしていることがわかり、ほっとした。なんとなくこれが旧国立大学だと、車の残骸が丘の上に乗り上がっていたり(笑)、草むしているような、そんなイメージがふとわいた。丘だから派手な立て看板がならんでいるかもしれない。
筒城宮趾石碑
案内板1:筒城宮伝承地(つつきのみや)・京田辺市多々羅都谷
「現在、ここの地名が「都谷」であるところから筒城宮の伝承地とされている。筒城宮跡の解明が待たれる。」
一般に、ご当地案内は「まさしく、ここなのです」が多いのだが、随分控えめに記してあるのが好印象だった。諸説を見ると、近くの西にある観音寺あたりも候補になっているが、距離にしてわずかに1キロだから、私のようなアマチュアからみれば、ここもあそこも、同じに見える。だから、ここでよいと思った。
案内板2:筒城宮址を顕揚する石碑とその変遷/同志社大学
ただこの案内板には、仁徳天皇の皇后磐之媛の故地とも記されている。この件については、以前記紀や古事類苑や参考書を部屋いっぱいに広げてしまったので、今回は止めておく。その時も結局、仁徳天皇時代と継体天皇時代の「筒城宮」関係がわからなかった。そして、磐之媛という皇后が亭主のことでここに閉じこもったのは「筒木の韓人(からひと)、名は奴理能美(ぬりのみ)が家に入りましき。」[古事記:新潮日本古典集成]とあるように、いまでいう民間人の家だったらしいから、同じ筒木(城)宮と記してあっても、「宮」は皇居を意味するわけではないことに、思い至った。
が、それ以上調べると日常が壊れるので、このくらいにした。また、佳き参考書が見つかれば一挙に氷塊するかもしれない。
それにしても、筒城宮に私がこれほどこだわるのは何故なのか。いまそれを考えていた。これは畏友のJoさんの影響もある。これまで古代史に関してその多くを大和に目を向けてきたのだが、考えてみると歴史はけっして点だけでわかるわけがない。Joさんは様々な記事で、当時の国際情勢の中での古代日本史を考えている。私は、せめて大和の巨大な後背地としての、この山城国をもっと実施に見ておきたくなったようである。
筒城宮旧跡を見た後、すぐそばの図書館の建築に見とれてしまった。
ラーネッド記念図書館前庭
同志社大学、ラーネッド記念図書館の前庭を散歩しながら、カリフォルニア大学のロサンゼルスやバークレーでみた巨大なキャンパスの中の日本離れした図書館を思い出していた。ラーネッド図書館前庭にいると、頭の中にカリフォルニアの風が吹いた。こういう広い空間を日本では二つ味わっただけである。ひとつは名古屋大学附属図書館のベランダから見た庭がそうだった。もう一つは故原田教授と行った別府の山奥、アジア太平洋大学のキャンパス(図書館ではなかったはず)だった。記憶のデータベースは、私の場合限られている。
ラーネッド記念図書館正面
それに、昔から研究会や講演があって、目新しい図書館、大学に出張しても、大抵見ないで帰ってしまう記憶がある。失礼なことだとは思うが、九割はそうなる。理由は実に単純で、「その時切実に欲しない外界情報を一挙に入力すると、内部処理が変則的になり、混乱する」ただ、それだけのことである。要するに、激しい疲労におそわれる。だから、これからも自ら「受容可能」となるまでは、出歩かないのだろう。
筒城宮の帰り、中に入ってみたかったが、入り口に係の人がいて学生証の提示を求めていた。気恥ずかしくて、そのまま図書館を後にした。
参考
日本・歴史・古代:神々と天皇の宮都をたどる/高城修三[MuBlog]
心の故郷(北河内) 目次編[JoBlog]
同志社大学京田辺校地:ラーネッド記念図書館
けいはんな風土記/門脇禎二、関西文化学術研究都市推進機構 編.同朋舎出版、1990
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
Muさん
気合が入っていますね。実は私は未だ未踏地です。大学が出来る前にはウロウロした事あります。
同志社がキャンパスを最近というても、昔かな、作る時に考古学の重鎮の森浩一教授は活躍されたそうですね。
森名誉教授の本は沢山読みました、最近は京田辺の町興しに強力して、かぐや姫の故郷で売り出してはります。
近くは隼人荘があり、息長氏の拠点として木津川流域に勢力がありましたね。かぐや姫の伝承は南方系の民話ですから、隼人が伝えたと思います。大隈隼人らしいけどね。
同志社大学のHPもご参考に。
http://www.doshisha.ac.jp/kyouiku/rekishi/reki_01.html
投稿: jo | 2005年1月24日 (月) 20時38分
joさん (1月 24, 2005 08:38 午後)
かぐや姫伝説ですか。
ほんまに、忙しくなるな、たまったもんじゃない。
そのうえ、大隈隼人ですか~九州ですよ。
旅費がない。
Joさん古代史につきあうと、めまいがしてきます。
まあ、ぼちぼちと。
投稿: Mu→Jo | 2005年1月24日 (月) 21時26分
Muの旦那 飛行機に乗らんでも、又、京田辺にドライブしてください。
http://www.pref.kyoto.jp/koho/dayori/200210/yukari.html
上田正昭先生の記事です、ご参考に
投稿: jo | 2005年1月24日 (月) 21時39分
筒城宮史跡は取りあえず、こことして、問題は樟葉宮なんです。
これが、場所が判らんのですね。隣村でしたが、地元では聞いたことが有りません。今後の発掘成果が待たれます。
しかし、流石に、本職の血が騒ぐのか図書館もちゃんと、レポートされましたね。
投稿: jo | 2005年1月25日 (火) 08時09分
joさん (1月 25, 2005 08:09 午前)
昨夜上田さんの記事読みました。隼人ですね、ご近所に!
樟葉宮は、以前水野先生が選んだ場所で、よいとおもっていましたが〜、そうですか、地元では不明なんですか。
ああ。また、いそがしくなりますな。
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_28.html
上記記事のうち、水野説による樟葉宮。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=135/41/31.700&scl=25000&size=954,768&uc=1&grp=MapionBB&nl=34/51/51.458
なお、これからちょっと机上で野暮用(笑)があるので、Joさんのアブ山古墳へのコメントはお昼か夕にでもいたします。
投稿: Mu→Jo | 2005年1月25日 (火) 09時50分