0501120・ごこうのみや;ごこうぐう:表から見た御香宮
御香宮(京都市伏見区御香宮門前町)マピオンBB地図
裏から見た御香宮を以前記した。このお宮は私にとって、しょっちゅう横を歩いたり車で通りすぎるところだから、日常の風景といってよい。先に「裏」を記したのは、「表」が見なれたものだったからにすぎない。しかし、考えてみるとこのあたりに住んでいない人や、たまに散歩した程度の人にとっては、やはり「表」が大事であろう。そういうわけで、今回は気合いを入れて、正面から取り組んでみた(笑)。
しかしなんですなあ。
神社仏閣は意外にも若いカップルが多いです。御利益を求めているのか、なんとなく落ち着きをもとめているのか。カメラを向けにくかったです。世の中、不信心者で満ちているというのに、考察してみたいことです。
大鳥居
御香宮の正面
祭神:神功皇后・仲哀天皇・応神天皇
由来の一つである、伏見の清泉水、御香水を近所の人も日常に使っています。
もう一つの由来は、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇がお祭りしてあることと縁が深いのですが、九州の香椎宮(未踏地)との関係です。史実、神話、難しいところですが、香椎宮のあたりで仲哀天皇は、奥様の神功皇后が神懸かりし、その神託に言挙(ことあげ)し、その時刻その地で亡くなりました。そうして、応神天皇はどなたさんのお子さんかわからぬままに神功皇后を母として生まれ、後日母と一緒に河内に上陸するわけです。なんにしろ、このあたりは幽明さだかならず、日本歴史の大きな秘密なのかもしれません。
で、私も「香椎宮」と「御香宮」との因縁話にはいたく惹かれるわけですが、御香宮が山城伏見の地にあることが非常に不思議なことであります。こうして、日本の歴史をぼんやり考えながら、御香宮を通り過ぎると、秀吉、徳川、新撰組や神功皇后が重層的にイメージされ、めまいがいたします。
伏見城の残石
この、石の変遷は私が興味をもつところで、著名な事例として、飛鳥の酒船石断片がそこより少し南の高取城に使われているという話など、興が尽きません。
石の階段と石灯籠
参考
『京都・山城 寺院神社大事典/平凡社編 1997』
裏から見た御香宮[MuBlog]
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コメント
御香宮の伏見城の石ですけど、何でやろ?
戊辰戦争の時に,官軍が戦争の為に持ち込んだんでせうか?
戦国時代とか、南北朝の時代とか世の中が乱れると、築城の為に古墳は壊され、石が盗まれるんやね。
これからは、石に名前を刻印しとかんとあかんね。勝手に、
漬け物石として持ち去る事を禁ず。とね。
投稿: jo | 2005年1月12日 (水) 12時04分
joさん、 (1月 12, 2005 12:04 午後)
御香宮の正門は、伏見城の大手門という話しもあるようです。
古墳破壊築城のことですが、箸墓の歴史をいつか調べたいですね。
ところで、高取城のために、なぜ中途半端に酒船石を使ったのか、わかりにくいです。作業途上で、やめた形跡があるようですね。
石に刻印は、どっかで見た。大阪城ですかね、どこだっけ。各責任者が特殊なマークをいれている事例。
結論。
御香宮の、伏見城残石話は探せばわかると思います。後日確かめます。
投稿: Mu→Jo | 2005年1月13日 (木) 05時01分
「大鳥居」・・・近鉄桃山御陵駅に降り立つと、一番に目に入りますよね。御香宮に行く鳥居でしたか。
この近くには「乃木神社」もありますよね。「乃木」っていうのは、「乃木希典」のことなんでしょうか。どうしてここに?と思いました。
投稿: wd | 2005年1月13日 (木) 10時14分
wd さん(1月 13, 2005 10:14 午前)
明治天皇さんの南麓に、乃木神社があります。
君臣一体のことわりでしょうか。
投稿: Mu→Wd | 2005年1月13日 (木) 12時02分
今の会社のすぐ傍に乃木さんのお家の史跡が有ります。桜田通りに面しています、直ぐに、皇居です。
天皇ご子息の教育掛かりをされていましたね。司馬さんの『
殉死』を読みましたが、明治天皇には命を助けてもらったと、乃木さんは考えていたんでしょうね。
戦争は下手やけど、愚直な人だったんでしょうね。
投稿: jo | 2005年1月13日 (木) 13時27分
joさん (1月 13, 2005 01:27 午後)
明治の精神でしょうか。
いまちょっと休憩時間に一言ですが、たしか、明治十年頃に、乃木さんは軍旗をとられたんじゃなかったかな。
これは、精神性を極度に要求される当時の軍人にとっては、拭いされない恥辱だったんでしょうね。いわば、恥を抱え込んだまま学習院校長をなさっていたのでしょうか。
203高地のこともあり、明治天皇さんとの関係も、難しかったと思います。
人間はロボットじゃないから、なにかのことで負債、負い目をもってしまうと、屈折が人格深層に影響し、それが場合によっては軍神になるほどのストイックな、ひとつの、手で触れるほどの固いイメージ、生き方を造ってしまうのかも知れません。
自らの意思による殉死というのは、人以外の存在では、出来ないことでしょうね。
その「精神」は、内省とか、外環境によって変化するような、なまやさしいものではなかったと、思いました。
ただし、共になくなった奥様の気持ちとか状況は、理解しにくいです。
投稿: Mu→Jo | 2005年1月13日 (木) 14時39分