0501100・キーンの漱石
漱石のことがMuBlogでは話題になることが多い。表に現れるだけで、梅翁、wd、J-Netter、このお三方が漱石読者のようだ。しかし、卒業生や在学生、友人知友あわせて、じつはもっと沢山ファンがいることをMuは知っている。
しかし、どうにもMuBlog店主は、はかばかしいメッセージを出した覚えがない。
漱石が嫌いなのか。いや、そうでもない。
わからないのだろうか。いや、そうでもない。
ただ、みんなと随分違った気持ちになることが多いので、話せなくなってしまうようだ。
そんな風に思って、旗日の葛野研究所をそろそろ退散しようとおもって、ふと書架をみてみると、ドナルド・キーンさんの『日本文学の歴史』(中央公論社、1996年前後)というのが、ずらっと18冊も目に入った。知り合いの同僚英文学者は原典で読まれたようだが、Muはトツクニの言葉には不用意なので、和語翻訳を置いている。
キーンさんを完全に信用しているわけではない(こりゃ、物騒な言い方で、識者の皆様すみません)、昔自分の記した論文で罵倒したこともある。しかし、妙にバランスがとれていて、キーンさんはこういう読み方をすれば、特定の文学以外に対しては、妥当性が高いなぁ、と安心しているところもある。
さて、キーンさんは漱石をどう見ているか。
結論だけ記しておこう。その巻11のpp234-238が今回の話題への一つの解である(山田風太郎に関する記事へのコメント)。
キーンさんは道草を頂点とみなしている。これは小説技法として抜群であると記されている。「自己とその周囲を仮借なく描き出すことによって、『道草』は日本の近代小説を新しい藝術的完成の域にまで引き上げるのに成功した。」
一方、未完の明暗は、わざわざ少数の谷崎潤一郎による批判異説をあげて、またキーンさんも「プロットは、救いがたいほど興味に乏しく、しかも表現が非常に冗長である。……」「なかでも最大の欠点は、津田のいわゆる我執が、なんの興味も持ち得ないものであること、……」と、記されていた。
こういうキーンさんの説を読むと、定見のないMuはなにも言えなくなる。
漱石を我が父、我が兄、近代小説の「母」と言える人には、なんとも、言いようがあろうが、Muは、漱石を避けてきた。人をさけてきた。だから、人の描かれた小説がしっくりこなかった。
なのに、「こころ」が一番好きだった。
なかなかに、文学とは、漱石とは、手強い。
しばらく、横臥していよう。また元気が出てきたら、漱石全集を舐めるように読んでみたい、そんな気もするが。いまは「エリス、帰りぬ」の一言が、妙に気持ちになじむ。
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コメント
鴎外と漱石
この二人は対照的ですね。地方出身と都会出身ということで、田舎ものの当方には二人の違いがよく分かるような気がします。
ドナルド・キーンは以前よくテレビに出ていました。NHKの教育テレビだったのではなかったかと思います。その番組で谷崎の瘋癲老人日記と文楽を教わったのでした。アメリカ人に日本の文学と伝統芸能を教えてもらった訳です。
瘋癲老人日記を激賞していました。理由は、ユーモア(ヒューモア)がある、(軽み)に達しているから、というものでした。西洋の文学ではこのヒューモアを最上とする、というのがキーン先生の説でした。(鍵)とは大違いと言うてました。
そういう意味では、明暗をけなし草枕を褒めるキーン先生の説はまことによく分かります。当方などはどちらも凄いと思うのですが西洋の方から見れば東洋的な草枕の方が面白いのでしょうね。
それにしても人間があまりお好きでない皇帝が漱石や谷崎について語るのはシンドイでしょうかね。(よきにはからえ)と言いたくなるのではないでしょうか。ご同情申し上げます。
ちなみにGoogleに聴くと山田風太郎は兵庫県の出身なのですね。
投稿: ふうてん | 2005年1月11日 (火) 02時55分
ふうてんさん (1月 11, 2005 02:55 午前)
キーンがほめつくしたのは暗い「道草」でして、頓狂な「草枕」じゃぁ、ござんせん。
それにしても梅兄ぃ、漱石の脳はどうなっていたんでしょう。[顧みてにこりと笑った。]こんな文句がこびりついていて、探してみたら、草枕、ほんとに天才の光があったんだろうね。
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「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々投げるかも知れません」
余りに女としては思い切った冗談だから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧みてにこりと笑った。茫然たる事多時。
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草枕、「三歩にして尽くる部屋の入口」おお、漱石屋! ですね。
余は人を厭うにあらじ、ただ、人が解らぬのみ。ところでなんですなぁ、谷崎潤一郎という現実の爺は、そばに近寄りたくないが、彼の物語はすきです。あそこに、人間なんていやしない。
眠くなってきました。
鴎外も漱石も潤一郎も、康成さんも、由紀夫さんも、古き良き時代の文章でした。いずれも名文でしたね。
投稿: Mu→ふうてん | 2005年1月11日 (火) 03時26分
Muさんね、wdの独り言など、うっちゃってくださいな・・・。
漱石なんか語り出すと、100人が100様の読み方してるんじゃないですか・・。皆がそれぞれの漱石を心で温めていればいいと思いますが・・。
ここのコメント欄は、Muさんご自身もおっしゃってたように独り言の性格が強いですよね。勝手におしゃべりして、私はMuさんからの明確な答えを要求してないことの方が多いです。
だから文学を語るのを辛そうになさるMuさんを見ていると、こっちの方が余計に辛くなります。
川本三郎氏の文章に「遠人愛」というのがあります。いつもこの文章を読むと、Muさんのことを思い出すんですよ。
「人間嫌いというほどではないが人間どうしの情緒的なコミュニケーションを好まず、できるだけ他人と関わらないようにして生きていくスタイル・・。」
遠人愛の人は、自分一人でも充分に世界を楽しむことができる人なんですよ。
一人で充分世界を楽しむことができるMuさんが、blogではコメント返しに苦労しているなんて、可哀想だなあ~と思いました。
投稿: wd | 2005年1月11日 (火) 11時43分
wdさん (1月 11, 2005 11:43 午前)
人生で人様方に唯一お返しするのは、コメント返しだけ。
電話、メル、手紙、年賀状、挨拶、貢ぎ物、プレゼント、愛憎、一切合切お返しはしないように、自然になってしまったので、ひとつくらいは、人様にお返ししなくっちゃ、それが執拗なまでのコメント返しに結実しておるなぁ、と我ながらいまさら気が付きました。すでに、数えてみれば、952のMuのつくコメントがありましたが、自注はわずかなので、おそらく九百数十通のコメント返しをしておりますなぁ。
古来純文学と言われる案件のみ、こんごは、梅翁の指示にしたがって「そうかい。そうなのかい、よかったな」とか「よろしくお取りはからい下さいませ」とか「よきにはからえ」とか「否」「了」「承知!」とか、簡便にすませるようにいたします。
ご指摘のように、独り言blogが最高の売り、目玉ですから、どうぞこれからも、たんと独り言を記してください。
それにしても。漱石。
ようけ、かかはりました。
MuBlogも、このペースでかいていけば、全集ができそうです(笑)。
投稿: Mu→Wd | 2005年1月11日 (火) 13時00分