0501070・レディ・ジョーカー(映画)
旧知のエドルン君に映画を誘われた。どこかに記したが、実は私はきわめて映画が好きである。20代のころは二本だて、三本だての映画館をハシゴして過ごした。今も好きだ。しかし映画館へ出向くことは滅多にない。多分日常からはずれることをしたくなくなったからだろう。
だが、同じく映画好きのエドルン君に誘われて行ったことは多い。今年も正月お祭りの最後の締めに町へ出た。いくつか迷ったが、結局以前感動した高村薫さんのレディ・ジョーカーにした。他に候補は「エイリアン&プレデター」もあった(笑)。小説の映画化は従来期待していなかった。危惧も持っていた。あの作品、映画になるのだろうか? と。
映画・レディ・ジョーカーの表紙
二時間一分、私は息を詰めてスクリーンに埋没した。渡哲也(役:物井清三)の最初の台詞「あん(兄)ちゃー」に総毛立った。これは、いわゆる東北弁と言うのだろうか。薬局店主物井清三は暗い吹雪の寒村を回想し、ぽつりと兄に語りかけた。その独特のイントネーションが私を射すくめた。
小説と同じく、映画もおそらく神は細部に宿る。たった一つの台詞、その呪文に私は虚実皮膜の川を渡った。そして最後まで渡哲也の演技を演技として感じず、ただそこに、眼前に物井清三が立っていた。
背景の事件性。そういうことは気にならなくなった。
五十年前の物井清二の手紙
映画全体が、日常の中に時に「鬼が現れる」という表現を貫き通した。鬼とは、350万キロリットルのビールを人質にした20億円の身代金要求犯罪の形で現れた。
さて、私の好みを記しておく。
原作で一番印象が強かったのは、映画で長塚京三が扮した日之出ビール代表取締役社長「城山恭介」だった。実は物井清三のすごさは映画冒頭によって気がついた。高村薫さんの原作では、城山社長の苦渋と生き方、考え方に大きな感動を味わっていた。これは体制内幹部の重責と心情との軋轢表現に高村さんの強力を味わったのだと思う。
高村さんは、一方で城山を描き切り(何年たっても城山の日常が思い出されるほどに)、一方で被差別部落、朝鮮人問題という体制外の世界を熱烈にあぶり出す。
そして。
映画は、おそらく平山秀幸監督、そしてチョン・ウイシン脚本の力によるものだが、この城山と物井の世界を、怒号の対立ではなく、この世には二つの世界があって、滅多にクロスしないが、時に淡々として鬼が立つ、とそういう風に造られていた。映像は、その通りのものだった。
あり得ぬほどに、すべての出演者がところを得ていた。合田刑事役も半田刑事役も、会社の役員達も。その自然さは、言葉に尽くせぬものだった。
私は肺腑を突かれた。
京都新京極のMOVIXで朝一番に映画を楽しみ、大満足で尾張屋の「大エビ二本立て・天蕎麦」をたべた。飲み物はもちろん、日之出麦酒のラガーにした。食後のフランソワ珈琲はエドルン君のおごりだった。豊かな一日だった。
渡哲也や長塚京三の深いイメージの合間に、ときどき、レディになった斉藤千晃のあどけない顔が蘇った。
そうそう。
お好み小説の映画化といえば、この夏七月に(気の長い話だが)、京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」(うぶめ)が上映されるようだ。監督が帝都物語の実相寺さんで期待が大きい。邦画は佳いと思った。
参考
MOVIX京都(映画館、地図)京都市中京区桜之町(新京極)
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