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2005年1月 4日 (火)

0501040・日本・文学・保田與重郎:現代畸人傳/保田與重郎

現代畸人傳 / 保田與重郎著<ゲンダイ キジンデン>. -- (BN11051370)

現代畸人傳/保田與重郎
  東京 : 新潮社、1964(昭和39年10月)
  308p ; 22cm

著者標目: 保田、與重郎(1910-1981)<ヤスダ、ヨジュウロウ>
分類: NDC6 : 914.6

所蔵図書館 21 [2005/01/04 By NACSIS Webcat]
Amazon.co.jp[新学社版(1999)、文庫、解説は松本健一]

帯情報[注:初版の帯は亡失したようなので、新学社版裏カバーから採った]
  現代畸人傳

戦後、故郷桜井で農に従事したあと、同人誌「祖國」を創刊して殆ど唯一の文章発表の場としてきた保田は、昭和三十三年暮に、京都鳴瀧の地に移り住んだ。橋川文三の「日本浪曼派批判序説」が公刊され、保田與重郎という存在を黙殺無視していいものではない、という空気がジャーナリズムに萌し始めた頃である。
「新潮」で本書の連載が開始されたのは昭和三十八年二月号、翌年十月に一本として上梓された。文学史的な言い方をすれば、戦後文壇に再登場を果した記念すべき出版だった。
その内容は、戦後的世相や思考の外に生きる有名無名の人士を懐しみ、その人生と命の在り様に讃嘆感謝の念を惜しまぬ文章から成っている。保田が悦び、信をおいた人たちの列伝に託して、人間の生成に思いを致した本書は、愛惜の情あふるる畸人傳と言えよう。

目次情報
  序 「月夜の美觀」について 涙河の辯
  一 狂言綺語の論
  二 置みやげ擬作の説
  三 大師匠殺身成仁辯
  四 修身の教へ
  五 歴史の流れの底に
  六 紅葉のいそぎ
  七 さまざまな歴史家たち
  八 行道有福觀
  九 われらが愛國運動
  十 われらが平和運動
  番外 天道好還の理 竝育竝行の理

Mu注記
 このMu現代古典に現代畸人傳を整理しているとき、新学社版のそれが、解説に松本健一先生をあてているのに気付いた。思わずそれに読みふけってしまった。松本先生は二十代のおりに保田の畸人傳を読み感動し、貴船の御手洗川(みたらしがわ)を「かち渡り」たいと思われたようだが、それを果たしたのは五十代になってからだと記されていた。驚いたのは、鞍馬山から義経堂を経て貴船におりられたようだ。それは険阻で有名で、いつぞやMuの職場の懇親会でそれをやって、何人かが青息吐息になったと聞いたことがある。Muは鞍馬から奥の院近くまで歩いて、怖くなって(笑)鞍馬に戻った経験さえある。
 松本先生はそのことと和泉式部の歌を上手に絡ませて、一息で保田を理解できる解説を載せておられた。

 さて、
 現代畸人傳についてはMuもいっぱい記したいことがあるが、お正月なので不用意に脳を酷使することは控えておこう。その方が保田與重郎を読むにはかなっている。Muは保田によって、日本の古典や歴史のいくつかに近づくことができた、保田によって山辺の道を知った、櫻井を知った、……。世界を見る目をいただいた。それを理屈で記すとなると、生涯かかりそうである。
 かつて保田を理解するに、川村二郎先生のガイドブックがあったればこそと記したが、そういう意味では保田を世間の人にも分かるように解き明かすのは、よほどの頭脳が必要だろう。川村先生も、松本先生も、それだけの頭脳と筆力を持たれている。だから、Muは西欧文学や日本古典文学や神社、そして万葉などの面で保田の文章を消化したい時には川村先生の著作を併読する。そして、伝統と現代論、ロマン的政治思想、思想としての右翼、そういう極めて堅い方向から保田を理解したいときには、いまだに松本健一先生の著作をひもとく。
 そして、Muが一人で楽しめるのは、三輪山の伝承や、おかしな人たちの生きている姿や、変わった焼き物や民芸品を理解したいとき、あるいは歴史上のとらえどころのない人(さっきは、大塔宮護良親王:「天道好還の理」)を知りたいときには、保田を事典のように使ってきた。
 正月を過ぎれば、Muのモードも多少変化して理屈っぽいことにもすこし手を出せそうだが、結局保田與重郎は、保田の図書が懐にあれば佳し、と横臥しそうである。
 
参考
  現代畸人傳

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コメント

保田與重郎氏の本を、私が読んで判るでしょうか?

どうやら、この一年間のMuさんのBlogを読んでいて、この作家は核のようですね。そういえば、以前、梅安さんもそんな感想を述べておられました。

誰にでも、そのような作家は存在するんですね。梅安さんにも数名の作家がいます。

私は司馬さんと、民俗学の関係者でしょうね。一度、読んでみたいですね、保田與重郎氏の本を。

投稿: jo | 2005年1月 4日 (火) 22時48分

Joさん (1月 4, 2005 10:48 午後)
 この『現代畸人傳』の、新学社版文庫を読まれたらどうでしょう。保田先生が一世を風靡した戦前の著作は、けっしてわかりよい文学ではないのですが、戦後の単行本は、現代人にもすっきり読めます。
 奇人変人がいっぱいいまして。
 保田先生もある意味で畸人なんでしょうね。つまり、カリスマだったお方のようです。

 私の文学や歴史に対するアプローチのほとんどは、保田先生の著作から始まっています。

 もう少し正確にもうしますと。

 小学校のころ教科書なんかでヤマトタケルにあこがれました。詩ですね。やまとはくにのまほろば、……。そして、10代末期に、そのヤマトタケルを「詩人にして英雄」であると書いておられた人に出会った。それが保田先生です。(『戴冠詩人の御一人者』これは名著です)

 もうひとつは、高校一年のころ、古文の時間に後鳥羽院の新島守をしりました。増鏡だったと思います。みわたせばやまもとかすむみなせがわ、ゆうべはあきとなにおもひけん。とか、奥山のおどろの下をふみわけて道ある世ぞとひとにしらせん。とか、われこそはにいじまもりよ、おきのうみのあらきなみかぜこころしてふけ、……同じ世にまたすみのえの月やみん、きょうこそよそにおきのしまもり、……。要するにMuは外国語に対しての拒絶感(たぶん論理的にうけつけられない資質)の欠落を、こういった古典文書にめっぽういれこんでしまったのです。それと漢文漢詩。

 で、10代の末、保田先生が『後鳥羽院』というのを著していたのに気がついて、それや、飛びつきますよ。
 一字一句が、スポンジにしみこむように身内にはいってきました。

 JOさん、出逢いというか、ものすごい一瞬がありますね。すべてあますところなくはいってくる、美味しい! という味わい、感覚ですね。

 たぶんそれまで、ヤマトタケルも、後鳥羽院も、そういう世界に入れ込むことがうしろめたかったのです。つまり、Muは当時科学実験、模型とラジオ少年・青年でもあったから。詩や文学、想念、そういう嘘嘘しいことにかまけているのは、子供、って思っていた。それが、ですよ、保田先生は事典でみると妖しい前歴をもつ、評論家だったし、そのうえ、真っ向から私の感じたことを、よいこととしてすくい上げてくれていた。
 これですね。

 ぼんやり考えて、感じていることを「Muさん、それ、よろしいで」と、図書や先生、年長者からいわれる安心感。
 これが、保田先生の作品をほぼ全部を読んでしまった、Muの18~28くらいまでの10年間でした。

 なぜ30ころに、表面上文学から撤退したか。
 それはですね。
 コンピュータに出会ったからです。
 文学と縁を斬らないと、まともな人生を送られないと、あの頃本気で思った。第2子がうまれたころですね。夢や霞はおいておいて、幼子たちをマジに食わせていかないと、と決心した。

 もっとも、ことあるごとに、現代畸人伝をよみましたけど。にっちもさっちもいかなくなったときは、大抵現代畸人伝をよみました。だから、20回くらいは読んでいます。

 この10年は読んだ記憶がうすれているから、たぶん、自力でこなせることがおおかったのでしょう。つまり、少しは世間で自律自活できるようになったんかなぁ?

ながながと、まとまりのない話でした。
多少、ご理解ねがえましたでしょうか。

投稿: Mu→Jo | 2005年1月 5日 (水) 03時25分

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