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2005年1月 1日 (土)

0501010・大晦日の鍵善と八坂神社

大晦日の鍵善と八坂神社
  鍵善良房本店(地図
  祇園八坂神社(地図

1.鍵善のくずきり


 大晦日に祇園へ出かけて、くずきりをいただくのが習慣になっています。十年ほど前までは一家欠かさずでしたが、最近は31日の都合で顔ぶれも変わります。昨日平成16年12月31日は、木幡研究所兄妹とつれだって行きました。
 なぜくずきりかと問われると、考え込んでしまいます。美味しい、好きだからと答えていますが、それにしても執心の度合いが深いようです。
 おそらく、十代ころからMuは南朝方に肩入れしてきたのでしょう。北畠親房、楠木正成、後醍醐天皇の世界です。そして谷崎潤一郎『吉野葛』の語感にもひびくところがあるようです。Muが鍵善の「くずきり」を知ったのは20代のころですから、永い年一行事です。
 そう、忘れるところでした。黒蜜愛好も強いのでした。Mu木幡研究所の正月雑煮は透明な昆布だしに餅が数個入っているだけで、その上に黒砂糖の固まりを数片載せて食べる。実に単純明快、滋味あるおいしさです。これは幼児以来ですから、抜け出せないことでしょう。DNAは恐ろしいと、黒蜜に絡ませた吉野葛を味わいながら、昨夜も兄妹をみていて、ため息をつきました。

◎鍵善本店の大晦日

鍵善の軒燈
鍵善の正月飾り
鍵善正面のれん





◎くずきり(黒蜜)と粟ぜんざい
くずきり(黒蜜)と粟ぜんざい
 写真の上部が粟ぜんざいです。なぜかこの人だけは例年温かい粟ぜんざいのように記憶しております。もちろんくずきりも好きなのですが、この時期は都も冷え冷えとしているので、暖かくしたいようです。記憶では幼児のころから粟ぜんざいだったような気もします。
 Muは当然、手技で切ったくずきりです。氷水に漬かっています。ホームページを読んでいると、葛は鮮度の高いものをよしとするようなので、夏も冬も氷水というのは、味の保証なのかも知れません。
 ときどき黒蜜か酢かと問われますが、これは関東から来る方も多いせいかもと、想像します。NHK新撰組!で、なにかを食すとき(まさか、くずきりではなかったはず、ところてん?)蜜か酢かでもめていた。
 もめるもなにも、このくずきりを酢で食すなどとは、鯛のお造りにケチャップソースをかけるような、異風に思えます。
(さすがに新年早々、蛮風とまでは書かないようです(哄笑))
 あ、もちろん鍵善は親切なお店ですから、お国柄やお好みに応じて、酢もあるようです。他国の人達も安心ですよ。

参考
   鍵善良房

2.八坂神社の大晦日


 例年大晦日の夕方に鍵善でくずきりをたべて、一年の無事をことほぎます。それが終わると、次に八坂神社にお参りします。素戔嗚尊(すさのおのみこと)さんとは昔から仲がよいのです。木曾義仲を評して保田先生が「素戔嗚尊系」と記されていましたが、荒ぶる霊、そして磨かざる玉(あらたま)というイメージが実にわかりやすいです。

◎八坂神社と夜店

祇園八坂神社
 八坂神社の正門は南にありますが、いつもはこの祇園石段下から入ります。Muは町中での宴会幹事をするときは、大抵集合地をこの石段下にしています。そしてMuは確実に門の影に隠れています。人前にでるのはおっくうなのに、人混みを眺めるのは好きなんでしょう。
 大晦日の夜は、夜店がたちます。1日の朝や昼の、つまり初詣時刻の様子はまったく知りません。
 この写真右上では、店先におけら参りの火縄がありますね。

◎破魔矢と絵馬

破魔矢と絵馬
 こういうグッズに深い考えをもって何十年も接してきたわけではないのです。破魔矢の由来は、学生のころ調べた事もありますが忘れました。なによりも日常は見かけない羽を使った矢、そこに鈴がついて鳴る、そして的にするのかと思うような、彩色絵の板。御利益のありそうな「八坂神社」という朱印。買って持ってかえって部屋に飾るとうきうきします。お札(ふだ)までついています。これで初穂料というのでしょうか、二千円。そして何十年来大晦日に買ってきました。平成16年(2004)はこれで最後にすっきりしたのです。

◎八坂神社の裏参道

八坂神社裏参道
 この道は本殿の裏、つまり北に通っています。日中でも、円山公園へ行き来するのは本殿と舞台の間をすり抜けて東へ行きますから、Muも滅多に通らない参道です。31日の夜も遅くなると、この道に人があふれるのだろうと想像します。その想像と、目の前にある暗い参道がアンバランスだったので、撮っておきました。


参考
   八坂神社yasaka

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コメント

あけまして、おめでとう、御座います。

暮れは、八坂さんでしたか?写真をみてると風情がありますね。懐かしいな~~~。

鍵善の葛切りは有名やね、家の若い娘と孫は、斜め前の都路里でパッフェを食うのが好きどす。

日本の風景やな~~。何百年、何千年と続く習慣はもはや宗教やね。暮れに鍵善で葛切りを食べねばならない。聖書には書いてあらへんな。

八坂はんで火を貰い、自宅迄クルクル火縄を回しながら、帰り、竈に新年の火をともす。そして、雑煮を炊く。日本人は不思議な習俗を持つ民族ですな~~。

ともあれ、賀正。
今年も、Mu皇帝におかせられては、安寧である事をお祈りします。

投稿: jo | 2005年1月 1日 (土) 10時16分

joさん、 (1月 1, 2005 10:16 午前)
 あらためて、本年もMuBlog よろしくお願いいたします。
 ところで、

 Muの旧約DNA旧事記には、正月まえにくずきり食せよ、と書いてありますよ。
 Joさんのバイブルにはどうかいてあるのでしょう。
 Jo社長が世界に雄飛することを祈念して、賀正。

投稿: Mu→Jo | 2005年1月 1日 (土) 11時05分

 先生、
あけましておめでとうございます!!
本年もよろしくお願いします。

 今年はどんな年になるでしょうね?
めいいっぱい、楽しみましょう!!

 良い年になりますように。

投稿: 羊 | 2005年1月 1日 (土) 17時03分

羊さん、 (1月 1, 2005 05:03 午後)
 謹賀新年、平成十七年(2005)
 のっけから明るい言葉、ありがとう。

 楽しみ。
 そうですね、今年は義経さんだけでなく、平安京、平安時代を京の町にもとめ、カメラやビデオで写していきたいです。

 八坂神社も、もっと写しがいのあるところがあるのですが、何度も行ってみることにします。

 その他は、読書して、授業して、研究して、……あんまり2004と変化はなさそうです。
 変化が常によいわけでもなさそうなので、ぼちぼち、というところです。
 気力は満ちています。
では、今年もよろしく。

投稿: Mu→羊 | 2005年1月 1日 (土) 18時01分

 謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 人影まばらな八坂さんの風景・・・いいですね。実に京都らしいです。
 上品で洗練された京都がよく伝わってくる記事でした。やっぱり祇園なんですね。くずきりは寒そうですが(私なら栗ぜんざいにする!)、鍵善さんの2階は落ち着いたいいお店ですね。

 昨晩は家で除夜の鐘を聞きました。どこの鐘の音だろうと思っていると、近くのお寺ではないらしく、風が強かったので、東大寺か興福寺、もしかしたら西の方、薬師寺か唐招提寺の鐘の音かもしれないということでした。「ご~ん。ご~ん。」という静かな鐘の音に、心が洗われてゆく気持ちになりました。

 初詣は、大神神社へ行きました。大神神社から久延彦神社へ行く途中の展望台から、二上山・耳成山・畝傍山・香具山がくっきりと見えました。
 洗練された京都とは違い、野暮ったい奈良の初詣でした(笑)。

投稿: wd | 2005年1月 1日 (土) 23時09分

wdさん、(1月 1, 2005 11:09 午後)
 平成十七年のスタートですね。
 今年もよろしく。

さて、
 鍵善に現在も二階があるのかどうかわかりません。昔は、逆に二階にしか喫茶部はなかったようです。
 河合寛次郎の焼き物が入った飾り棚は現在一階のカウンター前にありますね。
 ……
 何しろ、年一しか行きませんから、30年以上通ってもよくわからないのです。夕方は六時で閉まりますから、よほどのことが無い限り大晦日しか行きません。その日は八時まで開いているようです。
 粟ぜんざい。そうですね、一度はMuも頂きたいです。さすがに、冬のくずきりは、のどごしはよろしいが、冷えは感じるこのごろです(年齢がいくらか影響すると自覚)。

なお、
 大和山辺の道からの景観こそ、古人が選んだことにおいて、洗練の極致であると考えます。三輪山に初詣にめったに行かないのは、あそこは、Muの至高聖地だからであります。誤解のなきように。
 建国の聖地、初國いとちいさく創られたいにしえ人が、いまもMuの目にはっきりとうつるのです。

投稿: Mu→Wd | 2005年1月 1日 (土) 23時39分

写真を眺めておりましたら、来年は戌年なんですね。

無敵の風雪梅安一家のあたり年でんがな。今年は、あまり全力疾走せずに、来年に花が咲くように戦略を変更ですね。

お嬢様の後ろ姿が写真にありましたね。御札かなにかをお買い求めの御様子ですね。

未だ、時間が早いので、お店の人もまばらでしたね。

投稿: jo | 2005年1月 4日 (火) 17時27分

joさん (1月 4, 2005 05:27 午後)
 言葉少なげに申しますがな、そう簡単に戌年とおっしゃらないでください。
 赤いちゃんちゃんこなんですぞ。
 恐怖。

 おお、二十台で一世を風靡し、三十にして行方知らず、を願っておりました、我が人生。
 べんべんと、ようもまあ、生きながらえたもんでござんす。恥ずかしい、と赤面するよ。

 しかし、ここまで来たら、Joさん、恥も外聞も夭折もあらへん、ここんところは、100まで生きましょうや、大手を振って。そうやね、藤原定家みたいな、意地の悪そうな、そういう雰囲気もよろしいな。あるいは、Joさん梅さんは欲張りやから、池波先生描く、剣客商売でっか?

 Muは定家か西行か、はたまたアフリカのランボーか(あれ? あの人は40台か30台でしたかな)。

 えっと、そこなお女中は破魔矢を買っておるようですね。

投稿: Mu→Jo | 2005年1月 4日 (火) 17時54分

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