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2004年12月 4日 (土)

日本・歴史・明治: 明治天皇を語る/ドナルド・キーン

明治天皇を語る / ドナルド・キーン著<メイジ テンノウ オ カタル>.
    (BA61836453)
  東京 : 新潮社、2003.4
  189p ; 18cm. -- (新潮新書 ; 001)
  注記: 大帝年譜: p185-189
  ISBN: 4106100010、680円
著者標目: Keene、Donald、 1922-
分類: NDC8 : 288.41 ; NDC9 : 288.41
件名: 明治天皇

所蔵図書館 76 [2004/12/04 By Webcat]

帯情報

 前線兵士の苦労を想い、率先して質素な生活に甘んじる。ストイックなまでに贅沢を戒めるその一方で、実は大のダイヤモンド好き。はたまた大酒飲みで風呂嫌い……。
 かつて極東の小国に過ぎなかった日本を、欧米列強に並び立つ近代国家へと導いた偉大なる指導者の実像とは? 日本文化研究の第一人者が、大帝の素顔を縦横無尽に語り尽くす。

『明治天皇』では、明治天皇を描くため明治という時代そのものを読み解いていったのに比べ、今回は思い切って「明治天皇の人物像」に話を絞ってみました。初詣で混み合う明治神宮は知っていても、明治天皇陵が京都の伏見桃山[MuBlog記事あり]にあることを知る人は少ないはずです。日本人を今日へと導いたのは、一体どんな指導者だったのでしょうか。
(中略)
 天皇の教育内容、儒教思想が与えた影響など、彼自身に対する興味は尽きません。このような素朴な疑問から読み解くことで、また違った明治天皇を発見することでしょう。(本文より)

目次情報
はじめに --もう一つのライフワーク
第一章 一万ページの公式記録
  完璧な資料『明治天皇紀』
  外国人が見た明治天皇
  言葉遣いは京都弁?
  和洋折衷の暮らしぶり
  大酒飲みで風呂嫌い
  能をこよなく愛す
  英照皇太后
第二章 時代の変革者
  十六歳で突然の即位
  理想の花嫁候補
  ユニークだった美子皇后
  卓越した皇后の手腕
  天皇の幼少教育
  病弱かわんぱくか
  若き天皇への教育
  重要になった天皇の存在
  外国人との謁見
  積極的な外国人との付き合い
  天皇と勲章
  すべては国の繁栄のために
  気にしていた体重
  原点は儒教思想
第三章 己を捨てる
  明治天皇の義務感
  前線兵士を想う
  すべては自分の意志で
  富士をはじめて見た天皇
  京都か東京か
  苦痛に耐えての巡幸
  御真影の謎
第四章 卓越した側近に支えられて
  贅沢嫌いのダイヤモンド好き
  天皇を取り巻く女性たち
  皇子皇女の高い死亡率
  唯一の皇子
  明治天皇と嘉仁親王
  ご落胤の存在
  天皇が好きだった大久保利通、伊藤博文
  西郷隆盛の魅力
  和歌に救われた天皇
  乃木希典は嫌われていた
  人材難の貴族
  薩長閥への疑念 
第五章 天皇という存在
  無関心だった自身の健康
  惜しまれた崩御
  世界の中の日本
  反対だった日清戦争
  明治天皇は象徴的だったのか
  歴史の芯として
おわりに --大帝というに相応しい明治天皇
大帝年譜

Mu注記
 著者の講演が基になっているので、200頁に足らず、読みやすく二時間程度で内容をしっかり得ることができた。
 明治天皇の優れた面、世界の中での彼の立場が広い視野でわかってきた。

 キーンは、当時のドイツ皇帝や、ロシア皇帝に比較して、明治天皇が圧倒的に「大帝」であったと結論づけている。Mu流にいうなら、明治天皇は聡明で意気地があったから、連綿と続いた天皇家と日本国の、過去、現在、未来へ深い責任を感じていたのであろう。この場合、天皇家は「芯」であったと、キーンは終わりに述べている。数えようによっては建国2000年の長きにわたり、「芯」としての立場が洗練し尽くされてきた、その結果として、明治天皇治世45年間があった。

 絶大な権力を持ちながら、それを恣意に行使しなかった英明さ。儒教の華でもあった義務感、克己心、己を棄てるの気持。要するに明治天皇「睦仁(むつひと)」は、当時の日本の置かれた状況をしっかり把握し、私利私欲我執を公の前では徹底的に払拭し、二千年間連綿として続いた帝たるべしと欲し、そして実行した人なのだと、思った。

 考えようによっては、神道にまで言及せずとも、天皇はだれに対しても、威張る必要もないし汲々と我利をむさぼる必要もない。御所がそれまでどれほど廃屋に近いたたずまいであっても、自ら「朕は皇帝なり」と叫ばなくとも、歴史の「芯」として保証されてきた存在なのである。そうであることを、意識無意識とは関係なく自覚し、ただ執務をこなし、臣下の相談にのった。それが世界の中でもめずらしい「大帝」と呼ばれる指導者となった。崩御のあとの国内だけでなく、世界の反響は惜しむ声に満ちあふれていたとキーンは実証する。

 いくつか興味を引いた。
・歴代天皇の中でも、それまで伊勢神宮参拝は、明治天皇をおいて無かったことらしい。
・儒教の師として熊本の朱子学者、元田ナガザネの影響が大きかった。
・乃木希典の戦歴に疑問を持ち、彼の参謀総長就任を断った。
・乗馬が好みで、和歌に優れ、大酒飲みで大食だったが、刺身は受け付けないほど嫌ったようだ。
・大元帥の身ではあったが、想像を絶する窮乏耐乏生活を自らに課していた。理由は常に、兵達はそういう待遇を受けられないから、だったらしい。
・侍従達の前では随分ヤンチャな面もあり恐れられていたが、公の立場では恐怖政治とはほど遠かったらしい。この点でも、キーンはドイツ皇帝やロシア皇帝の資質と比較して、明治天皇の公平さ、英明さを詳細に述べている。

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コメント

 ドナルド・キーンには教えられます

 この本は是非読んでみたいと思いました。中でも(京都か東京か)の章は読みたいですね。我が還都論にも必須なアイテムのようです。

 実は瘋癲老人日記に興味を覚えたのは彼がNHKの番組(懐かしい日本人?)で谷崎の瘋癲老人日記をべた褒めしていたのです。鍵よりもいい、何故かというとヒューモアがある。西洋ではヒューモアがないと文学としては認められない、てなことをゆってました。そいでヒューモアて何やろな、日本語でいうと、軽みみたいなニュアンスとちゃうやろかと早速本屋さんに走り文庫本で(瘋癲老人日記)読みました。

 驚きましたね。いえ、何で驚いたかと言うと、送り仮名が全部カタカナなんです。例えば瘋癲老人日記の出だしはこうです。

 一 十六日。・・・・夜新宿ノ第一劇場夜ノ部ヲ見ニ行ク。
おやっ?と思いました。数ページ後に例の当方が一番驚いたハモのシーンが出てくるのですが、以下のような調子です。

 「梅肉ダケ別ニ取リマショウカ」
 「ソレニハ及バナイ、コレデ結構」
 颯子ハタッタ二片ダケシカ食ベナイノニ、梅肉ガ、ワリニ穢ラシク喰イ荒サレテイル。女ラシクナイ食ベ方デアル。或ハコレモワザトデハナイカト思フ。

 鍵も男の日記はカタカナ表記ですね。女性のはひらかなです。その同じカタカナ表記なのだけど鍵で読みづらかった点を老人日記では読みやすく工夫しています。70歳を過ぎた文豪谷崎がそこまで努力しているんですねえ。文豪といわれる人でもいろんなタイプがありますねえ。

 実はそのNHKの番組で近松のことも教えられたのです。曽根崎心中だかのラストでキラリと刀が光るシーンがドナルド・キーンの解説付きで出てきたのです。それで文楽に強い興味を覚えました。谷崎も文楽もアメリカ人に教わったちゅうことになりますね。

投稿: ふうてん | 2004年12月 4日 (土) 17時10分

ふうてんさん、 (12月 4, 2004 05:10 午後)
 キーンのこの新書はよいですよ。新潮新書の、創刊号なんです。
 あそこは長く文庫と選書だけでしたよね。
 れいの、養老さんの、馬鹿がどうしたとかで馬鹿売れしたシリーズです。

 ながらく「大帝」の呼称実態をしらなかったんですが、キーンによって、わかりやすく解きほぐされたました。
 激動の時代に即位したから、その流れをおぼれかけながらも、だんだん泳ぎ切り、ついには陸にたどりついた、そんな感がしました。
 要するに、明治さんはひとつひとつの過程を、体験されたわけですね。

 明治天皇は地方の小学校なんかで、好きな天皇を子供に聞いたようです。6人ほどいて、たしか、景行天皇、・・・だったです。また、たしかめておきます。おもろいお上とも、申せますなぁ。

 谷崎潤一郎さんについては、梅さんに一提言。
 Muは谷崎さんが好きですが、あの方の趣味が日本の深奥とは思っておりません。陰影礼賛を、以前およみになりましたね。しかし、陰影礼賛は、理がまさるところがあります。理屈なんです。機械仕掛けの美学といえば、三島さんもそういうところありました。
 しかしご両人とも、才能豊富でしたから、いくつかは、理をつきぬけていたと、いまさらながら、思うのです。
 ……。
 で、キーンさんは、それに似ています。
 それが、結論。

投稿: Mu→ふうてん | 2004年12月 4日 (土) 18時29分

ドナルド・キーンはん

何度、司馬遼太郎はんから、紹介を受けたでしょうか。対談集とか彼の三島由紀夫さんの公演とか、NHKの番組とか沢山伺いました。

確か京都大学におられたんですよね、文楽へのご興味がとても、おありでしたね。文楽に関する著述を読んだ覚えがあります。そうそう、近松に関しても面白い見方をされて、いました。

日本を愛された方ですね。西洋人から見れば、明治の維新が興味あるんでしょうね。その中で御旗であった、明治帝。

お写真を伺う限り、野性的な感じな印象がありますね。16才で激動の天皇即位。私は貧乏な天皇さまの、私生活が好きです。西洋のように何時も、キンキンキラキラしなくても、天皇の日本の氏神さまの地位には、微動にもしない。

天皇さまといえば、私の父が軍隊時代に、昭和天皇が馬で傍を通過される時に、下馬され、お一人で写真に収まれたものが有りました。父は大事にしていました。

投稿: jo | 2004年12月 4日 (土) 20時46分

joさん、 (12月 4, 2004 08:46 午後)

 梅安さん宛に中途半端に書いた、明治さんが小学生に尋ねた
尊敬する天皇リストですが、こうでした。
{景行、仁徳、後白河、後宇多、正親町、後陽成}
 事績を尋ねたと書いてありますが、別の文脈では、明治さんは、この六人がお気に入りのようでした。
 神武、崇神、仲哀、神功、応神、継体、天智、天武、斉明、……、後鳥羽、後醍醐、と有名どころとは少し異なるのが明治さんの、「気持」の表れでしょうね。
 
 ご学問の筆頭に、北畠親房『神皇正統記』とは、脱帽しました。南朝正閏を、北朝の明治さんがまず学ぶのですから。
 つまるところ、歴史をどうとらえるのか。でしょうね。
 2000年続いたのですから、押さえどころは押さえてあるとつくづく思いました。
 多分、こういうきりっとしたところは、朱子学の影響と憶測します。(朱子学というと、漢心(からごころ)というて、怒る人もおるでしょうね)

 キーンさんは、神道についての言及が少なかったです。
 事情があるのだと思いました。

追伸
 継体天皇事績についても、明治さんはずいぶん興味があったようです。

再伸
 すでに述べましたが。
 伏見桃山御陵で、老人が、土下座している姿を、以前確認しました。不思議な光景でした。
 神仏に祈るような情景でした。
 人の心は、深いようです。
 そして、私はそれを眺めていた。

投稿: Mu→Jo | 2004年12月 4日 (土) 21時44分

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