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2004年12月 3日 (金)

しじょうかわらまち:私の京都;四条・三条・河原町

Muの京都:四条・三条・河原町(京都市中京区)概略地図
  南座顔見世興行
  東華菜館ビル
  出雲の阿国
  三条大橋遠望
  別れの世界地図
  蕎麦 尾張屋(四条店)
  珈琲 イノダコーヒー(本店)

 京阪電車に乗ってぶらりと町にでた。日頃は宇治市木幡の木幡研と、京都市右京区の葛野研を往復するだけだから、こういうことは月に一度もあるやなしや。だからMuには事件である。つまるところ、ぶらりぶらりと歩いて食事をして、書店に寄るだけなのだが。散歩だけとおもったが、時々葛野記で記す鴨川の風情や、蕎麦の美味しい尾張屋や、珈琲のイノダを写真に撮っておきたかった。
 町はすでに、師走だった。

南座顔見世興行

南座顔見世興行
 早朝から6時間も木幡研で仕事をして、急に町に出たくなった。京阪電車の特急を四条でおりて地上にあがった。これが町に出る時の定番だった。
 南座に今年いつマネキがあがったのか知らない。師走だからと思って、見上げてみると勘亭流(かんていりゅう)の文字が整列していた。サワリの絵まである。なんとなく、絵馬と同根なのだろうか、似ている。今年も大晦日まで、一直線という思いがした。

東華菜館ビル

東華菜館ビル
 四条大橋を渡ろうとして対岸の南をみると、いつものように東華菜館のビルがひょろっと見えた。これは大正時代の洋館らしいが、そういうえばMuは物心ついた頃から不思議に思っていた。映画に出てきそうな一風変わった建物だったせいである。大学生ころには、この屋上のビアガーデンに行ってみたいと思ったが、当時は高級中華レストランという印象が強くて、ついに、今にいたるまで入ったことがない。
 伏見の魚三楼もそうだが、若い頃に高級感を持ってしまうと、どうにも、そのままそっとしておきたい気持ちがわく。そうそう。声もかけなかった異性なんかも、その類に入るのかもしれない(笑)。

出雲の阿国

出雲の阿国
 そのまますたすたと四条大橋を渡りかけて、ふと立ち止まった。南座の歌舞伎に刺激されたようだ。四条大橋の東詰めにもどり北側を見た。電車の時にはいつも目に入っているのだが、あらためて見てみると、さすがわ阿國(おくに)らしくずいぶんすっきりした立ち姿だった。左手で刀を軽く肩にあて、右手に扇を広げて腰をふと振ってみる。右足を軽くかかげて着物に曲線をもたせ、そして、帯はまるで現代女性のジーンズのように、腰にひっかけたあでな姿だ。妖艶といってよい。
 映画「梟の城」では河原にかけた芝居小屋が印象的だった。人で桟敷が鈴なりだった。あまりの人気に小屋が落ちたこともあるような。江戸時代になると、女性のこういう艶姿が刺激的すぎて、野郎歌舞伎になったよし。すると、女形(おやま)の登場。人間は、おもしろい。どんな場合にも工夫するようだ。
 さて、この阿國の墓を昔出雲に行ったとき、ビデオに収めた記憶がある。阿國は本当にいたのだろうか? 墓があるからと言って実在を信じてはならない。古代史学の鉄則である(笑)。

三条大橋遠望と鴨川

三条大橋遠望と鴨川
 再び橋を渡ろうとした。しかし、習慣で目を北に向けると三条大橋がくっきりと見えた。水も美しい。もともと、西行するときは確実に橋の右手、つまり北側をわたってきた。これは習慣に過ぎないが、理由のひとつには鴨川と北山を眺めたいという気持ちが常に湧くからだ。
 河原には人影も少なかった。さすがに師走になるとカップルもまれだ。むしろ、一人でじっとしている人をよく見かける。右手の人影は性別もわからないが、鳥に囲まれてすわっている。良い眺めだった。

別れの世界地図

別れの世界地図
 これがあの有名な、世界に冠たる「別れの世界地図」だ。ここで逢い引きすれば、翌朝には別れるという恐ろしい呪術的スポットである。なぜそういう因縁話が生まれたのか、その伝承の根元をまだ調査はしていない。ただ、事例の数々がMuの手元に送られてくる。しかし考えるに、このような安直な場所でデートするという、その軽さ、根性のなさ、いい加減さが速攻別離の誘因となるのだろう。
 詳細な考察は、おって気力をこめて論だてするつもりである。さあれ、これが、ライフワークにならぬことを祈るものである。

尾張屋四条店

尾張屋四条店
 別れの世界地図を早々に立ち去り、高島屋のさんざめきを肩に流し、新京極をすぎるころ、本日定食蕎麦どころ「本家尾張屋四条店」にさしかかる。
 写真は、まず上を見る。確かに本家と書いてある。これは本家、分家騒動か。あるいは都でよく見る、元祖と宗家と本家とのつばぜり合いの結果なのか、Mu不知。これが越後屋なら「おぬしも、悪よのぅ」とつぶやくところだが、尾張屋だからMuは瞬時に写真の中を見る。のれんがあって「営業中」。つまり大抵開店時に入るので、時にしまっていることもある。待てないほどにMuの好物なのだから、通常はのれんがかけ終わる前に入る。しかたない。
 そしておもむろに階段を下りると正面にショーウィンドーがあって、右手が玄関となっている。
 おもうに、町とは、行きつけの、他にかけがえのない店や人の集合なのだろう。

イノダコーヒー本店

イノダコーヒー本店
 天ぷら蕎麦定食(かやくご飯付き)を千円少々でいただいて、さて書店を二店かけ巡った。記す用もないのだが、メモすると、先代旧事記関係の図書だった。情報学や図書館学の図書でないところが要点である。人も半世紀を生き過ぎると、専門領域のたこつぼに安住することは、世間様が、Jo様が許してくれない。視野を広くもって、過去、現在、未来に思いをいたさねばならなくなるものである(苦笑)。
 で、イノダコーヒー本店。
 この店については、またいずれ記すこともあろう。先般は、風雪梅安一家ご一同が立ち寄られ、ひなが談笑した珈琲店である。
 Muはひとしきり購入図書の一章分を読み、三条京阪駅に向かった。
 途中、こじゃれた若者達が闊歩する、今はやりの「御幸町」を通り過ぎた。

参考サイト
  南座
  東華菜館(洋館)、(中華レストラン
  出雲の阿国
  國女歌舞妓繪詞(京都大学附属図書館)
 [縁あって、もう10年以上にもなろうか、Muがある夜、激情にかられて同書復刻版すべてを、木幡研のFM-TOWNSにスキャナー入力し、MOディスクに収めて図書館に納めた。現在インターネットで見られる画像がそれかどうかは不明だが、当時、それほどにTOWNSの能力は他に比較できぬくらいに優れていた。もちろん釈文や、現代語訳、英訳はそれぞれの専門的司書があとで時間をかけて調整したので、Muは不知]

  本家 尾張屋(蕎麦)
  イノダコーヒー本店
  旧イノダコーヒー本店スケッチ (Hiromiさんという方からの提供です。焼失前の貴重なものです)

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コメント

 こういうのを待ってました

 というと嫌味でしょうか。ビートタケシが(この映画を見る為に私は生まれた)と宣伝している評論家をコキおろしていましたね。じゃあその前に見た映画はどうだったんだ?と。その伝でいくと、こういうのを・・・というと叱られるかもしれません。

 しかしやはりいいです。四条河原町、私の京都、という題名にまずグッと来ます。私の京都という言い方は初めてではないでしょうか。あれは誰でしたっけ私の城下町いうて歌ったのは。

 東華菜館は数年前一度だけ行ったことがあります。その日、どうしても鴨川を見ながらビールを飲みたくなりました。ホテルフジタからタクシーに乗って鴨川の上流へと向かいました。鴨川沿いに川を見ながらビールを飲めるという不謹慎な建物、レストランの類は上賀茂神社まで行ってもありませんでした。やむを得ず運転手さんに、しゃあないから四条河原町当たりまで引き返して下さいと頼みました。それで東華菜館にはいって最上階でやむを得ず酢豚かなんかとビールを注文しました。アナログでしたがHi-8ビデオで証拠物件を記録しました。南座は修復のテントで覆われていたように記憶しています。

投稿: ふうてん | 2004年12月 4日 (土) 16時21分

☆東華菜館

 恩師の退官記念パーティーを、ここで開きました。
 行きがかり上、幹事にもなっていましたから、卒業生を集めるのに苦労しました。月の電話代が、数万円にもなりました。幹事は、大変デス・・(涙)。

☆鴨川
 たくさんいる白い鳥は、「ゆりかもめ」ですか?
 「都鳥」との異名もありますね。

☆別れの世界地図
 たくさんの事例はともかく、よくここで待ち合わせをして、映画を見に行きました。
 『二百三高地』『愛と青春の旅立ち』『E.T.』・・・。

 「このような安直な場所でデートするという、その軽さ、根性のなさ、いい加減さが速攻別離の誘因」

 ここを待ち合わせ場所にしたのは、今のように携帯がない時代、暑ければ、寒ければ、「阪急の中で待っててね。」がその理由でした。今は別れのスポットですかあ~~。
 

投稿: wd | 2004年12月 4日 (土) 16時46分

先生、

 私もこの日、四条の辺りをうろうろしてたんですよ。
 会えませんでしたね。残念。

投稿: 羊 | 2004年12月 4日 (土) 17時57分

ふうてんさん、 (12月 4, 2004 04:21 午後)
 ようやく、土曜の夕刻に葛野仕事が終わり、月曜気楽に授業できます。ほっと。ともかく、学生数が多くて、てまひまかかるんですよ。頭はほとんど使わない(笑)。
 課題がちゃんと書いてあるか、名簿順にならべて、丸印を原簿につけて、月曜の90分どういう順番になにするか〜。それが月曜は3つもあるんですぜ。
 と、いうてもしょうない。仕事どす。

 ところで。
 平安京で、こういう記事をいつか書きますね。
 現代京都は定番ルートが3つほどあって、とても大切です。だから、私の京都なんです。平安京は、これから開発していくことでしょう。
 ふうてんさん、つまり梅翁はんは、いつも定点観測ということばで、夕方5時ころ藤田ホテルにお迎えにあがり、てこてこと「めなみ」そこで小一時間、それからポント町をそぞろ歩き、四条小橋のフランソワ、ひとしきり謀議をかさね、ほなさいならと、Muは京阪特急。
 梅翁さん、こういうきまりきまったルートが、なかなかに、よいと思っておりまする。
 というわけで、今度の定点観測日がきたら、またお供します。
 大黒屋そばの水車小屋もよろしなぁ。

投稿: Mu→ふうてん | 2004年12月 4日 (土) 18時12分

wdさん、(12月 4, 2004 04:46 午後)
 どうにも、魚三楼も、東華菜館も先をこされていますな。
 それだけ、WDさんの実生活はきめ細やかに、くらしている証とおもいまする。電話代で5万円なんて、信じられない律儀さです。
 Muが幹事なんかしたら、期日に返事なかったら、そのまま。欠席の連絡なんかあろうものなら、開口一番、「もう、来るな!」ははは。気楽な人生です。

 別れの世界地図は、昔はそういう冷暖房つき、時間余裕システムだったんですね。時代の変化でしょうな。
 また、あそこも変わっていくことでしょう。
 キャッチセールスが激しいです。

投稿: Mu→WD | 2004年12月 4日 (土) 18時18分

羊さん、 (12月 4, 2004 05:57 午後)
 そうおっしゃっていただくと、恐縮します。

 しかし、Muがああいう定番ルートを廻るときは、他の人には姿が見えないと思っています。ものすごゆったりした気分なのに、疾風のように過ぎ去っていくのです。
 もし、知人にであっても、目を合わさないでしょう(笑)。

 ともあれ、町は女性の帝國ですね。女、女、女、ほんとうに日本は、というか人類史においては、女性が文化を創る比率がたかいと思いました。
 Muは、走り去る、のみ。

投稿: Mu→羊 | 2004年12月 4日 (土) 18時35分

私の京都

ふうてん親爺が言われるように、”私の”がいいですね。

小学生の頃から、四条の東華菜館の建物の異様さには、いつも”おかあちやん あれ 何?”と質問していました。

自分が育った故郷、そして今もそこで暮らせる人が羨ましいです。私のように東の方角に移動し、海まで渡り、異国でも暮らす。

最後には、しかし、魚は故郷の川に帰るそうですね。私も晩年をどうするか、Muさんの”私の京都”を読んでいると、ついつい、フラフラとなりそうです。

投稿: jo | 2004年12月 4日 (土) 20時22分

joさん、 (12月 4, 2004 08:22 午後)

『私の京都』は今数えてみたら、わずかに1平方キロの面積に過ぎなかった。唖然。その中に、私のおおよそ半世紀のすべてが詰まっている。良いこと悪いこと、今でもにんまり笑うこと、激情に駆られ呪詛すること。

 我また、京にありき。

 などと、すかした言い方ですが、Muの多くがここにある。
 そして。
 四隅は、三条京阪、四条京阪、大丸、京都文化博物館で守られている、永遠の王城。

 テリトリーは十代から変わっておりませんね。
 寄る店と言えば、書店とパソコンショップと、蕎麦屋と、フランソワ、あと数点の喫茶店。先斗町(ぽんとちょう)と木屋町は年に数回の懇親会、ただしMu定刻21時終了。

 風雪梅安一家は流れ者が多いから、定住は無理でしょうがね、ホテル住まいや別荘としては良いところですよ。旅籠(はたご)となると、ちょっと贅沢すぎるけど。なにしろ一泊五万円を超えるなんてね。

 Muはあと、ひとまわりは葛野と木幡をうろうろしておりますから、葛野研はどうぞ御旅所として、ご自由に。御旅所から四条寺町の尾張屋まではタクシーで1500円どすえ。電車で180円。

 JOさん、京都に変わった店でもだしたらどうやら。金比羅指南車留、なにをする店か誰にもわからない。

投稿: Mu→Jo | 2004年12月 4日 (土) 21時13分

最近は、京都にいい会社がありますね。日本電○とか、稲盛さんの会社とか、ノーベル賞を頂いた会社とか、古くて花札の会社とか・・・。

突然に居を京都に移すかも、知れまへんで。

いろいろ、ありましてね。老人介護の問題とか、ほれ、我々もそのうち訪れるかもしれん課題ですがな。

しかし、この居住の問題は一人で決める事は出来ないのでね。
しかし、お墓をどうするかは、問題やね~。お墓とは本当に必要なんやろかな~~。お参りしてくれる、奇特な人がおらんと、意味がないしな~~。

投稿: jo | 2004年12月 5日 (日) 14時58分

joさんや、 (12月 5, 2004 02:58 午後)
 あんたさんの星の巡り合わせ、一生、人の面倒見ていかはるみたい。
 Joさんに合掌。
 いくら稼せいでも、たまりそうにないね。

 介護とおっしゃるから、Joさんご自身かなと思ったら、そうどすか。ご縁のある方なんですね。
 お墓は、なあ。自宅庭に骨壺いれる塔でもつくったらよろしで。

 都は、家賃も食費もたかいけど、帝都よりは暮らしやすいよ。
 散歩するとこが、たくさんあるしね。
 喫茶店も、飲み屋も、置屋も、ことかきまへん。
 模型屋も、しらんけど、いくつか著名なのがあるみたいやで。
 それに、新幹線も止まるしな。

 Joさんきたら、梅さんもくるかね。
 それにしても、『私の京都』は、団塊世代にはうけたみたいで、うれし。

追補
 私の京都、
 半日うろついての予算は。

 京阪電車往復  600円
 蕎麦定食   1150円
 珈琲      450円
 図書購入   4000円
----------------
 しめて    6200円也
(外に出ると、お金かかるね)

投稿: Mu→Jo | 2004年12月 5日 (日) 15時34分

今日は富士山が綺麗にみえるんやね。風が強いから雲を吹き飛ばして、ゴミも吹き飛ばして綺麗に見える。

しかし、ホンマ館としては最高にいい場所におる。霊峰富士をいつも眺めて、合掌できるんやからね。

外に出ると、金はいる。しかし、本代が4000円が贅沢やね。少し、我慢しなされ。蕎麦定食もやめて、蕎麦だけにしなさい。

しかし、これが梅安さんだと、これに、酒代が追加されるから金がかかるな~~。だから、外には出ない事やね。

私のように、千葉の印旛沼に行けば、お店があらへん。おにぎりとお茶を飲んで、油にまみれて、沼にボートを浮かべて、帰るので金がかからん。洗濯が大変らしいけどね。

人の面倒を見れるうちが、華やね。そのうち、面倒みれなくなる。

投稿: jo | 2004年12月 5日 (日) 16時07分

joさん、 (12月 5, 2004 04:07 午後)
 いま一風呂あびたとこです。
 M1君に用意してもろてな、ハーブ系の粉をさらさらとまぜて、顎までつかって、よい気分だす。
 日曜の夕方風呂が一番落ち着くね。
 あとは、新選組みて、書けたら木幡記かいて、極楽浄土の夢の中。
 憂いは? 憂いはありすぎて、中和されて、憂いなし。
(Joさん、憂いという意味わかるよね。最近の若いもんは、これが嬉しいに見えるみたいでな、どもならん)

 霊峰みての日々のおつとめ、横浜もよろしいようで。

追伸
 Muの浪費6200円に指導が入ったようで、いささか弁解。
 図書費4000円は、まあMuの職業柄の必要経費ですな。情報図書館学とか情報学は、あらゆる学問、知識、情報の基盤を支えるものでして。各分野で知識情報をどのように扱えばよろしいかの、基本の基本。さすれば、一応、入り口だけでもこの「世界総体」を把握しなければならんのです。
 歴史学者じゃないから、ヒミコの我が国における政治体制の意味や、あるいは考古学のように、三角縁神獣鏡の正確な成分組成分析や断代まではしなくてよいけどね。ヒミコと聞いて「それなに?」とか、マルチメディアと聞いて「なんだすね?」とか、遺伝子情報ときいて「胃電視どすか?」では、困る。

 必要最低限のことは、少なくとも、身につけないとね。そうやね、中学生程度には、この世界を把握しないと、情報とか知識とかをあつかえないでしょう? それには、図書がもっとも効率的に世界を把握できるツールとなる。
 紺屋の白袴。
 購入するのはね、付箋やらマーカーを駆使しないと、なんも頭に入らんし。図書館の本に、そんなことするのは、犯罪やから。

 次に蕎麦定食1150円ですが。
 これをもし、単品の天蕎麦にすると、なんと1200円くらいになりましてな。その分、大きいエビが二つつくけど。我慢して、サービスメニューにしとるのです。
 さらに珈琲ですが、450円というのはブレンドでして、これをモカとか、キリマンジャロにしたとたん、550円から700円くらいになるのだす。
 まあ、食べるな、珈琲飲むなと、きつい指導が続くなら、はあ。
 立ち食いそばで200円、缶コーヒーで120円。
 してみると、いっきに、4620円になりますね。2千円うく。
 しかし、そんな計算するとふらふらになって、寝込んでしまうです。木幡研の布団にうずくまっていたら、電気代ですむけどぉ。

 そうそう。
 梅翁との場合は、本代が割り勘代に代わって、せいぜいフランソワでおごる程度ですから。あんまりかわらん。

 JOさん、つらつらおもうに、過日は帝都六本木での、ご招待。切実に感謝しとります。上記のような、つつましい生活者Muにとっては、王侯貴族の待遇でありました。

投稿: Mu→Jo | 2004年12月 5日 (日) 17時04分

☆別れの世界地図

京都に住んで、約半世紀ちかくになりますが、これは知りませんでした。川原では、流されるということからでしょうか。もっと早いこと知っておくべきでした。

☆印イノダコーヒー本店

ずいぶん前に行ったことがあります。MuBlogでビール飲まれたことを知りました。イノダと言えば京都では知られたコーヒー専門店ですが、よく売ってくれました。今度挑戦してみたいです。

京都以外は東京に2年間ほど住んだだけですが、やっぱり京都はよいとこです。東京から早く帰りたくて困ったものです。
(東京の方には申し訳ありません。)


投稿: hisaki | 2004年12月 5日 (日) 19時54分

hisakiさま、 (12月 5, 2004 07:54 午後)
 別れの世界地図に関しては諸説あるようですが、たぶんに年齢制限が最大20半ばまで有効と、我らにはもはや無縁の話でござりまする(笑)。

 いわゆる本格喫茶店で酒類を注文するのは、我ら一党の一部の悪癖でござる。梅翁と名乗る者にいたっては、どこであれ、ストレートを堂々注文して恥じませぬ。しかし、梅翁に語らせると、ウィスキーと珈琲の組み合わせこそ、至高のことのようでありまする。

以上、新撰組を見終わってすぐのコメント返しにて、多少日本語が新旧おぼつかないまま記しました。

投稿: Mu→hisaki | 2004年12月 5日 (日) 22時04分

はじめまして、ほかもどりさんのところから来ました。hiromiといいます
私は京都旅行のときの常宿が四条にありました。一日の観光を終えて、ホテルでひと休みしてから、ふらっとジュンク堂に行って、京都の本のコーナーで知識欲を満たすひとときが大好きでした。今は、妊娠、出産、子育てと・・・長く京都に行けないでいるせいか、四条とか河原町という文字を見ると、ホームシックにかかったような、なつかしい気持ちになります。
私が描いたイノダコーヒー本店の火災前のスケッチがあります。よかったらどうぞ。
http://www.interq.or.jp/green/hawaii/sho-kyo.html

投稿: hiromi | 2004年12月 5日 (日) 23時15分

hiromiさん (12月 5, 2004 11:15 午後)
 はじめまして、コメントありがとう。
 イノダの焼失前のスケッチを拝見しました。
 他のスケッチや記事も、今朝、少々ながめてみました。

 京都好きの方にコメント頂いてうれしいです。
 実は、私もうまれは福井県で、流れ者です。
 流れ者の方が、地場のひとより、大事に思う傾向がありますね。
(百姓だった近藤勇が、最上の武士以上に、武士の気持ちをつらぬいたのと、同じかな?)

 イノダの昔は覚えています。いまよりも古色蒼然としていて、その時代の雰囲気がありました。
 しかし、今は今。また、よいものです。
 それほど通い詰めじゃなかったから、スケッチを現在のものといわれても、Muには区別はできないようです。

追伸
 最近、写真の表現力を、あらためて、人さんのサイトで実感しています。しかし、今朝は、スケッチの表現力にも驚いています。一目で、この一連のスケッチが気に入りました。ありがとう。

投稿: Mu→hiromi | 2004年12月 6日 (月) 05時37分

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