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2004年11月11日 (木)

日本・歴史・古代:崇神天皇/肥後和男

崇神天皇 / 肥後和男著<スジン テンノウ>. -- (BN03185939)
  東京 : 秋田書店、1974.8
  244p ; 20cm

注記: 巻末: 天皇家系図
著者標目: 肥後、和男(1899-1981)<ヒゴ、カズオ>
分類: NDC6 : 210.3 ; NDLC : GB161
件名: 崇神天皇(前148~前30) ; 日本 -- 歴史 -- 古代
所蔵図書館 20[2004/11/11Mu調査]by Webcat

帯情報

日本上代史
最古の天皇

実在した最古の天皇とその時代像

古事記、日本書紀を中心に、中国側史料を駆使し、民俗学、考古学などの広範な知識をもってトータルな上代史を再構築し、そこに君臨した崇神天皇像を解明する


目次情報
はじめに
崇神天皇とその時代
  崇神とミマキイリヒコ
  邪馬台国とヤマト
  崇神天皇についての史料
  崇神天皇の時代
崇神天皇と大物主神
  崇神天皇の家族関係
  神々を祭った話
  モモソヒメとミマキイリヒコ
崇神天皇と国内統一
  国内統一の進展
  天照大神と大国魂の神
  出雲との関係
  筑紫と毛野
  海外との関係
  経済の発達
  むすび
付、天皇家系図・崇神天皇関係系図

著者略歴
 肥後和男(ひご・かずお)
 明治三十二年に茨城県に生まれる。京都大学国史学科卒業。東京文理科大学教授を経て現在[1974]、同大学名誉教授。文学博士。日本古代史専攻。
 主な著書に「日本神話研究」「神武天皇」「崇神天皇と卑弥呼」「天皇史」などがある。

Mu注記
 文章及び論旨が明快で、読みやすく滋味がある。二十代に数度読んだ。現在(2004秋)再読中だが、示唆にあふれた箇所が随所にある。たとえば、p.136(モモソヒメとミマキイリヒコ)でこんな文があった。
「三輪の神を巨大にしたのは、山そのものがもつ威容ではなしに、むしろこれを象徴としてうちたてた宗教的人格であったとすることもできる。その意味ではモモソヒメの内証そのものが大物主であったと考えられる。」
 思い切った書きようだし、このあたりの全文は、本当に刺激的である。Muはかねがね三輪氏のことが不明瞭に思えていたが、私がそう思う理由なども、きっちり書いてあった。つまり、三輪氏にはあの大物主神やヤマト・トトビ・モモソヒメの神霊・呪力を斎き祀る、そういう力が見えないのである。祀るにはそれに対応できる家の資質や、能力が必要である。強力な神の近くにいるということは、並大抵のことでは無かろう。それにしては、三輪氏はあっさりし過ぎている。なんとなく公務員という印象があった。

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コメント

肥後先生は古代史、民俗学では巨星ですね。

確か、学生時代の日本史か何かの教科書も監修されていたような、ぼんやり記憶があります。確かでは有りません。

先生の名前は有名ですし、著作物も沢山ありどの本に触れたか記憶が曖昧です。しかし、これから図書館で借りて読みますかね?

確か、肥後先生は卑弥呼はヤマトトトヒモモソヒメ説ですよね? 宮座の研究から氏神様は氏子が輪番で守る習俗から、三輪氏も氏子の一人と捉えたんでしょうかね。

投稿: jo | 2004年11月12日 (金) 10時27分

JOさん
 肥後先生は、同著で、モモソヒメを崇神よりも年長の、すぐれた呪力を持つ、異能の方ととらえていますね。
 今日の、今の時点では、卑弥呼=モモソヒメという図式よりも、ヤマト・トトビ・モモソ・媛命その方に気持ちが深まっていきます。
 伝承では箸墓が彼女の墳墓。三輪山の間近で、人が住みそうなところに堂々と280mの巨大な姿を見せておる。
 真東には檜原神社があり、その奥には兵主神社もある。真西は、鍵・唐子を飛び越えて二上山がある。
 これだけの立地のなかで、あの墓がモモソヒメさんの墓という伝承があるなら、もう、普通の神経ではたえられないほどに、強力無比、日本国の創立に関わるほどの衝撃的な意味を持っていると、思うのです。

 モモソヒメを卑弥呼比定するよりも、モモソヒメとはいかなるお方だったのか、その点をあからめることは、不肖Muの生涯仕事になるでしょうね。
 そして、出雲との関係(笑)。
 まことに、人生は短い脳。JOさん。

 いまや、JO基金三輪山探検隊創立の潮時でしょうな。NHKでも民放でも、どこでもよろしから、例の○○男爵の離れ業を、みせてくださいな。JOさんや。

投稿: Mu | 2004年11月12日 (金) 12時12分

何時かblogで記事かコメントしたでしょう。崇神さんと和邇坂での情報収集と木津川での大戦争。あれを、予測したのは、モモソ姫やね。

巫女として、又、各地の豪族を配下においていたんやね。壬申の乱の時も箸墓にお参りして、必勝祈願を大海皇子側はしていますね。

戦国時代には箸墓の上に城を築いておったらしいね?不埒な奴がおるもんやね。是非、考古学調査をさせて貰えないかね?

jo基金はあかんな、火宅の人やさかい扶養家族が多くて埒があかん。

投稿: jo | 2004年11月12日 (金) 12時46分

JOさん
 箸墓の通史が必要やね。
 ええテキストあったら教えてください。

 それと。「火宅の人」という単語は、Muはすぐに、檀ふみさんのお父上、檀一雄さんを思い出すから、なぁ。
 ……扶養家族が多いから、「貧乏」でよろしな。
 お互いに、赤貧洗うがごとし。と、おっしゃりながら、ええ、ワイン飲んではりますね。わたし、伏見の無料の水ですよぉ。

投稿: Mu | 2004年11月12日 (金) 13時03分

貧乏といえば、『傘張り浪人』の親爺はどうしてるかな~~?

先日、ロシナンテでMuさんを箱根、富士五湖観光に誘てはったな~~。ガソリン代は大丈夫なんやろか?

そうそう、来週大阪へ出張どす。夕方から、夜の仕事なんやね。

投稿: jo | 2004年11月12日 (金) 13時12分

JOさん
 大阪きてまで夜のお仕事ですか。
 大変ですね。
 躯にきいつけてください。

 肥後先生の読書感想は後日に掲載します。
 30年前の図書とはおもえないくらいに、新鮮ですよ。コンピュータで30年前を語ると半ばお笑いですが(紙テープつぎはぎしてプログラミングしたなんて、今時のわかいもんは、想像絶して、笑って吹き出しますよ)歴史や文学は、寿命がながいね。

投稿: Mu | 2004年11月12日 (金) 15時14分

それは、肥後先生は1800年の歴史の長さで仕事された訳ですから、30年位は誤差やね。コンピュータの歴史は未だ40年程度でしょう?

しかし、三輪山の廻りの奈良盆地が湖で覆われていた頃に集落が出来た。ここは、交通の交差路でしたからね。(ツバ市)

水が引いて、縄文の時代が終わり稲作が伝わる。始めは、簡単な水田工事が必要ない、棚田が始まった。

そして、鉄の鍬、鋤の類の鉄器農具が大陸より伝わり、飛躍的に低地の明日香一帯の水田が開発された。

三輪山の大物主の神はこの悠久の歴史を眺めておられるんやね。

投稿: jo | 2004年11月12日 (金) 16時00分

「三輪山の大物主の神はこの悠久の歴史」
 たしかに。
 ただ、{九州 出雲 纒向(まきむく)・三輪 伊勢}
 この関係がいつもすっきりしない。
 各論をよむと、あっちへふらふら、こっちによろよろ。
 この数十年ずっとそうでした。

 {出雲|ヤマト|伊勢}著名神社がこの三極鼎立。
 そして、天皇さんは、いつも各社を大事にしておられるらしい。
 西郷信綱さんを読み直せばすっきりするのだろうか。

 このところ、毎夜モモソヒメさまが枕辺にたたれて、Joさん、MUは困っておるのです。夜中にぱっちり目が開くし、狭い部屋はところせましと、古墳の三輪の大物主の、邪馬台国のと、日頃はひっそりかくしておいた図書が散乱し、足の踏み場もなくなり、記紀や古語拾遺や中世神道、だれでもわかる神道、みんなわかる神主さんのこと、巫女装束の入手法(笑)、もうてんやわんや、めちゃくちゃでござる。
 Muはどっかの国史の院にでも入って、意地悪で根暗らな古典的教授にさんざん油を搾られないと、この古代史好きはやまん。日常生活に支障をきたしてきておるぞ。

 以上は、ほんまです。

投稿: Mu | 2004年11月12日 (金) 22時20分

 最近、弥生期の鉄器の欠乏が大和にみられ、
それが、朝鮮半島から来る鉄を北九州が封鎖していたという説をよく見かけます。
 私は島根県なのですが、地方紙は毎週のように山陰の考古学成果を論じ、大和へ鉄を供給した重大拠点が出雲であるとしています。
 鳥取県の妻木晩田遺跡や島根県の安来の遺跡群で特に鉄が発掘されているらしく、個人的に驚くのは安来は今でも鉄鋼生産で有名な工場があり、古代からの連続性に感動してしまったりします。ひょっとして大物主神もそのような鉄を大和に
もたらした神で出雲と通ずるところがあったのではと思い始めています。

投稿: 黄銅 | 2006年3月 5日 (日) 23時30分

黄銅 | 2006年3月 5日 午後 11時30分

 初めまして。
 お説では、出雲と巻向・三輪とは鉄・道で結ばれていた。事情は北九州が鉄の供給を止めたから、ということですね。
 だから、大物主さんは「鉄」神さんだったかもしれない。
 はい、気持ちよく分かります。

 三輪の北麓に、穴師があって、そこに兵主神社があります。位置は古代から多少ずれますが、近所ですね。その神さんは、食事の神さんとも聞いていますが、いつの時代からか兵主とつけたのだから、なんとなく鉄器武具をイメージしております。

 あと、蛇さんは、八岐大蛇で、灼熱した製鉄の象徴説があります。
 ……
 いろいろ大物主さんについては諸説耳にしますが、出雲との絆は切っても切れません。それが「鉄」というイメージは、お話でくっきりしました。ありがとうございました。

投稿: Mu→黄銅 | 2006年3月 6日 (月) 07時39分

>王道さん
 それって昔、NHKのプロジェクトXって番組で古代製鉄法たたら製鉄を復活させた場所のことでしょ?
 ああいった番組は技術立国日本には重要な放送だと思うので、またNHKさんでも企画してもらうとありがたいですよね。

投稿: 佐久佐 | 2007年8月31日 (金) 00時33分

佐久佐さん
 「王道さん」→「黄銅さん」と、おもいますがぁ。

 たたらのことは、以前気になって、記事を記しました。

http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/03/0503291.html
「0503291・たたら製鉄:千年の秘技」

投稿: Mu | 2007年8月31日 (金) 07時31分

 ああ、それは日本美術刀剣保存協会と日立金属が日本刀の原料となる玉鋼(和鋼)の製造のため、たたら吹きを復活させた話だったと覚えております。

投稿: 北田 | 2008年7月15日 (火) 02時26分

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