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2004年11月10日 (水)

『豊饒の海/三島由紀夫』の課題

 さきほど、この九月に脱稿した「天人五衰論」を別途掲載した。
 このことについては、二三、MuBlogでも述べていたのだが、あらためてメモを残しておく。
 要するに、『豊饒の海』全四巻を各巻にわたって可視化し分析するだけで、四年間かかってしまった。遅くもあり、丁度よいとも思っている。一気呵成にするのが正しい場合もあるが、今回は四年という時間をかけた。それは詳細を究めるためとはおもっていなかった。楽しみを残しておきたかった、というのが本心だった。
 20世紀末から、テキスト(小説や学術図書の全文)の重要語を位置付きで抽出し、それを可視化する実験を行ってきて、それはとても単純な考えなのだが、文章の流れ、構造を露わに見せてくれるという確信が当初から有り、いまでは当たり前のことと思うようになってしまった。
 だから、豊饒の海という名作を、とんとんと手際よく分析するのが、もったいないという気持ちに襲われてきたのである。
 各巻ごとに分析し終わった私の中では、すでに『豊饒の海』は、若年時に味わったものとは、ひと味ちがった作品として眼前にある。とくに一巻と二巻との照応の堅固さ、華麗さはあらためてしっかりと、これこれこういうことで、といえるほどまでに、そしてそれを図示できるほどに明瞭になった。
 三巻と四巻とは、三島が嫌った、そしてなお同衾した戦後の昭和らしく、その一種の腐臭を上手に退嬰的な雰囲気として伝えている。そのことで、前二巻と後二巻とには断絶がある。しかし後者の『暁の寺』と『天人五衰』は、なくてはならなかった。それなくば、最終巻最終段落、月修寺での愕然とした結末が生きてこない。その結末があってこそ、その「しんとした」想いが冒頭『春の雪』に光の矢となって、駆けめぐっていくのだった。

 すでに、掲載した箇所(「テキストと情報学」)では、この件に関する私の二つの課題を提示した。いくばくかの時をかけ、後始末をしていくつもりだ。このメモは、そのための一里塚というか、一休みである。
参考サイト
  『天人五衰』の分析終了(MuBlog)
  三島由紀夫文学館(MuBlog)
  『天人五衰』の小説構造可視化(2004)「テキストと情報学」
  

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コメント

文学の可視化を情報処理技術を使い、挑戦するのは世界で何人くらい研究者はおられるんですか?

少し、真面目になるけど私の本職は”経営の可視化”なんです。会社という生命体の活動をお金の動きを通して、リアルタイムに可視化する仕事なんですね。

しかし、儲かるか儲からないかという、もっと利益を出すにはどうすれば良いかという命題は簡単なんですね。

それに、引き換えて文学の世界では何を可視化するのか?作品を読んでいる人間の感動とか共感とか、諸々のパラメータが有りますよね。その因子を作品と関係ずけ分析するんでしょうか。

先生の挑戦されている分野はパイオニアとしての位置にあるんでしょうか?それとも、分析手法そのものが独創的なのでしょうか?

文学も素人、この分析手法の世界も素人にとり先生の長年に渡る研究は私は今まで、あまり聞いた事が有りません。

大変な、パイオニアとして研究されているんと違いますか?済みません素人が学問の専門領域に軽率にコメントするのは、憚れますが済みません。

投稿: jo | 2004年11月10日 (水) 22時27分

 山中湖へのドライブ

 三島由紀夫記念館は山中湖にあるのですね。ロシナンテが我が家に来てからの4年間、月に一回は山中湖に通いました。4年間で、一年12回×4=約50回通ったことになります。

 東京方面から山中湖へ車で行くには2つのルートがあります。東名から攻めるか中央高速から攻めるかの2つです。東名から攻めるのがお勧めです。大井松田の坂を登り切ると、突然目の前に巨大な富士山が姿を現すからです。お祭り、という気分になれます。帰りは中央高速がお勧めです。山中湖から河口湖まで富士山を周遊して、さて帰ろうか、お祭りも終わったし、と緩やかな下りを東京まで静かに走れます。

 山中湖は富士山の裾野に位置します。三島由紀夫も富士山は好きだったのでしょうね。三島由紀夫記念館の対岸にいいホテルもあります。そこからの霊峰富士の眺望は最高です。

 一度ロシナンテでご案内しましょうか。季節は5月が最高です。東名御殿場で降りてワインディング・ロードを登るんです。新緑のトンネルがあったりしていいですよ。シートが2つしかないから二人でよければね。屋根がないから雨合羽でも用意してね。

投稿: ふうてん | 2004年11月11日 (木) 01時11分

その1
JOさん
 難しい質問ですが、やがて答えていかないと駄目なので、少しずつ考えて答えていきます。

 一つ言えることは、科学には科学の規範というものがあります。分かりやすく言うと、公式のグランドで走って計測したのと、そこらで走って計測したのとでは、科学村では重みがまったく異なり、後者は意味が零に近いでしょう。
 かといって、公式のグランドで走ったふりをしても、トンデモはトンデモであって、いつか嘘っぽいと思われ、やがて嘘になるものです。ここらの科学史は普及教科書をみているだけで、おもしろい。

 JOさん、私の研究は、みすぎよすぎのものじゃない。
 世間や科学村に対する、つじつまあわせのものでもない。
 私が私の方法論で、どこまでそれをもたない私に
 比べて、持った私が視野を広げ、世界を新しい目で、
 みられるようになったのか、そこが大問題なのです。

 一般に研究職も稼業ですからどうしても下世話な世界観
 から見ることが多いです。
 それを見過ぎ世過ぎの世界と言いたい。
 肩書きがとれたり、死ねば終わりの世界。
 死ぬまで、私がどう感じ、世界を味わったのか。
 そこが大切なのです。
 しかし、信仰ではない。少なくとも再現性をともなう、
 明瞭な方法論を持っています。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 02時37分

その2
JOさん

 さて、可能な範囲で今、感想を記しておきます。

1>文学の可視化を情報処理技術を使い、挑戦するのは世界で何人くらい研究者はおられるんですか?

<=分かりません。文学に限れば、私は日本の文学を対象にしていますから、ほとんど、まだいないと思います。共同研究者の方が属する社会学系では、その周辺に数名若い人たちがいますが、「文学」をテキストの特殊なものとして扱う方向なので、私とは異なります。
 私は、「文学」のために研究しています。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 02時40分

その3
JOさん

2>それに、引き換えて文学の世界では何を可視化するのか?作品を読んでいる人間の感動とか共感とか、諸々のパラメータが有りますよね。その因子を作品と関係ずけ分析するんでしょうか。

<=もろもろのパラメタの要因となるものを仮説化します。その大きなものが、作者の概念群によって構築された(例えば、小説)構造ですね。小概念ひとつひとつが、なんらかの感性や知性を励起させる素でしょう。その素の組合せや、時系列のならびが、構造だとしています。そこまでをシステムが「重要・用語」によって可視化させます。

 その可視化されたパターンの解釈が私の一番大きな仕事要素です。

 私はそのパターンを見て一定の解釈を施します。
 その解釈内容は、作者に対するわたしの「了解」「うなずき」です。その了解を、他者が共有できるくらいまでになったとき、すなわち他者が了解したとき、私のシステム(KT2)と、その適応は完了します。

 その前段階までは、だれがやっても、再現性をともないます。
 「了解」部分は私という、文学批評家のひとつの解釈であり、他の者が解釈すれば、別の「了解」が生まれるでしょう。

 私はレントゲン医師としてテキストからパターンを可視化させます。それは客観性があります。だれがやっても、おなじようにやれば、同じ結果(レントゲン写真)ができます。

 それを同時に医者でもある私は評価します。診断します。病名や健康さを判定します。他の医者もそうするでしょう。いろいろな判定がでるかもしれないし、一致するかも知れません。
 他者は、好みの診断内容を取ればよいと思います。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 02時41分

その4
Joさん

3>先生の挑戦されている分野はパイオニアとしての位置にあるんでしょうか?それとも、分析手法そのものが独創的なのでしょうか?

<=テキストの可視化は、グラフィック表示が出た頃から、さまざまにあるでしょう。重要語を、テキストの時系列にそって可視化した論文を私は明確に知っております。(N研で、知りあった人が昔やっていました、1990年代半ばです)

 強いて申せば、簡便に三次元等高線図を応用したのは、私が初めてだと思います。ただ、それは大きな意味を持ち、同時に、他愛ないことです。だれも水を恐れて入らない中に、たまたま丸太があったから、それにまたがって、海か川にでた程度ですね。

 分析手法は、すでに「了解」部分で固まってきています。定番の(レントゲン写真)診断は、もう6年分くらいの実績を持っています。

 今夜は、この程度でしょうね。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 02時42分

ふうてんさん
 極早朝(深夜だね)から、山中湖から見た富士山の3D地図を描こうとして何度も地図ソフトをさわったが、どうにもいいのが描けない。
 で、いまから授業なので、コメント返しは午後にでも。
失礼しましたぁ〜

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 08時32分

その1 返信

大事な話なので、正確にMuさんの『主文』を理解したいと思います。理解方法が正しいのか、誤解しているか、曲解しているか正して下さい。

・研究の目的
ー大学教授という肩書とか、研究成果でノーベル賞を取ろうとか、虎ノ門方面の利益追求の会社に売りつけようとか、俗世間の諸々とは関わりのない、純粋なる文学を楽しみたい一個人として情報処理技術を文学を楽しむ為の道具として利用出来ないか?

ー情報処理技術という科学の世界の道具を利用するので、分析方法とか与件であるとか環境条件とか飽くまで、再現性のある純粋科学の厳しい条件を自らに課する。あらゆる、科学的批判に耐える手法を使う。

ー目的は『私が私の方法論で、何処迄それを持たない私に比べて、持った私が視野を拡げ、世界を新しい目で、みられるようになったか』である。

(jo感想)

・私は商売という俗世間で情報処理技術を使い、パッケージを開発し、そしてそれを、どう個別企業に適用するかコンサルの人間を投入し、透視経過をどう判断すれば良いのか?
それで、食い扶持を稼いでいる。

・Muさんの動機と志は理解出来ました。情報処理技術を使い今迄以上に新しい発見と楽しみを見いだす事にあるんですね。

これは、『なるほど、そうか』『やっぱり、そうか』、『それは知らなかった』という経営者に私が商売でやってるのと、近いです。

・Muさんの長年に渡る研究を、友人として最大限理解したいと思います。それには、自分で判る範囲で、自分が得意な分野に変換して理解しようと、しています。これは、正確ではないでしょう、しかし、私は何時もこの手法で理解らしきものに、迫れると考えています。

投稿: jo | 2004年11月11日 (木) 10時13分

その2 返信

『文学』の為に研究してる人は、日本ではおらんそうやね。

と、言う事は『パイオニア』という事になりますね。パス・ファインダー、西部開拓者、という事ですね。

しかし、絵画の分野では西洋も日本でも科学技術を駆使して科学的に研究されていますね。NHKでは源氏物語絵巻とか狩野派の絵画の分析が報道されていました。

何で、文学の世界には今迄それがないのでせうか? 文学とは何なんやろか? 何で読むと感動するんやろか? 何で、読む人により異なった感想が生まれるんやろか? 何で、人により感想が異なるのに、名作と言われるものがあるんやろか?

作家と言われる人が、意識してもしくは無意識に創作された物を読む人と含めて、科学的に分析する基本的な手法とかツールとかもっと研究されていいのでは、ないでしょうかね。

投稿: jo | 2004年11月11日 (木) 11時27分

その3 返信

この部分がシステムの仕掛けであり、コンサルの核心に迫るところですね。

小説を小概念の塊と捉え、時系列で分析し可視化する。何を小概念と設定するか、何を重要な文字及び文字列と捉えるかは、システムを使用する解析者に任される。

そして、可視化された物を、分析するところが肝心である。可視化されたデータを分析して得られた結論に対して、阿呆のjoでも同意出来るところ迄、導きだされた処で終了する。

(jo意見)

・企業分析は私の師匠の山田先生の得意の分野です。企業活動を通して実行されるプロセスをお金という価値尺度で捉え、無意味に見える数字の膨大な帰結から、関連性と法則性と会計学、経営学から見て病気部分と健康部分を見つけ出し、経営者及び投資家とか第三者に開示する。

・可視化されたものをどう分析し、判断するかがコンサルタントの仕事です。そして、第三者の了解を得れてお金が頂ける訳です。何か、似てない?

・似てないのは、儲かるか、儲からないか、将来儲かるか、もっと儲かる為にはどうするか、と儲けの話と生命の存続性に目的があるという、単純な事が違うね。

・文学は複雑ですよね、映画にも加工出来るし、舞台にも加工出来るし、もっと、プリミテイブなところが有りますね。

投稿: jo | 2004年11月11日 (木) 12時30分

その4 返信

三次元等高線図は面白いですね。地図を描く訳ですね。

そう言えば、小説でも『山場』といいますね。

たいそう、苦労されて手さぐりで開拓されておられるのが、伝わります。プログラムも直ぐに作る事が出来るのが、強いですね。

映画監督は小説を読んで、可視化している巫女さんのように思われて来ました。巫女さんは神の声を可視化して人間に伝えるインタープリータですよね。

違うかな? 映像メデイアにインタープリートしようとすると、新しい才能が必要やね、この人も創造してるんやね。
という事は小説の読者は皆さんが才能ある芸術家で、自分のコンピュータ脳でインプットされた小説を変換して創造して自分を自分が創り出した映像の世界に没入させているのかもしれませんね。

投稿: jo | 2004年11月11日 (木) 13時21分

ふうてんさん
 今朝方はコメントありがとさん。
 三島さんの第3巻『暁の寺』では、主人公本多さんの別荘とか、慶子さんの別荘が、たしか御殿場にあるんですよ。

 三島記念館対岸のホテルからの見晴らしはよさそうですね。ロシナンテの息があるうちに、という思いがつよいですが、なんとなく東名高速で突然シャフトが落ちて逆立ちしそうな不安もありますなぁ(笑)

 富士山周りはいまでも原生林だそうですね。大昔、東京から甲府経由でまわりをぐるっと回った覚えが一回だけあるのですが。
 ああいうとこでのんびり数日すごしたいものです。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 18時08分

JOその1返信
 はあ、やっぱりわたしよりあたま良いですね。
 私がもやもやしているところを、上手に書いてくださった。
 ただ「楽しみとしての文学」は、ほんとうのところ少し異なります。せき立てられて、というか、なさねばならぬ、というか、Mu祖神は、「物語」というか、やはりふつうとは違うところがありますね。

 たぶん、脳に欠損があるのか、あるいは逆に一部が肥大しているのか、どっかに特異点があって、せき立てられているという感がつよいです。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 18時15分

JOその2返信
 ところがね。
 実はね。
 ツールじゃないんだなぁ。
 マシンシステム、プログラミングシステムもまた、文学と同列というか、私の脳では、道具と対象とが別れていない。
 道具が対象になり、対象が道具になる。
 相互乗り入れが激しい。

 これは別言するなら、客体と主体とが常時いれかわっている。仮面と素面とが常時入れ替わる。
 
 システムの神と対話しながらコンパイル&エラーをやっているときは、忘我です。よい文章を書いている最中も忘我です。
 あれこれ考えると、じつにおもろい(人生です)。
 となると、科学や文学やという、外界の規範すらじゃまくさくなる。となると、ついには、我は○○なり、となってしまって、世界との交流が絶たれる。絶たれたことに気づく瞬間が辛い。財布が軽い、今朝は授業や会議や、……、それが世界との出合いです。うーむ。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 18時23分

JOその3返信
「何を小概念と設定するか、何を重要な文字及び文字列と捉えるかは、システムを使用する解析者に任される。」ここが少し違う。
 解析者の前にはある程度自動化された結果がでる。KT2は最低限の辞書とアルゴリズムとで、語の頻度と出現位置を正確に導き出します。不要語らしき物を消すことで、残り、浮かび上がってきた物を、X概念、Y概念と規定するところが、解析者の主観であり、見識でしょうね。
 この往還は決して解析者の恣意だけではない。先頭に来る物が人名ならば、これはほぼ「主人公」という概念であると、自動的に言えます。ミステリなら、先頭5名程度の人物の中に犯人がいる、という統計的、経験的な「客観性」がでています。となると、先頭数名は{主人公、犯人}小概念と、ほぼ自動化されます。
 ……
 あとの部分は、まったくそうでしょうね。逆に、私はJOさんにそういう手法を教えてもらえばよいのでしょう。データマイニングの壮大な解釈かもしれませんね。
 私の可視化全般は、世間の言葉でいうなら、テキストマイニングの、一手法だといえば、なにがしかの人たちは「うん、そうかい」と言ってくれますが、ここで、「そんな、もんじゃない」と密かに思うのでありました。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 18時35分

JOその4返信
 まったく同じ思いですね。
 長尾先生は昔、それを高次のメディア変換と書いておられました。印刷物をディジタル化するくらいは、単純なことですよね。JOさんによる巫女さんのたとえ話レベルになると、超高次メディア変換でしょうね。
 どこかの先端研究所だと、たぶん「雪国」をよませて、その情景画をえがくくらいのことは、マシンがやっておることでしょう。10年以前にそういう論文を読みましたから。
(純粋研究論文は、昔のもののほうが分かりやすいことが多いです。化粧がなく、すっぴんで、単純なアルゴリズムをつかっているから、枝葉と幹とをすぐに見分けられるのです。膨大な後続研究から、太い幹を本当に見分けるのは至難の技。大抵は、機関名とか研究者名にだまされて、カスつかむ(笑))

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 18時43分

 ”『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の小説構造の可視化”という研究論文を、私は一つの文学研究として読ませていただきました。

 この方法を使って、長編小説を司書が、的確に読書案内できるようになるとは、???なんですが、KT2システムという方法を使った文学研究だと考えれば、大変興味深いものでした。

 機械で高頻度用語を抽出するだけでなく、それに「名寄せ」を行い、文章地図として小説構造を明らかにするというのは、人間でないとできないわざですね。
 なかでも「空白の共起」という視点は、KT2システムで分析しないと出てこなかった視点でしょうね。とてもおもしろいと思いました。

 Muさんもおっしゃられていたように、
「用語の頻度の高さは、いわゆる純文学作品では、意味をなくすように思われる。」
「優れた文芸作品は言葉の使い方に慎重である。一つ一つの言葉を丁寧に使っている。・・・(だから)その注意深く最小限に使用された言葉が、一体どこで使われているのかを分析することは、作品構造を読み解く上で非常に重要な手がかりとなる。」
 この考え方による「鍵語」の分析は、題材となる文学テキストを読み込んだ人間だからこそ、可能なのだと思いました。

 人物と鍵語の相関関係を重視しておられる点も、おもしろかったですし、用語の地図化も、一目で、作品の重要箇所がわかるな、と思いました。

 テキストに忠実に客観的でありながらも、空白の共起という視点など、新しい三島の読みを提示してくださっている、文学研究だと思いました。

投稿: wd | 2004年11月12日 (金) 11時04分

WDさん
 どうも、ありがとう。

1.こういう方法論を、司書がどのように使うかは、後日のことです。
 blogをレファレンスなどに司書がどう使うかと同じで、効果が明確なので、それをあれこれ言うのは他愛ないことでもあるので、置いてあります。
 それこそ、丸太にまたがって海に入ったら、隣島まですぐ行けた、のたぐいになります。
 ただ、KT2を多くの司書が使うには、それようのプログラムをあと一本造らねばなりません。(小舟ていどのもの)
 現在のKT2は、医師用です。専門家でないとレントゲンフィルムをみて、あなた癌です、とは言えないでしょう(私、専門家・内科医に5年ほど前に言われました。「あなた、癌です」と。私が「そうですか」と、しらけて言うと、その先生慌てだして、20年前の私の写真を見つけてきて、言いました。「まだ、生きてる。癌じゃないね」忌々しい話でしょう)
 忙しい司書が、パターンを見て読書相談にのるのは無理です。あと一本、変換解析ソフトを造る必要があるのです。
 じゃまくさい、こってすな。
(理由は、私は、そんなんなくても、パターンだけで分かる(笑))

2.諸点、かゆいところを指摘してもらって、とても嬉しいです。

 ただ、純文学作品でも言葉の頻度(絶対量)は、とても重要です。ただ一点、頂上部分だけは、作者が隠しますね。
 論にも記しましたが、三島さんは、悲恋物の『春の雪』で「恋」なんて、ほとんど使っていないのですよ。

 作者が隠した用語の出現位置、これは大切でしょうね。隠すことが、露わになにかを見せている。純文学と言われる古典のひとつの相ですね。

投稿: Mu | 2004年11月12日 (金) 12時55分

コメント有難うございました。短評までして頂いて恐縮しています。調子に乗って一言記します。三島氏の「天人五衰」の解析拝見しまして、その中で頻度四番目にあたる用語が「自分」であると知りました。殆ど印象に残っていなかったので、意外に思いました。今でもテキストを見ずに、本田ことなのか、透のことなのかを考えています。

投稿: pfaelzerwein | 2004年11月19日 (金) 02時18分

p-ワインさん(pfaelzerwein)
 お早うございます。
 「自分」とか「私」とか「彼」を特定する技術がMuには弱くて、これまで棄ててきました。文間の照応関係からちゃんと解析することは、自然言語処理の世界ではほぼ完成しているようですが。
 さておき(この道に突入すると泥沼なので)。

 「自分」は現代の若い人は使いますが、語感として軍隊での用法、戦前の用法、つまりは薩長の用法(笑)じゃないかと、推測しました。だから、「透」が使うのは不自然ですね。
 で、いま調べてみました。
 おお。
 Muの想像は完璧に妄想でありました。

 三島さんは、作者として、三人称で対象を語るのですが、被対象者の心理を描写するとき、被対象者の自称、あるいは「彼」「彼女」の代替に多用しておりますね。こういう使い方は、きっと学問の世界では、日本語文章学とかあるのかな、定義されていると思いますが、一応二、三の事例を挙げておきます。

*この十六歳の少年は、自分がまるごとこの世には属していないことを確信していた。

*若い本多なら自分のつつましい愛情を嘲られてかっとしたろうに、今の本多には、妻をそうして連れて行きたい気持が、一体愛情の一種かどうか疑わしかった。

*と透は考えていた。自分はひょっとすると、それ自体が意識を持った水素爆弾かもしれない、と考えることがあった。

*本多は自分がそんな被支配の不透明な存在でありたいと望んだことはなかったが

 なんとなく、日本語文章における「自分」用法についての一考察、なんてことをしなくてはならなくなりそうなので、これはなかったことにしておきたいです。(難しそうです)


投稿: Mu | 2004年11月19日 (金) 04時48分

さきほど勝手にトラックバックさせていただいたものです。全く悪気はないのです。おちゃらけた文章ですいません。また、青春の文学と大切にされておられるので、汚したくはないつもりです・・・わたしはメンタルな病気に罹ってどうしても三島由紀夫なる人を客観的に見れなくなりました・・・今、それが徐々に見れるようになったかどうか自信はないのですがわたしなりの強引な「豊饒の海」解釈をして、こころのなかにしまっておかずブログで公開してみること・・見てくださるかわからないのですが、はじめたばかりですし。でも狂人とよばれる病のわたしでもそうでない方と共有できる意見とかあるかな、と期待をして。迷惑でしたらお消しください。失礼しました。

投稿: カおる | 2005年4月11日 (月) 17時02分

カおるさん、 2005年4月11日 午後 05時02分

 拝見しました。
 で、あなたのメンタルな症状は分かりませんが、文章に「おもしろさ」を味わいました。
 そして、透と本多翁との関わりが、雪翁を媒介にして、発展し、ぐるりと回って、かつての三島由紀夫が生まれたような、目眩を感じました。

 ただ。
 Muは、夜の世界ないし極早朝(まあ、午前4時ころだと夜ですな)では妄想を駆使しますが、昼の世界では(言葉の綾として妄想を語りますが)、つまり現実には、砂を噛むような歯車のような、リアル世界に生きています。
 そういう意味で、二十代半ばから職業作家という特殊な環境にいた三島由紀夫のことは、理解できないし、おそらくしないつもりです。『豊饒の海』という、空前の妄想は、そこに生きたとき、空気もない荒涼とした月の海を、あじわうのでしょうねぇ〜。

投稿: Mu→かおる | 2005年4月11日 (月) 18時31分

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