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2004年11月 8日 (月)

あきづしま:秋津島::秋津洲:蜻蛉洲

秋津島

蜻蛉
 日本の美称は秋津島というそうだ。美味し國、秋津島。
 秋津というのは「あきづ」と読み、これは蜻蛉(あきづ)と同じらしい。で、神武天皇の三十一年四月に、國のかたちを廻(めぐ)らし望(のぞ)みて曰く「いと小さい国だが、山々が蜻蛉のつながるように続いておるぞ」とあり、おそらく山こもれるヤマトを眺めてつぶやかれたのだろう。

 写真は大和三山を撮したつもりだったが、よくみると二匹のとんぼがつながっていた。珍しいものになったので、記しておいた。


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コメント

あ~~びっくりした! ラジコン飛行機が三輪山で飛んでるかと、勘違いしました。

稲作とトンボは関係が深いのでしょうね。豊かな国の象徴なのでしょうね。子供の頃、赤とんぼが夕暮れには沢山、群れ飛んでいましたね。

トンボはお尻を水面にチョン、チョンとつけて飛んでいましたね。私は、銀ヤンマを目掛けて糸の端に小石を煙草の銀紙で巻いて包みくくりつけ、夕焼けの大空に目掛けて投げていました。

心の故郷がトンボの群れ飛ぶ田園風景ですね。

投稿: jo | 2004年11月 8日 (月) 20時11分

JOさん
 しかし、なんですなぁ。(ふうてん老人が笑うなぁ)
 昔のひとは、トンボのまぐわいをみて、国の美称をうたうのだから、現代人よりも、自然に馴染む度合いがけたずれにおおきかったのでしょうね。
 いまどきなら、JO少年みたいなひとでないと、気が付かないと思う。Muも最初は単なるゴミ、つぎに「おや、二重(前後)の複葉機ってあったかいな」、とその程度でした。
 ほんとに偶然、理解できたわけでして。

 ところで、背景は、偶然がかさなって、畝傍なんですよ。神武さんそのものでしょう。

投稿: Mu | 2004年11月 8日 (月) 20時50分

そうやね、全く。

二匹の蛇が巻き付いて生殖中の姿が”注連縄(しめなわ)”ですからね。豊穣と生命力の象徴なんやね。

蛇と稲作は三輪山の信仰やね。これは、長江下流域の影響が大きいと思います。稲作の源流なんやろね。

今は国見をしても、竈の煙は見えんね。

投稿: jo | 2004年11月 8日 (月) 21時53分

JOさん
 昔はいまの何倍も、豊饒、生命力、繁殖繁茂が大切なイメージだったんでしょうね。
 ここで、一口蘊蓄。
 白川先生の常用字解じゃね、
 蛇は祀に通じ、ともに「へび」を象った象形文字からなっているとのこと。祀は自然神をまつることで、自然神の代表的な神格が蛇らしい。
 で、蛇に豊饒さがあったのか。しかり、ですね、JOさん。
 魔の系譜/谷川健一(講談社学術文庫)の中の「聖なる動物」で谷川さんは分かりやすく蛇と縄文人との関係を記していた。蛇は、再生と復活、つまりは生命力の象徴だったんでしょう。かな。

投稿: Mu | 2004年11月 8日 (月) 22時21分

誰かが書いていましたが、蛇の脱皮が神妙らしいね。再生する訳ですから、これが古代人にとり神妙であり、再生のシンボルとなったそうな。

白川先生の蛇のルーツの話は初めて、知りました。なるほどね~~~。私は、蛇は嫌いやけどね。気色悪いからね。

投稿: jo | 2004年11月 9日 (火) 09時06分

JOさん
 遠い昔、わが両親はそれぞれに、財布に蛇の抜け殻を大事に入れていた。お金が貯まるという現世利益だったようだが、庶民は切ない。私は、五円玉を欠かさない。「お金と御縁がありますように」という、まことの心根(こころね)なり。
 蛇さんのことは、興味があります。
 きっと、気色悪さが神聖に通じるんでしょうね、古代縄文時代まで遡って。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 09時32分

 じ・じ・じつは・・。
 台風のあと、家の庭に、1.5mはあるシマヘビがあらわれたんです。気持ち悪かったですよ・・。
 私は絶対、台風で水かさが増したウワナベ古墳の池の水が、近くの水路に放流され、水路をつたって、家の庭まで入り込んだと思うんですよ。だから、そのシマヘビは、ウワナベ池の主であったかも?と推測するわけです。(これって、MuJoBlogの影響受けすぎ?)
 そのシマヘビを追い払った先は、やっぱり家の横を流れる水路でした。

 私も明日香に彼岸花を見に行ったとき、畝傍山、二上山、を近くで見ました。お天気が快晴(日頃の行いがいい?へへ・・)でしたから、とてもきれいにはっきり見えました。

 Joさんのいうトンボも明日香の棚田には、いっぱい飛んでいて、種類は「アキアカネ」でした。見とれていると、家族に「ここまで来て、トンボで喜んで、ど~すんねん!」とつっこまれました(笑)。

 奈良の地元の人は、春日さんより三輪さんの方が、愛着あるようです。家の近所は、みんな初詣は、三輪さんですからね。
 三輪さんのご神体も「蛇」ですよね。初めて行ったとき、どうして、こんなにお供えに卵が多いんだろう?とビックリしました。「神さんが、巳(み)ーさんやからな。」と教えられて、納得しました。

投稿: wd | 2004年11月 9日 (火) 10時24分

WDさん
 シマヘビが主、この「主」という言葉は小学校で年に一回みられた「民話劇舞台」で印象に残っています。大抵、龍神か、蛇神さんでした。Muは毎年、学校で開催されるプロやセミプロのそういう劇がとても好きでした。
 WDさんのコメントを読んでいると明日香が豊かに再現されます。あそこは大抵車でしたが、近鉄特急で行くのも、京都からは楽かも知れません。大化改新前後までに、きっちり勉強しておきたいです。
 三輪さんに愛着があるとはうれしい話ですね。春日さんも深い山懐があって荘厳ですが、すこし洗練されているところが、三輪さんとの違いでしょうね。後者がより土着的で、つかれていると、洗練よりも地にへばりついた雰囲気の方が気楽です。まあ、イメージにすぎませんが。
 幼少時記憶では、蛇よりも、「酒」のイメージが強かったです。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 12時29分

 三輪さんのご神体は、三輪山でした。
 巳(み)ーさんは、三輪の神さんの化身で、境内に大きな杉の木があるでしょう?Muさんが、最初にMuBlogに載せておられた、あの写真のところ。あの杉の根元に、卵やお酒がいっぱいお供えしてあるんです。その話でした。

 春日さんは、奈良以外から来る人が多いようです。実際、私も京都に住んでるときに、わざわざ春日大社まで初詣に来ましたから・・。
 義母は、毎月、三輪さん参りをしています。毎月1日には、参道にお店が出るんですよ。

 桜井線は単線でもね、お正月には臨時電車が増発されて、あの駅が身動きとれないぐらい人でいっぱいになるんです。服装に気を遣わなくてもいけますし、晴れ着を着た人でいっぱいになる春日さんとは、全然違いますね。
 

投稿: wd | 2004年11月 9日 (火) 12時45分

主(ぬし)というと、『牢名主(ろうなぬし)』やね。

何処の人間組織にもおるんやね~~。畳を何枚も尻に敷いて偉そうに、してる奴。以前にも巣鴨方面でおりましたな~~。

狭い世界でしか通用しない、内弁慶やね。こういう、連中には距離をおいて祟られんようにする事やね。祟りといえば

日本は、『祟り文化』やね。(キッパリ)

伊勢神宮の外宮は豊受姫命でしたよね、出雲やないの?

昨日より、内田はんの『斎王の葬列』を読み始めたんやけども、なんで天皇はんは娘を伊勢さんとか、賀茂さんに人質みたいにださんとあかんのか?

『祟りとちゃうか?』出雲の祟りが怖いのとちゃうか?というのが、トンデモ説です。

投稿: jo | 2004年11月 9日 (火) 12時56分

WDさん
 あれこれ想念めぐらし、文献をみていたら時がたちました。
 要は、春日さんは藤原家の氏神とすればわかりよいわけでしょうね。藤原家一千二百年の栄華は天皇家と絡まっていますね。大化改新あたりからでしょう。そして、関係者であるみなさんは今から130年ほど以前に、ほとんで戎の地いってしまわれた。都遷りですね。
 だから、奈良以外の土地から藤原祖地をめざして来なはるのとちがうかな(笑)。そういう意味では多武峰(とおのみね)の談山神社もそうなるのかな(?)
 実質、遠方からきても奈良市と奈良ホテルが限界でしょう。近鉄特急のない山辺の道あたりまで参詣なさるは、信心の強さか、ネイティブの誇り意地でしょう。
 Muは、異国のXですから、春日さんも三輪さんもお参りします。気持ちは三輪ネイティブですから、その分自由度が高いです。よそさんの神さんとも仲良くしていこう、狭く小さな國なんだから。一神教世界が不思議でなりません。神々のいなさる豊かな國。
 ……
 すみません、後半部は私事そのものの精神領域でありました。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 14時23分

JOさん
 さっきから狭い机上には、古事記伝(文庫4冊)、古事記、日本書紀(2冊)、古語拾遺、倭姫命世記(岩波の中世神道論)、古事記事典、それになんと古事類縁(そのうち、索引+神祇4冊)が並んでしまった。現代の崇神朝解釈図書は全部木幡研ですから、まあこれで精一杯。Muの本業は「司書課程」ですから、葛野にはトンデモ古典(上に上げたのは、Muのなかではとても愛しいトンデモな古典)はそうそう置けない。
 で、なぜ斎宮(いつきのみや:さいぐう)があって、トヨスキイリヒメ、ヤマトヒメノミコト以来、遠隔地伊勢のおもりをしたはるのか。
 要するに、崇神天皇さんね、大物主にくらがえしはったんや、主神を。なんで皇祖神たる天照大神をやね、ヤマトヒメノミコトが遠隔の伊勢に遷すことを、垂仁天皇が許したのか。
 古典類を読んでも、どう逆立ちしても、皇居から出されたんは、天照大神であって、土着の大物主さんじゃない。大物主さんの傍から、崇神王朝ははなれんかった。宮都は三輪山の周りどす。

 なんかね、崇神王朝は、昔からの、古XX(笑)の天照大神が飽きたというよりも、いろんな事情で傍に祀るのがしんどくなってな。だけで、怖いでしょう、カミさんの怒りって。だから、まあ、娘を代替わり毎に伊勢へ遣わして、二心なきことを伝えてはったんやね。

 これがレファレンス(調査)回答の限界や。これ以上は後日。(と、なんとなく肝心なことは隠すような〜)出雲には一言も触れずに、調査依頼を処理するのは、ほんと、汗でます。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 14時43分

あの~~崇神はん、出雲を滅ぼして政権を取ったけども、疫病が流行して仰山の人が死んで行ったそうな。

国が成り立たんようになり、人心は大層動揺したそうな。多分、大陸から疫病かウイルスが人か動物に付いて来たんやね。

それで、大物主の関係者を探し、浪速あたりにいた『太田タネコ?』を探し出し、彼女に三輪山の神を祭らせたんとちゃう?

これは、『祟り』なんやわ、崇神はんは大物主さんの祟りが怖かったんやね。というか、住民が怖がったんやね。

しかし、お伊勢さんが判らんのやね。多分、元々 三輪山の近くにあったんでしょうが、この事件で引っ越してもらったんやろね? 原住民が大物主はんの祟りが。

それで、申し訳ないのでお伊勢はんには身代わりを傍に置いて、天照おおみかみはんが臍(へそ)を曲げんように、したんやろか? これで、説明はつくな~~~。

投稿: jo | 2004年11月 9日 (火) 15時05分

JOさん
 仕事しようとすると。
 またまた魅惑的なトンデモ説、というよりもJOさんらしいリアルな説。
 ようするに、祟りじゃ〜の方向が、Mu説は従来とは異なる。みんな、騙されてる。崇神はんは、現地に惚れてしもうただけやね。

 だから、祟りの対象は天照大神なんやね。
 外宮のトヨは、天照大神の見張り役。卑弥呼の娘、おそらく三輪山うまれの、ほとんど三輪・磯城ネイティブ。天照大神さんに象徴される眷属が三輪に戻らぬように、見張る。

 おお。おそろし。この複雑さ。図解すればすぐに分かるが、崇神さんは賢い人だったと思うよ。
 いやはや。
 もう、やめときますが。といいつつ。
 お伊勢さんは天武紀くらいから明瞭になってきたようで。書紀は天武王朝の産物。複雑ですね。

 まこと、諸説あり。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 15時27分

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