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2004年11月 7日 (日)

日本・知能情報学・長尾真:学術無窮/長尾真

学術無窮:大学の変革期を過ごして:1997-2003/長尾真 著
  京都:京都大学学術出版会、2004.10
  11、202p ; 22cm
  ISBN: 4-87698-640-1

著者標目: 長尾、真(1936-)・ナガオ、マコト
注記:[刊行]企画 長尾前総長退職記念事業実行委員会

目次情報
  書2品
    [不如学(まなぶにしかず)]
    [学術無窮]
  写真編 変革期を振り返って
    [カラー写真 京都大学百周年時計台記念館:3葉]
    [カラー写真 京都大学総合博物館:2葉]
    [カラー写真 京都大学桂キャンパス:地図、4葉]
  京都大学の基本理念
第1章 学ぶに如かず--これから学問をする諸君に
  1 京都大学の学風
  2 真善美を考える
  3 形は精神の表れ
  4 専門職大学院
  5 明るい気持をもって
第2章 学術無窮--卒業していく諸君に
  6 自信と忍耐をもって
  7 不確実な時代を生きる
  8 本を読もう
  9 これからの学問のあり方
 10 存在を問うこと
 11 共生の思想
 12 輪廻転生
 13 博物館と学問
 14 ロマンを求めて
 15 西洋と東洋の違い
第3章 未来へ--大学変革諸事業への期待
 16 日本の大学のあるべき姿
 17 最近の京都大学
 18 京都大学の法人化
 19 大学図書館の課題
 20 大学文書館への期待
 21 桂キャンパスの開設
 22 百周年時計台記念館
 23 東京大学大学院情報学環・学際情報学府の創立
 24 京都工芸繊維大学100周年
 25 総長退任にあたって
補章 光と影と
 26 東大・京大の競艇によせて
 27 遭難事故
 28 今西錦司生誕100年
 29 光
おわりに
総長任期関連年表

著者紹介
 長尾 真(ながお まこと)
 昭和11(1936)年、三重県生まれ。
 京都大学大学院工学研究科修士課程修了。
 京都大学工学部助手、講師、助教授を経て、
 昭和48(1973)年、京都大学工学部教授。
 平成9(1997)年から同15(2003)年まで、
 第23代京都大学総長を務める。
 研究分野:自然言語処理・画像処理、情報工学、知能情報学
 [現職2004/11/07調査:独立行政法人・情報通信研究機構理事長]

Mu注記
 長尾真先生が主に、京都大学総長を務めた期間の社会的発言がまとめられている。
 ただし「おわりに」はゲーテのメタモルフォーゼにことよせた名文で、これは「平成2年3月30日 大型計算機センター長退任時」のものである。私はこのころ京都大学附属図書館の洋書目録掛長を勤めていて、常時大型計算機センターの動向に気を配っていた。つまり、コンピュータや通信がどうなるかは、職責上から知っていなければならない重要項目だったのである。
 センター紀要にこの退任挨拶を目にし、一読して感銘を味わった記憶がある。ゲーテをご自身の考えや行動の原理にしている工学部教授という姿に深く驚いた。その後、故原田勝(筑波大学)教授に連れられて長尾研究室を訪れ、爾来、そういう文章の内容が長尾先生の「人生」に密着していることを、折々に味わってきた。
 本書の中心は、入学式、卒業式の祝辞、そして「京都大学法人化」に関するご自身の声明集、その他である。その多くはこれまで京都大学のHPにもあり、読んできた。が、一本にまとめられたとき、その手応えには重いものがある。

 人間誰しも、長い間同じ仕事や研究をしていると、そのことに関しての細かいことは、洗顔し、食事をするような日常の営為として身に付くものである。しかし、「はて、何故にこうしているのか?」とか「新たな事態に直面したようだ。どうすればよいのか」と、不意に決断や出処進退を迫られたり、深夜ふと目覚めて物思いにふけったとき、判断の基準が飴のように曲がり、地がゆれ、虚空に放り出されたような気持になることがある。
 そういうとき、長尾先生がおりおりに入学式や卒業式で述べられた祝辞内容が、命の水のように身にしみこんでくる。これは、結婚式の祝辞や、代理祝辞とは異なる。実に丁寧に、根元的に、生きる指針、研究の指針、ものの考え方の指針が記されている。

 十年に満たない期間だが、研究会(電子図書館研究会)をともにし、研究室の片隅にベンチを貸してくださった奇縁のなかで、「本当の生き方」を間近に見た(参照)結果、本書は[実のある祝詞]であると思った。
 この[実のある祝詞(のりと)]という私の言葉遣いは誤解をうけるかもしれないが、あえてここに記しておく。その事情は後日にまとめて記すつもりだ。いま言えることは、長尾先生の父君は橿原神宮宮司を務められていた。そういう生活環境から、絵空事ではない、本当に生きることのエッセンスが生まれた、と考えている。

 なお、追記するに、「京都大学桂キャンパス」を造ることは長尾先生の総長職として、非常な節目だったことをうかがわせるものがある。「学術無窮」という本書名は、桂キャンパス開設にことよせた書として写真掲載があった。さらに、目次25の「総長退任にあたって」には附記があり、全学評議会での採決の情景が点描されていた。

参考サイト
   長尾真博士のノート(MuBlog)

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