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2004年11月 5日 (金)

みわやま:三輪山遊行(2)箸墓から檜原神社

檜原神社(奈良県桜井市大字三輪)マピオンBB地図
 
 三輪山遊行(1)の巻向から続いて、箸墓から次に目指すは三輪山麓の元伊勢・檜原神社だった。箸墓は、倭迹迹日百襲姫命・大市墓、が詳しい名前であり、ヤマト・トトヒ・モモソヒメノミコト、と読む。この箸墓の後円部の近くにそうめんの研究所があって、ここで三輪そうめんが天日に干してあるのを見た。そして真東へ坂を上っていくうちに、大和国中(くんなか)が徐々に背後にせり上がってきた。二上山はここからは真西にあった。

山辺の道と三輪山
 近頃の地図ソフトウェアはとても使いやすく安価である。「プロアトラスW3」というのを以前から持っているので、行程を立体表示(ジオラマ機能)してみた。
 この三輪山の南・北・西麓に古代日本の秘密がぎっしり詰まっている。日本書紀では崇神天皇を中心とした時代で、おそらく三世紀前後であろうか。通称、三輪王朝とも言われている。だから、このあたりにある神社はどれもこれも、由緒深く、おそらく日本国の源流に直結したものが多いのだろう。
 そんなことを何も知らなくても、地図の山辺の道を歩いて、とくに西方はるか二上山を眺めると、神聖な空間を肌に味わう。

箸墓から見た三輪山
 写真は箸墓の後円部から東を仰ぎ見た三輪山である。山自体が禁足地だからだろうか、一種の原生林のようになっている。檜原神社は、写真中央の麓にある。このあたりのおもしろさは、距離が百メートル単位なので、少し歩くと風景が変わる。変わるというのは別の風景になるのではなく、望遠レンズで、ズームアップしたようになるということだ。気持ちの上では、少ししか歩いてはいない。とは言っても、箸墓はたしか280メートルもあるから、すでに前方部・西北の池端から、ここ後円部まで歩いたのだから、三輪山に280メートル近づいたことになる。

三輪そうめん
 うしろから小さなリフトカーがごとごとと走ってきた。白い上下の男性が運転をしていた。リフトのかごに、なにか不思議な物があった。そうめんだった。その車が走り去った所に大きく立派な建物があった。近づくと門柱に「三輪そうめん山本 技術研究所」とあった。覗いてみるとそうめんがほしてあった。今、サイトをみると昔のそうめん干しの図柄があった。 

二上山
 箸墓を後にして、一路三輪山に向かって歩いていった。Muはこれまで車が多いので、箸墓経由のルートはまれだった。道が正確にはわからず、道ばたで焚き火をしていた人に尋ねてみた。「まっすぐ」この答えで十分だった。三輪山に向かってまっすぐ歩いた。登りになってくると息がきれてきたので、学生達を先にいかせ、後ろを振り返った。二上山が綺麗に見えた。右が雄岳、大津皇子が眠っている。左が雌岳。しかし、最近手にした図書(飛鳥発掘物語/河上邦彦.扶桑社)では、大津皇子は山麓の鳥谷口古墳が本当なのだと書いてあった。まあ、二上山にはかわりはないだろう。

大和三山
 大和三山の二つが遠望できた。右が耳成山(みみなし)で、左が畝傍山(うねび)だと思っている。畝傍の麓には神武天皇陵、橿原神宮が鎮座する。香具山は左に隠れて見えない。
 平野(盆地)の中に二等辺三角形の配置で200メートルに満たない小山があるのは奇観である。ただ、大和三山という言葉は小学校あたりから習った覚えもあるので、「奇観」とおもえないくらいに馴染んでしまっている。

檜原神社から二上山遠望
 ようやく檜原(ひばら)神社に着いた。正面に二上山が見える。〆柱が、鳥居と同じく亜空間を作り出している。これは額縁ではない。強いて今風に言えば、水平空間への結界であろう。Muは二本の柱をたてて、しめ縄で橋渡しするこの〆柱が好みである。鳥居よりも数倍心を深く沈ませてくれる。鳥居は人工のもの、それは清浄でよい。〆柱になると、神々と人々とがたわむれに柱を立てて、縄を巡らし飾りにしたというような、なんとなく遊技を感じる。
 遊技だから、「どうや、Muさん、こっからあっちゃを見てみいな。綺麗やろう。お金もたいしてかからん、手間もない。これだけで、綺麗な景色になるんやで」と、太古の神さんたちが笑いかけてくれるような気がする。

三鳥居
 三つ組み合わせた鳥居が中央奥に見えた。三輪鳥居と言って特殊な形態だ。鳥居が奥の神体山・三輪山に通じていた。これは大神(おおみわ)神社と同じだが、ここには拝殿もなかった。
 崇神天皇の時代、命をうけて、皇女トヨスキイリヒメノミコトが皇居から天照大神(鏡:アマテラス・オオミカミ)をこの地にうつしたという。後に、ヤマトヒメノミコトが各地を経巡って、最後に伊勢の神宮に天照大神を移された。その伝承の源である。だから、元伊勢。
 いつもは無人に近い神社なのだが、天候と文化の日だったせいか、人がたくさんいた。ボランティアの解説者もいた。境内にある「窯跡」にも人がいた。同行学生達も浮かれていた。

参考サイト
  三輪山遊行(1)巻向から箸墓
参考文献
 山辺の道に関しては多数の書籍、ガイドブックもある。雑誌の特集もわかりやすい。ここで二冊紹介するものは、Muが長年折に触れてひもといてきた図書である。学術図書というよりも、心の図書といった方がよい。物事の真実は、一般に言われる学問ではわからないことが多い。知恵や経験によって導かれたものが大切である。

  万葉路 山ノ辺の道/保田與重郎.新人物往来社、昭和48年4月
  大神神社(おおみわ)/中山和敬.学生社、昭和46年5月

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コメント

 よろしいな

 神主一人と女官四人の遊行。映画で言うとカメラが動き始めた感じが出ていて、特に(その一)を楽しみました。桜井線で桜井まで行って近鉄に乗り換えて長谷寺へ行く、というのがいつもの当方のコースなのですが先生はああいうボタン寺みたいなところへは足が向きませんか?

 いつか僧侶一人と尼さん四人に衣装を代えて長谷寺遊行篇が実現することを期待しております。あの寺は当方の見る限りでは最もよく出来た西方浄土の具現化、ワンダーランドであると思われます。舞台から遠くを見ますと、見渡す限り人工的な夾雑物が目に入らなくて、紀貫之と同じような心で古を偲ぶことが出来るような心地になります。

投稿: ふうてん | 2004年11月 5日 (金) 23時37分

ふうてんさん
 ああいう企画は熱心な学生らが偶然にあつまらないとできないです。別途ふうてんさん好みの酒好き年長卒業生の会もいくつかありますが、遠征は滅多にございません。

 で、長谷寺の牡丹ですが。
 長谷寺まで足を伸ばすことは稀です。長谷寺経由で三輪山を一周したことが20代に数度ある程度ですね。
 ただ、長谷寺の印象は強いです。
 なれど、尼さん引き連れて撮影というと、なにやらはやりの「大奥」みたいで、人の目を引きすぎますね。

 そうですね。
 来年はNHKの義経ですから、そういうことになると京都中心で、大原あたりでしょうか。あるいは五条大橋で牛若と弁慶の格闘技を撮影するのも、よろしな。

 
 

投稿: Mu | 2004年11月 6日 (土) 04時22分

 MuDB2004で、この記事を検索しました(笑)。

 joさんとの間で、大和三山について、トンデモ話が持ち上がっていまして。
 この三山のきれいな正三角形の中に藤原京があったことから、もしかしたら一つの山は人工的に作られたのではないか?という噂があります。
 もし本当だとすれば、どの山を作ったのか?ということになりまして、私は一番小さい香具山かな?と思ったのですが、joさんは玄武に当たる耳成山ではないか?とおっしゃるんです。
 Muさんはどう思われます?

投稿: wd | 2005年5月10日 (火) 21時08分

wdさん、 2005年5月10日 午後 09時08分

 まずは、JoBlogを御覧ください。下記アドレスで指定。
http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/jo/2005/05/post_019b.html#c2391863

 つまり、藤原京は、人工玄武があったればこそ、そこに置かれたというのが、Mu説の偉大なところであります。
 発想の逆転が真理を、まさに、突く!

 よって、どの山が人工だったかではなくて、ぜーんぶ、人工だったのです(笑)。ただし、Mu説では、畝傍さんが最初にあったから、三輪さんと整合性をもたせて、香具山、耳成山がピラミッドとして造山された(渡辺豊和説:http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/03/post_34.html
となりますなぁ~。

 ではでは

投稿: Mu→Wd | 2005年5月10日 (火) 22時00分

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