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2004年11月29日 (月)

ながさここうえん:長迫公園:旧海軍墓地

呉・長迫公園:旧海軍墓地(広島県呉市上長迫町)MSN地図

 2000年の10月世紀末、広島県の呉(くれ)に参った。呉や音戸が縁戚の地だったという理由もあるが、呉鎮守府の跡や、戦艦大和の慰霊碑を確かめておきたかったことによる。
 呉は戦前、海軍によって成り立っていたらしい。地図をみると瀬戸内海の入り組んだ中に、呉湾は倉橋島、能美島、江田島にすっぽり囲まれた良港に見える。真西には宮島も見えるので、このあたりは古代から瀬戸内海の一つの要所だったと思う。平家物語では、清盛が音戸の瀬戸を開拓したようで、音戸大橋には清盛塚もある。中世頃には海賊が一杯いたのだろう。

JR呉駅

JR呉駅
 写真のJR呉駅は呉線になる。「呉名物 帝國海軍鎮守府 海軍さんの珈琲」という看板と「桜に錨」のマークには、なんとなく全身がこそばゆくなった。いまだにこれを見るとアレルギーが悪化する人もおれば、にんまりする者もいる。そして何気なく訪れた若い人は、?と思うだけだろう。意外に、「亡国のイージス」とか、「終戦のローレライ」を愛読した人には、うけるかも知れないが。

長迫公園:旧海軍墓地

長迫公園:旧海軍墓地
 呉の山手に海軍墓地があると知り、なんとしても訪ねたかった。自分の父祖の墓参りさえ滞りがちなのに、どうしてそのような、と我が身を振り返り呟いてみるのだが、年齢とともにますます「亡国」という言葉が頭をよぎり、せめて、戦って散った人たちを忘れないようにしようという思いが、ふつふつとわき上がる年齢になったようだ。
 人類の歴史を振り返れば一目瞭然なのだが、建国というのは並大抵のことではない。そしてそれを維持していくのも大変な難事業なのだ。「私、戦いません。攻めないでください」という題目がどれほど無力かを、しっかり理性的に考えてみれば、ともあれ戦った人たちを偲ぶのは今のMuには当然すぎることになっている。

戦艦大和戦死者之碑

戦艦大和戦死者之碑
 戦艦大和と言えば、名作『戦艦大和ノ最期/吉田満』がある。松岡正剛が懇切丁寧な書評を記していた。Muがそこから足すことも引くことも、なにもない。読んだのは角川文庫判で、呉にいく数年前だった。
 墓を作り碑を建てるのは人の証。古来、王墓、前方後円墳を作ったのは在世中から時間をかけてのもの。しかし、つまるところは、残された者が墓を造って碑を建て顕彰してきた。生者が死者を弔い、偲ぶのは人の属性なのだろう。

呉海軍墓地の沿革

呉海軍墓地の沿革
 呉海軍墓地の沿革を読んでいると、明治23年に設置以来敗戦の昭和20年に廃止され荒廃した。その後は有志の奉仕で清掃と供養が続いたが、昭和46年に呉市に管理が移り、長迫公園となった。最初は海軍のものだったから、すなわち国有で、現在は市、地方自治体のものである。
 英霊十三万余柱とあるから、明治の海軍以来、昭和の20年代まで、海に関係した死亡が13万人に達しているのだろう。水に浮く屍(かばね)の上に生がある。平穏な、日頃は忘れても良い。ただ、時にしっかりと思い出すべきである。

参考サイト
  呉鎮守府司令長官官舎[MuBlog]
  旧海軍墓地・長迫公園[くれナビ]

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コメント

戦艦大和は呉で製造されたそうですね。覆いをかぶされ、製造途中は何処からも見えないように、開発されたと聞きます。

明治維新より、英国に海軍は学び日本海会戦を勝利した。しかし、その後は破滅への道を辿った訳です。

しかし、幾多の英霊は祖国の為に闘いましたね、日本人なら誰でも手を合わせるのが当たり前でしょうね。

今、一億以上の民の命を抱えた日本丸の舵取りは重要ですね、歴史から何を学ぶか、歴史をどう作るか、私もMuさんももう、余命がそう長く有りませんね。

私はもうたいした事は出来ないが、祈る事しか出来ませんね。

投稿: jo | 2004年11月29日 (月) 11時33分

joさん、 (11月 29, 2004 11:33 午前)
 ヤマトのことは話がつきませんね。
 縁戚の故人は、大和に関与した地元の技師のようですね。
 大和が進水したとき、呉湾の海面が50センチほど上がったとか、いろんな噂は残っています。

 現在も、江田島は施設を見学できるのですが、Muは時間の都合が悪かったのと、疲れとで、次の機会においてあります。東郷元帥は、日本の海防関係者にとって、軍神のようです。

 長迫の墓地の潜水艦慰霊碑には、分かる限りの戦死者名が刻まれておりました。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月29日 (月) 17時48分

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受信: 2006年8月20日 (日) 22時07分

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